朝起きたら兄ちゃんがオカンだった。
@amu__
朝起きたら兄ちゃんがオカンだった。
ガンガンガンっとこの世のものとは思えないほどのうるさい音が鳴り響く。フライパンをお玉で叩く音ってこんなにもうるさいんだ。
「早く起きなさーい!!」
そう兄ちゃんの声が聞こえるが起きたくない。現実を直視したくない。だって訳分からなさすぎるじゃん。
朝起きたら兄ちゃんがオカンになってるなんて。
「学校遅刻するわよー!」
ガスガスの女声で私に呼びかける兄ちゃんは、何故かくるくるパーマのカツラを被っている。くどいくらい濃い厚化粧で、ピンクのワンピースに白いエプロン。漫画に出てくるようなオカンそのものを過剰にしたような姿だった。
「もう!いい加減起きなさい!」
「わっ。」
布団を剥がされて、ついに兄ちゃんを直視してしまった。昨日までは好青年だった兄ちゃんはやっぱりどう見てもオカンだった。
しぶしぶ起きて朝の支度をするが、やっぱり兄ちゃんがおかしい。
兄ちゃんは在宅で仕事をしていて、いつもならこの時間は部屋で作業しているはずなのに、今日は何故かリビングにいる。しかもウザい。
「ちょっとぉ!ご飯はちゃんと食べなさいよ!育ち盛りなんださら!」
「あんたスカート短すぎない!?悪い男に目付けられるわよ!」
「そういえば、あんたお小遣い足りてるの?足りなかったらいいなさいよ!」
……ウザい。
でも、今日の朝ごはんは久しぶりに菓子パンじゃなくて温かい味噌汁付きのごはんだった。少し、母さんの味がした。
なんで兄ちゃんがオカンになってしまったのか。頭の中がそればかりで授業に集中できなかった。そのせいで当てられたことに気づけなくて叱られてしまった。兄ちゃんのせいだ。さては嫌がらせか?
確かに嫌がらせかもしれない。昨日、喧嘩したし。
「蓮花ー?なんかぼーっとしてんね?」
「美希。うん、ちょっとね。」
昼の時間にもなるのに、席に座ってぼーっとしている私を美希が心配そうに見ていた。
「なんかあったの?」
「うーん。まぁ。」
言えない。というか言いたくない。兄がオカンになったとか、言いたくない。
「ま、いいや。ご飯食べよー!めっちゃお腹空いたぁ!」
「うん、そうだね。」
言いたくないことを察してくれたのか、美希の興味はお弁当に向かっていた。
「あ、蓮花。今日はお兄さんのお弁当の日なんだね。」
「うん、昨日は兄ちゃんお休みだったから。」
「いいなぁ、蓮花のお兄ちゃん優しくて。うちのお姉ちゃんと交換したいくらい。」
私のお昼は他の子と違って毎日手作りのお弁当じゃない。大体はコンビニの弁当。
でもたまに、兄ちゃんが余裕がある時があってその時はお弁当を作ってくれる。そこまでしなくてもいいのに、とはいつも思う。忙しいんだし、料理下手なんだから無理しなくていいのに。まぁ、でもありがたいはありがた――
「はぁ?」
「え、どうしたの……えぇ?」
お弁当の蓋を開けて、私も美希も思わず困惑の声を漏らした。
「これ、なに……?」
「うーん……、あ!ミニカワのミケのキャラ弁じゃない?」
言われてみれば確かに、というレベルの不器用なキャラ弁がそこにはあった。
ふと、お弁当袋の底を見るとなにかメモが落ちていた。
『今日はキャラ弁にしてみました(^^)v午後からも頑張ってね!』
「お兄さん、なんか気合入ってるね。」
「ほんとね……。」
なんだか恥ずかしくて、私はお弁当を隠すようにしながら勢いよく口に放り込んだ。
そういえば、キャラ弁って保育園の頃にお母さんに作ってもらった以来かも。
「蓮花、ケガ大丈夫?」
「うん、大丈夫。大したことないよ。」
おでこを擦りながら私は答える。
午後も兄ちゃんのことで頭いっぱいで、ぼーっとしていたら体育の時間に頭にボールがクリーンヒットしたのだ。これも兄ちゃんのせいだ。私の運動神経は関係ない、はず。
帰ったら文句言おう。……でも、お弁当美味しかったな。そう思ったところだった。
「蓮花ー!」
ギョッとした。それはガスガスの女声をした兄の声だったから。
「え、あれ知り合い……?」
美希が困惑しながら指さす先には、朝と変わらないゴテゴテのオカンの格好をした兄ちゃんがいた。
ホームルーム直後の校門前も言うこともあり、生徒はたくさんいて、異様な格好の兄ちゃんはもちろん注目を集めてしまっていた。
そして、そのまま私のところに一直線に走ってくる。好奇の眼差しが私にも刺さる。本当に今日はなんなんだ。
「いたいた!」
兄ちゃんは嬉しそうに笑う。反対に私はどんどん恥ずかしさのあまりイラついていく。
「よかったわぁ。帰りの時間間違えてたらどうしようかと。」
「もしかして、蓮花の、お兄さん?」
美希は恐る恐る兄ちゃんに声をかける。やめて、聞かないで。
「そうよぉ。蓮花のお友達かしら?いつもありがとうねぇ。」
美希が苦笑いをする。
「じゃ、じゃあ私帰るね。また明日……。」
美希も周りの視線が痛かったのか逃げるようにして私から離れていった。
「……なんで来たの。」
「ほらぁ、最近お買い物とか出来てなかったじゃない?だから一緒に服でも買いに……」
「そういうことじゃない!!」
あまりにイラついて私は声を荒らげてしまう。余計視線を集めてしまうがもうどうでもいい。
「なんでその格好で来たのかって聞いてんの!目立つの分からない?」
「え、あぁごめんなさいね。」
相変わらずの女声で話す兄ちゃんに余計腹が立つ。
「なんなの?朝から嫌がらせでもしたいわけ?」
「いや、そんなつもりは……。」
「じゃあ何その格好?朝もやたら話しかけてくるし、弁当もおかしいし、はっきり言ってウザいんだよ!」
感情に任せてストレスを放つ。放って放って、兄ちゃんが俯いたまま何も言わないことに気づく。しまった。言いすぎた。でも、私は悪くない。
「……ごめんな。」
一日ぶりの兄ちゃんの素の声だった。
「……一人で帰るからほっといて」
「おう、気をつけてな。」
あんなに一方的に怒ったのに、兄ちゃんはいつも通り優しくて悲しそうな顔をするだけだった。私はそれが大嫌いだった。
私が物心ついた時には、お父さんはいなかった。お母さんと兄ちゃんとの三人暮らし。お父さんがいないのが当たり前で、特に気にしてもいなかった。優しいお母さんと兄ちゃんに甘えるのが大好きだった。二人がいれば十分だった。
でも、私が小学校に上がってすぐ、事件が起きた。
その日は私が初めてテストで100点を取った日だった。たくさん褒めてもらえる!そう思って帰ったのに家に帰ると兄ちゃんが泣いていた。
当時の兄ちゃんも中学生でまだ子どもだったはずなのに、帰ってきた私を見て優しく笑った。そして私の握りしめた100点の答案を見て私を抱きしめた。
「蓮花はえらいなぁ。100点取れるなんて兄ちゃんには出来ないよ。」
私はいつもと違う兄ちゃんにキョトンとしたまま静かに抱きしめられていた。
「蓮花はきっと賢い子になれるよ。いい大学にも行ける。可愛いし、きっと幸せになれる。だから、それまで兄ちゃんが守るからな。」
兄ちゃんは涙をポロポロと流しながら私を抱きしめる力をほんの少しだけ強くした。
そうしてしばらく抱きしめられていると、じいちゃんが家に入ってきて、車に乗せられた。
今から病院に向かう、それだけ伝えられた。どうして?と聞くとじいちゃんは震えながら口を開いてこう言った。
「お前らの母さんが事故にあった。もう、助からない。」
それからは、あっという間で気づいたら兄ちゃんと一緒にじいちゃんに引き取られていた。生活に不自由はなかったけど兄ちゃんはアルバイトを始めて忙しくて話す機会も減り、無愛想なじいちゃんも私にほとんど構わなかった。すごく寂しかった。でも私が泣いているところを見ると兄ちゃんは決まって私を慰めてくれていた。でも、その時の兄ちゃんの顔が優しくて悲しそうで、辛そうで。それを見たくなくていつしか私は泣かなくなった。
そして昨年、じいちゃんも病気で死んだ。だから今は兄ちゃんと二人暮し。生活費を稼ぐために高卒で兄ちゃんは働いていて、それなのに家事もほとんど兄ちゃんがやっている。私がやろうとしても「大丈夫だから。」と断る。
そんなだから、疲労の溜まりすぎて壊れてしまったのだろうか。
流石にオカンなのは腹が立つけど、言いすぎたよな。帰ったら謝らないと。
家に帰ると、兄ちゃんの部屋のドアが半開きになっていた。電話しているようだった。
盗み聞きしてはマズいと思い、早足で自分の部屋に行こうとした。けど、話の内容に思わず足が止まる。
「なぁ、お前ん家の母さんってどんな感じ?」
どうやら、友だちと話しているようだった。
「いや、今日お母さんになり切ってみたんだけど、妹に怒られちゃってさ……。」
そりゃそうだよ。
「え、なんでそんなことしてんのかって?」
本当にそれは私も聞きたいよ。悪ふざけとか苦手なタイプだったじゃん。
「妹がお母さんがいたらよかったのにって言ったから、かな。」
私?
「うん、昨日ちょっと喧嘩になってさ。」
あ、思い出した。確かにそんなこと言ったな。
昨日は帰るのが遅かったから、兄ちゃんに怒られたんだ。
服がほしくて、学校帰りに一人でショッピングモールに行ったんだ。
友だちは誘えば付いてきてくれたと思う。けど友だちはみんなお母さんと買いに行っていて、それが悔しくて誘えなかった。
テキトーな服なら兄ちゃんと買い物行った時に買えばいい。でも、今私が欲しいのは流行りの可愛い服だからか、なんとなく兄ちゃんに言いにくかった。
でも、いざ行ってみると一人で入る勇気もないし、どれが似合うのかも分からなくて。ウロウロして、家族連れを沢山見て勝手に悲しくなって。
帰ってきて、私に注意する兄ちゃんに八つ当たりしたんだ。
「お母さんがいればよかったのに!」
って。
「妹のこと大好きだから叶えてやりたくてさ。でも。」
兄ちゃんの声がどんどん沈んでいった。
「俺、母さんがどんなのだったか、覚えてなくて。思い出せなくてさ。……本当に、母さんがいたらよかったのに。」
最後の方の声は今にも泣き出しそうな声だった。
そうだよ。兄ちゃんも人間なんだよ。寂しいのは私だけじゃない。兄ちゃんもお母さんを亡くした張本人なのに。
「でも、俺は妹を守るって決めたからな!また違う方法考えてみるわ!」
なんでいつも、そんなに優しく振る舞うの。なんでいつも私のことばっかり。そんな大事にするの。シスコンかよ。ふざけんな。
気づけば私の目からは涙が止まらなくなっていた。
スマホを置いたお母さんの代わりをしようとした格好の兄ちゃんにゆっくりと近づく。
「兄ちゃん。」
ビクッと一瞬方を跳ね上がらせて振り向いた兄ちゃんの目には少し涙が浮かんでいた。けれどそれもすぐに払いのけて優しい顔をする。
「ど、どうした蓮花。泣くほど兄ちゃんの格好嫌だったか?」
「違うの。」
私は子どものように泣きじゃくりながら話す。
「服が欲しかったの。」
「服?」
兄ちゃんは何の話か理解出来ずキョトンとした。
「可愛い、流行りの服。でも兄ちゃんに言いにくくて、友だちはみんなお母さんと買いに行ってて、それが悔しくて……。」
泣きすぎて言葉が出なくなった私を兄ちゃんはそっと撫でる。
「そっか、嫌だったな。」
いつも通りの優しい声。自分も辛いはずなのに。いつもいつも変わらず優しいままの声。
「兄ちゃん。」
「ん?」
「……ありがとう。」
兄ちゃんは少し驚いた顔をしたけれど、すぐに恥ずかしそうに笑った。
「ほら!時間過ぎてるわよ!」
あれから数ヶ月が経った。それでも兄ちゃんは相変わらずガスガスの女声を作る。
なんだかんだ、女の人の格好をするのが楽しかったらしく、今でもワンピースにエプロン姿だ。変わったのは精度。カツラはシンプルな1つ結びになって、メイクも本当に女の人に見えるくらいになった。
ちなみにメイクは私が教えた。たまにコスメや服を一緒に買いにいったり、二人でSNSの情報を共有し合ったりしている。
「ちょっと!やっぱりスカート短いでしょそれ!」
「いーの!これくらいが可愛いんだって!」
朝はリビングにいて、私にとやかく絡んでくる。本当にウザい。けど
「体冷やしてお腹壊したらどうするのよぉ。」
「もう、しつこいなぁ。行ってくるからね!」
「あ、帰りは迎えに行くから待ってなさいよ!今日は服買いに行く日だからねー!」
「わかってるってー!」
これが私の自慢の優しい兄ちゃんなんだ。
朝起きたら兄ちゃんがオカンだった。 @amu__
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