五、論理くん、複雑な母子関係に苦しむ

火曜日。今日は、論理くんの家で勉強する。私は内心、嫌だ、行きたくない…。と思いながらも、論理くんの家へと向かっていた。

「ただいまー」

「お邪魔します」

すると今日は、論理くんのお父さんらしき人が出てきた。

「論理おかえり。…えっと、そちら様は?」

「あ、池田です、池田文香です。お邪魔します」

私は失礼の無いように、慌ててそう言った。

「文香さん…。ああ、最近論理と仲良くしてくれているみたいだね、ありがとう」

お父さんに感謝されてしまった。

「え!いえいえ、こちらこそ、論理くんには仲良くして頂いて…ありがとうございます!」

「さあ、中に入ってお茶でも飲んでから勉強しなさい」

お父さんはそう言って中に入っていった。論理くんの家族はみんな私のことを嫌う人ばかりだと思っていた。でも、お父さんだけは違うようでよかった…。居間に行くとお母さんが座っていた。私たちのほうも見ずにテレビを見ている。

「ただいま、お母さん」

論理くんがそう言うと、お母さんは、論理くんだけを見た。

「おかえり、論理くん」

無愛想にそう言うお母さん。

「あ、あの…お邪魔してます…」

私は、恐る恐るお母さんに話しかけた。

「なんだね、あんた、また来たの!」

いきなり怒られた。なんなのこの人~!

「あ、はい…すみません」

何故か謝ってしまう。

「土曜日も論理と遊んでたみたいじゃないか、テスト前なのに。あまり論理をふりまわさないでね!」

また怒られた。怖い…。

「はい…すみません」

私はまた謝った。

「謝ればいいってもんじゃないよ!」

今度は怒鳴られる。怖い!すくみ上がる。私は動けなくなってしまった。

「そんな言い方ないだろ!池田さん、何もしてないじゃないか!」

論理くんが隣で怒ってくれる。

「なに、論理くん。あんた、私よりその子のほうが大事なの?」

何故かお母さんは、泣き出した。

「……そういうわけじゃないよ」

「ふーん、お母さん、また『温泉』に行っちゃうよ」

「どうしていつもそういうことを言うの?俺が、家に友だち連れてきちゃいけないのかよ」

「ああ、いけない!」

お母さんが大々的に言い切った。

「なんだと!」

論理くんが怒鳴る。お母さんを睨む目は怯まない。だけど、なんだか論理くんが頼りなく見えた。この前教室で論理くんが、『絞首刑台だって怖くねえぞっ‼︎』と怒鳴ったときを思い出す。あのときの論理くんは、私ですら怖いくらいだった。でも、今は…。

「私は、論理くんを大事に育ててきたつもりなのに、こんな小娘に取られちゃうんだから、お母さんもかわいそうだわ」

小娘って、私だよね…。どうしよう…。怖いし帰りたい。すると、はぁ、と、論理くんはため息を吐いた。

「池田さん、もう勉強しに行こう。この人足がないから大丈夫だよ」

「なにっ!」

私は、論理くんの腕を取った。

「ちょっと、論理くん」

論理くんは、お母さんを、何故か悲しげな目で見た。

「そんなに池田さんが嫌なら、立ち上がって、自分の手で追い出せばいい。それすらできないだろう。その分言うことばっかりでかくなってさ…。だから嫌なんだよ!」

論理くんはそう吐き捨て、私の腕をつかみ、自分の部屋へと連れて行った。


論理くんの部屋に入り、私は座布団に座った。勉強する気なくなっちゃったな…。論理くんも、座ったきり、怒っているような、悲しんでいるような表情をしていて動かない。私は、この家に来てもいいのだろうか、いや、お母さんにはっきりと、いけないと言われてしまった。どうしてお母さんは、私のこと嫌ってるんだろう…。お母さんに反対されたら、私、論理くんと一緒にいられなくなっちゃうかな…。そんなのは嫌だ!私は、論理くんを見る。依然として、複雑な表情をしていた。

「論理くん…。私、論理くんともう勉強できないのかな…」

涙が溢れてきた。

「ねえ、論理くん…。もう一緒にいられないのかな…。そんなの嫌だよぉ」

私は、縋るように論理くんを見つめる。でも、論理くんは黙ったままだ。どうして…。

トントン、と、扉がノックされ、論理くんのお父さんが顔を出した。

「泣いてたかね」

お父さんは、私を見つめてきた。

「い、いえ、大丈夫です」

私は、手で涙を拭った。

「……まあいい、お茶を持って来たぞ」

お父さんが、お茶を机の上に置いてくれた。論理くんと私は、黙ったままだった。

「文香さんと言ったね。腹も立つと思うけど、ここは私に免じて、許してやって下さらんか。あれも、ああいった体だから、もう論理のことしか頼れるもんがない。それに、恥ずかしい話だが、論理もあれによう甘えとって、中一が終わるまで、あれと一緒に寝とった」

えっ、そうなの?と、私は論理くんを見る。論理くんは、真っ赤な顔でうつむいていた。怒っているような、情けないような、不安げなような、複雑な表情をしている。

「そうやって、甘え合ってやってきた親子が、突然子どもだけ離れていくわけだから、私も見苦しいとは思うけれど、しかたないなというところもある」

お父さんは天井を見つめた。何か考えている様子だった。そして、お父さんは私を見つめた。

「文香さん、男の子ってもんは、どんなに大事にされていてもいつか巣立たなきゃいけない。私は、文香さんが来てくれたということが、論理の巣立ちの第一歩になると思っている。いろいろ摩擦も起こるけれど、よろしくお願いしたい」

お父さんはそう話してくれた。私は、論理くんを引っ張っていかないといけないんだなと感じた。論理くんを巣立たせるために。私は、どちらかというと引っ張られたいタイプだ。でも論理くんは、私が望むタイプではなさそう。それに、論理くんのお母さんという強敵もいる。でも、それでも、私は…。

「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」

私は、お父さんにそう言いきった。

「ありがとう」

お父さんは、部屋を出て行った。再び論理くんと二人きりになる。

「ささ、勉強しよう、論理くん」

私は、勉強道具を机の上に置こうとした。

「池田さん、ごめんね」

論理くんが、小さな声で言った。

「え?」

「あいつのせいで、池田さん、泣いちゃって…」

あいつって、お母さんのこと?

「あ、大丈夫だよ。もう、気にしてないし」

論理くんに笑ってみせたけど、嘘だ。気にしている。

「あいつなんかに…池田さんとの仲を離されてたまるか…」

論理くんが床を睨む。

「論理くん、お母さんのこと、あいつなんて呼んだらだめだよ、お母さんがかわいそう」

私に目を向ける論理くん。

「あんなやつ、お母さんなんて言われる資格ないよ」

論理くんは、相当お母さんを恨んでいるんだなと思った。

「でも、世界でたった一人の自分のお母さんだよ、大事にしなきゃ」

私がそう言うと、論理くんはうつむいた。

「大事だけど…」

「ねえ、論理くんは、お母さんのこと嫌い?」

私は、不思議に思っていることを聞いた。

「嫌いだ、あんなやつ」

なんだか論理くんは、やけになって言っているような気がした。

「うーん、嫌いなら、なんでさっきはっきりと言わなかったの?」

「え?」

私は目を逸らした。

「お母さんより私のほうが大事なのって聞かれたとき…」

あのとき論理くんは、そういうわけじゃないと言った。嫌いならば、当たり前だ!とか言えるはず。自分で言うのもなんだけど。

「…複雑なんだよ」

論理くんは、遠い目をして、そうつぶやいた。

「複雑?」

「好きとか、嫌いとか、そういう次元じゃない」

「え?」

私は、論理くんの言っている意味がわからなかった。

「池田さん、もう、あいつに会いたくないでしょ?」

「え…あ、うん…」

私は、申し訳ないけれど、論理くんのお母さんにはもう会いたくなかった。

「じゃあ、これから毎日、勉強は池田さんの家でやらない?申し訳ないけど」

「いいけど、いいのかな…。一緒に勉強しても」

と、自分で言って、論理くんのお父さんに言われたことを思い出す。論理くんの巣立ちのために、よろしくお願いされたんだ、私は。

「いいよ、あいつの言うことは気にしないで」

「論理くん、だから、あいつなんて言っちゃだめ、お母さんって言って」

「…嫌だよ」

「論理くん」

私は、論理くんに笑いかけた。

「……お、お母さん」

論理くんは、うつむきながらも、そう言ってくれた。

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