第4話
「津田先生、これ、次の練習試合の日程表。」
「あっはい。門路先生わかりました。え、これって七時から試合開始ですか?」
「そうだけど、コート準備させるから六時半集合でお願いします。この前みたいに遅れないでくださいよ?」
津田貴尋。二十五歳。
S県T市立K中学校一年二組担任。
担当科目・理科。
サッカー部顧問(サッカー経験なし)
大学を出てすぐ教員になってそろそろ三年が経つ。まさか異動先でサッカー部の顧問にされるとは思ってもいなかった。中高と帰宅部だった自分にとって、サッカー部とは大きな声を出しながら外周を走る人たち位の認識だったし、そんな生徒たちにサッカーを教えろなんて言われるとは思ってもいなかった。
とはいえ、あくまで副顧問。やることと言ったら練習の時ふらっと見に来たり、練習試合を組んだり、その程度である。しかしその程度がどれほどキツいかを、俺は知らなかった。
その日も朝の六時半から夕方頃まで練習試合、というスケジュールだった。
「田中〜、頑張れ〜!」
もちろん何も戦術的なことはいえないため、頑張れとかファイトしか言えない。
「チッ…ド素人のくせに。」
と、言われても、そのとおりだから仕方ない。
結局その日は田中くんが一点決めてから三点取られて敗北した。ああ…これは門路先生に怒られる…。
早く帰らなければいけないのに、これは長くなる。と俺は覚悟し、メッセージを送っておく。
「何やってんすか?津田先生、ちゃんとコーチングしてましたか?今サッカー勉強してるんですよね?」
「あっはい、オフサイドとか色々…」
「それ戦術じゃないから。ルール覚えるのは大前提です。ホントにやる気あります?」
超怖い。門路先生は熱血だから怒るとものすごく怖いし長い…。それは生徒だけじゃなく無論俺にも飛んでくる。
結局家についたのは夜の八時半頃だった。慌ててドアを開ける。
「ごめん、小春。遅れた!」
アパートの二階の一室で、俺は妹と二人で暮らしている。
津田小春。中学二年生。
S県T市立T中学校。俺の勤務先から少し離れたところにある隣の中学校に通っている。
「もう遅いってば。チキン冷めちゃうよ。」
「ごめん、ちょっとシャワー浴びてくるから、先食べてていいよ!」
何のために待ってたと思ってるんだ、と小春は口を膨らませた。とはいえ、俺もこんなに砂まみれでチキンを食べるわけには行かない。早くシャワーを浴びて服を着る。タオルを頭に被せたまま脱衣所をでた。
「何その頭、インド人?」
俺はちょっと顔を横に振りふざけてみせた。すると小春はころころと笑い、面白いから許してあげよう、と言った。俺は不意にしんみりとしてしまった。
「小春も、今日で十四歳か。」
小春が生まれてからすぐ、両親はこの世を去った。自動車事故だったと聞かされた。俺達は祖母の家に引き取られた。
頭が悪かった俺は、必死になって勉強してなんとか地方の公立大学に進学した。祖母は優しかったが、就職してからは二人で住むことに決めた。
二人暮らしは少し大変だけど、それなりに楽しくもあった。中学に進学して、小春もだいぶ大人に近づいているのを感じた。
「お兄ちゃん、ケーキ食べないならもらうよ!」
小春の声ではっと我に返った。ボーっとしているう
ちに俺のケーキは小春に食べられてしまった。
「あー、なんで食うんだよ〜!」
「遅いから。誕生日の特権ってやつかな」
そう言って小春はパクっとケーキを頬張った。
「いいでしょ、ケーキ、まだ余ってるんだし。」
これは俺にとって正真正銘、嘘偽りない幸せの形だった。守りきらなければ、どころか、今はこれを守れている、とさえ思っていた。
その日の夜、小春はどこかへ消えた。
いつもは寝ていてもドアを開ける音くらいには気づけた。でもその日はなぜか気付けなかった。
一人で必死に探したが、二日後、警察に連絡し、それから多くの人が小春を探してくれた。あんなに散々テレビに映りたがってた小春は、あらゆるメディアで報道された。
俺は休職し、妹を探したが、事態は徐々に、膠着していった。それでも俺は目を背け続けた。最悪の可能性から。
いなくなってから一月してインターネットに投稿された三行のコメントが、事件を大きく動かした。
『津田小春(14)がイジメを受けていた証拠。犯人は同中学校のSとDとYの三人。動画も残っている。』
こうして、小春がいじめの被害者であることが大々的に報道され、動画が拡散された。
それは見るに耐えないものだった。熱い鉄板を舐めさせられたり、腹に蹴りを入れられたり、妹の周りで笑うクソガキ共の声…。俺は堪えられず吐いた。
罵詈雑言にすらならない嗚咽と叫びを口からドロドロとしたものといっしょに吐き出すことしかできなかった。
殺そう。こいつらを殺そう。そう何度も思った。こいつらはきっと殺されても何ら問題ない人間だ。
むしろ悪魔かなんかが取り憑いた人間の形をした何かだ。
こんな奴らが、俺から小春を奪ったんだ。
しかし、俺がそう思ったその日の夜、犯人の三人は全員自殺した。SNSで言われた多くの誹謗中傷に耐えかねたのだという。
俺は、もう、なにもできなかった。
「自業自得」などとネットでは盛り上がっていたが、俺の心はちっとも晴れなかった。それは、犯人にざまあみろとか、憎しみは消えないだとか、決してそんなものだけじゃなかった。違う、いや違ってはないけど、そうじゃない。
俺の薄暗い絡まった心をシンプルな言葉で表したのは、自己啓発本の一行じゃなくて、ゴミみたいな書き込みの一つだった。
『津田貴尋、二十五歳。教員。
↑こいつ、教員のくせに妹のいじめすら気付けない
ほぼこいつのせいで死んだみたいなもんじゃんw
無能教師どもマジで死ねよ。』
ネットは大荒れした。もちろん遺族にそんな事を言うなんて、と俺を擁護する声はたくさんあったし、なんならこのコメントを非難する人の方が圧倒的に多かった。
でも、事実だ。
俺は小春を養おうと思って教員になったが、そんなものは全部自己満足で、俺はただ、「小春を守ってあげている」自分しか見れていなくて、小春の辛いことも苦しいことも、なにもわかってあげられなくて、何もできなくて、俺は、
…俺は、お兄ちゃん失格だった。小春のこと守れるような人間じゃなかった。
無能教師マジ死ねよ。そのとおりだ。そのとおりだからなにも言えない。もう、言う気もない。
孤独海岸は最後の頼みだった。きっと妹はこの黒い海に飲み込まれて死んだんだ、と見たときに感じた。寒かったよな。痛かったよな。
今、兄ちゃんそっちに向かうな。そしたら、余ったケーキ半分こな。
でも俺は死ねなかった。そして、
食卓に差す蛍光灯の光がお茶碗に反射した。俺の渇いた口は次の誰かの一言を欲しがっていた。口を開いたのはエチカだった。
「全く好ましくない。」
しかし、その時、次のエチカの言葉が俺の喉を潤すような気がした。
「でも、」
エチカははっきり目を見て俺に告げた。
「この孤独海岸に、小春ちゃんは来ていないよ。」
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