四十一、論理くん、掃除用具入れに入れられる

体育祭が終わって、次は、十二月にある音楽祭に向けて、みんなの熱が入っている。今日の音楽の時間、『COSMOS』の練習は、みんなで美しいハーモニーが奏でられて、鳥肌が立つくらいだった。この調子でいけば、大成功間違いなし!これからも、もっとクラスみんなで力を合わせてがんばるぞ。そして、今日も論理は、私を熱く見ていてくれた。もう、そんな論理のことを、誰も何も言わない。あれから時間が経ったんだなあと思う。合唱部のほうも、佐伯さんたちが協力的になってくれたおかげで、順調に部長を務めることができている。平和になって本当によかった。そんなある日、合唱部を終えて、論理と歩いていたとき、校門の前で、秀馬くんと佐伯さんが何やら揉めていた。

「ねぇ、秀馬、一緒に帰ろうよ、ねぇ、今日秀馬ん家行っていい?」

佐伯さんは、秀馬くんの腕にすがっている。

「何故俺の家に来るんだ」

「えぇ…だって行きたいんだもん!秀馬とたくさん一緒にいたいんだもん!」

佐伯さん…秀馬くんの前では子どもっぽいなぁ…。その顔その声にぴったりだ。

「遥、もう俺たちは恋人どうしじゃないんだぞ、離れろ」

「やだー!離れない!ぎゅーっ!」

佐伯さんが秀馬くんに抱きつこうとするのを、秀馬くんが振り払おうとする。そのとき、私たちは二人に追いついた。

「よう、お二人さん」

論理に声をかけられた佐伯さんは、ビクッと反応したあと、私たちを睨んだ。

「てめぇら!いつからそこにいやがる!」

「『ねぇ、秀馬、一緒に帰ろうよ』の辺りからだな」

論理は、棒読みでそう言う。

「ちっ!またいらない聞き耳立てやがって!…ね、秀馬、こんなやつらに構ってないで一緒に帰ろ?」

「断る。俺は論理たちと一緒に帰りたい」

秀馬くんは、私たちを手招きするそぶりを見せて、歩き始めた。佐伯さん、ちょっとかわいそうかも…。その佐伯さんは、泣きそうな表情で私たちを見ていたけど、やがて、私たちのあとについて歩き始めた。

「秀馬くん、佐伯さんいいの?ちょっとかわいそうだよ」

「いいさ、あれぐらいで丁度いい」

「でも、付いてきてるぞ」

論理にそう言われ、秀馬くんは振り向いた。

「おい遥、お前、家こっちじゃないだろ」

佐伯さんは、どうしても欲しいおもちゃを買ってもらえない子どものような顔をしている。

「だって!だって…秀馬と一緒に帰りたいんだもん!」

佐伯さんの甘味の強すぎるベビーソプラノは、こういう台詞を吐くと一層その幼い響きに磨きがかかる。秀馬くんは、佐伯さんの幼稚な言い訳に、はぁ、と大きなため息をついた。

「あたしはこんなに秀馬のこと愛してるのに、秀馬はあたしのことぞんざいにしてる!どうすれば秀馬はあたしのこともう一度好きになっ…」

「伏せろ‼︎」

秀馬くんの突然の一言は、あまりにも威圧感があった。その声に押し倒されるように、私たちは全員地に伏せた。そんな私たちの頭上を、大きな石がいくつも唸りを上げて通過していった。えっ、なにこれ⁉︎どういう状況?突然のことに頭がついていかない。

「な、なに今の⁉︎なに、なに⁉︎」

「遥、落ち着け。先輩方のお出ましだ」

秀馬くんのその声に導かれるようにして、人影がぞろぞろと出てきた。夕暮れ時の薄暗さの中に浮かんだその顔は、浦野先輩、桑島先輩、飛上先輩、そしてその後ろに、怖そうな人たちが何人もいる。

「坂口秀馬ぁぁっっ‼︎!てめぇとの決着を付けに来てやったぜぇぇっっ‼︎!」

浦野先輩の怒号。やばい…この前小野くんが言ってたのって、秀馬くんを倒す目的だったの?どうしよう…いくら秀馬くんでも、この数相手じゃやられちゃうよ!

「秀馬くん…」

私が、秀馬くんに声をかけようとしたとき、突然、佐伯さんが立ち上がって、毅然と一歩進み出た。

「浦野‼︎てめぇ!なにしやがるんだ!もうあたしらとは関係ねぇだろ‼︎」

「うるせぇっ‼︎このあばずれがっ‼︎一度俺と寝たくらいでいい気になるんじゃねぇぞっっ‼︎」

浦野先輩が、佐伯さんに向かってそう怒鳴った。その脇から飛上先輩が、ゾッとするような冷酷な表情を見せながら出てきた。

「これ以上の問答は無用だ。坂口秀馬。そしてその連れ。俺たちはお前たちを倒す。いくぞっ‼︎」

飛上先輩の号令とともに、敵が襲ってきた。そのとき、秀馬くんがスッと立ち上がって、私たち三人に向かって、「こっちへ来い」のポーズをした。

「死にたくなければ一緒に来い!」

私たちは、秀馬くんに導かれるように、来た道を学校側に向かって全力で駆け戻った。後ろから、「待てこらぁあっ‼︎」とか、「ぶっ殺してやる‼︎」という声が聞こえて、足が震える。それでも私たちは、死ぬ気で走った。やがて秀馬くんは、校門の中に入り、すぐそこにあった掃除用具入れを開けた。

「お前たちはここに入っていろ。俺がなんとかしてくる」

秀馬くんがそう言うと、論理が、悲痛な声を上げる。

「嫌だ‼︎俺も戦う‼︎」

秀馬くんは、そう言う論理に、拳を作って親指を立てた。

「すぐ戻る」

秀馬くんは、ニヤリと笑い、私たちを掃除用具入れに入れると、扉を閉めた。

「秀馬ぁぁぁっっっ‼︎!秀馬ったらああ‼︎一人であんな人たちに立ち向かうなんて無謀だよ‼︎」

佐伯さんが叫ぶ。私も、同じだ。あんなのと一人で戦うなんて無茶だよ。秀馬くん…大丈夫なの?掃除用具入れの中は真っ暗で、何も見えない。今、ここから出て、先生方に助けを呼んでくれば、なんとかなるかも。

「坂口ぃぃぃぃいいいっっっ‼︎!」

浦野先輩のものすごい気合が、用具入れのすぐそこから聞こえてきた。ああだめだ。こんな距離じゃ、先生方のところに行くまでに、私たちも捕まっちゃう。それじゃ秀馬くんの足手まといになるだけだ。

「くらええええええええっっっ‼︎!」

「うぐっ‼︎てめぇっ‼︎」

「相変わらずちょこまかと!」

そんな怒号に混じって、ビシッ!バシッ!と、肉のぶつかり合う音が聞こえる。秀馬くん、やられてないかな…心配でいても立ってもいられないけれど、ここを動かないことしかできない私が情けない!

「うぐぁあっっ‼︎」

秀馬くんの声だ‼︎

「秀馬ぁぁぁ‼︎いやぁぁぁぁぁっっ‼︎」

佐伯さんが、痛切な叫び声を上げ、扉を開けて外に出ようとした。論理と私は必死でそれを止める。

「やめろぉぉっ‼︎どうして行かせてくれねぇんだ‼︎秀馬、秀馬がぁぁぁっっ‼︎」

佐伯さんがそう言ううちにも、秀馬くんの、「あああっっ‼︎」「ぐあぁっ‼︎」という、叫び声が聞こえてくる。秀馬くん…。私は、思わず涙を零した。

「このままじゃ秀馬がやられちゃう‼︎秀馬が死んじゃう‼︎やめろっっ‼︎離せぇぇぇっっ‼︎」

「馬鹿野郎‼︎お前が今出て行って何ができる‼︎秀馬を好きなら秀馬を信じろ‼︎」

「そうだよ‼︎秀馬くんは、身を捨てて私たちを守ってくれてるんだよ!」

そこからさらに肉弾戦の音が聞こえてきたけど、やがて、浦野先輩の声がした。

「坂口ぃっ‼︎てめぇ、よくも俺たちを!次はこうはいかねぇぞ!覚えていやがれっ!」

「お前たち、もしかしてまだ、俺に勝てると思ってるんじゃないか?」

秀馬くんの声だ!ってことは、秀馬くん、なんとかやられずに済んだの?それから、ぞろぞろと人々が去っていく足音がして、やがて、用具入れの扉が開いた。そこには、傷だらけの秀馬くんがいた。

「秀馬ぁぁぁっっ‼︎いやぁぁぁぁっっっ‼︎」

佐伯さんは、秀馬くんに抱きついて、わんわん泣いている。私も、涙が止まらなかった。

「秀馬くん…大丈夫?」

「秀馬…ひどい怪我じゃないか…どこも折れてはいないか?」

秀馬くんは、腫れた顔で微笑む。笑顔が痛々しい…。

「大丈夫だ、この傷はすぐに治る」

「どうして?」

秀馬くんは私の問いに、右手を出し、拳を作って親指を立てた。

「友情という名の薬が、俺の傷を癒すからだ」

そう言う秀馬くんだったけれど、その傷の程度は、あのときの論理と同じくらいの深手に見える。体もつらそうだ。

「あいつら、十人ぐらいががりでやってきやがったな。いくら秀馬でも、こんなことが続いたら…」

「論理、満ちた潮は、引くものだろ。やつらがどれだけ満ちてきても、俺の力で必ず引かせてやる。だから心配ない」

「もう!かっこつけたことばかり言ってないでよ!秀馬ん家医者でしょ⁉︎早く手当てしに行くよ!」

佐伯さんが、秀馬くんの胸から顔を上げて言う。そうして私たちは、秀馬くんを抱きかかえながら秀馬くんの家まで向かった。あのときの論理や私と同じように、秀馬くんのお父さんがどこも骨が折れてないことを確認してくれた。そして、秀馬くんがあれこれ指示をしてくれる通りに、私たちは薬を出して秀馬くんの手当てをした。


「ぶんちゃん、そんなことあったの⁉︎こわー…よかったね、坂口くんが守ってくれて」

翌朝、朝練を終えたあと、私は優衣に昨日のことを話した。優衣は、首をすくめて怖がる。教室に着くと、秀馬くんと、論理と沢田くんが話していた。秀馬くんは、まだ昨日の傷が生々しい。

「げっ!坂口くん、すごい傷じゃない!大丈夫なの?」

優衣は、引いてしまうほどに驚いた。

「お、おはよう、秀馬くん。大丈夫?」

「おはよう文香、向坂。まあ少し目立つが、大したことはない」

頬に貼った湿布が痛々しいながらも、秀馬くんは私たちに微笑みかけてくれる。

「男気あるよなぁ。それにしても坂口、三人を守って喧嘩するとは、お前もよっぽどできるな」

沢田くんが、秀馬くんを褒め称えた。

「まあちょっと鍛えているからな」

「相手は、石まで投げてきた。俺たちを、文字通り屍にする気があったんだろう。そんなやつらと一人で戦わせてしまってすまない」

そう言って論理は、悔しそうに目を伏せた。

「いや、いいんだ。そんなことは気にしないでくれ。みんなが無事でよかった」

と、そのとき、教室内の喧騒がピタリと止んだ。どうしたんだろう?周りを見ると、みんな、教室の後ろのほうを見て怯えている様子。私も見てみる。そこには──。

「坂口秀馬いるか?」

浦野先輩の低い声。な、なんでここに⁉︎まさか、私たちをまたやっつけに来たの⁉︎私は、体を固くする。隣には、桑島先輩と、飛上先輩もいる。三人の顔は、やっぱり腫れ上がっていて痛々しい。

「ここにいるが。お前たち、クラスまで何をしに来た」

秀馬くんは厳しい目をしながら、浦野先輩たちのもとへと出て行った。

「よう、いい顔してるじゃねえか、坂口秀馬。ちょっと話があって来たんだ」

「話だと?」

秀馬くんが怪訝な顔を見せると、浦野先輩は、ニヤッと笑った。

「昨日は、覚えていやがれなんて言っちまったけどよ、あれから俺たちで考えたんだ。お前、俺たち十何人も相手によくもそこまで戦ったじゃねえか。俺たちも、お前の腕を認めざるを得ねえ」

「ほう」

「もう俺たちは、お前やお前の連れに手出しはしねえ」

浦野先輩!よかった…もう怯えることはないんだ!

「そうか。認めていただいて光栄だ。今後は、その約束を守ってほしいものだ」

「ああ。ついでに提案なんだが…お前、俺たちと手を結ばないか?お前に困ったことがあったら、いつでも力にならせてもらうぜ」

浦野先輩は、そんなことを言った。秀馬くん、浦野先輩たちの仲間になっちゃうの?

「……ありがとう、気持ちだけもらっておく。だが、お前たちと手を結ぶ気はない」

秀馬くんがそう言うと、浦野先輩は、微かに微笑んだ。

「そうか。まあ、お前はそう言うだろうと思ったぜ。じゃあ、用はそれだけだ。またどこかでな」

先輩たちは帰っていった。悪い勢力が、潮が引くようになくなっていく。秀馬くんの言った通りだ。ほんとに引いていったね。

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