八、論理くん、被害者意識を叩きつける
次の日。論理くんのお母さんと話をする日が決まった。それは、今日だ。部活が終わったあと、一緒に帰って、そのまま論理くんの家に来てほしいと論理くんに言われた。私は嫌だったし、心の中は不安だらけだけれど、まあなんとかなるかな。と思いながら一日を過ごしていった。
合唱部での練習中、私は、いつも通りに一生懸命歌っていた。でも、なぜか上手に歌えない。私は、少しイライラした。部活が終わって帰ろうとしたとき、優衣が話しかけてきた。
「ぶんちゃん、今日、なんかおかしい」
「え?」
「あまりぶんちゃんの声が聞こえて来なかったし、表情もなんだか暗いよ」
優衣はさすが、私の親友だ。
「うん…。なんかうまく歌えなかった」
「論理と喧嘩でもした?」
優衣は、私の顔をのぞき込んだ。
「いや…そういうわけじゃなくてね…」
私は、優衣に事情を話した。
「ははーん。論理のお母さん、手厳しいもんね」
「うん…。私、不安でね…。論理くんと別れさせられるんじゃないかとか…いろいろ…」
「大丈夫!」
優衣は、私の両手を取った。強く握られる。
「ぶんちゃんは、いざとなったら強い子でしょ!論理を想う気持ちを、お母さんにぶつけてこい!」
優衣は、そう言ってウインクしてくれる。
「優衣…ありがとう!」
私には論理くんも、そして優衣も付いていてくれる。だからきっと大丈夫だ。私は強くそう思った。
そして、論理くんと一緒に手を繋いで帰り、論理くんの家に来た。論理くんの家が、夕日を浴びて、赤く光っていた。私の目にはそれがまるで、地獄の炎の中にたたずむ館に見えた。あの中に閻魔大王がいて、私は今からその閻魔大王に裁かれるのだ。多分、論理くんと付き合えるか、付き合えないかを…。
「ただいま、池田さん、連れてきたよ」
「お邪魔します…」
中に入ると、お姉さんが顔を出した。
「あれ?文香ちゃん、なんの用?」
「聞いてないのかよ、お母さんが今日話をさせろって言ったんじゃないか」
「ああ、忘れてたわ」
お姉さんは、にやりと笑った。その笑いに、ぞっとするような悪意を感じて、私は背中にじっとりと冷や汗をかくのを感じた。
「文香ちゃん、いい事を教えてあげる。あの人の前ではね、何があっても謝ったら駄目。例え、あんたが人を殺しても、謝ったら駄目。謝ったら、負けだ。代ゼミじゃないけど、日々是決戦。わかる?」
お姉さんは、そう言って奥に入っていった。私は、よく意味がわからず、そして、何か物騒で怖くなった。
「論理くん…意味わかった?」
「日々是決戦か…ああ、確かに、日々是決戦だよ、この家では、十四年前の四月二十一日午前七時四十分から、ずっとな」
論理くんは、そう言って鼻で笑った。
「論理くん…。全然意味わからないよ…」
「まあいい。とにかく、これからあいつと戦いに行くぞ、池田さん」
居間に入ると、閻魔大王がいた。ああ、裁きのときは来た。閻魔大王が見ているテレビが、浄玻璃鏡に見える。
「お母さんただいま。池田さん連れてきたよ」
閻魔大王は、論理くんだけを見た。
「おかえり、論理くん」
閻魔大王はにっこりと笑っている。不気味だ。私は、全身に緊張が走った。
「お、お邪魔します…」
辛うじて挨拶をする。でも、閻魔大王に無視された。
「さ、座って」
論理くんと私は、座布団の上に座った。さあ、なんて言われるのか…。地獄か天国か…。
「池田さん」
「はい!」
閻魔大王の、冷たい視線が私に投げられる。ピリッとした、冷たい空気が漂う。
「この前の論理の成績は、六十八番だった。この出来の悪い子にしては、いちばんいい。あんたなんかとでも一緒に勉強したら、論理も鼻の下を長く伸ばしてがんばったんだろうねぇ」
グサッと、心が痛んだ。あんた『なんか』と言われた…。
「俺がスケベ親父みたいに鼻の下を伸ばしてるって言うんだったら、それはそれでいい、勝手に言ってろよ。でも、どうして池田さんに、『なんか』なんて言うんだ、俺の成績を伸ばしてくれたのは、池田さんだぞ」
論理くん…私のこと庇ってくれた…。
「ふーん」
閻魔大王は、煙草に手を伸ばす。Echoと書かれた、オレンジ色のパッケージから煙草を一本取り出し、火をつけて吸い始めた。嫌な臭いが充満する。その瞬間、閻魔大王は、口の中の副流煙を、ふぅーっと、思い切り私に吹きかけた。
「…んくっ!ケホ、ケホ」
私は、その衝撃的な閻魔大王の攻撃に呆然としてしまった。と、同時に、煙草の臭いを顔面に受けた私は、そのもの凄いにおいに顔をしかめた。
「論理はね、小学生のときまで私に勉強を教わっていたんだよ。あなたなんかに教わらなくても別にいい。なのに、論理がにやけながらあなたを連れてきて勉強している。私は、情けを持って論理とあなたを勉強させてあげているのよ」
閻魔大王の顔は、いつの間にか光り輝いていて、自分に酔っている感じがした。閻魔大王の唇は、話せば話すほどに濡れてきている。
「あなたはただ、太田家の平和を乱しに来ているだけ。その認識はあるの?」
平和を乱しに来ている?私が?そんな認識はまったくなかった。でも、私がいきなり論理くんと仲良くして、論理くんの家の調和を乱したような感じはあるかもしれない…。私は、すみません、と言おうとしたけど、お姉さんの、『謝ったら、負けだ』という言葉が頭をよぎった。
「このクソ…」
「待って」
論理くんが何か言ってはならない言葉を言おうとしていた気がしたので止めた。私は口を大きく開き、「すはあああっ」と息を深く吸い込んだ。腹式呼吸の私のお腹がふくらむ。そんな私のブレス音とともに、煙草の煙が口の中に入る。
「そんな認識は、ありません。確かに、私のせいでお母さんの立場がなくなったんでしょう。でも、いつまでも論理くんに縋り付いていては、見苦しいだけですよ」
不思議と私は、このとき肝が据わっていた。閻魔大王は、阿修羅の顔を見せる。
「言わせておけば…。はぁ…はぁ…」
肩で息をする閻魔大王。なんだか様子がおかしくなっていた。
「小娘ぇ‼︎」
閻魔大王が、荒い息でそう言う。ぎらぎらした目で、私を痛いほど睨んだ。たじろいだけれど、私もまた、睨み返した。
「よく聞きなさいよ!私が本気になればね、あんたの一人や二人ぐらい、あんたのくだらない家族だって、まるごとぐうの音も出ないように、すぐにしてやるからね!それでもよければ、いくらでも論理とべたべたしていればいい!」
そんなことを言われた私は、内心怯えていた。論理くんのお母さんが、ここまでの人だったなんて思ってなかった。でも、私はそれでも、論理くんが好きだ!
「はい。べたべたします。どうぞ、ぐうの音も出ないようにしてください。でも私たち、お母さんが思っているより、ちょっとだけ歯ごたえがありますよ」
閻魔大王の顔が、さらに赤くなる。
「なにをっ‼︎そうか、そんならいい!子どもだと思って優しくしていれば、どこまでつけあがる。大人の恐さを思い知りなさいよ‼︎」
恐さは十分に思い知っている。でも、私にもプライドがある。論理くんへの想いだけが!
「恐さは十分思い知っています。でも、大人って、優しさも必要じゃないですか?私は、そんな大人になって、論理くんを包み込みます」
「ふん。十四の小娘が、包み込むもへったくれもないもんだ。最近の子どもは口ばかりがたち者になったよ、馬鹿馬鹿しい」
ああ、もうこの人には何を言っても通じない。それに、最初に思ったよりもずっと単純で、話していると子どもの喧嘩になってしまう。
「論理くん。こんな子は、私がなんとかしてあげるから、また、お母さんのところ、いらっしゃい」
閻魔大王は裏を返したように、にっこりと、論理くんにほほえみかけた。
「お母さん」
論理くんは、悲しそうな顔をした。成績のことについて話したときと同じ表情だった。
「お母さんさ、あたしは魔王になるって言ってたよね。じゃあなればいいよ。でも残念でした、こんな言葉があるんだ。『神によって、引き合わされた者は、神以外の、何人によっても引き離されない』。神と魔王って、どっちが上だったろうね。あんまり情けないこと言うなよ、お母さん…。悲しいんだよ」
そう言って論理くんは、私の手を握り、私を玄関先へ引っ張った。
「いやあ、派手にやってたね」
玄関には、お姉さんがいた。
「文香ちゃんもかわいい顔をして、あの人の前でなかなか言うじゃない。私でさえ、もらわれてきてから五、六年は、泣いてるしかなかったのに。さっきの文香ちゃんのようなことを言えるようになったのは、つい最近のことだよ」
もらわれてきてから…?このお姉さんって、なんなの?
「は、はあ…」
「ただね、文香ちゃんも含めて、周りの私たちがいくらがんばっても、あの人はあれで変わらない。だから、悪いことは言わないから文香ちゃんは、論理から離れたほうがいい。この家で論理は、一生、恋も結婚も、しないって決まってる。論理は一人でなきゃいけない。そのために産まれてきてるの。だから文香ちゃんは、もっと他の人を見つけたほうがいい」
えっ?と、私は思い、論理くんを見た。論理くんはうつむいて、歯を食いしばり、必死に何か耐えていた。そしてそのまま、私の手を取り、家を出た。
トシオ公園という児童公園のブランコに、二人で座る。じめじめした暑さがあり、背中が汗で濡れて、セーラー服が貼り付いている。公園の灯りに、虫が引きつけられて舞っている。はあ…。なんだか、論理くんの家って、すごいなあ…。私があの家に生まれていたら、あのお母さんのもとで暮らすんだよね…。そう思うと、私、怖くて生きていかれないかもしれない…。もう、関わりたくない。怖い。でも、あのお母さん、なんだかつらそう。論理くんを愛したくても愛せない不器用な人だと思う。それに、論理くんも、お母さんのことを愛したくても愛せない不器用な人なんだろうなぁ。似た者親子って言ったら、論理くん怒るかな…。
鼻を啜る音が、隣から聞こえる。私は、論理くんに掛ける言葉が無くて、さっきからずっと地面を見つめていた。また、鼻を啜る音が聞こえた。あれ、論理くん、泣いてる?と思って、隣を見る。薄暗い灯りの中で、論理くんは、ぽたぽたと涙を落としていた。
「論理くん…」
「池田さん…。ごめん…ごめん…」
論理くんが泣きじゃくる。やっぱり、悲しそうに。
「池田さんが、俺のもとを去って行っても、俺には…池田さんを…引き留める資格も権利も無い」
「私が論理くんのもとを去るなんてあり得ないよ!」
「だって…あいつら、池田さんに…言ってはいけないこと…言い過ぎた」
「私は大丈夫だよ。それに論理くんは、何も悪くないじゃん」
「嘘だろ!あんなことを言われたんだよ、池田さんは!」
論理くんは、声を荒げた。
「昨日も言ったじゃん。どんなお母さんを持っていたって、論理くんのこと、大好きだって」
「どうして池田さんはそうなんだよ!」
論理くんは、顔をくしゃくしゃにしながら、叫ぶ。
「自分を傷付けるやつは、絶対許さない。一度言われたことは、何があったって忘れない。池田さんは、あいつらを許せないでしょ?じゃあ、俺のことだって、許せないよね」
論理くんは、そんなことを思っていたのか…。
「自分が傷付けられたとしても、許さなきゃいけないよ。だって、人間だから。あやまちは誰だって犯す。一度言われたことは、忘れた方がいいと思う。自分が苦しいから。私は、論理くんの家族を許せるよ」
論理くんは鼻を啜りながら、いじけた顔を見せた。
「池田さんは、許さなきゃいけないと思うから許すの?無理に?本当は、許したくなくても?忘れるのだって、自分が苦しいから忘れるの?」
「いや、違うよ。誤解させた。ごめんね」
どうやって論理くんに説明したらいいかわからなかったけれど、とりあえず話そうと思い、私は、口を開けて、息を大きく吸った。
「義務じゃ無いんだよ、私には、『自分を傷付けてきた人を許したくない』っていう気持ちそのものがない」
「じゃあ池田さんは、今日みたいにめちゃくちゃ傷付けられたらどう思うの?」
「イラッとはするけど、まあしょうがないとは思う」
「なんで⁉︎」
論理くんは苛立たしげに顔を歪めた。
「なんで、まあしょうがないで片付けられちゃうの?傷付けられたんだよ?」
「だって、私にも非があるもん。あのときだって、その場の調和を乱したのは私だし、お母さんにはお母さんの考えがあるし…。どちらか一方が全部悪いってことは無いんじゃないかな。どんなときでも」
「そんなのきれい事だよ!」
論理くんに怒鳴られて、私は少しイラッとした。
「どうしてそれをきれい事だと言って片付けるの?どうして論理くんはそんなに被害者意識ばかりなの?」
「当たり前じゃん」
論理くんは、また例の悲しそうな顔をした。
「俺、被害者だもの」
論理くんの悲しい一言が、しんと静まりかえった公園の空気を射貫いた。と同時に、私の心にも突き刺さり、それ以上、私の口から言葉が出てこなかった。
「俺、帰る」
論理くんはそう言うと、ブランコから立ち上がり、その場をあとにした。私は、悲しみや、怒りや、不安が押し寄せてきて、緊張の糸が切れたかのようにドッと涙が溢れてきた。
「うっ…ひっく、うううっ、すはあああっ!えええ…ええええんっ!す、すはあああああっ!ええええええええええええ…え…えんっ!」
どうして…。せっかく論理くんと付き合えたのに、もう私たち、だめかな…。私は一人泣きながら思った。私の涙が、雨のように地面を濡らした。
家に帰ってきた。
「お姉ちゃん、おかえり。どうしたのこんな遅くまで」
お母さんが話しかけてきた。
「うん。ちょっと優衣と遊んできた」
私は、今は誰とも話したくない気分だったので、適当に返事をした。
「嘘つかないの。論理くんの家にお邪魔してたんでしょ。論理くんのお母さんから電話があったのよ」
私は、目の前が真っ暗になった。
「えっ!なんだって⁉︎」
「ずいぶん慇懃無礼な態度で、私も腹が立ったけれどね」
お母さんは、よほどのことじゃないと腹は立てない。
「『私も、今まで五十三年生きてきて、こんな感動的な娘さんに出会ったことはございません。お母様の教育の程が大変に知れまして、私、痛快至極でございます』だって。痛快至極に侮辱されたわ」
そんなことを…。私までじゃなく、お母さんにまでそんな酷いことを言って…。あのババア…。
「お姉ちゃん、論理くんと付き合ってるみたいだけど、これからも付き合い続けるの?」
「………………」
さっきもあんな感じで別れちゃったし、私はどうしたらいいんだろう…。もう、こんなにめちゃくちゃ言われるのなら、もう…。
「私は、論理くんがどういう子かはわからないけれど、お姉ちゃんが選んだ人だから、きっと素敵な子なんだと思う。だけど、お姉ちゃんはお母さんの世界でいちばん大事な娘なの。その娘を、平気で侮辱してくる場所に行かせることは難しいわ」
「うん…」
私はそう言って、自分の部屋に向かった。私は、どうしたらいいのか、どうしたいのか、よくわからなくなっていた。階段を上っているとき、窓から、ヒューっと風が流れてきた。その風が、私のうなじを撫でた。ふいに論理くんの鼻息を思い出す。論理くん…。流し足りない涙が出てきた。私は、論理くんのことが好きなのに、どうしてこうなるんだろう…。
私は、自分の部屋のベッドにうつぶせになっていた。と、いきなりスマホが鳴った。もしかして論理くん?私はスマホを手に取って画面を見た。表示されていたのは、『優衣』の文字。なんだ…優衣かよ…。
「もしもし?」
『やっほー!ぶんちゃん!元気⁉︎』
相変わらずテンションが高い…。
「あんまり元気じゃない」
『あらら、論理ん家でうまくいかなかったの?』
「うん…」
私は何も話せず、不自然に沈黙が流れた。
『そうなんだ…。でもぶんちゃん、まだ論理と付き合いたいんでしょ?』
「…わかんない」
『わかんない⁉︎あんた、その程度だったの⁉︎』
「わかんない…。う、うううっ、ぐずっ…」
また涙が溢れ出てきた。論理くんのお母さんには酷いことをいろいろ言われるし、論理くんとはうまくいかないし、私はもうよくわからないし。
『はぁ…。お母さんにこてんぱんにやられたな…』
「優衣…優衣ぃ…、すはあああっ!ええええええええええええんっ!…す、すはあああっ!ええええ…ええええええええ…えんっ!」
私はスマホを握りしめたまま泣き叫ぶ。もうこのおかっぱの中身はパニック。そう、論理くんが愛でてくれた、このおかっぱの中身は…。私はただ泣くことしかできない。しばし私の泣き声が部屋に響く。
『ぶんちゃん。でも、論理のこと、好きなんでしょ?』
優衣に問われる。さっき階段で感じた、うなじの風を思い出す。論理くん…。論理くんの鼻息…私にもう一度かけてほしい…。
「…っく……ひっく……、うん、好き」
『あの大見得を切ったぶんちゃんなんだから、好きだというならなんでもできるはずだよね?どれだけ大きな困難だって、乗り越えられると思うよ』
「困難が大きすぎるんだよう!」
『私たちも、あのときは派手にぶんちゃんたちをいじめたけど、あれより大きいわけ?』
「多分…」
『ちょっと、一体何があったの?聞かせてよ』
私は、洗いざらい一部始終を優衣に話した。
『………………』
さすがの優衣も、聞き終えてすぐに言葉がなかった。そして優衣は、ようやく口を開いた。
『あのさぁ…噂で聞いてたんだけど、論理のお母さんって、リウマチだったよね。病気で、人間歪んじゃって、そのせいで論理も嫌なやつになったって。でも、そこまでだとは思わなかった』
「優衣、どうしたらいい?私もうわかんない…」
『ぶんちゃん、それでも論理のことが好きなんでしょ?私から見れば、論理って考えられない最低な男に見えるし、ぶんちゃんのことを好きそうな男子はたくさんいるよ。それでもぶんちゃんは論理のことを好きになって、論理もぶんちゃんのことを好きになった。私から見れば考えられないことだけどね。これってさ、やっぱり赤い糸なんだよ!』
「え?赤い糸?」
『うん、赤い糸。赤い糸なんて言ったら、子どもの雑誌に出てきそうな言葉だけど、実際そういうものってあると思う。ぶんちゃんと論理は、出会わなきゃいけない二人だったんだよ。論理は、ぶんちゃんにしてあげる役割があるし、ぶんちゃんも、論理にしてあげなきゃいけない役割があると思う。だから、二人は出会ったんじゃないかな』
私は、論理くんのお父さんに言われたことを思い出した。『私は、文香さんが来てくれたということが、論理の巣立ちの第一歩になると、思っている。いろいろ摩擦も起こるけれど、よろしくお願いしたい』そう言われたんだった。あの家庭から、論理くんを巣立たせてあげられるのは、私だけだ。それが、私の役割だ。と思った。だからどんなことが起こっても、論理くんのそばにいてもいいんだ!
「ありがとう…優衣。私、これからもずっと論理くんのそばにいる!」
『え?さっきまであんなに大泣きしてたのに、どうしたの?』
「論理くんを巣立たせてあげられるのは私だけだから!それが私の役割だから!」
『は、はあ…。よくわからないけど、元気になったのならよかったわ』
電話を切った。優衣、ありがとう、私、大切なものを見失いかけてた。その直後、またスマホが鳴った。見ると、論理くんからだ!私はすぐさま白いボタンを押す。
『………池田さん』
「…論理くん?」
どうしたんだろうか、いきなり通話なんて。
『ごめん、ちょっと聞いて』
「うん」
『あのあとお父さんと話したの。そしてわかった。俺、あの家で、おとこ女中にはならない。崖の上から、綱を垂らしてくれる人がいたら、その人を信じて綱を登らないと、何も変わらないんだ。俺は、池田文香という人が垂らしてくれた愛の綱を登って、池田さんの住む、光溢れる国へ行くんだ!池田さん、俺を導いてくれるかい?』
論理くんは、段々と口調が熱くなって早口になっていった。私は、おとこ女中とか、綱を垂らしてくれる人云々とか、なんの話かよくわからなかった。でも、論理くんが助けを求めているということはわかった。私は、もちろん論理くんを助ける。論理くんを導いて、羽ばたかせてあげたい!
「もちろん、導くよ。論理くん、愛の綱を登ってきて。私と一緒に羽ばたこう!」
『ありがとう、池田さん。今日はいっぱい傷付けてごめん。もう、池田さんをあいつらの前には二度と連れて行かない。だから許して欲しい』
「私は、必要があったらいつでも行くから心配しないで」
『ありがとう。それじゃあまた明日学校でね』
「うん、また明日ね」
私は通話を切った。また、論理くんとこう言い合えることができてよかった。
「お母さん!」
私は、自分の部屋を出て、階段の上から叫んだ。
「私、論理くんと付き合い続けるから!」
お母さんが出てきた。
「私は、やめておいたほうがいいと思うけど」
「それでも付き合う!崖の上から、綱を垂らすと、それを登らないと御利益があるんだよ!え?えっと…登ると御利益があるんだったかな?…とにかく、私、愛の綱を垂らすの!それが私の役割だって!」
「ああ、そう」
お母さんは、苦笑いした。
「よくわからないけど、今のお姉ちゃんいい顔してるから、まあ、任せてみるわ」
「うん!」
窓からまた風が吹いてきた。その風が、私のうなじに触る。あ、そうだ、お風呂に入ったらまたうなじを剃っておこう。明日、論理くんが見つめてくれるから。
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