絵に溺れる君へ
八月一日茜香
第1話
「ゆう兄、行ってらっしゃい!」
僕に抱きついて、元気いっぱいに言った妹
「兄貴、その、寒いらしいから」
照れているのか、耳を赤くしながらカーディガンを持ってきてくれた弟
「うん、ありがとう。二人とも、あったかくして過ごすんだよ」
「はーい!」
「わーってるから、さっさと行け」
素直に返事をする妹と反抗期真っ只中の弟。二人分の返事を聞き
「行ってきます」
そう言って、僕は家を出る。
三月。絶賛春休み中の僕は、学校に来ていた。紙と筆箱と家の鍵しか入れていないカバンを携えて。
僕は西側、三階にある化学教室に向かう。開いていた窓から頬を撫で付ける風が吹く。その拍子に桜の花弁が中に入ってきた。
僕はそれを掴んで、窓の外に放る。ひらひらと舞う姿を見て
「あれは一体どこまでいくんだろう」
「ひゅー!相変わらずロマンチストだねぇ」
上から声が降った。そこへ視線を向けると
「そっちこそ、早いな。沼田」
「もー!下の名前で呼んでって言ってるでしょーが!」
カツカツとローファーを鳴らして、沼田は僕に指を差した
「人を指すな」
「あはは」
ごめんごめんと、笑いながら僕の肩を叩く。沼田がニヤリと笑って
「さっ、行こうぜ!」
沼田が僕の肩を後ろから押して、強制的に前に進まされる。二階の階段を登って、沼田は僕の横に並んでしゃべり始めた
「もー、ゆうぴょんがくるの遅過ぎて、待ちくたびれたよ」
「ゆうぴょん言うな、ならもっと遅く来いよ」
大体部活が始まる一時間前に来るやつがいるか。と心の中で反論していると
「えー。遊ぶ兎って書いて遊兎でしょ。ならゆうぴょんじゃん」
「なら、の意味が分からねぇ」
五年近く一緒にいるが、こいつが考えていることは今だに分からない。
そうこう話していると、目当ての教室に前まで来ていた
「あっ!そうだ。二人が来るまで勉強教えて」
ガラッとドアを開けながら、そう言われる
「はぁっ?お前、別に成績悪くねぇだろ」
まぁ、大体の理由は想像ついているが
「ほら、三年から、もっと難しくなるしぃ?」
明らか動揺して目線を外される。
いつも飄々としているこいつが、わたわたしているのが面白くて、つい吹き出してしまった
「あー!笑ったなー!」
顔をほんの少しだけ赤くして、結構キツめに背中を叩かれた
「悪い悪い。つい面白くて。で?天下の沼田様はなんで勉強を教えて欲しいのですか」
ちょっと煽りを入れて問うと
「……に教えるため」
「声が小せえなぁ」
ウーっと唸った後、馬鹿でかい声で
「つるちゃんに教えるためだよ!」
恥っずと顔を仰ぎながら、言った
「なるほどな。りょーかい」
揶揄うのは、この辺にしておくかと思って、軽く了承の意を伝えた
「ありがと」
テキスト持ってくると言って、入り口から一番遠い席に行った。僕は、つるちゃんこと霜関蔓虎に、ね。と若干憐れみを込めて沼田の背を一瞬見て、真ん中の席に荷物を下ろした
「お待たせ」
「おう」
んじゃ、始めますか。沼田の掛け声で、こいつが持ってきたテキストの解説をしていく。
今回は学年一位、沼田の前ではアホのふりをしている霜関に教えることを仮定しているので、解説を噛み砕きすぎないように、注意する。
数ページ進んだところで、廊下から、二人分の声が聞こえてきた
「あの二人、仲良いよね」
「そうか?霜関はともかく、浅井のヤローは通常運転だろ」
「おぉ!さすが五年間もクラスが同じなだけあるな」
「別にそんなんじゃねぇし」
あははと力なく笑って茶化す沼田。ちょうどそこに
「おはようございます」
「おはよう」
浅井のヤローが先に入ってきて、後から霜関が入る。沼田は、さっきまでの悄然とした態度はどこへ行ったんだと言う感じで
「おっはよー!つるちゃん、げんげん」
げんげんと呼ばれた浅井玄武が、にこっと笑って
「おはようございます。鯉奈部長」
「うぉ、今日も眩しいねー!」
「ありがとうございます」
口元に手を当てがって微笑する様は、正しくイケメンにしか許されていない行為だ。
はぁ、顔がいいやつって羨ましいですねぇと毒づいて、スマホをいじっていると
「おはよう、今井くん。今回も早いね」
「はよ。家が遠いからな」
「尊敬するよ」
「はは、ありがとうな」
無愛想になり過ぎない程度であしらうと、先ほどまで浮かべていた、爽やかな笑みを崩さないまま、目だけが異常に歪んだ。
なんなんだコイツは。うざ。そう思いながら、未だ突っ立ているこのヤローに
「ねぇ、立ったままはしんどくない」
精一杯の愛想笑いで、席につくことを促すと
「そうだね」
と言って、僕の後ろに座りやがった。いつもは、沼田と対称になるように、廊下側の一番端の席に座るくせに。予想外すぎてしばらく固まっていると
「はーい。みんな集まったね!」
沼田が教壇のある位置に立って、言った瞬間、意識がそっちに持って行かれた。あいつの天性のカリスマ性は、もはや政治家になった方がいいのではないかと言うレベルだ。
ピタリと時が止まったみたいに、スポットライトが当てられた暗い舞台のように視線が吸い寄せられる
「今回、春休みにも関わらず、集まってもらったわけは……」
「合評会でしょ?」
勿体ぶって言葉を溜めたせいで、霜関に先を越されて言われてしまった。ただ霜関が好きなあいつは
「そーだよ!正解!天才だよ!」
とテンションが極限まで上がった状態で、霜関を褒め称えた。満更でもなさそうに、赤いフレームのメガネのブリッジを上げた
「それだけじゃないだろ」
合評会だけだったら、他学年の子達もいるはず。なのに今日は僕らだけ。そして次、高校三年に上がるのは、このメンツだけ。
本題に逸れていることに気がついた僕は、仕方なしに話題を戻した
「あっ。ありがとー!すっかり忘れてたよ!」
そう笑って、話し始めた沼田
「つるちゃんのも、あってるんだけど、それ以外に今日は、大事な話があります!それは……」
はてなを浮かべて、黙っている霜関と、後ろにいるせいで反応が分からねぇ浅井のヤロー。そして僕の目を見て
「それは、卒部制作についてです!」
イェーイと一人拍手をするあいつ。流れで拍手をしている霜関と浅井のヤロー。僕はそのノリについていけず、ボォッと眺めていると
「もう、ゆうぴょん、ほら!」
と両手を掴まれて、宇宙人に連れ去られるポーズをさせられた
「ふふっ鯉奈部長、多分今井くんの顔死んでますよ」
「えっと、あれだ、宇宙犬」
「それを言うなら、宇宙猫な」
「なるほど」
霜関が頷いた。僕はこの手、早く離さねぇかな。と思っていると
「で、その卒部制作ってなんだ?」
さも当然のように放たれた質問。僕は思わず、肩を落としそうになるが、手をしっかり掴まれている状態なので、無駄に肩甲骨を動かしただけになった。僕の手を掴んでいる張本人は
「かわっ」
目を見開いて、真顔で呟いていた。怖っと思いつつ、いい加減、腕痛いな
「鯉奈部長。今井くんの腕が痛そうなので、そろそろ」
「わわっ!ごめん、ゆうぴょん」
「別に」
やっと解放された。浅井のヤローの一言のおかげだと、認めたくはないが、助かったのも事実ではあるので
「ありがとう。浅井……くん」
「どういたしまして」
後ろを振り返って、礼を言う。正直これだけで、鳥肌ものなのに、浅井のヤローの作り慣れている笑顔で、さらに酷くなった気がした。気じゃなくて、絶対に。
さっと前を向くと、沼田が気を取り直した様子で
「改めて、卒部制作について説明していくよん」
卒部制作とは、この学校の伝統。運動部は卒部試験とも行ったりするみたい。お遊びの試験ではあるが、合否はつくし、内申点にも影響するよ。
文芸部では、合否というよりかは、推薦書に影響するかな。そこで、この部活は、四月から九月にかけて、各々作品を提出してもらうよ。
一通り話が終わった後
「はい」
「はい!げんげん。どうぞ!」
「作品の指定はありますか?例えば、テーマとか」
「ないよ」
イイ笑顔で、サムズアップして言い切った沼田。数瞬遅れて
「「えぇっ?!」」
霜関と浅井のヤロー達の二者間で、微妙に違う反応を示した。
前者は、めんどくさそうな響き。後者のヤツは、期待がありふれた声色だった。
僕は、どちらかというと、めんどくさいよりだ
「はい!」
「はい、つるちゃん!どうしたの?」
少し甘めの声で、霜関に返事をするあいつ
「今回は、ペア?それとも個人?」
「よくぞ聞いてくれました!」
うわ、うるさっ。肩を少し跳ねさせた僕。後ろで
「ふふっ」
と笑う声がした。それに対して僕は、しょうがないだろ。いきなりの大声だったんだから。と心の中で反論していた。
そうこう考えている間にも、話が進んでいく
「今回は、……ペアワークです!」
へっ?ペアワーク?ナニカノキキマチガエジャ
「ペアワークって、本当ですか?」
普段の幾分かテンションが高い浅井のヤローが聞き返す。沼田、個人だと言ってくれ。頼む。ただ、現実は非情で
「ほんとのほんとだよ!げんげん」
よっしゃと小声で言った浅井のヤロー。まじか。僕の聞き間違えじゃない。もともと高くなかったテンションが、さらに低くなったのを感じた
「誰とペアなんだ?」
「ふっふっふっ。慌てないで、つるちゃん。今回のペアはなんと……」
ガサゴソと、謎にでかいリュックを漁る沼田。僕は心中で、『浅井のヤローだけはやだ。浅井のヤローだけはやだ』と繰り返していた。
気分は判決を下されようとしている、罪人だった
「この組み合わせだよ!」
じゃーんと効果音を自分で言いながら、A4の画用紙を、黒板に貼り付けた。僕はペアを確認にした。その途端、頭を抱えなかった僕は偉いと思う。
うっっっそだろ。おい。沼田、わざとか?わざとなんだろ?ドッキリだと言ってくれ!現実逃避も虚しく
「よろしくね。今井くん」
キラキラと爽やかな笑顔にミスマッチな、愉悦が隠しきれていない目で、僕を射抜く
「よ、よろしくね。浅井……くん」
よろしくしたくねぇ。その気持ちを隠そうと、変にどもってしまった
「緊張してる?」
口が裂けても言えない。お前が嫌いなのだと
「ペアになるのは、初めてだよね」
「そうだな」
このヤローは、こちらに手を差し出して、にこやかに
「お互い、良い作品を作ろう」
と言った。僕が手を取らなければ、気まずい雰囲気。
誰だ、こいつを完璧王爺なんて言ったヤツは。この目を見せてやりてぇ。この実験対象を見る目を
「そうだな。よろしく」
顔が引き攣っていないことを祈ろう。そう思いながら、手を出す。。すると強引に重ねられた。
うげっと声に出して拒否らなかった僕を、誰か褒めてくれ。しかしこのヤロー、なかなかに力が強いな
「早速、仲良しだねぇ」
「だな、鯉奈くん。私もよろしくね」
「うん!よろしくね、つるちゃん」
こっちが大変な目に遭っているのに、向こうは、少女漫画も裸足で逃げ出すレベルの、甘ったるい空気だった。
各自、満足したのか
「あっ!今回は、合宿もあるよー!」
周りが喜ぶ中、僕は一人、素直に喜べなかった
「兄貴」
「ゆう兄ぃ」
あの子達を、あの家に残す不安があるが、二人ともしっかりしている。二・三日家を空けても大丈夫だろう。
いや、違う。あの子達を、あの家に残してはいけない
「ゆうぴょん?」
どうしたの。と沼田が目の前で手をかざす。瞬間、その手を振り払ってしまった。ハッとして
「ごめん」
微妙な空気が流れる。どうしよう。何か言わないと、口から空気が漏れる。再度謝罪を重ねようとした時
「大丈夫、怒ってないよ」
びっくりはしたけどね。へらっと笑って僕の手を優しく掴む。
沼田の手から伝わる、冷え性のせいで少し冷たい体温が、徐々に脳を冷静にさせた
「ごめん。びっくりさせて」
「いいよー!」
その言葉と同時に、頭を撫でられた。しばらく固まっていたが
「はぁっ?!」
「あははっ」
弟妹達の頭を撫でることは。多々あるが、自分が撫でられたのは、いつぶりだろう
「面白い顔ー!」
僕は、頬に熱が集まるのを感じる。その間にも、頭は撫で続けられた
「あれだ、祖母と母だ」
「それを言うなら、母と子ですよ」
「ありゃ、そうだっけ」
霜関と浅井のヤローが軽口を交わす。少し重かった空気が消えた。
僕は、ボソリと、目の前のコイツに
「ありがと」
「うーん?何がー?」
まるで、自分のおかげではないと言わんばかりに、茶化して流された。
沼田は、僕の頭から手を離した。少し、名残惜しさを感じつつ、沼田の動向を追う
「よーし。それじゃ!」
と言いながら、黒板の前に立って
「お待ちかねの、もう一つの本題。合評会をしよっか!」
「おー!」
霜関が声を上げ、僕と浅井のヤローは拍手をした。
絵に溺れる君へ 八月一日茜香 @yumemorinokitune
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