お互いに知らなかったこと ②

 ――わたしたちはメリケンパークのバス停で降車してそこから少し歩き、一年前にも訪れた水族館「atoaアトア神戸」にやってきた。

 ここはSNS映えのする水族館として大人気で、去年はまだインスタを始める前だったわたしも去年の秋から始めたので、今回は写真を撮りまくる予定だ。


「……わぁ、貢に背景のビジョンが映り込んでる! スゴい映えてる~♪」


 足元の透明アクリル床の下に鯉が泳ぐ和がモチーフのフロアーでは、背景がプロジェクションマッピングで変わるという演出がされていて、そのビジョンが人の姿に映り込む写真や動画がインスタにもよくアップされているのだ。わたしもたった今、貢をモデルにそんな写真や動画を撮影中である。

 他にも、球体水槽やリクガメのお散歩、ワラビーにウミガメなども撮影して、最上階の屋上まで来た。


「――ね、見てみて♪ いいのがいっぱい撮れたよ。ほら♡」


 ひととおり撮影会を終えると、二人でベンチに腰掛けてスマホに保存した写真や動画を眺めた。この屋上ではカピバラやペンギン、カワウソなど可愛い動物たちが飼育されていて、それらをモチーフにしたドリンクやスイーツが楽しめるカフェもある。


「あ、ホントですねー。でも、生き物と僕の写真とか動画が同じくらいの割合で入ってるの、なんか恥ずかしいです。まさか、これも一緒にインスタに上げたりしないですよね?」


「えっ? わたしはそのつもりだったけど。もちろん顔は映らない角度で撮ってるから大丈夫だと思うよ。でも、貢がイヤだって言うならやめとこうか?」


 わたしは彼が嫌がるようなことはしたくない。彼がベッドで、わたしが怖いと思うことをしないようにしてくれているのと同じで。


「……ああ、いえ。別にどっちでもいいんですけど、あんまり目立ちたくないだけなんで」


「ふぅーん? そう言うわりに、さっきは思いっきり目立つことしてたよね。公衆の面前でキスとか」


「あれは……、ちょっと暴走してしまったというか。絢乃さんを助けたい一心で、つい」


 彼は苦し紛れに言い訳をしたけれど。わたしを助けたいなら他にも何か方法はあったんじゃないだろうか。少なくとも、わたしの愛する彼はそこまで頭が回らないほどおツムの残念な人ではなかったはず。


「ねぇ、前から思ってたんだけど。貢ってけっこう嫉妬深いんだね」


「…………えっ?」


「いや、別にそういうところがキライって言ってるんじゃないよ? むしろそれだけわたしが愛されてるってことで、それはそれでいいんだけど。ただね、わたしはまだ、貴方のことを何もかも知ってるわけじゃないんだなぁと思って。貴方もそうなんじゃないの?」


 傷付いたような表情をした彼に、わたしはフォローの意味も込めて理由を話した。

 わたしたちには腹を割って、二人きりで話す機会が必要だと思ったのだ。そしてこの新婚旅行中である今が、ちょうどいいタイミングだと思う。東京に帰ったらわたしの家で母と同居。二人きりで話せる機会が持てるかどうか……。


「……確かに、僕にもまだ絢乃さんにお話ししてないことがあります。そりゃもうたくさん。――実は僕、一度うちさんたちの事務所を訪ねて行ったことがあったんです」


「えっ、そうなの? それっていつごろ?」


「絢乃さんが、さかリョウジさんを罠にかけた日の二日くらい前です。絢乃さんが、内田さんとコソコソ連絡を取り合っていたのが気になって」


「わたしとあの人が浮気してるんじゃないかって疑ってたんでしょ? そこまで信用されてなかったのかなー、わたし。ちょっと悲しい」


「…………すみませんでした。でも、絢乃さんのことを信用してなかったとかそういうことじゃなくて、ただ心配だっただけなんです。悪気はなかったので……」


 彼を責めたかったわけじゃないけれど、小さくなって必死に謝りたおす彼を見ていると、こちらも申し訳ない気持ちになってきた。


「そんな、謝らないで! むしろ、謝らなきゃいけないのはわたしの方だよ。優しい貴方に心配かけて、危ないことまでして。……あの時はホントにゴメン」


「いえ、絢乃さんはあの後ちゃんと謝って下さったじゃないですか。ですからもう、あのことは僕も気にしてませんよ」


 彼は困ったような笑みを浮かべる。

 あの出来事によってわたしたちの絆がより深まり、彼もわたしとの結婚を決意してくれたのだ。だから、あれはわたしにとっても忘れたくても忘れられない出来事になった。


「次は絢乃さんの番ですよ。僕にまだ話して下さってないこと、何かありませんか?」


「……え? そんなこと言われても……」


 わたしは彼に隠し事なんてしてこなかったつもりだ。というか、もしあったとしても自分から小出しにして彼に打ち明けてきたし。……たとえば、彼と初めて結ばれるまでの間、自慰じい行為で性欲を紛らわせていたこととか。


「ないならいいです。これからは何でも話せるような関係になっていきましょうね、絢乃さん」


「うん!」


 わたしたちは政略結婚じゃなく、愛し合って結ばれた。だから、愛し合う二人に隠し事なんて似合わない。


「――さてと、話はこれで終わり! 撮影会、再開するよ。まずはカピバラさんたちからね」


「はい。そろそろ日が傾いてきてますからね」


 早くここを出ないと、観覧車に乗る時間がなくなってしまう。わたしたちはベンチから立ち上がり、可愛い動物たちの撮影を始めたのだった。



   * * * *



「atoa神戸」からハーバーランドまでは、少し距離があるけれどブラブラ歩いて行くことにした。わたしが乗りたいと言った観覧車は国民的人気アニメキャラクターのミュージアムの裏手にある。

 わたしは手に、親友二人のために買った「atoa神戸」のお土産が入ったビニール袋を提げている。中身はクッキーなどのお菓子と可愛いペンギンのぬいぐるみだ。


 料金は一人八百円、二人分で千六百円。わたしが支払おうとすると、「これくらい、僕が出しますよ」と貢が支払ってくれた。


「……うわぁ、すごくいい眺め! あっちに見えるのが明石海峡大橋で、その向こうが淡路島だね。その向こう側に薄っすら見えるの、四国かな?」


 ゴンドラが頂上に近づくと、アクリル窓の向こうに絶景が広がってきた。同じような景色は昨年の夏にもポートタワーの展望デッキから見たけれど、観覧車の窓から見るのはまた違う。


「淡路島、明日から行くんですもんね。あの橋を渡って。こうして見るとけっこう近く見えますね」


 わたしが窓からの眺望に感動していると、隣り合わせで座っていた貢も同じようにして外を眺めながら言った。 

 淡路島へは、事前に予約してあったレンタカーで行くことになっている。もちろん運転するのは貢だ。向こうでも二泊して、明々後日しあさってにまた神戸に戻ってくる。そこから新幹線に乗って、東京へ帰るのだ。

 彼の愛車ではないのが残念だけれど、わたしは彼の運転ならどんなクルマでも全然構わない。だって、彼の運転している姿が好きだから。


「そうだね。でも、神戸に来て貢の運転姿が見られるなんて感無量だなー。しかも、普段とは全然違う景色の中だからなんか新鮮」


 もしかしたら明日・明後日は外の景色なんか目に入らなくて、ハンドルを握る彼のことばかり見ているかもしれない。でもそれじゃ、旅先で彼に運転してもらう意味ないか……。


「絢乃さん、明日と明後日は僕のことばかり見てないで、外の景色も楽しんで下さいね。じゃないともったいないですよ」


「……うん、分かってるよ」


 狭いゴンドラの中だからなのか、彼との距離がいつもより近い。このまま顔を近づけたらキスできそう。


「――あ、ここがちょうどテッペンかな。……わぁ、見て! 夕日がキレイだよ」 


「わぁ、ホントだ。絢乃さん、写真撮って里歩さんたちに送って差し上げましょう」


「うん、いいね。そうしよう」


 わたしはさっそくバッグからスマホを取り出して、夕日の写真を何枚か撮影した。メッセージアプリで里歩と唯ちゃんにコメント付きで送信し、インスタにも投稿した。


「お義兄にいさまにも送っていい?」


「それなら僕から送るんで、後でその写真、僕のスマホに転送して下さい」


「…………分かった」


 彼のこのセリフもきっと、嫉妬深さから出たのだと思う。まぁ、わたしも一度は冗談で浮気をそそのかされたことがあったので、彼にあまり強くは出られないのだけれど。

 というかこれ、わたしにとって彼への唯一の隠し事だった。


 やがて、ゴンドラはゆっくりと下降し始めて――。


「……絢乃さん、ここなら人の目もないですし。キスしてもいいですか?」


「うん、いいよ」


 わたしは夕日を背にして目を閉じ、彼の唇を受け止めた。昨夜、行為の時にねっとりとした濃密なキスも味わったけれど、こういう純粋な唇を重ねるだけのキスもいいものだなぁと思う。特に今は、夕日を背に受けたロケーションだけにロマンチックだ。


 最初は彼から、そして一度唇を離してからはわたしからキスをする。別のゴンドラから見えているかもしれないけれど、そんなこと関係なかった。


「…………もうすぐ地上に戻っちゃうね」


「そうですね」


 だんだんコンクリートの地面が近くに見えてきて、降りるのが名残惜しくなってきた。あと、この狭いゴンドラの中で過ごした二人だけの甘い時間が終わってしまうのも。


 

 「ハーバーランド(モザイク前)」のバス停からシティループバスに乗り込み、あとはホテルに戻るだけ。


「――今日は一日楽しかったね。いい写真、いっぱい撮れたし」


「ですねー。美味しいものもいっぱい食べられましたし、キレイな景色も見られましたしね」


「うん。あと、わたしが今まで知らなかった貢の一面も見られたし。意外と大胆だったんだね」


「…………はい」


 バスの車内で、わたしたちは最後部の座席に座って今日一日の思い出を話していた。中でもいちばん衝撃的だったのはやっぱり、南京町で公衆の面前で強引にキスされたことだった。


「もしかして貢、今まではわたしに対して遠慮みたいなのがあったんじゃない? だからあんなふうにできなかったとか」


「そ……んなことないと思いますけど」


 彼は即否定しようとしたけれどできなかったみたいで、ちょっと首を傾げる。わたしも彼の過去の恋愛がどんなものだったか知らないので、絶対にそうでしょうとは言えない。


「……この話、やめよっか」


「新神戸駅前」のバス停まではまだまだ長い。わたしたちは乗務員さんの名所案内に耳を傾けたのだった。

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