第5話

「どういうことだ…?」


「言ったまんまだよ。私、あの看板の先に人が行くと、そこにすぐ向かうことができるんだ。それでさっきツダさんを引き止めたんだけど。」


「私、そこであった人の名前は絶対に聞くし、そうするまで死なせたりしないの。今日までにあった人全員の名前覚えてるけど、小春ちゃんは見たことも会ったこともないよ。」


「てことは、小春は死んだわけじゃないのか?」


エチカは少し考えた素振りをしたあと、付け加えた。

「少なくともここでは。ツダさん、さっきの叔父さんの話聞いてもうわかったとは思うんだけど、孤独海岸ここで死ぬということは…」


「…偽物に成り代わる…ってこと?」


エチカは静かに頷き、応える。


「そう。あの海にはまだ海坊主がいる。私はさっき叔父さんがいったように案内人あびとだから。まぁ…今では海坊主と自殺者の仲介人というより、自殺防止ボランティアみたいになってるけど。」


 何かが引っかかっていた。


「そういえば、ルールを作ったのは誰かってさっき聞いたとき、エチカさんも関わってるみたいなこと言ってなかったっけ?それってさっきの昔話の話となんか違う気がするんだけど…。」


俺の質問に答えたのはエチカの叔母だった。


「三つ目と四つ目の約束よ。案内人あびとと海坊主は相互依存しあっているの。今まで倫果以外にも案内人あびとはいたのだけれど、案内人あびとによってそこは裁量が違うの。例えば『話を全部聞くまでは死ねない』のはどの案内人あびとも共通だけど、『自分が自分であることに執着していない人』に当てはまらない、つまり『自己に執着がある人』を死なせないようにしたのは倫果だけよ。」


正直ピンとこない。俺は恐る恐る聞いてみた。

「ということは、自己に執着が有るまま、飛び降りた人は…」


エチカの叔母さんは目を伏せてつづけた。


「前の代までは、そういった人は偽物に移り変わることもできずただ死ぬだけだったの。」


そうか。そうでないと自殺の名所にはなり得ない。 


 偽物になることは、見かけだけ見れば生き返ることだ。昔話が正しければ、村人のように振る舞って、偽物はその人としての生活をはじめるのだろう。


「エチカさんがこの案内人あびとになったのはいつですか?」


「九年前、倫果がまだ五歳の頃よ。」


 そうか、そうであれば、小春がここで死ぬことはありえない。もし死んだとしても偽物として俺のもとに戻ろうとするから、行方不明にはならない。


つまり、別のところで自殺したということか?いやしかし、ここでの目撃情報が最後だ。財布もスマートフォンも全部小春の部屋にあった。最後の目撃情報は一ヶ月前、一ヶ月もあれば歩いてもここまで来れる。金はないので公共交通機関には乗れない、自転車も家にあったため使っていない。逆に言えば最後の目撃情報があるここから遠くまで、誰かに見つからずに歩いていくのは、不可能。


 つまり、そう。つまり、


「小春は、まだ生きてる…?」


エチカは少し笑みを浮かべた。


 「その可能性は高いね。ツダさん、私、村中の人に掛け合ってみる!もしかしたらどこかでツダさんみたいに拾われてお風呂に入ってるかも!」


 あっけらかんとした声色にすこしきょとんとしたが、そのすぐ後に確かな熱を持って俺の脊髄を走り抜けるものを感じた。


 それは体を震わせるような喜びと、全身を解放する安心感だった。


 その日、俺は泣いた。その涙は喜びと言うにはあまりにもごちゃごちゃとした感情をテープで繋いで落としていった。眼鏡を経由して涙が一滴ずつポタポタと落ちていく。畳が濡れるたび、体が軽くなるのを感じた。エチカの叔父さんは俺の背中をただ静かにさすり続けていた。



 翌朝、俺の身体は、寝起きから軽かった。昨日安心したあまり寝てしまったようだ。わざわざ布団に寝かせてくれたのはエチカの叔母さんだろうか。ありがたい。


 目を覚ました俺を包んだのはカーテンから溢れる目一杯の朝日と、もこもことしたかわいい布団、そして布団の中で丸くなる女子中学生―


「んえ、え、ど、どういうことこれ?」


愕然とする俺の声で、目を覚ましたエチカは眠たげに目を擦った。


「どういうことって…、そういうことですよ。」


そう言って、にやにやと俺を見た。

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