第11話

 しんしんと降る雪が、庭に咲く寒つばきを白粉で飾る。

 今年も椿と冬正は二人で正月を迎えた。


「本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます」

「私のほうこそ、今年もよろしく頼む」


 夜明け前に屋敷を出て裏山に登った二人は、肩を寄せ合って初日の出を拝む。二人の顔には揃いの鳥面がかけてある。


「寒くはないか?」

「大丈夫でございますよ」

「風邪をひいてはならぬ。もう帰ろう」

「お天道様が、お顔をお見せくださったばかりですよ?」


 くすくすと笑う椿を腕の中に包み込むと、冬正は早々に彼女を抱きかかえて愛馬に跨った。

 彼の過保護ぶりは、ますます酷くなっている。


「年明け早々、胸焼けしそうだな」


 屋敷に戻った若夫婦を見て、国正がげっそりとした顔で呟いた。

 いつもは世帯ごとにそれぞれの棟で暮らす水嶌家の者達だが、この日ばかりは一堂に集まり新年を祝う。

 揃って挨拶を済ませると、当主である国正が手ずから雑煮を家族に配っていく。


「椿、たんと食べろ。滋養と福をこれでもかと貰っておくのだ」

「そう仰られましても、もうお腹がいっぱいでございます」


 正月に頂く餅には歳神が宿るというものの、腹に収められる量には限りがあった。

 自分の椀に入っている餅まで食べさせようとする冬正を、椿は困った顔で窘める。

 雑煮を食べ終えると、翌日の準備に取り掛かった。

 主君である長田澄明に新年の挨拶するため、冬正と国正は早朝から三本松へ向かわなければならない。

 忙しい一日を終えた翌朝。

 夜も明けぬうちに、冬正達は屋敷を発つ。


「では椿、行って参る」

「道中お気を付けて」


 冬正は椿と揃いの鳥面ではなく、頭巾で顔を隠す。流石に主君の前へ面を付けて出るわけにはいかないと弁えていた。

 国正が何か言いたげな顔をしたけれど、冬正は気にせず韋駄天丸へ跨り馬腹を蹴る。

 三本松城に赴いた冬正と国正は例年通り控えの間に通された。

 同席した者達に挨拶する間も、冬正は部屋の外を警戒する。懸念通り、今年も末姫が姿を現した。

 とはいえ頭巾で顔を隠す冬正を見るなり、顔をしかめて奥へ去っていったけれども。


「望むのは顔だけか」


 吐き捨てるように言った冬正の目には、軽蔑の色が滲む。

 しかし興味を失ってくれたのなら、もう末姫に興味はなかった。

 澄明との対面も、特に変わった話もなく、形式的な挨拶を交わすのみで終える。何事もなかったことに水嶌親子は肩の力を抜いた。

 しかし控えの間に戻るため廊下を歩いていた所で、意外な人物から声を掛けられる。


「少しよろしかろうか?」


 声の主を確かめるなり、冬正と国正は急ぎ頭を下げた。

 二人の前に現れたのは、長田家の親戚筋に当たる蒲野安武だった。

 槍の妙手として数々の戦功を立てている彼だが、三十を目前にしても妻子がいない。その理由は彼の顔だと囁かれている。

 安武の顔には、若い頃に負った無数の戦傷が刻まれていた。更には顔中に疱瘡の痘痕まで残る。

 冬正と安武は戦場で顔を合わせてはいるものの、声を交わしたのは挨拶程度。

 いったいどのような用があるのか。予想の付かない冬正は目線で国正に問う。しかし国正もまた、目で知らぬと答えた。

 当惑する冬正だが、立場が下の彼に断る権利などない。


「無論にございます」


 冬正は安武に従って、城の一室へ連れて行かれる。

 誰もいない部屋に二人きりとなり、冬正は油断なく彼の言動を窺う。


「緊張せずともよい。大した話ではないのだ」


 そう言った安武のほうが、冬正よりも緊張していた。

 戦場では堂々と振る舞っていた男の狼狽え振りが、ますます冬正の警戒を強めていく。

 安武は視線をさ迷わせ、言い辛そうに口を開いては、冬正の顔を見て口を閉じる。そんなことを数度繰り返してから、ようやく用件を切り出した。


「その、お主の顔のことだがな。あまり気にせぬことだ」


 どうやら冬正が戦で顔に傷を負ったことを心配しての呼び出しだったらしい。

 冬正から一気に緊張が解けていく。


「初めはあれこれと言われたり、人の視線が気になるやもしれぬ。だが、その内に慣れる。顔の皮一枚で態度を変える薄情な者と縁が切れたと考え、よかったと思うことだ」


 自身の苦い体験を思い出しているのだろう。冬正よりも、安武のほうが辛そうな顔をしていた。

 しかし冬正の傷痕は癒えている。

 安武が励ましの言葉を連ねるにしたがって、冬正は徐々に罪悪感を覚えていく。


「それとな、昨年は末姫様に、その、気に入られたのであろう? もしお顔を合わせて態度が変わっていたとしても、気にするな。あのお方は飽きっぽい。三日とは言わぬが、すぐに次へと興味を移す。気落ちするでないぞ?」


 冬正の心情を思いやり、気持ちに寄り添おうとする安武だが、全て見当外れであった。

 どう返せばよいかと悩む冬正の反応が、安武には心を痛めているように見えたのだろう。太い眉を益々下げていく。


「たしかに末姫様はお美しい。あの気の強い所も愛らしい。だがな、そなたには、すでに嫁御がいるのであろう? これからは、嫁御を今まで以上に大切にするがいい。そうすればきっと」

「申し訳ありませぬ。話を遮る無礼は重々承知しているのですが、よろしいでしょうか?」


 礼儀に反すると分かっていても耐え切れず、冬正は口を挟んだ。


「なんだ? なんでも申してみるがいい」


 安武は話の腰を折られたと怒るどころか、年長者としてどんな相談にも乗ろうと、鼻息荒く意気込む。

 彼が深刻な顔で見つめてくればくる程、冬正は罪の意識で心が痛み、口が重くなる。それでも誤解を解くために言葉を押し出した。


「私は末姫様に関しましては、主君の姫様として敬う以外の感情はございませぬ。ですので、たとえ嫌われようと気にしておりませぬ」

「なんと? あれ程お美しい娘、そうそうおらぬぞ? 少々気が強く感じるかもしれぬが、嫁にするなら大人しいより気が強いほうが、安心して家を任せられるというものだ」

「いえ、末姫様がどうこうというよりも、私は妻以外の女子には興味がありませんので」


 安武とは女の趣味が合わないみたいだと、冬正は確信する。

 蓼食う虫も好き好きとは言うものの、冬正には末姫の魅力がちっとも理解できない。

 一方で安武のほうも、混乱していた。

 家中で話題になる程末姫から気に入られた幸運な男が、美しかった顔を失い、末姫の関心を失ってしまったのだ。

 さぞや落ち込んでいるだろう若者の相談に乗ってやろうと考え、二日続けて登城した。

 それがどうしたことか。彼の目の前に座る青年は、気にしていないと言う。

 強がりだろうかと首を傾げながら、安武はためらい気味に問うた。


「奥方殿はそなたの容貌についてなんと?」

「妻は外見で態度を変えるような娘ではありませぬゆえ、何も変わっておりませぬ」


 自分の心配はまったくの見当外れだったと、ようやく気付いた安武が、恥ずかしそうに頭を掻く。


「すまぬ。某の早とちりであったらしい」

「いえ、お心遣い、かたじけのうございます」


 利害に関係なく心配してくれたのだ。冬正は素直に安武の気持ちをありがたく思った。


「しかし、よき奥方を持って羨ましいのう」

「某にはもったいない程の、よき嫁にございます。何があろうと彼女が支えてくれるから、どのようなことも苦になりませぬ」


 遠慮もなく言ってのける冬正に、安武は苦笑を零す。

 彼は嫉妬ではなく、憧れの意味で冬正を羨ましいと思った。


「私も澄久様のお陰で腐らずに済んだ。私がお護りしきれなんだゆえに、ご自身もお怪我をなされたというのに。『そなたは私の誇りだ。これからも私の分までお家のために励んでほしい』と、そう仰ってくださったのだ」


 澄久とは、澄明の長男長田澄久のことだ。人柄がよいと評判だが冬正は会ったことがない。

 安武が痕の残る怪我を負った戦で澄久も左腕を失ったため、後継ぎ争いから下り寺に入っている。それでも未だに彼を慕う者が多くいた。


「澄久様のお噂はお聞きしております。大層なご仁だとか」

「そうなのだ。あれ程のお方は滅多におらぬ」


 冬正の言葉に、安武は嬉しそうに顔を綻ばせる。

 澄久を誉められるのは、我がこと以上に嬉しいらしい。


「いや、某の思い過ごしで、余計な時間を取らせてしもうた。相すまぬ」

「滅相もございませぬ。ご案じいただきましてありがとうございました」


 冬正は本心より感謝し、拳を突いて礼を述べた。

 親兄弟ですら血の争いを繰り広げる時代だ。こうして率直に心配してくれる者は珍しく、得難い縁を得たと感じた。


「ところで、蒲野様は末姫様を?」


 気に掛かっていたので確認してみると、安武は顔を朱に染め両手を顔の前で振る。


「莫迦な。私のようなものが、あのようにお美しいお方を慕うなど、言語道断であろう」


 あまりに慌てふためく様子を見せられて、冬正は末姫の興味が遠のいたことを改めて喜ぶ。

 冬正のせいではないとはいえ、安武の恋敵となっていたのだ。気のよい彼といがみ合うのは望まぬこと。

 しかし冬正がいなくとも、相手の内面を見ず顔だけで夫を選ぼうとした末姫が安武を選ぶことはないだろう。

 気の毒に思う冬正だったけれども、選ばれないほうが安武のためなのではないかと思い直した。

 あの姫を妻に迎えて幸せになれる姿が、冬正には想像できなかったのだ。


「では、某はこれにて失礼いたしてもよろしいでしょうか?」

「うむ。道中、気を付けて帰られよ。奥方殿にもよしなにな」


 安武のもとを辞した冬正は控えの間に戻る。待っていた国正と合流し、挨拶回りを終えてから帰路に付いた。


「早く椿に会いたい」

「お前はのう」


 町から離れた街道を進む冬正は、周囲に気心の知れた者しかいないのをいいことに、しみじみと呟く。

 国正が呆れ交じりの溜め息を洩らすが、いつものことなので冬正は気にも留めなかった。





 雪の重さに負けたのか。赤い寒つばきの花がぽとりと落ちた。

 温もりを失っていく花を、降り積もる雪が覆っていく。


「冬正様、お加減はいかがでございますか?」


 年を越してしばらくしてから、冬正の体調は思わしくない。日課であった朝夕の稽古もしばらく休んでいる。

 切り上げる時間が徐々に早くなっていたのは、椿も昨年の内には気付いていたのだ。それなのに、寒くなったからだという彼の言い訳を信じ深く考えなかった。

 そのことを、彼女は悔やんだ。

 もっと早く声を掛けて休ませていれば、ここまで悪化しなかったのではないかと。

 日常には支障のない程度だが、冬正の活発だった行動は鳴りを潜めている。


「案ずるな。本当に大したことはないのだ。寒さのせいで疲れが出たのだろう。春には元通りになる」


 そう言って椿に両手を伸ばし抱き締める冬正の眉間には、しわが寄っていた。彼の胸に顔を埋めた椿からは見えないけれど。

 椿に気取られぬよう隠しているが、彼女に触れるたび、冬正の体には焼けるような痛みが走る。

 それは今に始まったことではない。戦で負った火傷を椿が肩代わりして以来、ずっと感じていた。

 椿から離れれば薄らぐとはいえ、日に何度も強い痛みを繰り返せば徐々に体力を奪われていく。

 弱った体を労ってやれば、まだ回復もしただろう。

 しかし、痛みを隠して椿に触れ続けた彼の体は、気力だけでは誤魔化せぬ程に衰弱していた。

 分かっていても、冬正は椿に触れることをやめられない。

 触れ合いを控えることで、心変わりしたと椿に思わせてしまうかもしれないから。冬正の体に起きている異常を悟られるかもしれないから。

 どちらに転んでも、椿の柔らかな心を傷付けてしまう。下手をすれば、彼女が自分の下から去ってしまうかもしれないと、冬正は恐れたのだ。

 そんな絶望的な状況に比べれば、体の不調程度は軽いものだと彼は思う。


 だが心理的な問題の他にも、冬正が椿に触れ続ける理由があった。

 彼が異変に気付いたのは、茵を共にするようになってからのこと。朝になると、椿の体を覆う火傷の痕がほんの僅かではあるけれど、和らいでいたのだ。

 他の者には気付けない極々僅かな変化でも、椿を愛する冬正が見逃すものか。

 火傷の痕を消せるかもしれないと知れば、椿は喜ぶだろう。

 そう思った冬正だが、椿には告げなかった。

 まだ確証がない段階で糠喜びさせて、余計に悲しませたくはなかったから。

 だから誰にも言わず、経過を観察することにする。


 初めは時間と共に薄らいでいくのではと期待した。

 けれど冬正が所用で家を留守にすると、火傷の痕に変化は現れない。

 試しに多く触れる部位と、あまり触れない部位を意識してみる。すると、明らかに多く触れている部位のほうが治りが早かった。

 冬正が触れる程に、椿の体に刻まれた火傷の痕は薄まっていく。

 そのことを確信した時、冬正は椿の変化を彼女に告げなかった己を賞賛した。

 もしも伝えていたら、椿はすぐに冬正の体調不良の原因に気が付いただろう。そうなれば、椿は冬正の体をおもんばかり、距離を置いたに違いない。

 冬正にとって、それは耐えがたい苦しみ。体を襲う痛みを我慢するほうが何倍もよかった。

 だから今も、彼は椿に覚られぬよう振る舞うのだ。


「椿、愛している。いつまでも傍にいてくれ」

「まあ、今日は甘えん坊さんですね。私も愛しております。ずっとお傍におりますから、少し横になってお休みください」

「こうしてそなたに抱きついているほうが楽なのだ」

「困ったお人です」


 言葉とは裏腹に柔らかな椿の声で耳を癒しながら、冬正は彼女の体を抱きしめる。

 柔らかく温かかった彼女を感じることはできなくても。業火の炎で焼かれても。

 冬正は椿を手放す気など一分たりとてなかった。

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