第4話 穂谷野君の消しゴム

6限目の数学が終わり、下校のホームルームの時間になった。


支倉ハイムと穂谷野は席が近かった。給食も向かい合わせになる。ハイムの銀色のツインテールがジッとしたり、ふるふると揺れたりしながら、ホームルームの開始を待っていた。穂谷野は、




「支倉さんと沢山お話してしまった…」




と思った。今日は沢山お話し出来たなと思った。穂谷野はハイムが好きだった。4月に同じクラスになって以来、見た目が可愛いから興味もあった。勉強の出来るハイムは手の届かない存在だと思っていた。1学期は部活動が生活の軸だったから強く意識する事も無かったが。2学期に入って勉強が生活の軸になると、たちまち意識する存在だった。ハイムに対する好きの感情は、心臓が口から出るような感覚の高揚というよりは、むしろ穏やかな熱の自家発電だったが…。




穂谷野は斜め後ろの自分の座席から、ハイムに念力を飛ばした。




「もう一回だけお話したい…!」




こうやって念力を送っていればハイムが笑って振り返ってくれる気がした。沢山お話し出来た日は、仲良くなるチャンスだ。こっちを向いて欲しいと思うと胸がドキドキした。すると穂谷野は閃いた。




「消しゴムをわざと落とそうかな…!」




消しゴムをわざとハイムの足元に転がしてみようかな。




コロコロコロ…




穂谷野は自分の使い古した消しゴムをハイムの足元に転がした。消しゴムはハイムの足元でピタッと静止した。




しかしハイムは気が付かなかった。ハイムの足元でピタッと静止した穂谷野の消しゴムに、ハイムは悪気も無く、目もくれない。何かを熱心に読んでいるようだった。受験参考書だろうか。確かに普通気が付かない。




穂谷野は、


「これを黙って取りに行くのは不審人物にされてしまうかもしれない」


と思った。




足元まで歩いて行って、無言でモソモソと動作したら不気味がられると思った。出来ればハイムに気が付いて欲しかった。穂谷野の消しゴムが足元に落ちている。穂谷野は再度念力を飛ばす。




すると担任の先生がホームルームを始めた。この日の出来事を振り返って、諸注意や連絡事項などが話された。来月の中間テストや再来月の期末テストは内申に直結するから気を抜かず勉強するようにと言われた。担任の先生の声が教室中に響き渡る中、穂谷野は自分の消しゴムが可哀そうに思えて来た。穂谷野自身も、ああやってハイムから本当は全く相手にされていない気がして。




先生の話が終わると、皆ガタッと席を立って、下校する。




北条セナがハイムの傍まで来て、


「図書室で勉強しようよ」


と言う。




ハイムは、


「いいよ。今日は社会科をやろう。用語の一問一答をやろうよ」


と言った。




セナはハイムと同じ志望校で、優等生のハイムと一緒に勉強出来れば心強いのだろう。ハイムと友達だという既成事実が精神的な支柱になっていた。穂谷野は急に何十メートルも遠くにハイムがいる気がした。穂谷野とハイムの間にある距離がグーンと伸びて、遠くの壁に挟まった絵画のようなハイムとセナの談話。




穂谷野は、この日、意を決してそれが嫌になった。




穂谷野は猛然と席を立つと、


「は、支倉さん!消しゴムを拾います!」


と言った。




場の空気を切り裂いて、穂谷野の凛々しい声が響いた。




ハイムは、


「へ?」


という顔で振り返ると、穂谷野が手を伸ばした先にある消しゴムに気が付いた。




「ごめん!気が付かなかった!」




ハイムはそう言って笑うと、自分の手で穂谷野の消しゴムを拾ってあげた。




「はい!」




そして手渡しした。




穂谷野は、




「ありがとう!…支倉さんは家では一日何時間勉強しているの?」




と言った。




ハイムは困ったような仕草を見せながら、




「お風呂以外はずっとだよ!」




と言った。




穂谷野は。唐突に言われた「お風呂」という単語が弾丸のようになって、胸を打ち抜かれたのだった。




穂谷野は、




「…支倉さん!今度少し教えてください!」




と勇気を振り絞って言った。




すると近くにいたセナが、




「先生から『あんまり他人を巻き込むな』って言われているんだ。私達の勉強ってハイレベルだから!」




と屈託なく、気さくに言ってあげた。




ハイムは、




「少しくらいなら良いよ~!」




と言って笑った。






穂谷野は御礼を言うと、颯爽と下校して行った。




穂谷野は帰り道で、




「今日はやった!」




「今日はやったぞ!」




「いけるのかな!!!」




と心の中で叫んでいた。自分など不釣り合いだと思っていたが、ハイムの表情を見ていると、ワンチャンスにワンチャンスを重ねて自分の事を好きになってくれる気がした。ハイムに対する好きの感情は、心臓が口から出るような感覚の高揚というよりは、むしろ穏やかな熱の自家発電だったが、この日を境に大きく耐熱したのだった。




「前田君に負けないくらい勉強が出来るようになるぞ…」




ライバルは前田よしとだった。文武両道で背の高いよしとは穂谷野の明確なライバルだった。




「支倉さんは本当は前田君のような男子が好きだと思うから手繰り寄せないと」




穂谷野はこの日、大きく決心したのだった。

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