第7話 「赤い孔雀」

 領域テリトリーに取り込まれて迷宮化した廊下を走る。


  新聞部の部室からたった2つ横。5mもないはずの写真部の元部室が限りなく遠い。


 建物の構造も変化していた。

 昼休みだというのに薄暗く、天井の照明は赤色の電球へと変わっていた。

 周囲には酢のような悪臭が漂っており、くしゃみが出そうになる。


「なにこの変な場所。本格的に次元が歪んでるのかな?」


 ジャック・オー・ランタンを操り、曲がり角から顔を出した眼球を拳で叩き潰しながら恵太は呟く。

 

「フィルム写真を現像するための暗室だよこれ。赤い光は印画紙を感光させないための特殊なライト」


 裕和の後ろに隠れていた綾乃が天井の電球を見ながら言った。

 

「前の新聞部の部長は何度か部活で協力してもらったから暗室にも入れてもらったんだけど、ちょうどこんな感じだった」

「新聞部って今時フィルムカメラを使ってるのか」

「だからよ。写真部に新入部員が入らなかった理由。みんなデジタルカメラ中心の写真同好会に行っちゃった」


 どこか諦めを感じるような悲しそうな顔で綾乃は言った。


「うちもデジタル記事だけで配信してれば楽で良いのに紙の新聞にこだわってる異端だから気持ちは分かるけどね」

「古いものでも良いものはあるだろ」

「小森もありがとね。でも、うちは新しいという文字が付いてる『新』聞だよ。昔を振り返ってばかりじゃダメなんだって。まあもう新聞って時代じゃないんだろうけど」


 綾乃は裕和にパタパタと手を振る。


「でも、学校の幽霊とかいうゴシップだけは許せないな」

「普通の学校生活の中にネタなんてそんなにゴロゴロ転がってないのよ。まあ、自殺者に絡めたのは確かに悪かった」

「2人とも、雑談はここを攻略してからにしてくれないかな」


 恵太はカボチャ頭のコントロールに集中する。

 眼球エネミーは意外と小さく、赤い光しか光源がない今の状況も油断すると見逃してしまう可能性があって苛立ちを募らせていた。


「小森君も敵が居ない時は戦闘に参加できない? さすがに僕1人じゃ手が回らないよ」

「全く、仕方がないんだから」


 恵太の愚痴を聞いた綾乃はライターを点火し、火の玉ヤマンソを喚び出して裕和の後ろから出て前へと進む。


「綾乃、それは危険だって」

「危険だから言って制御の仕方を覚えなきゃ余計に危険でしょ。ちょっとずつでも戦い方を覚えないと」


 綾乃はヤマンソには火を出させず、そのまま体当たりをするよう命令を出した。

 ヤマンソはそれを実行して体当たりで眼球エネミーを破壊していく。


「火を飛ばしたら危険ならこうするしかないでしょ」

「でも、あんまり距離を開けると……」

「大丈夫みたいよ。恵太のカボチャ頭の距離が短いだけじゃないのかな」

「その分パワーがあるということなんだろう」


 裕和も前に出てきて3人が横並びになる。


「柿原さんは遠距離タイプみたいだから、やっぱり前に出るより少し離れた位置に居てもらった方が良いかな」

「何もするなってこと?」

「いや違う。それぞれ得意分野が違うんだし、ポジションを決めようってこと。野球だってサッカーだって自分のポジションを守って仕事を分担するだろ」

「ゲームでもね」

「矢上くんは近距離型だから前衛に出る。柿原さんは遠距離型で接近戦は苦手だから後衛。そして俺が防御と攻撃どちらにも回れる中衛」


 裕和の言う通りに恵太は一歩前へ、綾乃は一歩後ろへ下がる。


「これも異世界での経験?」

「まあね。俺は前衛に出る方が多かったんだけど、今の構成だとこれが良いと思う」

 

 そう言うと裕和の右手に青白い光が灯った。

 その光る手で天井から降ってきた眼球エネミーを殴り飛ばす。


「今は武器を持ってきていないし、これが精一杯」

「なんで手ぶらなんだっけ?」

「昼休みで食事中だったから武器なんて持ってきてないよ」

「そうだった。昼休み中に終わらせないと騒ぎになりそう」

「急ごう。普通の生徒が巻き込まれる前に片付けよう」


   ◆ ◆ ◆

 

 新聞部の部室を出てから10分ほどで最深部に到達出来た。

 現実だと僅か5mの距離にしては時間がかかりすぎではあるが、ともかく到達だ。


「それじゃあ開けるぞ。矢上君は中から何が出てきてもすぐに迎え討てるように警戒を」

「分かった」

 

 裕和が重い金属のドアを開けると、中は巨大な空間になっていた。

 扉が開いても特に襲撃はないので、恐る恐る室内へと入る。


 内部には無数の抽象画のような何が写っているのか判別できない写真が無数に飾られており、やはり廊下と同じく赤い光で照らされていた。


 部屋の中央に椅子に座った女子生徒がいた。

 暗いのと距離があるので分かりにくいが、目を瞑って眠っているように見える。


 そして、その背後には全身が赤い巨大な孔雀が目を閉じた状態で鎮座している。

 

「やっぱり、座ってるのは写真部の子よ」

「それでこの孔雀がボスということか」

「何を仕掛けてくるかわからない。慎重に近づこう」


 3人でなるべく物音を立てないように移動する。


「ボスを倒すにしても、あそこに写真部の子がいたら攻撃に巻き込みかねないし危険だな」

「となると、誰かがあそこから連れ出す必要があるってことだよね」

「僕が行こう。もし攻撃されそうになったら、小森君は防御をお願い」


 恵太がそう言って前に出ると、孔雀が目を開けた。

 鳥と言うよりも蜥蜴のような目で恵太……そしてその後ろにいる裕和と綾乃を一瞥した後に、突然にケェーンと大音量で高い雄叫びを上げた。

 

「攻撃が……来る」


 孔雀がその巨大な尾羽を扇のように広げる。

 そこまでは良い。サイズの違いこそ有るが、動物園で見た孔雀のままだ。


 だがその尾羽は普通の孔雀とは違う異形のものだった。

 尾羽には無数の眼球が浮かんでおり、それぞれの目がキョロキョロと動き回り、3人の姿を睨みつけてくる。


「うわっ気持ち悪っ」

「ただの孔雀のわけはないと思っていたけど」


 同時に女子生徒の前に半透明のモニターのようなものが出現した。

 女子生徒は眠っていてそれを見ているとは思えないが、孔雀の目で見たものが分析して情報として出力されているようにも見える。


「分析能力? 攻撃能力はない……のか?」


 裕和の呟きを否定するように、床をガリっとひっかく音を立てながら孔雀が立ち上がった。

 その足は孔雀のものとは思えないほど長く、先端には猛禽類のような鋭いかぎ爪が付いている。


「まさかあの足で蹴ってくる?」

「もしそうなら、攻撃をあえて誘えば、あの子から孔雀を引き離せるな。それを狙おう」

「なら僕が誘導しよう」


 恵太がカボチャ頭に指示を出して、裕和と綾乃から離れた場所に移動して、そこで孔雀に対して挑発するようなポーズを取る。


「さあ、かかってこい!」


 恵太は孔雀が体当たりを仕掛けてくることを前提に身構える。

 だが、孔雀は少女を護るような位置に陣取ったまま動くことなく、尾羽の数枚だけが恵太の方を向いた。


「なんだ?」

「まずい! 走り回って避けろ!」


 裕和が何かを察知したのか大声で叫んだ。

 恵太はわけも分からず全力で走ると、それまで立っていた位置へ尾羽に付いた眼球からレーザー光線のような光が発せられた。


 尾羽は更に折り曲がり、恵太の動きを追って更にレーザー光線を浴びせる。


「ジャッコ! 僕を抱えて走れ」


 自分の足だと追いつかれると判断した恵太は、カボチャ頭に指示を出して自らを抱えさせてレーザー光線から逃げ回る。


「まずい、こっちにも来る!」


 裕和もカボチャ頭が恵太を抱えたのと同じように綾乃を無理矢理小脇に抱えこむと、高速で走り始める。

 その後をレーザー光線が追うが、裕和の動きが速いために当たることはなかった。


「ちょっ……これ……この体勢無理! 出る、昼ご飯全部出る……」

「それじゃあこれで」


 裕和も小脇に綾乃を抱えた体勢だと無理があると判断したのか、手を回して前に抱き抱える体勢に変える。

 お姫様抱っこというやつだ。

 

「今度はちょっとこれ恥ずかしんだけど!」

「我慢して。まずはこいつの攻撃を避けないと。それよりちょっと跳ぶから」

「跳ぶ? ひゃああああ」


 裕和が綾乃を抱えたまま数メートルジャンプしてレーザー光線を避けた。


 更にそこから壁を蹴って斜め上方向へ飛翔した。

 そのまま落下しそうになると壁を強く蹴るという行動を繰り返して、まるで壁を走っているように動き回り、華麗にレーザーを避けていく。


「どんな脚力してんのぉ!」

「まだまだ加速するから、振り落とされないようにしがみついて! まずはあの羽を落とす」

「まだ速くなんの!?」


 綾乃は裕和の首に手を回して振り落とされないように必死でしがみついた。

 裕和は言葉通りに更に速度を上げて降り注ぐレーザー光線を間一髪で避けていく。


「俺は手一杯だからヤマンソでアシストしてもらえると助かる」

「出来るわけないでしょ! 手を放したら落ちるでしょ!」

「いや、つい。ラビさんならこの状況でも攻撃してくれたので」

「ラビさんって誰よ!」

「なら俺一人でやるしかないか。プロテクション!」


 叫びと共に、裕和の足元に青白く光る粒子で構成された壁が出現した。


「そんなところに壁を作ってどうすんの?」

「モードチェンジ、アクス!」


 裕和の指示を受けた壁は半円形の斧のような形状へと変化して、孔雀の尾羽の付け根へと突き刺さった。


 その斧のその上に裕和は飛び乗り、綾乃との2人分の体重を上乗せした状態でのしかかって、斧の刃を食い込ませた。

 孔雀の尾羽の付け根に大きく切り込みが入り、孔雀が悲鳴を上げた。


「一発で切り落とそうと思ったけど、流石に俺1人じゃこれが限界か」

「これのどこがプロテクションなのーっ!?」


 絶叫しながらツッコミを入れる綾乃を無視して裕和が高く跳躍する。


「矢上君、追撃は後は任せた!」

「任された!」


 孔雀の注意が裕和に向いている隙に孔雀の近くへ接近してきていた恵太が答えた。


 裕和が離脱したのと入れ替わりに、恵太を抱き抱えたままのカボチャ頭が斧の上に着地した。

 その勢いで更に斧が深く食い込む。


「ジャッコ! 連続蹴りだ!」


 カボチャ頭が指示通りに蹴りを連打すると、斧はどんどんと孔雀の体に食い込んでいき、やがて完全に尾羽を断ち切った。

 落下ついでにカボチャ頭はダメ押しとばかりに強烈な周り蹴りを孔雀の頭へと叩き込み、その巨体を転倒させる。


 孔雀は倒れたままの体勢で苦痛からか咆哮をあげていた。


 だが、受けたダメージが大きすぎるのか完全に足を止めており、尾羽も失われたことでレーザー光線も出せないようだ。


 カボチャ頭は一度着地して恵太を床に降ろす。


「トドメだ。焼き尽くせ!」


 カボチャ頭が放った火の玉が孔雀に着弾するとオレンジ色の火柱が高く燃え上がった。

 孔雀はチリチリとその体を燃え上がらせ、やがて粒子になって消えていった。


 孔雀の体が消滅したタイミングで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 それと同時に領域が解除されて、3人と写真部の少女は狭い部室の中に立っていた。


「なんとか終わったかな」

「ああ。なんとか昼休み中に片付いた」


 裕和は抱えていた綾乃を降ろした。

 すると、綾乃は部室の端の方に行って口を抑えてしゃがみ込んだ。


「気持ち悪い……さっき食べた弁当全部吐きそう」

「大丈夫、綾乃?」

「大丈夫じゃないけど大丈夫。うん、大丈夫」


 恵太が声をかけると、綾乃は立ち上がってフラフラとおぼつかない足取りでなんとか裕和の方へ歩き始めた。


「何なの? なんで生身の人間がジェットコースターみたいな動き出来るの?」

「すまない。安全を確保しつつ反撃をしようとしたらああなった」

「いや……まあ悪気はなかったみたいだし助かったよ、ありがと」


 そして問題は写真部の女子生徒だ。

 怪我はないように見えるが、まだ目を閉じたままで意識があるのかないのか分からない。


「なんと説明する?」

「能力のことは置いておいて、まずは体調の確認をしよう。とりあえず保健室かな。そこから病院に行ったほうが良いかの判断は保険の先生に任せよう。会話出来るくらい大丈夫なら放課後に話してみよう」

「賛成。それで行こう」


 唯一の女子であり、限りなく初対面に近いが、面識がないという程でもない綾乃が声を掛けることにする。

 

「大丈夫? 起きられる?」


 綾乃が声をかけると、辛そうな声をあげながら女子生徒が返事をした。


「私は? 一体何が?」

「私は新聞部の柿原綾乃。隣の隣の部屋にいるんだけど、あなたがここで倒れているみたいだから様子を見に来たんだけど」

「新聞部の?」


 そういうと女子生徒は立ち上がろうとするが、また椅子に座り込んでしまう。


「すみません、なんか貧血みたいで立てなくて……」


 恵太は机の上にお茶のペットボトルが置かれているのを見つけて女子生徒に持たせる。


「まずはちょっとお茶でも飲んで」

「はい、ありがとうございます」


 そうやって一口お茶を飲むとまた眠ってしまった。

 

「これは病院より保健室かな。とりあえず保健室に運びたいところだけど、私も正直体力の限界だし、恵太……は無理か」


 恵太は女子生徒の身長を確認してから冷静に判断を下した。


「無理かな。途中で落っことしたらそれこそ目も当てられない」

「なら、俺が運ぶよ」


 小森はそう言うと女子生徒を背負う。

 

「このままだと午後の授業は遅刻コースだしみんなで行きましょう。体調の悪い生徒を介護していたと言えば言い訳はたつはず」

「打算的だなぁ」

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