国際観光都市・神戸 ②
ここでは店内での飲食もできるのだけれど、わたしたちはテイクアウトして、風見鶏の館前の公園のベンチに座って味わうことにした。
「美味しいねー。……そうだ! 別々のフレーバー買ったんだし、どうせならシェアしない?」
チョコレート味のソフトクリームも濃厚で美味しいけれど、彼が舐めているピスタチオ味も気になってきた。
しばらくじーっと見つめていると、貢が気づいて「……どうぞ」と食べかけだった淡いグリーンのそれを差し出してくれた。
「いいの!? ありがと! いただきま~すっ!」
わたしは嬉しくなって、上からパクッとかぶりついた。彼が口をあんぐり開けて固まっている。
「うん、コレも美味しい! ……あれ、どしたの?」
「どうしてかぶりつくかなぁ。スプーンもらってるんだから、ちょっとだけ
「……あ、ゴメンね。じゃあお詫びに、コレにかぶりついちゃっていいから」
わたしはテヘヘッと舌を出して謝った後、貢にも食べかけだったチョコ味のソフトクリームを差し出す。
彼もわたしに負けないくらい豪快に、大きな口でかぶりついた。二十代も後半の大人の男性なのに、すごくわんぱくな男の子に見える。
旅先の解放感がそうさせるのか、わたしたちは人目も気にせずにイチャイチャしているけど、恥ずかしいとは思わない。
「……なんか楽しいね、こういうの」
「はい? 〝こういうの〟って、二人で旅行するのが……ですか?」
「まぁ、それもあるんだけど。こうやって外で、貴方と二人でベタベタするのが、かな。わたしって、経済界じゃけっこうな有名人じゃない? だから、東京にいる時はデートしてても、ついつい人の目が気になっちゃうの。でも、旅先だったら誰もわたしたちの様子なんて気にしないでいてくれるから」
つまり、向こうはわたしのことを知っているけれど、わたしにとっては知り合いじゃないから気が楽、ということ。
「それに、こんなにのんびりできるのも久しぶり。会長になってからはずーーっと忙しかったもん。学校行って、出社して仕事して。結婚が決まってからはその準備も。考えてみたら、のんびりしてるヒマなんてなかったよね」
「う~ん、確かにそうかもしれませんね。絢乃さんは責任感強すぎなんですよ。何でもかんでも自分で背負い込んじゃって、僕に少しくらい負担かけてくれてもよかったのに。そのための秘書でしょ」
「うー……、そうかも」
貢の指摘はごもっともだった。わたしは貢に気を遣いすぎていたのかもしれない。そこに反論の余地はなかった。
「でも、僕にはちゃんと心を開いてくれてるんだなってことは分かりますよ」
「ん? どうしてそう思うの?」
わたしはちょっと溶けてきたチョコソフトを舐めながら、キョトンとして彼に返事を求める。
「喋り方が砕けてきたっていうか、よそよそしさがなくなってきたっていうか。なんか、語尾が丸くなったなぁって。……僕の言いたいこと、分かります?」
どう言い表していいのか分からないのか、彼の答えはしどろもどろだ。でも、大まかな意味はわたしにも通じた。
「……うん、何となく。だって、もう他人じゃないもん。仕事の時はともかく、プライベートで気取りなんていらないもんね」
「…………はい。そうですよね」
何となく心がほっこり温かくなって、その後はその空気を楽しむように会話せず、二人で残ったソフトクリームをコーンまで一気に食べてしまった。
「――じゃあ、僕たちも〝風見鶏の館〟に行きましょうか」
「うん! 行こ行こ♪」
わたしは貢と腕を組んで、再びトーマス坂を上り始めた。吹く風はちょっと湿っていて、穿いている膝下丈のフレアースカートの裾が脚にまとわりつくけれど、それすら全然イヤだと思わなかった。
* * * *
――〝風見鶏の館〟は、明治時代後期にドイツ人の貿易商一家の住居として建てられたらしく、それ以来百十年以上も神戸の歴史を見守り続けてきた建物だ。二度の世界大戦もくぐり抜けてきたこの館には、ものすごいロマンを感じる。
かくいうわたしの家、つまり篠沢家にもそれと同じくらいの長い歴史がある。
母の七代前に当たる初代の篠沢家当主が始めた〈篠沢商会〉という企業グループが現在の〈篠沢グループ〉の前身で、初代と二代目とで今のような大財閥にまで成長させたのだそう。
つまり何が言いたいのかというと、わたしの家もこの館も建てられたのは同じくらいの時代だったということ。でもわたしの家がイギリス風の建築様式なのに対して、この館は設計したのもドイツ人だったそうで、ドイツの建築様式の特徴が出ている。
「――あ、見て見て。この建物、NHKの朝ドラの題材になったことがあるらしいよ」
わたしは入り口に建てられているパネルの文字を指さした。
「ホントですねぇ。一九七七年……っていうと、もう四十年以上前ですか」
「うん、ママが生まれる前だね。でも、朝ドラの題材にまでなっちゃうなんてスゴいよね。ウチも使ってくれないかな」
篠沢家の歴史だってけっこう深いし、第二次大戦中も国の財政をだいぶ助けていたおかげで財産没収をまぬかれたらしい。そして戦後には国の復興のために尽力していた。そういうポイントが評価されたら、もしかするかも?
「……どうですかねぇ。NHKに直接売り込みます? もしくは有名な脚本家の先生に」
「う~~ん……、それはそれで厚かましいような……」
わたしはハッキリ言って、お金に物を言わせて何かを思いどおりにするという考え方がキライだ。いくら大金を積んだところで、世の中にはどうにもならないこともいくらでもあるから。……まぁ、貢を傷付けた犯人を見つけてもらうために、調査事務所に五十万円支払ったことはあったけれど。
それなら、どうにもならないという現実を受け入れることも大事だと思う。この話だって、半分は本気だったけど半分は冗談で言ったようなものだし。ただ、「実現したら嬉しいな」くらいの気持ちだったのだ。
「…………この話題、もうやめよ。行こ」
「……はい」
わたしたちは気を取り直して、洋館の中を見学して回った。
元々は住居だったので、中にはこの家の
一階には、グッズが販売されているコーナーがある。里歩たちへのお土産をここで買おうかとも思ったけれど、この北野周辺には他にも見どころがたくさんあるのでやめておいた。
〝うろこの館〟は毎年十二月になると、外壁に巨大変わり種サンタクロースが飾られることで有名な建物で、中は工芸品のミュージアム。隣には絵画を展示する美術館も併設されている。
〝
わたしは震災当時、まだ生まれていなかったけれど。すさまじい大地震の爪痕を残しつつも倒壊しなかった、この建物の逞しさを感じ取ることができた。ここが震災復興のシンボルになったのも頷ける。
この他にも、この異人館街には国際色豊かなたくさんの建物があり、坂を上り下りしながら見て回ると十一時頃には二人ともすっかりくたびれてしまった。
「――ね、貢。北野坂を下りていったトアロード沿いに、〝にしむら
わたしは道端で一旦歩みを止め、ガイドブックを開いた。彼も横から開いたページを覗き込んでいる。
「わぁ……、なんか高級感漂う感じのお店ですね」
彼が眉をひそめるのもムリはないかも。ガイドブックの記事によれば、神戸市内に何店舗かあるこのコーヒー専門店は元々、震災前までは会員制のお店だったらしい。そのせいか、どのメニューもべらぼうに高額なのだ(〝べらぼう〟という言い方は、里歩がよく使うのがうつったのだと思う。多分……)。
「ブレンド一杯六百円……。マジっすか!」
ごく一般的な家庭に生まれ育った彼には、そのお値段が信じられないみたい。思わず自分の財布を取り出し、中身の心配をし始めた。
「……貢、心配しなくても払うのはわたしだから。お財布しまいなよ」
「はい……」
とはいうものの、わたしも現金の手持ちは心許ない。カードで支払うこともできるらしいけれど、貢はわたしがブラックカードを使う場面を見るたびに萎縮してしまうので、できればあまり使いたくない。
「わたしも、コンビニのATMでちょっとお金下ろしとく。たまには現金も使わないとね」
わたしたちはゆっくりと坂を下っていき、途中にあった手近なコンビニのATMで現金二十万円を引き出した。ちなみにこの北野周辺のコンビニは、街の景観によく溶け込んだ外観になっていてオシャレだ。
「――はい、これは貢の分」
わたしが半分の十万円を差し出すと、彼は目をしばたたかせた。
「えっ? ……いいんですか?」
「いいから持っときなさいって。わたしの口座のお金だって、もう夫婦の共有財産なんだもん。そのうち家族カードも作るから。遠慮しないで使って」
彼は彼なりに欲しいものがあったり、お土産を買って帰りたい人がいたりするかもしれない。だからこそ、自由に使えるお金があった方がいいのだ。
「……じゃあ、遠慮なくもらっときます」
彼はまだ遠慮がちにだけど、十万円のお小遣いを自分のシンプルな黒い長財布にしまった。
「――いらっしゃいませ」
〝にしむら珈琲店〟のドアを開けると、そこは高級なレトロ感漂う店内だった。
外観は五階建てで、北ドイツ風のメルヘンな感じだけれど、中はどちらかといえばイギリスの高級クラブとかパブみたい。重厚感のある椅子やテーブルなどの調度品が置かれていて、まさに〝社交場〟という感じ。ここが元は会員制のお店だったというのも納得できる。
「なんか、シャーロック・ホームズとかがいそう。シャレた空間だよね」
「これぞ〝ザ・神戸〟って感じですよね」
これまた高級感漂うメニューを開き、わたしたちはオリジナルブレンドコーヒーとピザトーストを二つずつ注文した。
同じ都会のはずなのに、東京のゴミゴミしたオフィス街とは違い、ここにはゆったりとした時間が流れている気がする。もちろん、三宮などの中心部へ行けばまた違うのかもしれないけれど……。
日本人も外国人も関係なく、この街は歓迎される。居心地がいいから、たくさんの外国人がこの街へ移住してきて、あの異人館街ができたのだとわたしは思う。
「この街って観光もいいけど、住むにもいいのかもね」
「……え?」
「わたしたち、
東京に生まれ育って十九年、貢はそれプラス八年。今までは当たり前のように思っていたけど、離れてみて分かった。東京は何でもせかせかしすぎる。
あんなに時間に追われて生きなくても、もっと力を抜いてのびのびと生きていってもいいんじゃないか――。これが、わたしがこの国際観光都市に来て学んだこと。
「……そうですね。きっともっと心にゆとりを持ててたかもしれないですね」
「うん」
――そのしばらく後、テーブルに二人分のコーヒーとピザトーストが運ばれてきた。
「……うーん、いい薫り! このブレンド、貢が淹れてくれるのより美味しい! ――あ、ゴメン」
「いいですよ、謝らなくても。悔しいですけど、僕もそう思います。まだまだ勉強不足かな……。まあ、プロに敵うワケないですよね」
プロと比較しても虚しいだけだと、彼自身がいちばんよく分かっているみたい。ちょっとやるせなさげに肩をすくめた。
ピザトーストも厚みがあって、食べ応えバツグンで美味しい。ケーキも色々あって美味しそうなので食べたかったけれど、太りそうなので遠慮しておいた。
「――ねえ、次はどこに行く? やっぱり、南京町で食べ歩きかな」
「ですね。定番ですけど、そこにしましょう」
美味しいコーヒーと軽食を味わいながら、わたしたちはガイドブックを広げて次の目的地の相談を始めた。
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