第6話 砂粒分くらいは見直したのです

「まずはこれを持って」


「持つのです」


 サレッタに教えられたとおりの行動をするナナだったが、途中で手を滑らせて工具を足元に落としてしまう。


「あうう。上手く持てないのです」


「……ナナちゃん、可愛いーっ!」


「ふにゅー。背後から抱きついて、頬擦りをしないでほしいのです。いくらおかーさんでも怒るのです」


「ナナちゃんが可愛すぎて、おかーさんは……おかーさんはもう……!」


「――少し落ち着け」


 自分の作業を終えたカイルは、今にもナナの首筋に吸いつこうとしている暴走中のサレッタに近づき、脳天目掛けてチョップを繰り出した。本日二度目である。


 再び両手で頭を押さえるはめになったサレッタの腕から脱出し、ナナはカイルの背後に隠れる。両手できゅっとズボンを掴んでくる仕草は、ドラゴンの着ぐるみを身に纏ってるとはいえ、やはり子供らしい。


 まだサレッタの可愛い病が悪化しないか注意しつつ、カイルはあまり進んでいなかった彼女の分の作業を行う。


 チョップされた仕返しに襲い掛かってくるかとも思ったが、今回は自分に責任があると痛感しているのか、サレッタは背後で黙ってカイルの作業を眺めていた。


 視線がいつもと若干違う感じがするのは気になるが、特に警戒をする必要はないように思えた。


 そのうちにサレッタはまだ不安げなナナを呼び寄せ、一緒にカイルの仕事ぶりを見学するようになった。手伝おうとはせず、完全に見る側へ回っている。


「やっぱりお父さんよね。ナナちゃんも頼りになると思うでしょ」


「砂粒分くらいは見直したのです」


 賞賛かどうかもわからないナナの毒舌に苦笑しながらも、カイルは作業を終える。完成したテントに、興味津々のナナが真っ先に飛び込んだ。


「おお……これがテント……感動なのです」


 どうやらテントは初めてだったようで、子供らしい純粋な反応を示してくれる。こうした仕草を見ていても、悪い子でないのはカイルにもわかっていた。


 だからといって、いつまでも連れ回すわけにはいかない。どこかで事情をきちんと聞いて、それなりの対応をすべきだ。サレッタは反対するだろうが。


「もう夜も遅い。テントで休もう。寝袋があればなおよかったんだが、これだけでも風はかなりしのげる」


「そうね。お、お、親子三人で川の字で眠るのよね……うふ、うふふ」


 恐怖を覚えたらしいナナが、狭いテントの中でサレッタよりもカイルに近づく。また抱きつかれて頬擦りされるのを警戒しているのだ。


「どうしたの、ナナちゃん。こっちに……お母さんのところにいらっしゃい」


「え、笑顔が怖いのです。身の危険なのです。恐怖の象徴であるどらごんのはずなのに、ナナは悲鳴を上げてしまいそうなのです……!」


 本気でサレッタを恐れているらしく、ナナは涙目だった。いい加減にしろとカイルが注意しようとする。


 その矢先、テントの外で悲鳴がした。


「サレッタはナナとそこにいろ。俺が様子を見てくる」


 衛兵の駆けていく足音も聞こえるので、逼迫した事態になっているのかもしれない。


 だというのにサレッタからは、あまり緊張している様子が感じられなかった。


 どうかしたのかと背後を振り返ったカイルが見たのは、どことなくボーっとしているサレッタだった。


「サレッタ、大丈夫か。熱でもあるのか?」


「え!? う、ううん、大丈夫。ここで愛娘と一緒に、お父さんの帰りを待ってればいいのよね」


 不安が残る言動ではあったが、外の状況を確かめずに、逃げ場のないテントの中でいつまでも会話をしているわけにはいかない。


 サレッタも冒険者ではあるので信頼し、カイルはひとりでテントを出る。


 夜の町は先ほどまでと何ら変わらない。あちこちで火の手が上がっているわけでもない。


「さっきの悲鳴は何だったんだ……」


 呟きながらも、周囲の警戒は怠らない。町の出入口に立つ衛兵の数が減っているからだ。


 何か事件が起きて、そちらに向かった可能性が高い。町全体が騒がしくなっていないのも考慮すると、魔物に攻めこまれたなどの類ではなさそうだ。


 何の反応もないのを心配したのか、サレッタがテントから顔を出した。目で状況を尋ねてくるが、カイルにもわからないのだから肩を竦めて終わりだった。


「足音がするのです。どうやら、こっちに向かってるみたいなのです」


 サレッタの隣に、ナナもひょっこりと顔を出した。


 カイルには何も聞こえない。勘違いじゃないのかと言おうとした時、サレッタが真剣な顔つきになった。


「ナナちゃん、凄い。盗賊技能を持つ私より早く、他人の足音を察知するなんて」


 サレッタ本人が口にしたとおり、彼女は盗賊技能を持つ。鍵や宝箱を開けるだけでなく、罠の有無を探ったり、不意を突かれないように警戒する能力が備わっている。


 それらの能力を盗みに活かす連中を総じて盗賊と呼ぶ。技能を持っているだけではお尋ね者になったりしない。むしろ、世間一般の役に立つことすらある。


 そんな盗賊技能を持つサレッタは、気配を察知する能力に限っていえば、戦士であるカイルよりも上だった。


 ナナだけでなくサレッタも同様の認識を示したのなら、間違いなく誰かがこちらへ向かっていることになる。


「何人だ?」


「三人よ。素人の走り方じゃないわ。訓練を積んでる」


「となると、盗賊の類か。大方、盗みでも働いたんだろ。王都に近いこの町でよくやる」


 サレッタの情報を元に、すぐさまカイルは仮説を組み上げる。他の冒険者に比べれば、カイルの実力は下の部類になる。だからこそ、戦闘時には何より情報を優先する。敵の弱点を効果的に突いていかなければ、勝利を得るのは難しいからだ。


「本当よね。ギルドがあるから、多くの冒険者がいるのに」


 サレッタの言葉にカイルは頷く。悪事なんて働いたら、衛兵だけでなく冒険者にまで追われかねない。


 ギルドがあれば、仕事を求めて多種多様な冒険者が集まるのは必然。戦士だけでなく魔法使いや僧侶、それに元神官戦士や元王国騎士なんてのもいる。


 冒険者たちが大きな揉め事を起こした時のために、町の兵士詰め所には腕利きが何人かいるという噂もある。おかげでこの町は、他のところと比べてもずいぶんと治安がいい。


「そろそろ来るわよ。でも変ね。こっちに向かってる連中が盗賊だっていうなら、追手の足音も聞こえてよさそうなのに」


 隠れていろと言ったのに、サレッタはテントを出てカイルのすぐ後ろに立った。本当に盗賊なら、カイルが三人を相手にすることになる。それを心配して、支援するために加勢を決めたのだろう。


「あ、ナナちゃんはテントの中にいて。大丈夫。ここは私とカイルで何とかするから。後ろには衛兵さんもいるし」


 カイルたちの異様な雰囲気に、サレッタが視線を向けた出入口付近の衛兵の緊張も高まっている。


「ナナは恐怖のどらごんなのです。心配は無用なのです」


 のそのそと外に出て来たナナをなんとかテントへ戻そうとするも、その前に足音の主たちがやってきてしまった。


 身軽さを活かすために選んだような服に身を包み、軽やかに走る。表情には余裕も窺える。とても追われている連中の態度ではなかった。


 男たちは事前の足音から判明したとおり三人。似たような体躯だが、中央の人間だけがやや後ろに立つ。大きな布袋を右肩に担いでいる。


 夏の夜だという事情もあり、全員が長袖の上衣を上腕部までまくって腕を出している。きちんと筋肉が備わっており、戦士のカイルとも腕力勝負ができそうなくらいだ。下衣は下半身にフィットした長ズボンで色は上下ともに黒。現在の時刻ならば目立たない色だ。


 スカーフのようなもので顔の上半分を覆っており、目の部分にだけ穴を開けて視界を確保している。前に立つカイルが三人の表情を読み取れたのは、口元が露わになっていたおかげでもある。


 全身に纏う異様な雰囲気は、とても一般人のものではない。深夜にマラソンをするのが好きな住民であればいいなというカイルの願いは、木っ端微塵にされたも同然だった。


 見るからに怪しい三人組を見つけたのは、カイルたちだけではなかった。衛兵のひとりも槍を構え、油断をせずに声をかける。


「このような時間に顔を隠し、町中を走り回るとは何のつもりか。特に中央の者。担いでいる布袋を地面に下ろして中身を見せろ」


 強く睨みつける衛兵の言葉にも、男たちは怯む様子を見せない。むしろ、最初からこうなるのを予測していたみたいだった。


「お仲間がいない状況でそんなに強がって……って、何だよ。冒険者がいるじゃねえか」


 中央の男が、小ばかにするような感じで口角を吊り上げた。自分たちが捕まるとは、微塵も思っていない口ぶりだった。

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