第19話

 しばらく末姫への警戒を強めていた水嶌の屋敷だったが、すぐに何かが起きるということはなかった。

 田植えを終え、梅雨の時期を迎えんとした頃、澄久から書状が届く。

 せきうという名の人物に関しては手掛かりのないままだが、相手が妖であることから、その線で縁のある僧に問い合わせてみたそうだ。

 すると、霊鳥の一種ではないかとの返事を貰ったとのことだった。

 曰く、赤烏は金烏や陽烏とも呼ばれる、太陽を司る霊長である。その姿は大きな鴉に似ているという。

 書状から顔を上げた冬正は、恨めし気な目を縁側へ向けた。


「うちにも鳥はいるが。あれはそんなに大層な鳥ではないからなあ。色も黒い」

「まあ、酷い。可愛い子ではありませんか。よく見れば、赤味もありますよ?」

「しかし朱丸だぞ? 霊鳥というには、あまりに頼りなくないか?」


 冬正の声が聞こえたのか。朱丸がぴいっと不機嫌そうに鳴き、ばさばさと羽を動かす音が届く。

 あまりに騒ぐので鳥小屋から出してやれば、冬正のもとへ走ってきて腕を啄む。


「怒っておるのか? ならばもう少し威厳を見せてみよ。お前、雀にも餌を奪われておるであろう?」


 猛禽類に似た姿の朱丸だが、肉や魚は好まず、稲や粟、麻といった、穀物を好んだ。

 ぴいっと声を上げながら、朱丸は羽を広げて威嚇する。けれど残念ながら、まったく怖さはなかった。

 椿に後ろから抱き上げられて膝に乗せられると、そのまま丸くなって気持ちよさそうに目を細める。


「お前が赤烏であれば、女狐めの弱点になるやもしれぬのに」


 冬正は呆れた顔で朱丸を眺めた。

 しかし、ないものを強請ったところで仕方がない。


「それにしても、今年はまだ雨が降りませんね」

「今年ばかりは、降ってほしかったのだがな」


 膝に乗せた朱丸を撫でながら、椿は空を見上げる。

 もう梅雨を迎えてもよい季節だというのに、未だ晴れの日が続いていた。

 難しげに眉をひそめて空を睨んだ冬正が、ふっと表情を緩めて話題を変える。


「今年は屋敷の中を飛び交う蛍が増えそうだ」

「楽しみでございますね」


 梅雨が明ければ、屋敷の庭を流れる小川を中心に蛍が舞う。屋敷の中にまで迷い込んだ蛍が夜も柔らかな灯りを点すのが、水嶌家では恒例となっていた。

 今年は火への対策を考え、小川を拡張し池を増やしている。蛍の数も増えることだろう。

 椿と冬正は初夏を思い、楽しげに庭を眺めた。


 そんな会話を交わした日の夜のこと。

 椿は久しぶりにあの夢を見る。

 金色が揺れる世界に、赤い着物を纏った童が立っていた。


「今日は泣いていないのね」


 椿が話しかけると、童は嬉しそうに笑う。


「もうすぐ、竹の花が咲くよ。実を集めて」

「竹の実を?」

「――そう。たくさん、たくさん集めて」


 それだけ告げた童を、金色の炎が取り囲んでいく。


「待って。あなたは誰なの? 冬正様をお救いする方法はないの?」


 慌てて椿は問うたが、童の姿は金色の炎の中に消えていった。




 翌朝。

 椿は夢で見た童のことを冬正に伝えた。

 竹の実を集めて何が起こるのかは分からない。けれど冬正を救ってくれた童の言葉である。きっと何かの役に立つのだろうと、椿と冬正は考えた。

 しかし、である。


「竹の実か」


 竹は年中青く、花の季節などないものだ。椿も冬正も、竹の花も実も目にしたことがなかった。

 二人だけで相談していても埒が明かぬと、側近達や年寄り達を集めて意見を求める。

 だが竹の実どころか、花を見たことのある者さえ見つからない。居並ぶ家臣達は眉間にしわを寄せて唸り出す。

 そんな中、記憶を手繰るように頭を捻っていた重勝が口を開いた。


「たしか天竺では、竹に実が生ると聞きました。霊鳥の中にはこの竹の実しか食べぬものもいると師から伺いましてございまする」


 絵の勉強をしに都へ上っていた頃に、霊長や霊獣の絵を見る機会があったと言う。その際に教えてくれたのだとか。


「竹の実も霊鳥に繋がるのか。しかし天竺となると、取り寄せるのは難しいだろうな」


 手掛かりは見つかったものの、皆の表情は晴れない。

 遣いをやろうにも、天竺は海を隔てて更に遠方だ。辿りつけるかさえ怪しい。


「ですが、もうすぐ花が咲く、と仰られたのです。この辺りの竹を探してみれば、どこかに咲いているのではありませぬか?」

「だがそもそも、どのような花なのだ?」

「竹ならば、竹の細工師を呼んで聞くがよろしいかと」


 竹細工を生業とする者ならば、竹林も管理している。長らく世話をしていれば、花や実について知っている可能性は高い。

 冬正はさっそく領内に触れを出し、竹を扱う者達を呼び集めた。




「竹の実、でございますか?」


 冬正達の期待に反して、竹を扱う職人達でさえ、竹の実について問われると小首を傾げた。

 だが辛抱強く問うてみると、一人の男がおずおずと声を上げる。


「お探しの物かは分かりませぬが、爺様から、竹に麦が生った話を聞いた覚えがございます」


 男の話によると、かなり昔に、竹の節から小さな麦の穂が生えてきたという。


「ちょうど飢饉の年で、刈り入れて食べたそうです。ただ、実を付けた後、竹は山ごと枯れたそうでございます。爺様は、山の神様が飢えた人々を憐れんで、竹に麦を生らせてくださったのだ。無理をなさったせいで、竹は力を失って枯れたのだろうと言っておりました」


 それだと、冬正は膝を打つ。

 更に詳しい話を聞こうと身を乗り出した。


「いつ頃のことか分かるか?」

「さて? 爺様が、爺様の爺様から聞いた話だそうですから、百年は昔の話になると思いますが」


 さすがにそれ程昔の話では、詳しく聞きたくても男は答えられない。その話をしたという男の祖父も、すでに他界している。直接聞きに行くことは不可能だった。

 しかし、どのような実が生るのか分かっただけでも上出来だ。竹の実について話した男には、特別に褒賞を与えることにする。

 そして職人達には、竹に花が咲いたら報せ、実が生ったなら集めておくよう命じてた。


 竹を扱う職人達を集めてから十日も経たずして、竹の花と思わしきものが見つかったと報せが届く。

 どうやら職人達は冬正からの指示を受け、竹林を見回ってくれたらしい。

 吉報に、椿と冬正は喜ぶ。

 だが報せはこれだけでは済まなかった。

 後日、花を咲かせた竹林から火が出て、全て焼けてしまったのだ。

 縁側で椿と夕涼みをしていた冬正は、成貞から報告を受けた後、鋭く虚空を睨み付けた。


「お告げ通り花が咲いたというのに、護れなんだか」

「竹はまだあります。また咲きましょう」

「そうだな」


 自嘲気味に零す冬正を、椿は励ます。


「しかし、火か」


 彼の脳裏には、末姫の姿が浮かんだのだろう。苦く顔を顰めた。

 同じ人物を思い浮かべた椿もまた、不安そうに瞳を揺らす。膝でくつろぐ朱丸を撫でていた手は止まっていた。


「末姫様の仕業なのでしょうか?」

「おそらくな」

「ですが、なぜ竹を焼くのでしょう?」

「我々が竹の実を探していることを、どこからか聞きつけたものか。もしくは霊鳥の邪魔をしたいのかもしれぬ」


 下手人は別にいる可能性もあるし、動機も勘でしかない。

 なにもかもが推測の域を出ないことに、冬正はもどかしさを覚える。


「もしやすると、椿が夢で逢うた童は、赤烏の化身なのやもしれぬな。椿を護ってくださる、守り神様だ」

「言われてみれば、そうかもしれませんね。今後は赤烏様に、お礼と共にご祈祷するようにいたしましょう」

「ならば重勝に、赤烏様の姿を描いてもらうのはどうだ? 私も赤烏様に礼が言いたい」


 不安を帯びていたはずの声は、いつの間にか和らいでいく。

 せっかく咲いた竹の花を失ってしまったことへの失意はある。けれど沈んだままでは何も改善されない。

 顔を上げた朱丸が、きょろきょろと椿と冬正を交互に見つめた。それから胸を張るように首を伸ばす。


「朱丸も、重勝殿に描いてもらいたいのかしら?」

「では朱丸も描いてやってくれ。襖絵に挑んでみたいと言っておっただろう? ちょうどよいのではないか? 表書院の襖をお前に任そう」


 冬正が部屋の隅に控えていた重勝に話を振ると、彼は笑顔で頷く。


「承知しました。赤烏様と、朱丸様を描かせていただきます」

「よかったわね、朱丸」

「凛々しく描いてもらえ」


 雨の降らぬ初夏の夕暮れ時。

 庭では淡い黄緑色の光を灯す蛍が一匹、ゆらゆらと跳んでいた。




 竹が花を付けたという報せは、焼けた竹林以外からも続いた。

 冬正は急ぎ手配して、竹林の周りに兵を常備させる。今度こそは竹を護り実を手に入れるのだと、万全の態勢で挑む。

 蒲野安武にも連絡し、余力があれば兵を回すか、せめて実が生るまでは出兵を免除するよう取り成してほしいと書状を送る。

 これに対して、安武だけでなく澄久までもが協力を申し出た。


「当家が撒いた種ゆえな」


 自ら水嶌家の屋敷を訪れた安武は、冬正と酒を酌み交わしながら苦い顔をする。

 椿は二人に酌をしながら、彼らの話を聞くともなしに聞いていた。


「次は仕留めますが、よろしいな?」


 念のために冬正が問えば、安武は悔しげに口を一文字に引き結ぶ。

 裏切られ、屋敷まで燃やされたというのに、末姫への想いは断ち切れぬらしい。

 武芸に長け為人も好ましい安武であるが、末姫への執着だけは、冬正には理解できなかった。

 無意識に呆れた眼差しを向けそうになるのを、冬正は酒をあおることで隠す。


「情けない話だがなあ。私にとって末姫様は、恩人なのだ」


 酒が回ってきたのか、安武は仄かに赤らめた顔で切り出す。


「顔がこのようになった時にな、私は酷く荒れた」


 それも仕方がないだろうと、椿と冬正は内心で頷く。

 武士にとって戦傷は誇りと言いはするけれども、現実は厳しい。

 生活に関わるような怪我を負えば、家を追われることもある。外見が崩れれば、周囲からの見る目は変わってしまう。


「周りがよそよそしくなってな。澄久様は変わらぬ態度で接してくださったが、同じ戦で利き腕を失われていた。主君を護れなかったことが後ろ暗くて、私のほうが澄久様を避けてしまったのだ」


 鬱屈した日々を過ごしていたある日。安武は末姫と遭遇する。

 彼女は安武を一瞥するなり、顔を顰めるだけに留まらず、持っていた扇子を広げて安武を視界から排除した。

 彼女の態度に激昂した安武が思わず怒鳴り付けると、末姫は蔑んだ目で言い放ったという。


「そなた、元から醜かろう? 何を今更嘆いておるのじゃ?」


 と。

 末姫にとっては、顔に傷を負った安武も、それ以前の安武も、変わらなかったらしい。


「言われて目が覚めた。たしかに某の顔は、元より醜い。女子が寄ってくるどころか、逃げられる始末だ。周囲の態度が変わってしまったのは、私の心が変わったのも原因だったのだよ。それから心を入れ替えた所、以前と変わらぬ付き合いが戻ってきた」


 中には安武の顔を見て物言いたげな者もいたが、そのほとんどは以前からあまり関わりのない者達だった。


「後から友に言われたよ。怪我のせいで荒む私を見てどう接してよいか分からず、距離を置いてしまったとな」


 しみじみと語りながら、安武は焼いた栄螺を楊枝で貝から取り出し口に運ぶ。それから酒を含んだ。

 潮の薫りが酒精によって鼻腔へと運ばれたのだろう。美味そうに口の端を上げる。だが磯の香りを乗せた酒精が去ると、再び陰を纏った。


「優しさから出た言葉でないことは、重々承知している。なれど、私は末姫様の言葉に救われた。それは事実だ」


 盃を置いた安武は膳を脇にやり、姿勢を正して冬正を真っ直ぐに見つめる。

 冬正もまた、盃を置いて居住まいを正し、安武に応じた。


「無茶は承知の上での頼みだ。今一度だけ、末姫様に生きる機会を与えてはくれぬか? この通りだ」


 拳を床に突いて頭を下げる安武を見て、冬正はまぶたを伏せる。

 末姫に対する嫌悪と警戒は大きい。けれど愛する者の命を守りたいと願う思いは、彼にも充分に理解できた。

 ちらりと視線を向けられた椿は、微笑んで頷く。

 一時的に冬正の奥方となった人だけれども、それは椿が彼のもとを離れていた頃のこと。悪感情を向けるのは筋違いというものだろう。

 末姫と直接会ったことがないのもあって、彼女に対して含むものはなかった。

 椿の思いを受け取った冬正は、安武に向き直る。


「確固たる約束はできませぬ。相手は人ならざる者。某は、某の家族や家臣、領民達を優先せねばなりませぬ。その上で、余裕があれば生きて捕らえましょう」

「それで充分でござる。かたじけない」


 空気を変えるため、椿はお鯨に命じて、追加の酒と肴を運ばせた。


「さあ、どうぞお召し上がりくださいませ。瀬田は海が近いゆえ、美味しい魚介が豊富でございます。こちらも美味でございますよ」

「かたじけない。奥方殿のことは、殿や水嶌殿からよく聞いておったが、まことに気立てのよい女子だのう。水嶌殿が羨ましい」

「三国一の妻でござれば」

「これは参った」


 冬正の切り返しに、安武は額を叩いて笑う。

 夜はますます更けていく。

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