第17話 進撃

「姉御、だめだってば! 帰ろうってば!」


 俺を羽交い絞めにするアニータは涙目だった。


「大丈夫、少しだけ、先っちょだけだから!」


「無理だって! さっきの犬? だって、なかなか倒せなかったじゃないか!」


 ミゲールたちがいた砦近くを奪還し、帝都へ報告して理性ある魔物の存在を認めてもらう方針が、先頭をズンズン進む俺によってだいぶ森へ近づいていた。


 徒歩なので途中で野営をしながらだが、俺についてきたアニータたち元山賊団の面々に、アグーとその取り巻きが十人はひとりも脱落していなかった。


 他の面子は、取り戻した砦の補修作業を行いつつ、国境の砦に状況の報告をするとのことだった。


 本来の指揮官が戻っていれば、その時点で俺はお役御免。


 どころか、命令違反に問われる可能性もあるが、言われた拠点死守はきっちりやり通したし、そもそも逃げた幹部にあれこれ言われる筋合いはない。


 ないのだが、そこが身分階級の面倒なところ。指揮官が俺を目障りに思えば、いくらでも罪の捏造は可能だそう。情報源はサブリナである。


 彼女は奪還した砦に残って、指揮官が戻っていれば交渉を担当するつもりらしいが、本音はトリガハッピー野郎に付き合っていられないというところだろう。


 俺が逆の立場でも、サブリナと同じ選択をする。


 理性ではきっちりかっちりわかっているのに、敵を見ると止まらない止めれられない。 


 引き金引いてクリティカルが癖になってエクスタシー。


 もはや気分が高揚しすぎてトリガーハッピーである。あ、元からだった。


 で、その俺がどうしてアニータに拘束されているかといえば。


「私は思うのです。危険な森だからこそ、誰かが調べなければならないのではないかと。うふ」


「最後の笑い! 絶対、姉御が楽しみたいだけじゃないか!」


 半泣きどころかギャン泣きだ。意外と涙脆いのね、アニータちゃん。


 一方の俺は「うふ」なんて出てしまうほどに上機嫌。鼻歌を歌いながら踊りたいくらいである。


「失礼ですよ、アニータさん。私は人類のためにこの身を捧げるのです。うふ」


「だから! 笑みを隠しきれてないんだってば!」


 うふ、なんても元の俺がやったら気色悪いだけだが、現在極めて稀な転生中のベアトリーチェは、漫画やアニメでも美化しすぎの部類に入る超美人。


 砦で寝泊りした際に、鏡で確認したので間違いない。思わず見入ってしまったわ。そして風呂にも入った。


 シャワーがないので、タライに水を組んで浴槽に集め、火で温める。日本の風呂ほど熱くはなく、四十度にも届いていないぬるま湯だ。


 それでも体を洗えればさっぱりするが、用意が大変とのことで、普通は各部屋にお湯を張ったタライを持ち込んで体を拭いて終わるそうだ。


 俺が砦を訪れた日に、アニータがアグーにさせられていた雑用がそれだった。単純ないじめではなかったらしい。


 アグーは砦にいる時は、一日に三度も体を拭くのだと。


 そういえば豚は綺麗好きだと聞いた覚えがあるな。やはり彼女は魔物なのでは? ちょっと撃ってみてもいいだろうか。


「さすがに今回はアニータの味方をさせてもらうよ、姉御」


 そのアグーが周囲を見渡し、肩を竦める。


 俺に従順な味方一行は、必死に止めるゴブリン組を連れて北へ北へ移動を続けていたが、つい先ほど五メートル超えの野犬が出たところで青褪めた。


 アニータの叫びにもあった通り、頭部を狙っても一撃では吹き飛ばず、さらに何発かを撃ち込んでようやく倒せた。


 その際に、アグーの取り巻きの盾持ちが三人ほど愛用の防具をだめにした。


 野犬は想像以上に俊敏で、銃弾をくぐり抜けて俺を仕留めにきたのだ。それを守ってくれたがゆえである。


「ゴブリンが言ってたドラゴン級は全長三十メートルを楽に超えるって話じゃないか! 人間にどうにかできる相手じゃないよ!」


 必死である。アニータ嬢、いつになく必死である。


 しなやかな筋肉に包まれた野生の猫みたいな体躯をフルに活かし、俺を決して逃がさない。

 ただ、乳房付近にある手がじっとりと汗ばんで感じるのは、こちらの気のせいではないだろう。


 俺はアニータみたいに革の鎧を着ておらず、防衛した砦で頂戴した男兵士が非番の日に着るようなパンツスタイルのままだ。


 そのため生地がごわごわしていようとも、肌の温もりが伝わったりするのだろう。俺にもアニータの手のひらの熱が伝わってきてるし。


 なんだかすぐうしろで唾を飲む音がしたのも空耳ではない。こうなるとアニータが俺に並々ならぬ好意を抱いているのはほぼ確定だ。


 単なる女好きか。それとも俺だからなのか。そこまでの判断はつかないが、地球では好んで女性に近寄られることのなかった社畜にすれば夢物語の如くだ。


 どうせ元の体に戻れないのなら、女同士でのキャッキャッウフフも悪くない。


 そう考えると、なにやら現状を打破できそうな謀略がムクムクと浮かんでくる。


「アニータさん、手を離してくれたら、あとで添い寝してさしあげますよ」


 少し振り返り、流し目を送りつつの誘惑。


 さて、どうなるかと思っていれば、露骨に動揺するアニータ嬢。


 あともう一押しあればいけるかもしれない。


「森で戦闘すればきっと汗もたくさんかくでしょう。道中で川などを見つけたら一緒に水浴びも……それとも町で一緒にお風呂がいいですか?」


「うぐッ」


 どうやらクリティカルが発生した模様。赤らめた顔にだらだら汗を……いや、涎まで垂らしそうになってるんだが。なんだかヤバめの性癖の持ち主な様子。


「では、私が同行しましょう!」


 いきなりメルティが釣れた。


 アニータが逡巡しているうちに元気よく右手を上げ、瞳をキラキラさせている。


 こいつもか。というか、元山賊団が揃って目を充血させているぞ。俺、あのまま山賊団を続けていたら、近いうちに貞操を失ってたな、これ。


 地球で妄想していたのとはずいぶん趣が異なるが、ハーレムには変わりないので、全員受け入れるのもやぶさかではない。


 節操なしと呼ばれようとも、ハーレムは男の夢。


 今は女になってるけど。


「ちょ、ちょっと待ってほしい! 森へ行く流れになっておるが、戻ってこれなければ約束など無意味だぞ。それに攻めすぎて反撃にあったらどうする!」


 今度はミゲールが必死だ。


 女たちが顔を見合わせてどうする? 森に行っちゃってもいいんじゃない? 的なアイコンタクトを交わし始めたせいだ。


「ベアトリーチェ殿がおられればいい。だが森の奥に住むレベルの魔物に、留守を狙われたら大きめの都市でも全滅は必至。そんなことになったら、吾輩らが受け入れられる余地がなくなってしまう!」


 お供のゴブリン二匹も、涙目で女たちへの説得を行う。


「そいつらの懸念ももっともだ。アタシも姉御に可愛がられたいが、そのために祖国の人間を犠牲にまではできないね」


 俺に可愛がられたいあたりで、ポッと頬を色付かせるアグー。


 見かけが雌オークじみているので、こちらが責められるアブノーマルな展開しか想像できない。一考の結果、ちょっとご遠慮願いたい。


 おまけに取り巻き連中も、俺を意味ありげにチラチラ見てる。女は視線に敏感と日本で聞いていたが、どうやら本当らしい。視線って、こう、刺さるのな。


「仕方ありません……では、私が単独で」


「だからだめだって! 姉御は戦闘狂じゃないんだろ!」


 再びアニータの両腕に力が入る。


 おい、ちょっと腕で俺のおっぱいをぽよんとさせたぞ、こやつ。


「もちろんです。すべては帝国の民の……そして世界の人々のためなのです」


 ここでアニータ嬢の耳に、ふーっと一息。


 ああん、なんて可愛らしい喘ぎ声が発生。あんな真似をしても、セクハラだと訴えられず、キモがられもしないこの体最高。


 というか、アラフォーでもベアトリーチェの美貌自体がチートじゃねえか。


 婿養子だとかいう元夫、よく他の女に走ったな。


 あ、そういや夜の生活も影武者使ってたし、子を作らせて以降はろくに顔も合わせてもいないんだったな。そら、憎まれもしますわ。


「ついでに、森の奥へいけば人気もありませんよ?」


 ――ゴクリ。


 大きめに唾を飲む音を響かせるアニータ嬢。なにやら目が血走りすぎて怖いことになっております。


 いよいよ赤髪のレズ疑惑斥候も頷こうかというところ、近くの茂みがガサガサ鳴りだした。


 途端に全員が戦闘態勢となり、羽交い絞めから解放された俺もショットガンを構える。


「何者ですか」


 一応は魔物以外の存在も考慮し、声をかけてみる。


 ゴブリンたちがいた砦を出発してからはずっとそうしてきたが、まともに応じた相手はいない。全部、純粋な魔物だったので当然といえば当然だが。


 今回もそうなるかと思いきや、やたらと毛がふさふさした二本の足で歩く犬が三匹ほどでてきた。成体と思われる雄と雌、あとは雌らしき子供だ。


 背の高さで子供だとはわかるが、さすがに年齢までは予想がつかない。


「こちらに戦う意思はない。信じられないかもしれないが、俺たちは、その、元人間なんだ」


 どうせまともに取り合ってはもらえないという諦めが透けて見える。それでもこうして出てきたのは、隠れ住む生活が限界だったのだろう。


「では、あなたたちも不老不死の研究者の成れの果てですか」


 事情を知っているのかと喜ぶかと思いきや、三匹というか三人……ややこしいから三匹でいいか。そいつらの警戒度が一気に引き上がった。


 子供が母親と思われる者の足に抱きつき、今にも泣きそうに目をウルウルさせる。


 母親は我が子を守ろうと一歩前に出るが、完全に腰が引けていた。


「もしかして、帝国が関係者の始末を再開させたとか思ってるんじゃ」


 誘惑作戦以降、俺の近くから動こうとしないアニータが耳打ちしてきた。


 なんだか舌を入れかねない雰囲気ではあったが自嘲したらしい。だが、その手は俺の尻を撫でたそうにもじもじしている。エロ本を前にした童貞か。

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