三、論理くん、私と勉強する
もうすぐテストがある。私は、家でテスト勉強をしていた。あーあ、疲れた。結構勉強したから、今日はこの辺にしておこうかな。私は真面目に勉強するほうだ。夏休みとかの宿題も、最初の一週間ほどで仕上げてしまう。でも、最近は勉強中にも論理くんのことで頭がいっぱいになり、勉強に集中できない。困っていた。と、そのとき、スマホが着信する。優衣からだ。ん?なんだろう?と思いながら、画面の白いボタンを押す。
「もしもし」
『あ!ぶんちゃん!こんばんは!今大丈夫?』
快活に話す優衣である。
「うん、丁度勉強切り上げたところだし、大丈夫だよ」
『えらーい!私全然勉強してないや、えへへ』
「そうなのー?優衣ったら、ちょっとはがんばらなきゃダメだぞ。で、何か用かな?」
『いや、論理のことで提案があって!』
「えっ!」
私は、いきなり論理くんの話題が出てきてドキッとした。
『今テスト前でしょ?ぶんちゃんさ、論理と一緒にテスト勉強したらどうかなって思って!もちろん、二人きりで!』
「ええっ!」
論理くんと一緒にテスト勉強⁉︎優衣の提案に私は驚いたけれど、やれるものならぜひともやりたい…。と思った。
『ねえ、どう思う?』
何故か楽しそうに聞く優衣。
「え…そりゃあ…したいけど…。でも、そんなこと言えないよ…」
『だからね!私が言ってあげるの!』
「ええ⁉︎」
『自分じゃ言いづらいでしょ?だから、私に任せて!』
優衣は、自信満々だった。
「ええ…でも論理くんがどう言うか…」
そうだ。論理くんの意志がある。
『ばっかね!『お、俺も、池田さんとテスト勉強したい…』って言うに決まってるじゃん!』
優衣は、論理くんの真似をしながら言った。あまり似ていない。
『どう?うまくいくと思うんだけど!』
「ええーそうかなぁ…」
私は不安になった。
『じゃ、明日ね!名付けて、論理くんと二人きりでラブラブテスト勉強大作戦~!いえーい!』
優衣は、一人で盛り上がっていた。
次の日の朝。優衣は、私に向かって、
「じゃ、作戦どおりに」
と言って怪しく笑い、論理くんの席に向かった。心臓がバクバクしている。もし、嫌がられたらどうしよう…。私はそれしか考えてなかった。
「ねえー、ちょっと論理」
席に座っていた論理くんに、威圧感たっぷりで話しかける優衣。
「な…なに」
「あのさあ、もうすぐテストでしょ?実はね、ぶんちゃんが、論理と二人きりでテスト勉強したいって言うんだけど、論理もしたいよね?」
な…なんで論理くんもしたいって決めつけてるんだ…。と、私は思ったけど、それよりも心臓がうるさくてたまらない!
「えっ」
論理くんは驚いたようで、少し遠くにいる私の顔を見た。私は、あはは…と笑った。多分私の顔は真っ赤になっているだろう。
「ちょっと!どうなの⁉︎せっかくのぶんちゃんからの誘い、断るわけないよねえ」
優衣…それは脅しに近いよ…。
「お、俺も、池田さんとテスト勉強したい…」
論理くんはうつむきながら、昨日電話で優衣が真似したそのままの言葉を言った。
「よし決まりね!ぶんちゃん、いいって!こっち来て!あとは、二人で決めてね~」
優衣はにこにこしながらそう言うと、教室から出て行った。あとは私がやるのかよ…まあいいけど…。ありがとう優衣。私は、うつむきながら自分の席へと向かった。
「あ、ありがとう…論理くん…。ごめんね」
私は、席に着きながら言った。論理くんの目は恥ずかしくて見られなかった。
「え、なんで謝るの?」
論理くんは私を見ている。
「だって…なんか、無理矢理だったし…。もし嫌なら断ってもいいよ」
嫌であってほしくない、断ってほしくない、と思いながらも、私は論理くんにそう聞く。
「嫌なんかじゃないよ…。だって、池田さんとだもの」
ドキッ。論理くんは、私を見ている。
「そ、そっかあ…ありがとう…」
どうしたんだろう私…論理くんのことが好きになってから、論理くんの顔が見られない…。本当は顔を見て話したいのに…。
「じゃあ、どうする?いつ、どこで勉強する?」
私は、恐る恐る聞いた。
「毎日がいい」
論理くんは、はっきりとそう言った。
「毎日⁉︎」
私は、論理くんの顔がやっと見られた。二重まぶたの、ぱっちりした大きな目。焦げ茶の、深い瞳。通った鼻筋とおちょぼ口。男の子にしては色白な、頬から顎にかけての、ふっくらしたライン。かっこいいよ論理くん。見惚れる…。
「嫌かな池田さん?」
「いやいや、嫌じゃないよ」
嫌じゃない、むしろ嬉しい。ちょっと驚いただけ。
「よかった。それじゃあ毎日、放課後、池田さんが合唱部の練習があるときは、俺、待ってるから」
「ありがとう…。場所はどうする?」
「お互いの家にしない?」
論理くんは少し考えたあと、そう言った。
「お互いの家?」
「例えば、月、水、金は池田さんの家で、火、木は俺の家でとか、どう?」
論理くんの家に行けるんだ…。論理くんが私の家に来るんだ…。私は、わくわくしてきた。
「それいいね!そうしよう!」
「じゃ、決まり。今日は火曜日だから、俺の家で勉強しよう」
「うん!」
嬉しい、論理くんと二人きりで勉強ができるなんて…。論理くんは、あまり笑顔を見せない人だけれど、このときは笑っていてくれた。
放課後。
「ぶんちゃん~!音楽室行こう」
これから部活の時間。優衣も私と同じ合唱部員だ。今日は練習があるので、論理くんにちょっと待っててね。と話した。
「ねえ…池田さんの待ち人ってことで、音楽室で待たせてくれないかな…」
論理くんはおずおずと聞いてきた。
「あー、わからない。先生に聞いてみる!」
私と優衣と論理くんで、一緒に音楽室に向かった。
「ねえ、なんで音楽室でなの?教室とかで待ってればいいじゃん」
優衣が、いじわるそうに論理くんに聞いた。
「え…。あ、と、とくに意味は無いよ」
困ったように答える論理くんを見て、優衣は、にやあっと笑った。
「それはね、ぶんちゃんの歌ってる姿が見たいからだよね~!」
優衣はそう言って、音楽室へと走っていった。
「そんなことないのにね、まったく優衣ったら…」
そう言って論理くんを見ると、論理くんは赤い顔をしていた。図星だったのか…。
「先生…。あの、部外者は部室に立ち入り禁止なんでしたっけ?」
音楽室に入り、私は、顧問の西山(にしやま)先生に聞いた。
「基本的には立ち入り禁止だが、どうかしたのか?」
「あの…太田くんと帰る約束していて…。それで、音楽室で待たせてくれないかなって言うんですけど…」
太田くんと帰る約束していて…。って、なんだかそれって恋人どうしみたいじゃん!と、思い、自分で言って恥ずかしくなった。
「うーん、それは無理だなぁ、どこか他の所で待ってもらいなさい」
先生に、そう言われてしまった。
「わかりました」
「はーい!先生!」
優衣の、明るい声が聞こえて、私は優衣を見る。
「実は、太田くんは、合唱部に入るか迷っているんです。それで、ちょっと見学をしたいみたいなんです。それでもだめですかぁ?」
優衣!ナイスアイデア!
「うーん、まあ、そういうことならいいか」
「ありがとうございます!」
私は、優衣を見た。優衣は、私に向けて、ぱちっとウインクをした。そして練習が始まる。起立して肩幅に足を開き、背筋を伸ばす私。先生のピアノ。前奏が終わる瞬間、口を大きく開き、「すはあああっ」と思いきり息を吸い込む。ふくらむ私の背中。そこに注がれる論理くんの熱い視線。私は歌い出す。論理くん、私のソプラノ、聴いててくれるんだ…。嬉しいよ!
帰り道、私は論理くんと二人で、論理くんの家へと帰っていた。
「二人きりで帰るなんて、なんだかカップルみたいだね」
黙っている論理くんに、私は思ったことを言った。
「なーんて、あはは」
恥ずかしい。私はごまかしながら、横目で論理くんを見た。
「うん…」
論理くんは、煮え切らない様子でそう言った。そのまま論理くんはまた黙りこくってしまった。私は、あれ、何か変なこと言っちゃったかな…。と内心焦りながら、私も黙って歩いていた。無口だよね論理くんって。なんか重い雰囲気だな。どうにかできないかな…。あ、そうだ!こうしよう。
「ねえ、論理くん」
「ん?なに、池田さん」
私はスマホを取り出す。
「論理くんって、スマホ持ってる?」
「うん。持ってるよ」
よし。ここは勇気を出して!
「それじゃあさ、私とライン交換しない?そのほうが何かと便利じゃないかな」
「そうかラインか…」
論理くんは私にそう言われて、ぱーっと顔を輝かせた。
「いいよ、しよう」
よっしゃあああっ‼︎私は心の中でガッツポーズをする。そして、論理くんとライン交換をした。これからは論理くんとずっと繋がっていられる。
「ありがとう論理くん!たくさんラインするね」
嬉しい気持ちが止まらない。
「俺も、いっぱいラインするよ。池田さん、こっちのほうでもよろしくね」
論理くんも嬉しそうだ。勇気を出してライン交換申し出てよかった。
「俺の家、ここ」
論理くんの家に着いた。見たところ、三階建ての白い家だった。
「本当にお邪魔してもいいのかな…」
「うん、いいよ」
と言って、論理くんは玄関を開けた。
「ただいまー」
「お、お邪魔します…」
私は、論理くんのあとに続いて、おずおずと中に入った。
「おかえり、あれ?」
論理くんのお姉さんか、お母さんかわからなかったけれど、ひとりの女性が出迎えてきた。私を見ながら、不思議そうな顔をしている。
「論理、この子は?」
「あ、ああ…クラスの子。テストまで一緒に勉強することになったんだ。家に上げてもいい?」
「そう。お母さんに聞いてみる。お母さーん」
ということはお姉さんかな?お姉さんは、お母さんに聞きに行ったらしい。お姉さんはしばらくして戻ってきた。
「あまり浮かない顔をしていたけどいいって。さ、入って。名前はなんて言うの?」
お姉さんはにこりと笑って私を見た。
「あ、池田、池田文香です、よろしくお願いします」
私は軽くお辞儀をした。
「文香ちゃんね、こちらこそよろしくね」
論理くんのあとに続いて中に入る。居間らしきところに通される。五十歳くらいの女性が座っていた。論理くんのお母さんかな。
「こ、こんにちは。お邪魔してます」
私は挨拶した。でも論理くんのお母さんは、こちらを不審な顔で見つめてきた。私は、少し怖じ気づく。
「名前はなんて言うの」
無愛想にそう聞かれる。
「あ、はい、池田です、池田文香と言います。よろしくお願いします」
私は緊張しながら、慌てて返事した。
「ふーん。で、論理とはどういう関係で?」
厳しい視線を向けられ、私は縮こまった。
「あ、クラスメイトです。席が隣どうしで…」
「そうかね」
お母さんはそう言うと、煙草に手を伸ばし、火を付けて吸い始めた。私は煙草が苦手だ。嫌な臭いが部屋中に充満する。
「論理、お茶でも出してあげなさい」
「うん」
論理くんは台所に向かった。お母さんは、煙草を吹かしている。お母さんと二人きりになってしまってさらに緊張してきた。
「私は、リウマチでね、動けないの」
お母さんは、また無愛想にそう言った。
「あ、そうなんですか…。お大事にしてください」
なんか、あまりよく思われてないのかな…。と、私は心配になった。
「論理は大事な息子だから、仲良くしてあげてね」
煙草の煙が、漂う。
「は、はい。もちろんです!」
なんだかこのお母さん、苦手だ。私はそう思った。
お茶を飲んだあと、論理くんの部屋で勉強を始めた。初めて入った男の子の部屋。論理くんの匂いがして、私は少し恥ずかしくなってドキドキした。それから、二人とも黙々と勉強をしたけれど、さっきの煙草の臭いが鼻について嫌だった。それから、特別なことは何も起こらず、七時になったので帰ることにした。
「お邪魔しました」
私は軽くお辞儀をする。
「また、いつでも来てね」
お姉さんが、にこりと笑ってそう言ってくれたので安心した。
「ありがとうございます!」
一方、お母さんはこちらを見もせず、何も言わず、テレビを見ていた。私、気に入られてないな…。と、私は落胆した。
「論理、外まで送ってってあげなさい」
「うん」
お姉さんに言われて、論理くんが外に出てきた。
「論理くん、今日はありがとう。あとでラインするね」
「うん、こちらこそありがとう。ライン待ってる」
私は論理くんに手を振って、帰り始めた。煙草の臭いが、まだ鼻に残っていた。
夜。優衣と通話して、今日の論理くんの家での勉強のことを聞かれた。私が、論理くんのお母さんの態度のことを言うと、優衣は「愛想ないねぇ、さすが論理のお母さん」と言った。まあ、まだ最初だし!これから良く思われるように努力しよう!と、私は心に決めた。
優衣との通話が終わったあと、私は、論理くんに初めてラインする。ドキドキしながら、ちょっと震える指を画面に走らせた。
『論理くんこんばんは。今日は一緒に勉強できて嬉しかった!』
これでいいか何回も見直して、私は、えいっ!と、送信ボタンを押した。既読がすぐに付く。論理くん…。返してくれるかな…。でもまもなく、画面に論理くんからの白い吹き出しが現れる。
『池田さん今日はありがとう。勉強も進んだしよかったね。俺も池田さんと一緒にいることができて、すごく嬉しかった』
論理くん…!こんなこと言ってくれてる!顔が熱くなるのを感じながら、私はさらにラインを打つ。
『これから毎日一緒に勉強会もするし、論理くんともっと仲良くなれたらいいなって思ってるよ』
ちょっと攻めすぎかな…。と思いつつも、送信する私。またすぐに既読が付いて、返事が返ってくる。
『俺も、池田さんともっと仲良くなりたい。これからもよろしく頼むね』
私は自然と、論理くんからの『仲良くなりたい』の文字を、何度も読み返してしまう。ああ、やっぱり私…論理くんのこと、好きなんだ。私は、ちょっと勢いづいて、こんなことを書きかける。
『ねえ、論理くんって、今好きな人いる?』
いやいや、これはちょっとだめでしょ。こんなこと聞けないよ。聞いてみたいけど…。私は文字を消して、こう書き直す。
『ねえ、論理くんって、いつもこの時間何してるの?』
こんなことしか聞けない私が情けない。
『お風呂から上がって、音楽聞いたり、テレビ見たりしてるよ』
『どんな音楽聞くの?』
『ちょっと昔の九十年代ころの音楽かな。最近のは、あんまりよくわからない』
九十年代かぁ…。論理くん、渋いな。
『九十年代なら、私は『ラブストーリーは突然に』とか好きだよ』
私のラブストーリーも突然に始まったんだよ。って書きたいよぉ。
『あ、その曲はいいね。恋っていつも、突然に始まるものだよね』
論理くん!そんなこと言ってくれるの。さっきからときめきが止まらない。それから私たちは、何回かラインをやり取りした。論理くんとのラインは、楽しいし嬉しい。でもそのうち私は、大切なことを一つ思い出した。
『あのさ、私が帰ったあと、論理くんのお母さん、なんか言ってた?』
やっぱり既読はすぐに付いた。でも、返事が返ってくるまでちょっと間があった。
『いろいろ言われたけど大丈夫だよ』
いろいろ言われた?
『どんなこと言われたの?』
『そんなにたいしたことじゃないよ』
論理くん、あまり言いたくないのかな…。でも気になる。論理くんのお母さんの、私を見る鋭い目つきと、嫌な煙草の臭いを思いだした。
『論理くんのお母さん、私のことあまり良い感じには見てなかったと思う…』
私がそう書くと、論理くんは、瞬速でこう言ってくる。
『そんなことないよ!』
『そうかな…。でも、なんか家にお邪魔するのも悪いし…。もうやめようか…』
私は、やめたくなかったけれどそう返事した。
『やめなくていいよ!』
無機質な電子文字だけど、その文字の中に、論理くんのはっきりとした想いがこもっているように感じられた。
『論理くんがそう言ってくれるならいいけど…』
『うん』
小さな吹き出しがそう応えたあと、さらに論理くんの言葉が続く。
『あんなやつなんかのためにやめなくていい』
え?あんなやつ?あんなやつって、お母さんのこと?お母さんを、あんなやつなんて言うの?怖い顔をした論理くんが、頭に浮かんだ。煙草の煙のように、もわっとした物が、私の周りに漂った。
「じゃあ、今日は私の家で勉強だね」
次の日の放課後。下駄箱で、私は論理くんに言った。
「うん」
「今日、私の家で勉強すること、お母さんに言ってある?」
私は、おずおずそう聞いた。
「うん、言ってある。これから毎日お互いの家で勉強するってことも言った」
論理くんは、どこか嫌そうに言った。
「そうなんだ…いいって?」
「うん、大丈夫だよ」
なんだか少し変な感じがしたけれど、論理くんが大丈夫と言うなら大丈夫か。
論理くんと下校中。今日は暑い日だ。歩いていると汗がたくさん出てくる。喉が渇いたなぁ。と、思っていたら、自動販売機があった。あ、ジュースでも買おうかな、あ、でも今日お財布持って来てなかったんだった、残念。
「あ、池田さん、俺、喉渇いたからジュース買ってもいい?」
論理くんも同じこと考えてたのか…。私は、少し嬉しくなった。
「うん、いいよ」
論理くんは、オレンジジュースを買って飲んだ。いいなあ、私も飲みたいな。
「ねえ論理くん、一口ちょうだい」
私は何気なく聞いた。論理くんは、私に目を向けて飲むのをやめた。
「あ、いいよ」
と、ジュースを差し出してくれた。
「ありがとう」
私は、ジュースを一口飲んだ。おいしい。生き返るなぁ。
「ありがとう、おいしかった」
私は、論理くんにジュースを返した。論理くんは、私をずっと見つめている。なに?ドキドキしちゃうよ…。
「ん?なに?論理くん」
「…間接キスだね。池田さん、牛乳のときもそうだったけど、何気なくこういうことしてくれるから、嬉しい…」
そう言われて、また間接キスしたということに気がついた。私は、顔が熱くなった。
「あははは!ろ、論理くんだもん、私も、嬉しいよ!」
何言ってるの、私!今日は暑い。恥ずかしくて体が熱い。論理くんの視線も、熱い。
「ここだよー、私の家」
私の家に着いた。論理くんは、まじまじと私の家を見た。
「大きいね」
「いや、そんなことないって」
私は、鍵を開けてドアを開けた。
「さ、入って、お母さんとお父さん仕事でいつも夜遅いし、弟はまだ帰ってきてないから、誰もいないよ」
「えっ、誰もいないの?」
論理くんは少し驚いていた。そこで気づく。論理くんと私、二人きりじゃん!私は、また顔が熱くなった。
「あははは…うん」
「二人きりだね」
論理くんも、同じことを思ったようだ。
「うん…んふふ」
論理くんに見つめられて、私は視線を逸らし、はにかんだ。
勉強中、今はお互い国語を勉強している。論理くんのほうから、鉛筆をさらさらとすばやく動かす音が聞こえてきた。
「ねえ、論理くんって、国語得意なの?」
「他の教科よりはね」
「へえ、そうなんだ」
論理くんのことが一つ知れて嬉しかった。
「ねえ、ここ、教えてくれない?」
国語でわからないところがあったので、論理くんに聞いた。
「いいよ、どこ?」
論理くんは、丁寧に教えてくれた。
「ありがとう!論理くん教え方うまいね!先生よりもうまい!」
私は、本当にそう思った。
「そんなことないよ」
論理くんが照れている。かわいい。
七時になったので、解散することにした。
「じゃあ、また明日ね。またラインもしようね」
「うん、また明日。ライン待ってる」
論理くんの後ろ姿を見ながら、もっと一緒にいたいな…。と思った。
お母さんとお父さんが帰ってきて、ご飯を食べているとき、電話が鳴った。お母さんが電話に出て、何やら話していた。誰だろう?私は気になった。電話が終わり、お母さんは私に顔を向けた。
「論理くんのお母さんからよ」
私は、ドキッとした。あのお母さんが、私の家に電話⁉︎一体何を?
「えっ、なんだって?」
「今日、うちの息子がお邪魔させていただきましてありがとうございましたって。まあ、ご丁寧なお母さんだね。私は昨日太田さんにお電話入れなかったから焦っちゃった」
「うん、それで?」
「今日、家で一緒に勉強したんでしょ?私はいなかったけど」
「うん」
「論理くんを明立(めいりつ)に受からせたいらしいわよ。文香もがんばりなさい」
県立の明立高校か…。なかなか難しいところだな…。と、私は思った。
「でも…」
お母さんは、怪訝な顔をした。
「変ね。文香のことは何も言っていなかったわ。お姉ちゃん、昨日、太田さんのお家にお邪魔したとき、どうだった?」
「えっ…」
私は戸惑った。どうだったって…嫌がられていたとしか言えないよね…あれは…。
「別に、なんともなかったよ」
私は、お母さんに心配はかけたくないと、嘘をついてごまかした。食欲がなくなってきた。今日のご飯は、私の大好きなハンバーグなのに。
次の日の放課後。今日は論理くんの家で勉強だ。行きたくないな…。私は、鬱々とした気持ちでいた。せっかく論理くんと肩を並べて歩いてるのに。
論理くんの家に着いた。
「お邪魔します」
この前と同じく、お姉さんが出てくる。
「あら、なんで来たの」
お姉さんは、私を見ながらあっけらかんとそう言った。えっ?なんで来たって…勉強しに来たんだけど…いけなかったのかな…。
「え…あの…勉強しに来たんですが…」
私は、気後れしながら答えた。
「違う違う、歩いて来たのか自転車で来たのかってことよ!」
また、お姉さんはあっけらかんとそう言った。学校から来たんだから歩きに決まってるのに…。と、私は不思議に思った。
論理くんのお母さんといい、お姉さんといい…なんだか私は嫌われている気がする。いいのかな、私ここにいて…。と、私は勉強しながらそう考えていた。勉強のことなんて頭に入って来ず、私は不安でいっぱいだった。
「ねえ論理くん、私、論理くんのお母さんにもお姉さんにも、嫌われてる気がする…」
私は、ぽつりと論理くんに吐き出した。
「そんなことないよ」
論理くんは、鉛筆を動かしながら、そう言った。
「だって…この前のお母さんの態度とか…さっきのお姉さんの言葉とか…」
論理くんは、鉛筆を止めた。
「気にしなくていいよ、そういうやつらなんだよ。俺も気にしないようにしてる」
俺も?論理くんも、お母さんやお姉さんに何か言われるの…?と、気になった。
次の日、学校の休み時間。私は、教室の自分の席で優衣とおしゃべりしていた。
「でねー、あの場面が面白くって!爆笑しちゃった!」
「私もあそこは笑った!あはは!」
昨日のテレビの話題だ。
「やっぱり笑うよね!…って、ちょっと論理!なにぶんちゃんのところ見てんのよ」
優衣が突然、隣の席の論理くんに向かって言った。私は、えっ、と思い、論理くんを見た。
「…剃り跡…伸びてる」
論理くんは、私のうなじを見ながら小さな声でそう言った。
「はぁ⁉︎なに?聞こえない」
優衣は、カリカリとした口調で論理くんに聞く。
「うなじの剃り跡伸びてる」
今度は、論理くんははっきりとそう言った。
「はあ?」
「え?」
私は、うなじに手を伸ばし、触る。確かに、うなじの毛がもさっとしていた。リップラインで襟足を短く揃えてるから、切り揃えたところから下にはちょっと毛が出ている。
「確かに伸びてるけど…」
「伸びたら剃ったほうが…そのほうが、うなじ、きれいだよ」
論理くんは、私のうなじをまじまじと見ながら、そう言った。
「そっか…うなじの毛なんて、全然意識してなかった」
私は、いつも美容院で髪を切るときに、うなじを剃ってもらうだけで、そのあとはうなじの毛は放置していた。というか、うなじの毛のことは気にも止めなかった。
「じゃあ、今度剃ってくる」
論理くんが、そのほうがきれいだと言うなら…。
「気持ち悪っ!ぶんちゃんのうなじまで見てたの⁉︎変態論理!」
優衣が、論理くんに罵声を浴びせた。
今日は、私の家で勉強だった。ずっと私の家で勉強したい。もう論理くんの家には行きたくない…。そう思い始めていた。
「池田さん、ここ読んでみて」
論理くんに言われたまま、私は教科書を一ページ読んだ。
「読んだよ、論理くん」
読み終えて、論理くんを見ると、口を半ば開いてうっとりとしていた。
「論理くん?」
「あ、ああ、ありがとう」
変な論理くんだ。
「どうしたの?」
私が聞くと、論理くんは、目を逸らした。
「前にも言ったでしょ、池田さん、呼吸目立つんだよ。それに、みんなと比べてあまり肩が上がらない。腹式呼吸だからだね」
「呼吸?肩?」
前に論理くんが、呼吸がどうのこうの言っていたことを思い出す。でも、それでなんで論理くんは、あんな表情を見せたのだろうか…。
「なんで、さっきあんな顔をしてたの?」
私は、単刀直入に聞いた。
「あんな顔って?」
「論理くん、私が教科書読み終えたとき、なんか面白い顔してたよ。どうかしたのかなって」
私がそう言うと、論理くんは恥ずかしそうに顔を逸らした。
「べ、別になんでもないよ」
「それに、なんで教科書読んでって言ったの?」
「…べ、別に大した意味はない」
「変な論理くん」
私は不思議に思いながら、論理くんの顔を見る。論理くんは、そそくさと勉強を再開した。
「明日は土曜日だから、学校もないし一緒に勉強はしないよね」
帰り際、明日明後日は論理くんと会えないんだな。と思うと、少し悲しくなった。
「うん」
「じゃあ、また月曜日ね」
と、私が言うと、論理くんは何か言いたげにこちらを見てきた。
「論理くん?」
「…明日も、会いたいね」
ドキッ、とした。論理くんもそう思ってくれているんだと感じて嬉しかった。
「…うん、明日も、会う?」
「…うん。でも明日は、勉強は無しで、遊ばない?」
遊ぶ?論理くんと?二人きりで?嬉しい!
「いいよ!何して遊ぶ?」
私がそう聞くと、論理くんはモジモジとした。
「…カラオケ、行きたい」
「カラオケ!いいね!じゃあ、カラオケ行こう!」
「よし…。じゃあ明日、何時頃に行く?」
「うーん、一時頃はどう?」
「いいよ。じゃあ、一時に、尾風大通(おかぜおおどおり)の噴水前で」
「うん!わかった!」
論理くんは帰っていった。明日、論理くんとカラオケかぁ!それってもう、デートじゃん!と、私は心の中で叫んだ。
夜。私は論理くんに、うなじの毛を剃ったほうがきれいだと言われたことを思い出して、お風呂で剃ろうとしていた。
「うーん、なかなか難しいなぁ」
うなじは、自分では見えない。剃り方もよくわからなかった。まあいいや、適当に剃っちゃえ!と思い、自分のやり方で剃っていく。髪の毛をかき上げ、T字の剃刀を下から上に動かしながら剃っていった。
「痛っ」
勢いよく動かしたせいか、少し切ってしまったようだ。指で触って見てみると血が付いていた。ま、いっか、と思い、剃るのを再開する。慎重に丁寧に。
「よし!できた!」
自分でうなじを見ることはできないので、指で触って、剃り残しがないか確認する。うん、いいね。私は、シャワーで流して、お風呂から出た。明日、論理くん、うなじの毛を剃ったことに気づいてくれるかな…。淡い期待を抱きながら、私は体を拭いていた。
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