第11話 「旧校舎地下へ」
土曜日になった。
毎日放課後になると恵太は映子と一緒に旧校舎で神父の所在を確認しているが、B10Fから動く気配はないようだった。
新聞部全員で話し合った結論として、流石にこれは完全に罠だろうということになった。
ただ、その罠がいつどんな悪影響を及ぼすか分からない。
早めに潰して学校の安全を確保しようということになり、土曜日の朝から一気にダンジョン攻略を済ませようということになった。
「矢上先輩、おはようございます」
「友瀬さん、おはよう」
学校の校門の前で待っていると、最初に映子がやってきた。
今日は戦闘があり、破損の危険があるということでカメラは持ってきていない。
「一応部活ってことなのでカメラを持ってきたかったんですが」
「大切なカメラなんだから仕方ないよ」
それからやや遅れて綾乃がやってきた。
思えばこの一週間は映子とばかりと話していて綾乃と会話をしていない気がする。
「おはよう」と挨拶をするが、素っ気ない「おはよう」しか返ってこない。
今までは兄妹も同然だった綾乃とこんな状態になったのは初めてなのでどうすれば良いのかよく分からない。
「あとは小森か」
「上戸さんはどうするんだろう? 新幹線でも兵庫からだと朝に来るのは無理だよね」
「最悪は私達新聞部だけで突撃かな」
そうやって待っていると、バタバタとうるさいエンジン音を立てながら走ってきた黄色い車が学校の前に停車した。
その後部ドアが開いて、車内から裕和が降りてくる。
「おはよう。みんなお待たせ」
「おはようだけど……その車は何なの?」
何故近所に住んでいる裕和が車に乗ってくるのか?
疑問に思っていると、それはすぐに氷解した。
運転席の窓が開いて、そこから佑がひょっこりを顔を出したからだ。
「遅くなってごめん。車を駐車場に停めてくるからちょっと待ってて」
「上戸さん、まさか車を運転してきたんですか?」
「電車移動だと、どうしても到着は昼頃になっちゃうからね。昨晩から車を飛ばしてきました。途中のSAで仮眠はしてるから寝不足とかないので大丈夫」
恵太の脳裏に次々と新たな謎が浮かんでくる。
兵庫からその車で移動?
そもそも上戸さん免許持ってたの?
「そうそう、この辺りのコインパーキングの場所知らない?」
「駐車場なら市民プールの横のところにあったと思います。住宅街の中でも見たような……」
「なるほど。ちょっと行ってみる。まあここは観光地と離れてるし、近くにあるだろう」
佑がそれだけ言うと運転席の窓が閉まり、そのまま車はUターンしてバタバタとうるさいエンジンの音を鳴らしながら駅の方へと走っていった。
「中学生って車の免許を取れたっけ?」
「上戸さんは成人してるって前に本人も言ってただろ」
恵太は走り去る車を呆然と見ながら呟くと、それに対して裕和が反応した。
「車に乗ってくるのを見るまでは、実は中学生が強がってるだけの可能性に賭けてたんだけど」
「あの人、かなり自分の見た目を気にしてはいるみたいだから、本人の前では言わないでね」
◆ ◆ ◆
少し待つと、佑が何故か大きな竹箒を抱えて走ってきた。
腰にぶら下げている革のケースに入ったナイフは武器だと想像できるが、箒の意味はわからない。
「それじゃあ全員揃ったことだし、旧校舎のダンジョン攻略に向かいましょう!」
綾乃がクリアファイルに入った一枚の書類を鞄から取り出して、守衛へ見せた後に学校の敷地内へと勇んで入っていく。
恵太、映子、裕和がその後ろを続いて学校敷地の端にある旧校舎の前へと向かう。
「今日は正式な部活動として許可を取っているし、鍵も借りてるから旧校舎に堂々と正面から入れるわよ」
「本来それが普通でこっそり裏口から入るのはアウトじゃないかな」
「何いってんの? こうやって許可を取るのにどれだけ手間がかかることやら。恵太が映子ちゃんと一緒に楽しく遊んでいる間に誰が無茶苦茶面倒な申請の書類を何枚書いたと思ってんの?」
綾乃はそういうと恵太の肩をバンバンと叩く。
「柿原が書いたの名前だけだろ。この旧校舎への入館許可の申請書類を書いたのは実質俺なのに」
そんな綾乃を裕和が恨めしそうな目で見ながらボソリと呟いた。
「そんなことはないでしょ。私もちょっとは書いたわよ」
「部長として名前を書いただけだよな」
「ほら、私は管理職としての役目が……」
綾乃はそう言いつつも、目線は誤魔化すように明後日の方向を見ていた。
後ろめたい気持ちはかなり有ったようだ。
「だって出来ない私が無駄に頑張るよりも出来る人に振ったほうが効率は良いでしょ」
「俺も書類作成なんてそこまで出来ないよ。出来ないなりに必死で頑張っただけで」
「だから、小森が頑張って書類を書いている間、ずっと隣で見ていてあげたでしょ」
「見ているだけじゃなくて、ちゃんと手伝ってほしかった」
今度は裕和の方が虚ろな目で虚空を見つめ始めた。
「いや本当に辛かったよ。この制度を誰も使ってなかったから、制度自体の不備に誰も気づかなかったので、そのせいで何回か作り直しとか」
「有ったね……私も何回か職員室と往復したよ」
今度は綾乃も虚ろな目になった。
完全にお通夜ムードになってしまったので、いたたまれなくなった恵太は2人に声をかける。
「小森君は頑張ったし、今の話だと綾乃も頑張ってきたみたいだし、次こそは経験を活かして頑張ろうってことで良いじゃない」
「なら恵太もちゃんと手伝ってよね。一緒に地獄を見よう」
「地獄は見たくないけど、もちろん手伝いはさせてもらうよ」
久々に綾乃から頼りにされたのが嬉しくては恵太は明るく返事をする。
「俺も流石に嫌みっぽく言い過ぎたよ。ごめん柿原さん」
「いや、私も小森に無茶させて悪かったよ」
裕和と綾乃も素直に謝りあった。
「あんまり引きずっても仕方ないし、この件はこれで手打ちにしよう。面倒な作業は次からみんなで手分けするってことで」
「はい。仲直り!」
恵太は裕和と綾乃の手を取って3人で手を重ねる。
「じゃあこの話はおしまい。それよりも旧校舎のダンジョンのことを考えよう」
「そうだな。いつまでもふざけていられない」
綾乃が施錠された扉を開いて、旧校舎の正面入口から校舎の中へと入る。
「私達5人の力を合わせて、この迷宮を抜けるわよ」
「あの、その件ですけど良いですか?」
先程からずっと黙っていた映子がおずおずと手を挙げた。
「あの上戸って子が来てないんですけど」
「えっ?」
それを聞いて全員がキョロキョロと辺りを見回すが、映子の言う通り、佑の姿がどこにもない。
「いつからいなかったっけ?」
「そう言えばずっと4人で歩いていたような」
「あの人だけ部外者だから守衛に止められたんじゃ」
恵太が言うと綾乃と裕和が指差しをした。
「それだ!」
「私が呼んできましょうか?」
「いや、呼びに行ったからってどうなるもんでもないでしょ。私がちょっと行って裏口から入るように案内してくる」
綾乃はそう言うと旧校舎の玄関から勢い良く飛び出し――何故かすぐに旧校舎の中に飛び込んでくる。
「あれ?」
「あれ? じゃない、何が有ったの?」
「いや、私は今、旧校舎の外に出たよね」
綾乃はそう言って、またも玄関から勢い良く飛び出して校舎の外に出ていくが、勢いを維持したままで中に戻ってきた。
「いや、それは流石におかしい」
綾乃の動きは玄関を出た直後に慣性の法則を完全に無視した上で身体を豪快に捻って全力ダッシュで戻ってこないと出来ない動きだった。
そんな意味のないことをやるわけがない。
恵太はスマホを取り出してカメラアプリを起動する。
スマホの画面越しに旧校舎を見ると、一歩先も見えないほどの深い紫の煙に包まれていた。
何度か体験した迷宮化と酷似した現象が既に発生しているようだ。
「ダメだ綾乃。ここはもう
「そんな馬鹿な」
「綾乃もスマホを通して見れば分かるよ」
「だから私のスマホは焼けちゃってまだ買えてないんだって。恵太が言うならそうなんだろうけど」
綾乃は入口の先に見える景色を睨みつけている。
外の景色は普通に見えるだけに、空間の異常が発生して出ることが出来ないという現象を信じられないところはある。
「外の景色だけ見てると何も起きてないみたいなのに」
「いや、外の景色も何か怪しくなってきた」
裕和がバトンのように縮めていた槍を長く伸ばしながら綾乃を護るように立つ。
裕和の言うとおり、旧校舎に入るまでは強い日差しが差し込んでいたというのに、まるで日没の直前のように薄暗くなってきた。
「もう領域内ならいつ敵が出て来てもおかしくはない。入口方面は俺が警戒するから柿原さんと友瀬さんは矢上君の近くへ」
「分かった。任せる」
恵太、綾乃、映子が一箇所に集まり、そこへ裕和が警戒しながら後ろ歩きで合流する。
「これからどうする? 一度脱出方法を探すか、それとも神父がいるはずの地下10階を目指すか?」
「まずはアル君を出して調べてみます」
映子がライターに点火すると、赤い孔雀、アルゴスが出現した。
アルゴスは尾羽を広げて周囲の検知を開始する。
「神父はB10F。全然動いてません」
「この1階部分に人やエネミーの存在は?」
「ないですよ。どうしましょう矢上先輩」
映子は困った顔で恵太を見てきた。
だが、恵太もアルゴスの能力を全て把握しているわけではない。
召還者の映子に分からないのならば、それ以上の情報を知るわけもないので指示も出せない。
「小森君、上戸さんに電話は繋がる? 外から見た旧校舎はどんな様子が聞いてもらっても?」
「ああ、そうだな。ちょっとかけてみる」
恵太が言うと裕和が電話をかけ始める。
どういう理屈なのかは不明だが、電波は正常に入り、通話が可能なようだ。
裕和は電話が繋がった時点で全員と会話できるよう、スピーカーホンに切り替えた。
「ラビさん、今の状況は?」
「正門で守衛に止められたので、裏門に回り込んで、そこから学校の敷地に入ったところ。今から旧校舎に向かうけど何があった?」
通話内容からして、どうやら佑はまだ異変に気付いていないようだ。
「俺達は旧校舎に入った直後に領域に取り込まれました」
「なんだって? それで今は旧校舎のどこに?」
「一階の玄関を入ってすぐのところです」
「分かった。電話は切らずにそのままで。すぐに移動する」
それから3分ほどノイズ音が続いただろうか。
移動が完了したのか佑からの声が聞こえてきた。
「今は旧校舎の正面玄関前にいるけど、本当にみんな入口周辺に固まってるんだな?」
「はい。すぐに外が見える場所です」
綾乃が移動して入口に向かって手を振る。
普通ならば佑が正面玄関前に立っているならお互いに姿が見える位置のはずだ。
「今は柿原さんが表に向かって手を振っていますけど見えますか?」
「何も見えない。俺も手を振ってるんだけど、そちらからも見えない?」
「ダメでーす!」
綾乃が両手を交差させて×印を作る。
「やっぱり空間が歪んでいるんだと思う。小森くんが立ってる場所は正面玄関であって正面玄関ではない場所だ」
「外部から領域の破壊……出来ますか?」
しばらくの沈黙の後に佑からの返答が返ってきた。
「少し試してみたが、領域の破壊は可能。ただし、外から無理矢理破壊したら内部に居る小森くん達にどんな影響があるか分からない。あくまでも最終手段だ」
「次の質問です。外から中に入れますか?」
またも少しの沈黙があり、今度は外から薄汚れた野球のボールが飛び込んできて、綾乃の手前に落ちた。
「ボールが届いたのなら外部から内部への移動は可能。ただし、中から外は出られないと思う」
綾乃がボールを拾って投げ返すと、入口にまるで壁があるように跳ね返って戻ってきた。
「ボールは届きましたが外には出せません」
「なら補給は届けられるってことだ。必要な物があれば今のボールみたいに投げ込むから言って欲しい」
「ラビさんが欲しい。一緒に戦って欲しいと言ったらどうですか?」
またも沈黙。今度は少し長かった。
「外からの監視や物資の補給、何か有った時の救出役の役目を放棄して中に入ることは出来ない」
沈黙が長かったのは佑も少し悩んだのだろう。
その上であえて外に残ることを選んだと察せられた。
「外から一般人が中に入らないように正面玄関も閉じておく。スマホのバッテリーの節約のためにも通話はこれで切る。連絡がないのは特に問題は発生しないという解釈を取る」
「はい……ありがとうございます」
「終わったら打ち上げで何か食べに行こう。奢るよ」
「なら、終わったらまた電話しますね」
「それじゃあ。信じてるから」
それで通話は切れた。
ややあって正面玄関の開いたままの扉が誰も触っていないのに独りでに閉じていく。
これは佑が外から扉を閉めているのだろう。
そして玄関の扉は完全に閉ざされた。
「要するにボス……地下10階にいる神父を倒すまでは出られないってことよね。まあ最初からそのつもりではあったけどさ」
綾乃は思考を切り替えたようだ。
早くもダンジョン攻略を始める気満々だ。
「なら、まずは下りの階段探しからかな」
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