お互いに知らなかったこと ①

 ――わたしが現金で支払いを済ませ、〝にしむら珈琲店〟を後にしたわたしたち二人は最寄りのバス停から再び〝シティループバス〟に乗り、遠回りの末に南京町に辿り着いた。


 メリケンロード沿いのバス停で下車し、長安ちょうあん門をくぐった先には、異人館街とはまた違う異国情緒漂う町並みが続く。今度は情熱的な中国へ一瞬でワープしてきたようで、赤や黄色などの原色や、中国風の音楽があふれかえっている。


「――さて、まずはろうしょうの豚まんから攻めよっか。人気あるみたいだし、売り切れてないといいんだけど」


 わたしたちが目指す〝老祥記〟は十二支像で有名な南京町広場の西側にあり、ここは元祖豚まんの専門店として全国的に知られていて、数多くのガイドブックにも載っている。また、焼き小籠包ショウロンポーも名物らしい。


「――すみませーん! 豚まん六つと焼き小籠包二人前、お願いします」


 ここはイートインもあるので、わたしたちは店内でオーダーした。お冷やを飲みながら、お店や町の雰囲気を味わう。――二人とも、お腹がペコペコだ。さっき食べたピザトーストなんか、もうどこへ入ったか分からない。


 中華料理店やその食材、中国茶や雑貨を扱うお店が多く建ち並ぶこの町には、独特の活気が溢れている。店先に立ちのぼる蒸籠セイロの湯気、漂ってくる食欲をそそるいい香り、リズミカルな発音の中国語、二胡にこや太鼓などの中国楽器で奏でられる音楽……。「ここは本当に日本なの?」と思ってしまう。

 今日は平日なのでそれほど賑やかというほどでもないけれど、休日や春節しゅんせつの頃にはもっと賑わうんだろう。その頃に、また来られたらいいな。


「――お待たせしました」


 店員さんが、できたてのアツアツを持ってきてくれた。豚まんは小ぶりなサイズで、一人で三つは軽く食べられそうだ。


「わぁ、写真で見るより美味しそう!」


「いい香りですね~! では」


「「いただきま~す♪」」


 二人でまだ湯気を立てている豚まんをパクリ。今日みたいな暑い日に、ハフハフ言いながらホカホカの点心てんしんを頂くというのもなかなかおつなものである。


「んっ、美味し~~! 肉汁すごいね」


「ホントだ。ジューシーですね。うまっ!」


 そう感想を言い合いながら、わたしたちは向かい合わせで笑った。

 次に、豚まん以上にアツアツの焼き小籠包に取りかかる。これは食べ方をうっかり間違えると口の中を大ヤケドしてしまうので注意が必要だ。わたしたちは夫婦だからまだいいけど、お付き合いしたてのカップルにはあまりオススメしない。


「……貢、コレのヤケドしにくい食べ方知ってる?」


「はい。確か、先にレンゲに載せて箸で割って、中のスープを出すんでしたっけ」


「そうそう! 中のスープが熱いから、それをレンゲにあけて先にすすってからだと具は熱くないの」


 ――こうして美味しい小籠包も頂いて、わたしたちはまた別のお店へ。そこでは美味しい餃子ギョーザを堪能。他にも美味しいものをたくさん食べて、楽しい雑貨を見て回って……。


「あー、お腹いっぱい! もう入んない!」


「――すいません、絢乃さん。僕、ちょっとお手洗いに……。どこかで待っててもらえますか?」


「分かった。じゃあわたし、広場のパンダ像の前で待ってるから」


「はい」と頷いて、彼は町でいちばん大きなトイレへと走っていった。わたしは町の中央の広場まで戻り、十二支像ならぬ〝十三支像〟のパンダ像の前でスマホを広げながら彼を待つことにした。

 十二支だと思っていたら、本当はパンダも含めた十三の像。どうしてそうなったかというと、どうも神戸市と中国との間で手違いがあったらしいとネットに書いてある。


「ついでだから、里歩に写メ付きでメッセージ送っとこ♪」


 メッセージアプリを起動させ、わたしはメッセージを書き込んだ。



〈南京町なう♪

 美味しい中華を食べ歩いてお腹いっぱい! 今はパンダの像の前にいるよ~♡〉



 パンダ像の写真を撮り、メッセージの後に送信した。

 すると、すぐに返信が。……あれ? 里歩って今、大学で講義中じゃないの?



〈パンダ像可愛いね♡

 脈絡ないけど、お土産はスイーツ希望♪ 唯ちゃんも多分それでいいと思うよ。

 講義中だからこれで落ちる〉



「……やっぱりね」


 講義中ということは、教授の目を盗んでこっそりスマホを操作していたということだ。単位、ちゃんと取れるのかな……。



「――さて、次はどこに行こう?」


 スマホをバッグにしまい、シティループバスのパンフレットを広げ、行先を考えていると……。


「――なぁなぁ、そこの可愛いお姉ちゃん。ひとり?」


「オレらと一緒に茶ぁシバかへん?」


 どう聞いても関西弁の若い男性二人組が、馴れ馴れしくわたしに声をかけてきた。

 タイプとしては、お義兄さまによく似た感じの人たちだ。どちらも茶髪で、ヤンチャな雰囲気というかチャラチャラしているというか。


「……はい? わたし……ですか?」 


「そうそう、キミや。イケてるお姉ちゃん、どっから来たん?」


「……あれ? キミ、どっかで見たような顔やな。どこやったかな……」


「あー……、えっと。東京からですけど。観光で。……あの? お二人は地元の方ですか?」


 わたしには、関西弁なんてどれも同じようにしか聞こえない。だから、この二人のこともそう思ったのだけど……。


「そうそう。オレらも神戸のジモティーやで♪」


「なんでやねん、お前! オレら、尼崎あまがさきの人間やんけ」


「…………はあ」


 いきなり漫才のようなやり取りを始められ、わたしは首を傾げるしかない。ちなみに、尼崎市は兵庫県の南東部にある市で、大阪府との境にある。


「もう、そんな細かいことどうでもええやんー。なぁなぁ、オレらと遊ぼうやー。案内したるからさぁ」


 男性の一人がわたしの肩を抱こうとしてきたので、わたしもさすがにヒヤヒヤした。……これってナンパ!? 頼みのつなの貢はまだ戻ってこない。


「いえ……あのっ、そのお気持ちはものすごくありがたいんですけど。わたしには連れがいるので……、その」


 実はわたし、ナンパされたのはこれが初めてなのだ。だから、こういう時の対処法がよく分からない。

 のらりくらりとかわそうとしたけれど、相手の方がわたしより一枚上手うわてだった。


「連れってお友達か? キミ学生さん?」


「それやったら、そのお友達の子ぉも一緒でええから。なぁ、行こうやー」


 わたしは学生ではないし(年齢的には学生なのだけれど)、連れは友達ではなく夫である。この人たちには、左手の薬指にはまっているプラチナリングが見えていないのかしら?


「いえ! 学生じゃないです。連れも友達じゃなくて……」


「――僕の妻に何か用ですか?」


 そこへ、やっと貢が戻ってきて、わたしはホッとひと安心。ここへきての、ヒーロー帰還。でも何だか様子が変だ。


「あ、貢! ちょうどいいところに戻ってきてくれた…………、っんっ!?」


 彼はあろうことか、ここが公衆の面前だということもお構いなしに、強引にわたしの唇を塞いだ。まるで彼らに見せつけるように。


「ちょっ……、貢!? ここ、公衆の面前――」


「彼女は僕の妻ですが、何か?」


 戸惑うわたしをよそに、貢はひと吠えした後、ナンパ男二人をものすごい形相で威嚇いかくした。

 それはわたしが初めて見る貢の顔で、彼もこんな顔をすることがあるんだなぁと、わたしはついつい他人事のように思ってしまう。


「ぃぃぃぃいえいえ! 既婚者やったなんて知らんかったもんでっ! お願いやから命だけは……っ!」


「どどどど……どうも失礼しましたっ!」


 怯えた彼らは、「すたこらさっさ」という擬音が似合いそうな様子でその場を去っていった。


「――~~~~っ! 絢乃さん、どうもすみませんでした! 怒ってませんか? あんなことして」


 やっと我に返ったらしい貢が、わたしに平謝りした。


「いや、別に怒ってないよ。でも、貴方がわたしに強引にキスしたの、去年のバレンタインデー以来だね」


「…………ああ、そういえば。でも、あのキスはなかったことになったんじゃ……」


「確かに、ファーストキスの上書きはしてもらったよ。でも記憶には残ってるから」


 あのキスは事故みたいなものだったけれど、かれがなければわたしは彼の気持ちを確信することもなかったのだ。


「……そうですか」


「でも、ちょっと予想外だったなぁ。まぁ、いきなり殴りかかるよりはよかったけど」


 もし万が一相手にケガでもさせてしまったら、楽しい新婚旅行どころではなくなってしまう。今はもう辞めてしまったけど、彼は一応格闘技を習っていたのだ。


「さすがにそれはマズいと思いとどまったんで。というか、ナンパされたのって絢乃さんにも原因があったんじゃないですか」


「……えっ、なんか怒ってる? わたしにも」


「絢乃さんはいつも無防備すぎるんですよ! 心配しっぱなしの僕の身にもなって下さい!」


「……え?」


 どうしてわたしは彼に怒られてるんだろう? 無防備ってどういう意味? わたしの頭の中は今、「?」でいっぱいだ。っていうか論点ズレてない?


「絢乃さんは誰彼構わず愛嬌振りまきすぎなんです! あなたはあざとさ抜きに可愛いんですから、男がそれに釣られてホイホイついて来るのが分からないんですか!? あと、スキだらけで狙われやすいっていうのも自覚ないですよね!?」


「……う、うん」


 わたしも勢いにつられて頷いてしまったけれど、貢の熱弁がスゴすぎる。そして顔が耳まで真っ赤だ。


「ちょ、ちょっと貢! 落ち着いて!」


「…………僕は、他の誰にもあなたを取られたくないんです。自分でも信じられないんですけど、僕の中にもこんな……独占欲みたいな感情があったなんて。情けないですよね」


 わたしも信じられない。このひとの中にも、そんな感情があったなんて。

 そういえば、彼は昨年の秋、わたしが調査を依頼した探偵さんと浮気しているんじゃないかと疑っていたらしい。でも、それも彼の勝手な思い込みだったのだ。だって――。


「情けなくはないよ。それが当たり前の感情なんだと思う。でもね、貢。わたしは絶対に、貴方以外の男性を好きになったりなんかしない。神様の前でも、パパの前でも誓ったもん。だから大丈夫! ねっ?」


 彼の手を取ると、こんなに蒸し暑い日なのにひんやりと冷たい。でも、それこそが彼の優しさの証。心の優しい人の手は冷たいのだ。

 わたしはむしろ、彼が優しすぎて、心配のしすぎで胃潰瘍かいようにならないか、と言う方が心配である。


「無防備……っていうのは、まぁ当たってるかもね。わたしも今後は気をつけます」


 今まで誰かに指摘されたことがなかったから気づかなかっただけで、わたしは多くの男性を惑わせてきていたのかも、と反省した。


「――で、次はどこに行くんですか?」


「港の方に行こうかと思って。ハーバーランド方面のバスに乗るには、また長安門の方まで戻らないといけないみたいなんだけど」


 わたしはパンフレットの路線図を彼に見せ、説明した。


「なるほど、さっき僕らが降りてきたところですね。じゃあ戻りましょう」


「うん。行こっか」


 貢と手を繋ぎ、来た道を引き返す。歩きながら、わたしより二十センチ背の高い彼の横顔をチラリと見上げた。

 この人には、今までわたしに話せなかったことがまだあるんじゃないか……。多分、わたしと二人きりにならなければ言えないようなことが。

 でもそれは、わたしの方も同じ。彼にまだ話していないことがいくつもあるのだ。それを打ち明け合うのに、今回の旅行は絶好の機会なんじゃないかと思う。


「……? 僕の顔に何かついてます?」


「ううん、そうじゃなくて。――港に着いたら、わたしはモザイクガーデンの観覧車に乗りたいんだけど、貢はどこか行きたいところある?」


 本当は、この場で訊きたかったけれどグッとこらえた。とっさの思いつきで話をはぐらかす。

 でも、このはぐらかし方はちょっと失敗だったかもしれない。明らかに脈絡なさすぎだもの。


「えっと……じゃあ、去年の夏にも行ったあの水族館に」


「いいねぇ♪ じゃあ、そこでお土産も見ようかな。さっき里歩からリクエストがあってね――」


 彼はちょっと納得いってなさそうだったけれど、話を合わせてくれた。そんな彼に、わたしは里歩からもらったメッセージの返事について話した。

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