七、論理くん、縦読みを仕掛ける
七月十五日。テストも終わり、穏やかな日が続いている。ただ、放課後に論理くんと二人きりで勉強していたあの頃が、懐かしく思えてならなかった。
「はぁ…」
私は、教室の窓から外を見ていた。
「なに、溜息なんかついているんだよ」
ぽん、と、肩を叩かれた。振り向くと、沢田くんがいた。
「あ、沢田くん」
「池田。今日、合唱部の練習が終わったら、教室に来てくれないか?」
「え?うん、いいけど…」
「じゃ、よろしくな~」
沢田くんは、爽やかに去って行った。…放課後の教室に呼び出された?沢田くんから?え?私、沢田くんに告白されたりする⁉︎なんて、自惚れもいいところだけれど、そんなことを考えていた。だって、放課後の教室と言ったら…やっぱり告白でしょ…。いや、まさかね…。でも、私は沢田くんじゃなくて、論理くんが好きなわけだし…。あーあ、論理くん、私に告白してくれないかな~。なんて。
合唱部の練習が終わった。
「ぶんちゃん、今日は一緒に帰れないよねぇ」
優衣が、にやにやしながら聞いてきた。
「え?なんで?帰れるよ?」
優衣はにやにやしている。
「だってこのあとぶんちゃん、教室に呼び出されてるんでしょ?」
「えっ!なんで知ってるの?」
「うふふふ、内緒~。じゃ、あとはお二人で楽しんでね~!」
と、私に言い残し、優衣は走り去って行った。なんなの優衣…。というか、やっぱりこれって告白だよね…。二人で楽しんでねとか言ってたし…。えええ、沢田くん、私のこと好きだったの?全然気がつかなかった。えええーどうしよう。私は、悩みながら教室に向かった。
教室の前に来た。え、教室に沢田くんいるのかな…。なんかあまり気配を感じないけど…。うー、困ったなぁ、沢田くんに告白されても、申し訳ないけど、私断るしかないよ、だって私は、論理くんが好きだから。よし!と、決心をして、教室のドアを開けた。
「え」
西日に照らされた、赤い教室の中に一人、論理くんが、自分の席に座っていた。
「あ、あ…、池田さん…」
なんで論理くんが?沢田くんじゃないの?
「あれ?沢田くんは?」
教室をきょろきょろと見回す。
「え?」
「私、沢田くんに呼び出されたんだけど」
「あ、いや…違うんだ…」
論理くんは、なんだか落ち着きがない感じだった。その様子を見て、私は直感した。心拍数が上がる。え…え…もしかして…?いや、まさか…。私も、地に足が着かなくなってきた。沈黙が続く。
「……………」
「……………」
西日が、論理くんを赤く照らしている。
「池田さん!」
「はい⁉︎」
論理くんが、いきなり大声を上げた。私は少し驚いてしまう。
「あの、これ…。俺、池田さんのために書いたんだ。よかったら、読んで」
論理くんは、鞄から手紙を取り出し、私に手渡してくれた。
「手紙?」
論理くんからの手紙…。ラブレター?心臓が張り裂けそう!
「あ、ありがとう!…今、読んでもいいの?」
論理くんは、黙ってうなづいた。私は、ドキドキしながら手紙を開ける。そこには…、
『ふだんから
みんなに嫌われている俺に
かんだいな心で接してくれる君。
ありがとうを送ろう。
いつでもこの
しあわせを俺は
てんにのぼるかのように感じている。
るびーのように赤く燃える情熱を君に。』
…読み終えた。これって…告白だよね?論理くんを見る。論理くんは、黙ってうつむいたままだ。顔が赤い。西日に照らされて赤いのか、本当に赤いのか、わからないけれど。それにしてもこの文章、どこか変だ。なんだろう、違和感を感じる。そこで、私ははっとした。これは、縦読みだ!最初の文字を、縦に読むと…『ふみかあいしてる』。心臓がうるさく動いている。しんと静まりかえった教室に、私の心臓の音が響き渡りそうだ。
「論理くん…ありがとう…。私も…」
愛してる…。と言おうとしたけど、あっ、そうだ、私もこうやって書いて返事をしよう。と思った。
「私も、明日、手紙書いてくる」
論理くんは、顔を上げた。
「わかった」
ふと時計を見る。もうこんな時間だ。
「ねえ論理くん。今日は部活終わるまで待っててくれたけど、お母さんに怒られない?大丈夫?」
論理くんは目を逸らした。憮然としている。
「ああ…まあ、大丈夫」
「本当?」
「うん、大丈夫…。また、ちゃんと言うから」
私は少し心配になったけれど、論理くんが大丈夫だと言うなら大丈夫か。
「そっか、じゃあ、帰ろうか」
「うん」
「返事、待っててね」
家に帰ってきた。さて、どう返事をしようか…。と思いながら、便箋を探した。ハローキティのかわいい便箋を見つけ、返事を書く。さて、どうしようかな…こうかな…。と、思いながら書いた文章はこれだ。
『だれよりも
いとおしい。
すいへいせんのようにまっすぐな
きもちで、あなたとの
ろまんすを送りたい。こ
んな私だけれど、あなたの
りそうの恋人になりたい。』
…縦読みをすると、『だいすきろんり』。うん、これでいいだろう。論理くん、ありがとう…。私も、論理くん、大好き!これを渡せば、論理くんと私は恋人どうしかぁ!やったあー!私は嬉しさのあまり、ベッドの上で飛び跳ねた。と、急にスマホが鳴った。えっ!まさか論理くん⁉︎慌ててスマホを手に取る。なんだ、優衣からだった。通話ボタンを押す。
『ねえねえ!どうだった⁉︎』
「何が?」
『何がって、とぼけないでよ!論理のことだよ!告白されたでしょ⁉︎』
やっぱり知っていたのか…。
「うん、手紙渡されたよ」
『手紙?手紙で告白されたの?』
「うん」
『まったく論理ったら!口ではっきり言いなさいよね!呼び出すのも沢田くんに任せたし!ヘタレ論理!』
言いたい放題だな…。
「でも、ああいうふうに書くのって、論理くんらしくて好きかな」
『ああいうふう?』
「うん」
『まあ、どうでもいいわ。で、返事は?もちろんオッケーだよね⁉︎』
「私も、手紙で返事しようと思って。明日、論理くんに渡す」
『そうなのね!じゃ、明日が楽しみだわー!』
私も、明日が楽しみ…。論理くん、大好き…。
次の日。朝、教室に入り、自分の席に座った。論理くんはまだ来ていない。鞄から手紙を取り出し、机の中に忍ばせた。論理くんは、朝のホームルームぎりぎりに教室に来て、隣に座った。
「論理くん、おはよう」
私は、なんだか恥ずかしくて論理くんの顔が見られなかった。
「おはよう、池田さん」
さあ、手紙を渡さなくちゃ…。うう、でも、恥ずかしい…。でも、がんばれ私!
「論理くん、昨日の返事、書いてきたよ」
私は、論理くんに手紙を渡した。
「あ、ありがとう…。読んでもいい?」
「うん…」
私は顔が熱くなって、うつむいた。キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴って、先生が入ってくる。
「出席取るぞー」
論理くんは、隣で私の手紙を読んでいる…恥ずかしい…。私は、まだうつむいていた。
「池田文香」
先生に呼ばれた。
「あ、は、はい!」
私は、顔を上げて先生を見た。先生が、じいっと私を見ている。
「どうした?池田、顔が赤いぞ?具合悪いか?」
ドッ、と、体が熱くなった。
「いえ、大丈夫です…」
恥ずかしい…。
「そうか、ならいい、次、太田論理」
論理くんが呼ばれた。でも論理くんは、私の手紙をまだ読んでいる。
「うん?太田、どうした?聞いてるか?」
先生は、論理くんを怪訝な顔で見つめた。
「はい!」
論理くんは、やっと返事をした。かと思うと「はああああっ」と息を吸い(深くて、いかにも「吸い込んでる」って感じのするブレス音だった)クラス中に響きわたる声で、なんとこんなことを言い放つ。
「俺も、池田さんが大好きです!」
なっ!なに言ってるの、論理くん!私は、論理くんを見た。その顔は、凜と燃えていた。でも教室内は、凍り付いていた。
「そうか、太田。それにしても、随分急速に始まった恋じゃないか?」
先生が、教室内の氷を溶かす。
「あ…まあ…そうかもしれません…」
「そうか、まあ、急速に始まって、急速に終わらないようにしてくれ」
「はい…倉橋(くらはし)先生」
倉橋藍造(あいぞう)先生は、大きすぎる黒目で、論理くんを見たあと、出欠を取り始めた。出た、倉橋先生の、天然毒舌。いつもああなんだよね。この前も、授業中に突然、「俺死にたい」とか言い出して、その翌日、「新しいコート買ったぞ」とか言ってにやにや笑っていたし…。私は、冷ややかに笑った。
休み時間。教室中は、論理くんと私の話題で大盛り上がりだった。論理くんと私の席の周りには、十人ほどが集まっていた。
「おいおい論理!朝のホームルームのときは一体なんだったんだ?」
「ぶんちゃん、論理くんと付き合うの⁉︎」
「公開告白されて、池田、今どんな気持ちだ⁉︎」
「私も、あんなふうにみんなの前で告白されてみたい」
みんな言いたいことを言いたいように言っている。論理くんも私も、恥ずかしいやら何やらで、少し困っていた。
「あはは…。うん、付き合うんだよね…私たち…」
私は、論理くんを熱い眼差しで見つめた。
「うん…。池田さんのこと、前から好きだった…。それが、池田さんと付き合えることになるなんて…夢のようだ」
論理くんも、私を見つめてくれた。ヒュー!キャー!と、みんなが騒ぐ。恥ずかしい…。
「そうだ!お前たち、キスしろよ!」
「付き合ってるんだからいいだろ?キス!キス!キス!」
「キス!キス!キス!キス!キス!キス!キス!」
キスコールが始まる。あれ、この展開前にもあったような…。
「ちょっと、やめなさいよね!」
優衣が、大声を上げてキスコールを止めた。
「困ってるじゃないの。キスは、二人きりのときにしたいものよ!特に、二人のファーストキスはね」
どの口が言う…。と思ったけど、優衣、ありがとう。
「さあさあ、解散!かいさーん!」
沢田くんもやってきて、そう言ってくれた。みんなは、「ちぇー」などと言いながらそれぞれの席に戻っていくけれど、顔はにこやかだった。
「キスしたら、教えてね」
優衣は、私と論理くんに向かって小声でそう言った。
「う、うん」
私は、顔が熱くなった。
「その先もやったら教えてくれ」
沢田くんが、爽やかに言った。その先?その先って…。私は、今度は体が熱くなった。
「私にも教えてね!」
優衣までそんなことを言う。
「言うわけないじゃん!」
私は、本当に恥ずかしかったけれど、嬉しかった。
放課後。今日から毎日、私と論理くんは一緒に帰ることにした。でも、私は合唱部の練習があるのに対して、論理くんは帰宅部だ。どうしようかと言っていた。
「池田さん…。西山先生、また、『見学』して待たせてくれないかな…」
「うーん。テスト前毎日見学したのに、太田は何も言ってこないな、って先生怒ってたから、多分無理だと思う…」
「そっか…。じゃあ、教室で待ってるよ。でも、池田さんが必死に歌っているところ、見たかった…」
論理くんは、心底残念そうだった。
「ごめんね。また今度一緒にカラオケに行ったときに、私、必死に歌うから、今日はほんとにごめんね」
私は、両手で『ごめんね』のポーズをとった。
「うん、わかった…。じゃあ、俺、ここで池田さんが必死に歌っているところ、想像してる」
「あはは。論理くん、恥ずかしいよ…。でも、私のこと想像してくれるの、嬉しい…」
二人は、そのまま黙り込んだ。
「あ、お母さんは、ちゃんとオッケーしてくれた?」
私が論理くんに聞くと、論理くんは、とっさに顔を歪ませた。
「…それが、今度、池田さんを連れてきて話をさせてくれって言うんだ」
「ええ⁉︎なんで私が⁉︎」
私は嫌だった。あのお母さんとまた会わなくちゃいけないなんて…。しかも、話ってなに?
「…あいつは、俺を池田さんに取られることが、すごく嫌らしい」
「え…、私、論理くんと付き合っちゃいけないのかな…」
「そんなことない!」
論理くんは、大声を出した。
「とにかく、そこは俺がなんとかする」
私は、少し不安になった。
「よくわからないけど…。話をするって、いつ?」
「わからない、今日帰ったら聞いてみる」
せっかく論理くんと付き合えることになったのに…。もし、論理くんのお母さんがそれを反対したら、私たちは別れないといけないのかな…。私の中の不安が大きくなってきた。
「まあ…、わかった」
別れたくない…。
「じゃあ、部活行ってくるね」
私は不安を押し殺し、立ち去ろうとする。
「池田さん」
論理くんに呼び止められた。論理くんは、悲しげな顔をしていた。
「池田さん…ごめんね…嫌だろうに…。あんな母親を持つ俺は…嫌かな」
その論理くんの言葉が、私にはなんだか悲痛な叫びに聞こえた。私は気づく。私がこんな不安に陥っていたらだめだ。何より今いちばん不安なのは、論理くんなんだ。私は、そんな論理くんを支えて、一緒にお母さんを納得させなくちゃいけない。私は、朗らかに微笑んだ。
「ううん…嫌じゃない。どんなお母さんを持っていたって、論理くんのこと、大好き」
私は論理くんを安心させようと、にっこり笑った。
「池田さん…ありがとう…。俺も、大好き」
論理くんも笑ってくれた。安心した。
「じゃ、またあとでね。…私のこと想像しながら、待っててね」
「うん」
手を振り合う。私の中に論理くんのお母さんに対する恐怖はあったけれど、それで論理くんのことが嫌いになるとか、そういうことは一切無い。どんな話し合いになるかわからないけど、論理くんのお父さんが言ってた、論理くんの巣立ちのためにがんばらなくちゃ。私は、前を見据えた。
部活が終わり、論理くんと二人で帰ろうと下駄箱まで来た。
「ヒューヒュー!」
優衣と沢田くんが冷やかしてきた。
「もうーやめてよー」
私がそう言うと、二人は笑って帰って行った。
「あの二人、できてるのかな」
論理くんは、そんなことを言った。
帰り道、論理くんと私は、ほとんど無言で帰っていた。なんだか緊張して、あまり話せなかった。
「ねえ…池田さん…」
論理くんが口を開いた。
「なに?」
「…手、繋ぎたい」
ドクン、心臓が跳ねた。
「あ、うん…。繋ごうか」
どちらからともなく、手が触れて、手を繋いだ。論理くんの手は汗ばんでいた。
「えへへ…。なんだか恋人って感じだね!」
「うん…」
論理くんは、嬉しそうだった。私も、嬉しかった。私たちは、恋人になったんだ…。と実感した。
論理くんは、私を家まで送ってくれた。
「じゃ、池田さん、また明日」
「うん、また明日」
握り合っていた手を放す。と、論理くんは、握っていた自分の手の平を見つめた。
「どうしたの?」
すると論理くんは、その手の平を私に見せてきた。
「ここに、俺と池田さんの汗がたくさん付いてるでしょ?これ、俺と池田さんの、愛の結晶」
論理くんは、突然そんなことを言った。私は、ぷっ、と吹き出してしまう。
「やだ、論理くん、恥ずかしいな…。でも、うん、愛の結晶だよね」
私も、握っていた自分の手の平を見つめた。夕日を浴びて、愛の結晶が、きらきらと光っていた。私は思わずスマホを取り出す。
「ねえねえ論理くん。私たちの愛の結晶、写真に残しておきたい」
「あ、いいねそれ」
論理くんはそう言って、手を差し出してくれる。その隣に、私の手を並べる。スマホをかまえた。画面の中に、キラキラ光る二人の手が映る。カシャリ。
「撮れたよ、論理くん」
「池田さん。また思い出が増えたね」
論理くんは嬉しそうに顔をほころばせていた。
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