第2話
「一年前」ケイちゃんはブランデーをグラスに注ぎながら語り始めた。「移民系のアングラ組織が土着のヤクザと手を組んで、新しいシノギに手を出したの。言わずもがな麻薬だったんだけど、黄色い粉だったから単純にイエローって言われてた。大麻と同じように吸引して服用するの。服用が正しい言い方か知らないけど。使用すれば、他の薬物と同じような効果が得られる。イエローが優秀なのは、安価で作れて効果も上々、おまけに使用が楽なところかな。デカい農園も、工場もいらないし」
風が強くて屋上は話し合いに向かないので、階下の部屋に移動した。おそらく元はスイートだったんだろう部屋の一角は、市長室の装いになっている。日頃ケイちゃんはここで仕事をしているのだろう。机の上には乱雑に書類が積まれている。そういえば、ケイちゃんは片付けが嫌いだった。
私は差し出されたグラスを受け取った。
「麦茶の方がよかった?」煽るように彼女が言った。
「もう子どもじゃない」挑発を受けて、私はグラスに口をつけた。後悔した。
ケイちゃんはひとしきり笑い、ソファにドカッと座った。私も眉間にシワを寄せたまま彼女の向かいに腰掛ける。
「それで」私は言った。「イエローにいつからサブマリンがつくようになったんだ?」
「さすがナオくん。話がはやくて助かるわ」彼女はグラスを傾けた。もう空になりかけてる。おかしい。「イエローの取り締まりが始まってしばらくしたころ、もともと備わってたイエローの性質が明るみになったの」
「性質?」
「イエローの煙は空気より重い。そして高度500メートル以下では二週間は消えない」
私はゾッとした。それじゃあ、さっき地面を蠢いていたあの黄色い霧は全部...。
「そう、全部イエロー」彼女は私の表情から頭の中を読んだ。「あの霧全部をさして、イエローサブマリンって呼んでるの」
「頭が混乱してきた」
「良い傾向ね」
「いろんな疑問が浮かんでる」
「全部答えるわ。なんでも聞いて」
「なら聞かせてもらうけど、イエローサブマリンってビートルズから取られてるのか?」
「そこ気になるかなぁ」彼女は呆れていた。「それは知らないけど、別に本人体も構いやしないでしょ、やってたんだし」
納得。「街の人全員がイエローを吸ってるってことなの?」
「うーん」彼女は首を傾けた。「半分はその通り。市民は全員イエローを吸ってる。でも、自発的にじゃない。あの霧は作られたものなの」
「作られたもの?」
「街のいたるところにイエローの煙を吹き出す煙突があって、そこから延々とイエローがまき散らされてる。市民を中毒にして、金を巻き上げるために。私たちがさっき見たのはイエローと普通の空気の境界面」
「ああ、それでこのホテルを」
「そう買い取ったの。街の行政はほとんどこの近くに移設されてるわ。ほとんど機能してないけど。というよりする必要がなくなったって言った方が正しいかな。霧の中の街はいま、さっき言った土着のヤクザが自治してる状態」
「そんなの国が黙ってないだろ」
「国は何も言わないわ。議会の右翼連中は与党の息がかかった奴ばかり。コイツらはヤクザがこの街でのさばるのを見過ごして、市民の投票先を操作してる。もちろん、ヤクザを排除する動きもあるけれど、あんなに巨大に膨れ上がったものを処理するだけの予算が組めない現状」
「君はイエローを嫌っているように見えるけど、市長だ。この街にもまだ正気を失ってない市民がいるんじゃないのか?」
ケイちゃんはかぶりを振った。「私が市長に就任したころはイエローのYの字もなかった。それがここ一年で劇的に変わってしまった。次の選挙ではどうなるか分からないわ。おそらく、私がいなくなればこの街はもっとヒドイことになるでしょうね」
私はしばし黙る。あの黄色い霧の向こうには計り知れない闇がありそうだった。
「街を封鎖したらどうなる?」私は言った。「麻薬はいずれ人を破滅させる。残酷な話だが、客がいなくなれば向こうだって商売できない」
私は今日何度目になるのか、ハイウェイから見た街の景色を思い出した。歪な円形に、峰で囲まれた街。重いイエローを長期間とどめておくには最適の空間。
「山に囲まれた土地だからこそ、イエローで満たせるんだろう。ここ以外なら国だって認めないはずだ」
「一理あるけど、現実的じゃないかも」彼女は言った。「客はむしろ増えてる。街の人口は一年前の11万人から1万5千人増加してた。ついでに税収も増加傾向にある。これがどーゆーことかわかる?」
「街の中で、以前より経済と社会が回ってる」私は恐る恐る言った。言ってから、不正解であってほしいと願った。
「正解」短くケイちゃんは言った。「イエローのもっとも邪悪な側面はね、吸った者を多幸感に包んで、馬車馬のように働かせ、家族を設けさせ、最後は狂って死なせること。常人の人生の三回分を十年で味わうの。苦しみや、悲しみは抜きにして、おいしいところだけをね」
ケイちゃんはブランデーの最後の一口を煽った。
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