二、論理くん、ブチキレる

六月になり、冬のセーラー服が夏服に変わった。暑い日が続いている。私が朝学校に登校し、合唱部の練習をしたあと教室に入ると、論理くんが女子たちにからかわれていた。そこには、優衣もいた。

「ねえねえ、論理。最近あんたやけにぶんちゃんと仲良いよね。ぶんちゃんのこと、好きなの?」

「いや…別に…」

「あまり調子に乗らないほうがいいよ。どうせ振られて終わりなんだから!あはは!」

また論理くんがからかわれてる。しかも私のことまで話してる…。私は苛ついた。

「ちょっと、なに論理くんのこといじめてるの」

私は、少し口調を強めながらその場に入っていった。

「あ、ぶんちゃん」

「ねえねえ、ぶんちゃんもさ、最近論理と仲良いよね、もしかして気があるのぉ?」

女子たちがけらけらと笑った。私は怒りを顔に出した。

「どうしてみんな、論理くんのことを嫌うの?」

私がそう聞くと、優衣も怒りを露わにした様子でこう言う。

「だって、いつも女子を見てるし変態だし、気持ち悪いし…。嫌いなものは嫌いなの!」

「そんな言い方ないでしょ!」

私は少し声を荒げてしまった。

「な、なんでそんなに論理をかばうわけ?」

優衣が怪訝そうに聞いてきた。それは…、論理くんが好きだから。友だちとして。だと、思う。

「そ、それは、論理くんは大事な友だちだからだよ!」

「友だちねぇ」

優衣は、にやっと笑った。

「ホントは、論理のこと、好きなんじゃないの?」

ドキッとした。私は…論理くんのこと、好きなの?

「ほら、論理、立ちなさいよ」

優衣が、論理を無理矢理立たせた。

「ぶんちゃんも論理のことが好きみたいだよ。よかったねぇ、両思いだって!」

女子たちはけらけらと笑う。論理くんは黙ってうつむいていた。

「せっかくだからキスしなさいよ」

優衣は、論理くんに向かって冷淡にそう言った。

「あははははは!」

女子たちが笑い、いつの間にかクラスのほぼ全員がこちらを見てにやにやと笑っている。

「キス!キス!キス!キス!キス!キス!」

優衣が、手を叩きながらキスコールをしてきた。

「キス!キス!キス!キス!キス!キス!キス!キス!」

周りの人たちが手を叩いてキスコールをする。論理くんは、顔を真っ赤にして困惑している。私は、キレた。

「ふざけんじゃねーよ‼︎」

大声で怒鳴り、椅子を蹴りつける。椅子が、がたん、と大きな音を立てて倒れた。あんなにキスコールで騒音を立てていた教室中が、しん、と、静まりかえった。

「なんで論理くんを嫌うんだよ‼︎」

私は、怒鳴りながら今度は机の脚を蹴った。蹴った足が痛かった。私は、ふう、ふう、と息を上げた。

「……何よ、あんた」

静まりかえる教室の中、優衣が一言発した。嫌そうな目で私を見ていた。私は、優衣を睨んだ。


「ありがとう…」

その日の朝のホームルームのときに、論理くんに小声でそう言われた。

「いや、論理くんは、友だちだから」

まだ怒っていた私は、少し無愛想にそう言った。


その騒動から、クラスの、特に女子の、私に対する態度が変わった。ひそひそと悪口を言われたり、かと思うと大声で悪口を言われたり、無視をされたり、下履きや教科書を隠されたりした。学校、行きたくないな…。私は、そう思い始めていた。


ある日の放課後、みんなが帰ったあと、何故か読書をしていてまだ残っていた論理くんの隣で、私は国語の教科書を見ながら唖然としていた。そこに、私の悪口がたくさん書かれていたから。涙が出てきそうになってきたけれど、泣いたら負けだ!と、思って、必死に我慢していた。

「池田さん、何それ!」

論理くんが、隣で声を出した。

「え?」

論理くんの目は、落書きされた教科書に行っていた。

「だれかにやられたの?」

論理くんは心配そうに聞いてきた。

「あはは…やられちゃったねぇ。まあ、いいけど」

私は強がってみせたけど、涙が溢れてきた。やだ、だめだよ、泣いちゃだめ!でも、涙は止まってはくれない。

「池田さん…」

論理くんは、私が泣いてることに気づいたようだ。

「うっ…うっ…ひっく…、ぐずっ…ううっ…ひっ…ううっ…」

私は、嗚咽を交ぜながら泣き出してしまった。

「池田さん…」

「うっ…ううっ…ぐずっ、ずっ…もう…学校…すはあっ、行きたくないようぅぅ…、すはああああっ、うええええええええええええん‼︎」

感情が押し寄せる。私はお腹と背中を激しくふくらませて息を吸い込み、泣き叫んだ。すると、論理くんが私の背中に手を置いてくれる。

「池田さん…」

「ええええええええええええ…え…ええ…えんっ…、す、すはあああああっ!ええええええええええええんっ!」

激しく泣きすぎて、肺から空気を吐き尽くしても、すぐには息が吸い込めない。苦しい!めちゃ苦しいよっ!そんな私の背中に、温かい手が添えられる。論理くん…優しいな…。と思いながら、私は号泣していた。


次の日の朝。私が暗い面持ちで教室に入ると、黒板に、大きく相合い傘が書かれてあった。そしてその下には、『論理・文香』と書かれていた。私は、涙を堪えながら黙ってそれを消した。

「論理のためにあそこまでキレるんだもんねー!」

「愛だねえ、私、感動しちゃう」

「あはははは!」

「あはははは!」

私は相合い傘を消すと、黙って自分の席に着き、一時間目の授業の用意を始めた。論理くんはまだ来ていなかった。筆箱を置くと、優衣にそれを取られた。

「ちょっと、返してよ!」

私は立ち上がり、筆箱を取り返そうとしたけど、ひょいっとかわされてしまう。

「何が入ってるのかな~」

「あ!愛しの論理くんが来たよー」

論理くんが教室に入ってきて、隣に座った。

「何してるんだよ」

論理くんは少し怒ったような口調で優衣たちに言った。でも、無視される。

「わ!何これ!」

沙希が、靴の裏を見たら犬の糞が付いていたときのような声を出した。その手には、あの、『論理』と書かれた消しゴムが握られていた。

「何これ。ぶんちゃん、論理と消しゴム交換してるの?」

蔑むような視線を、優衣が私に送る。私は、そんな優衣を睨み返す。

「返して」

優衣はにやりと笑った。

「やーだよー」

優衣は、沙希から消しゴムを取ると、教室の窓の近くに向かった。まさか…!

「やめて!」

私は叫ぶ。優衣は、私に振り向き、意地の悪い顔で笑った。だめ!消しゴム捨てられちゃう!そのときだった。

「やめろよ‼︎」

隣から怒鳴り声が轟く。論理くんだ!論理くんが怒鳴った。論理くんはそのまま優衣に近づくと、その腕をねじり上げた。

「痛っ!ちょ、触らないでよ!放してよ!」

「返せ!消しゴム返せ!」

論理くんに気圧された優衣は、消しゴムを乱暴に論理くんに渡した。私の知らない論理くんがいる。目は虚ろに見開かれ、狂おしい視線をクラス中に、虎のように漂わせている。

「…えめぇら!」

えめぇら?

「おいっ…!おいっ!くそがっ、くそがああっ!」

そう叫んで、論理くんは優衣の腕を振り払う。すごい勢いで、優衣は床に這いつくばってしまった。

「クソどもっ、何をやろうが勝手だがな…」

論理くんが唾液を飲み込む音が異様に響く。

「やった分の落とし前は付けやがれ。今の俺は何をするのも怖くねえ。池田さんのためなら、絞首刑台だって怖くねえぞっ‼︎」

論理くんは、みんなに向かってそう一喝した。

「はい」

論理くんは、私のところに来て、消しゴムを返してくれた。

「ありがとう」

あんな論理くんは見たことなくて少し驚いたけれど…、でも、嬉しかった。心臓がドキドキする。これは、恋かもしれない…。私は、『論理』と書かれた消しゴムを見つめた。


休み時間、私は、やることも話をする友だちもいなかったので、寝たふりをしようとした。すると、珍しく論理くんの席に、一人の男子、沢田(さわだ)くんがやってきた。沢田くんは、論理くんの机の前でしゃがみ、机に腕を乗せた。

「おい、論理。朝はかっこよかったぞ」

開口一番、沢田くんは論理くんに向かってそう言った。

「え、え?」

「論理があんなやつだとは思ってなかった。俺、論理のこと見直したぜ」

「そ、そんなことないよ…」

「なあ、池田も嬉しかったよな」

いきなり、沢田くんに話を振られた。

「え、あ、うん」

私が答えると、沢田くんは、私の顔と論理くんの顔を見比べた。

「お前たち、よく見たらお似合いじゃないか。もう付き合っちゃえよ」

ドキッ、と、心臓が跳ねた。

「えー、もう、沢田くん何言ってるの」

私は照れて笑った。

「いいじゃねえか、なあ、論理」

沢田くんは、微笑みながら論理くんに問う。

「え…うん…え…でも…」

論理くんも、照れているようだった。


昼休み、優衣と沙希と花菜が、私の席にやってきた。

「ぶんちゃん…」

優衣は、目を逸らし、落ち込んだような表情で私に話しかけてきた。

「なに?」

私は、また何かされるのかと思い、警戒する。

「今日、部活ないでしょ…。ちょっと、私たちと一緒にパフェでも食べて帰らない?」

優衣は、思いも寄らぬことを言ってきた。何か企んでいるのか?と思ったけど、表情はなんだかしゅんとしている。

「うん、いいよ」

私は、そう答えた。


放課後、優衣たちと学校近くにあるファミレス、べニーズに入った。

「ごめん」

パフェを食べながら、優衣はぽつりとそう言った。

「え?」

私は、パフェを食べる手を止めた。

「だから、今までごめんって言ってるの。ねえ」

優衣は、沙希と花菜に話を振る。

「うん…。今まで酷いことしてきてごめんね」

「ごめんね、ぶんちゃん」

二人も謝ってきた。私は、少し戸惑った。

「…うん、いいよ」

まあ、いろいろされてきたけど、仲直りできることは嬉しい。私は三人を許した。

「…また、親友に戻ってくれると、嬉しい」

優衣は、目を逸らしながら私にそう言ってくれる。

「もちろんだよ」

私が笑うと、優衣も笑ってくれた。


「ねえ、結局、ぶんちゃんは論理のこと好きなの?」

パフェを食べ終えると、優衣が単刀直入に聞いてきた。

「え!」

いきなり聞かれて驚きつつも、私は自分の心をのぞき込む。私は…、論理くんのことが…。浮かんでくる論理くんの顔。号泣して激しく波打つ私の背中に添えられた温かい手。狂おしいばかりに怒って消しゴムを取り返してくれた、あの論理くん。ああ…、やっぱり私…。

「…好き」

私は照れながらうつむいて、とうとうそう言った。

「「「ええー‼︎」」」

三人が口を揃えて驚く。

「えー⁉︎どこが⁉︎あの論理のどこが⁉︎」

「論理のどこが好きなの⁉︎」

「信じられない!ぶんちゃん、趣味悪いよ!」

まったく、酷い言われようだ。

「うーん…なんだろう…。優しいところとか…おもしろいところとか…うーん、結局はフィーリングかな」

私も、顔とか手とか怒ってくれたところとかあるけれど、論理くんのどこが特別好きとかは結局よくわからなかった。

「優しい⁉︎あの論理が⁉︎」

「おもしろい⁉︎あの論理が⁉︎」

「フィーリング⁉︎あの論理と⁉︎」

この三人は…。論理くんのことが相当嫌いなのね…。まあ、わかっていたけれど…。

「ま、いいわ!ちょっと理解できないけど、こうなったら応援するわ!」

優衣がはりきってそう言った。

「え、応援⁉︎いいよ、そんなの」

両手を振りながら遠慮する私。

「そう言わないの。私たちが恋のキューピッドになってあげるから!」

優衣は、両手で弓矢を作るような形をした。恋のキューピッドって…。

「だからいいってぇ」

「え?じゃあ、ぶんちゃんは論理と付き合えなくてもいいの?」

沙希が、心惜しそうに聞く。え…それは…。

「うん…」

「えー!なんで⁉︎」

花菜が、驚いたように声を出す。

「だって…。私は話せるだけで満足だし、論理くんの気持ちもわからないし…。今の関係を壊したくない」

私は、表情を暗くした。

「なに言ってんの!論理は絶対ぶんちゃんのこと好きだって!」

「うん、見てればわかるもん、みんなそう言ってる」

優衣と沙希が、そう言ってくれる。

「ええ…でも…」

もし違ったら…。どうしても、論理くんが私のことを好きだという自信が持てなかった。


その日の夜。私は、ベッドに横になっていた。今日は、いろいろなことがあった。私は、いろいろな会話を思い出していた。そして気づけば、脳内では論理くんのことばかり想っていた。胸が、きゅう、と苦しい。私、論理くんのことが…好き。論理くんは…私のこと、どう思ってるんだろう…。

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