第四話
私は電話ボックスから電話をかけていた。
ホテルへと戻る途中のことだった。「電話ならホテルからかけられるけど」ケイちゃんはそういったけど、私は居ても立っても居られなくなって車を止めたのだった。
「そんなに急ぎの用事があるなら携帯くらい持てばいいのに」車に戻って来た私に、ケイちゃんは言った。街を案内している時とは打って変わって、いつものイタズラっ子の口調だった。「そしたら、わざわざ手紙なんて書かないで済んだのに」
私は彼女の笑顔に安心する。「携帯なんて奴隷の首輪だよ」
「わんわん」ケイちゃんは携帯をポケットから出して、付けているストラップをつまんで振り子にした。
「犬とは言ってない」
「奴隷の鳴き声なんて知らないし」
ケイちゃんは崩していた姿勢を正した。私はそれを合図にサイドブレーキを戻し、アクセルを緩やかに踏む。発進してからはケイちゃんは黙って窓の外を見始めた。
私はというと、知りたがりのケイちゃんが、電話の内容を聞いてこないことにやきもきしていた。
「さっきさ」たまらずに私は口火を切った。「会社に電話してたんだ」
「そーなんだ」ケイちゃんは相変わらず窓の外を見ていた。手に持った携帯で今度はストラップの方をくるくる回している。
「それでさ。有給がたまってたから今日から二週間休むことにした」
ケイちゃんは髪を揺らして私の方を見た。運転中で横目でしか見れなかったけど、彼女は驚きと喜びの混じった表情をしていた。それと見間違いじゃなければ、少し瞳が潤んでいた気がする。
彼女の表情を確かめようと思って私は一瞬横を向いたが、ケイちゃんはさっきのが嘘だったみたいにまた窓の外をむいていて、顔を見せないようにしてしまった。
「なんで休むの?」そのままケイちゃんは言った。
「何か手伝いたい」
「手伝う?」
「ケイちゃんはこの街をどーにかもとに戻したいと一人で戦ってるんだろう?だったら協力したい。大した力にはなれないだろうけど」
「そんなこと」食い気味にケイちゃんは言ったが、語尾は飲み込んでしまった。代りに「ありがとう」と短く言った。
ケイちゃんは私の前に紙を一枚差し出した。
入るのが二回目ともなると、市長室の絢爛豪華な内装にも慣れてくる。私は昨日と同じところに座り、机の上に置かれた紙に目を落とした。
B5くらいの紙に、氏名、住所などの個人情報が表にまとめられている。右上には白黒の顔写真のコピーもあった。頬にまだニキビ跡がある若者が、無表情でこちらを見ている。
「風間順平、25歳。男性」ケイちゃんはまた酒を注ぎながらしゃべる。ギリギリまだ午前中のはずなのだが。「元々彼は関西の出身で、そこの大学も出てる。成績は優秀だったらみたい。将来は警察官になりたいとよく周囲に漏らしていて、見事試験にも合格。警察学校を一年前に卒業してる」
私は息を飲んだ。ここにきてケイちゃんがこの街と関係のない話をするはずはない。「まさか」
「そう」ケイちゃんはブランデーを煽った。一口がデカい。「巡査として配属されたのがこの街だった」
「それは何というべきか、気の毒なことを」
ケイちゃんは笑った。「ナオくんが落ち込むことないじゃん。なにも悪くないんだし。それにさ、まだ彼の人生が終わったわけじゃない」
ケイちゃんの目は希望を宿して光って見えた。いや、単に酒のせいで瞳孔が開いてるだけかも。
「次は彼を救い出す。手伝ってくれる?」
「もちろん」私はなるたけ力強く言った。本気なんだってことを彼女に信じてほしくて。言ってから、引っかかったことを口に出す。「次?今までにもこうやって一人ずつ街から救い出してきたってこと?」
ケイちゃんは頷いた。「この街の人口は9万人。9万回これを繰り返せばこの街は救われる」
私はおでこを手のひらでピシャリと叩いた。すでに酔ってるとはいえ、彼女が冗談を言ってないことは分かった。何て言うか、その、スゴイというか、呆れるというか。
「もちろん政策的な活動もする。でも、目の前の苦しんでる人を見過ごすなんてクソのやることでしょ!ミクロとマクロ、両方から攻めるの。そのために、まずは彼を救い出す」
私は今一度、風間圭一なる人物の顔を見た。さっきと変わらない無表情の顔と目があった。
作戦会議は結局、日が落ちるまで続いた。その間もケイちゃんは飲み続けていたので、後半は支離滅裂になってしまっけど、何をするかは何度もシミュレーションすることができた。
私は例のごとくソファで寝そべるケイちゃんを抱きかかえ、隣の寝室まで運んだ。
翌朝、私はまたもや頼んでないモーニングコールに起こされた。外には昨日の車。「デジャヴなんだけど」窓を開けて、寝ぐせのついた頭のまま、私は言った。
「こっちだってそうだよ」
「待ってて、支度してくるから」
私は部屋に戻って服を着替えた。寝ぐせも直して、歯も磨いた。朝ごはんを食べてないことを思い出したけど、食欲もあまりなかった。
机の上には街の地図が広がっている。昨日の夜、夕食をとりながら一人で予習していたままになっていた。私は地図をたたみ、胸のポケットにボールペンと一緒につっこんだ。
「お待たせ」私は言った。「ダイビングでもするの?」
ケイちゃんはガスマスクみたいな覆面をつけていた。口元からは管が伸びていて、彼女の手に持たれてる水筒ほどの銀のボンベに繋がっていた。よく聞くと、シューという呼吸音が聞こえる。
「これはダースベイダーのコスプレだよ」
「うそつけ」
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