閑話 群狼

 バーバル・インゼクトは痛みに耐えつつ森を彷徨っていた。

 奥の手であった飛翔能力を使ってまで戦いから離脱したものの、緊急用であるため主君のいるドラクル公国まで帰る力はなかった。

 鬱蒼(うっそう)とした森の中で足元が覚束(おぼつか)なくなる。先ほどの戦闘が自身の想像以上に過酷であったことがバーバルにはよく分かった。

 頭部の触覚も未だに痛みが引かない。あのカイセと名乗った男を恨むつもりは無い、戦場ではどんな奇策でも卑怯な手でも使うのが当然である。

 だがそう思ったところで身を裂くような痛みが消えるわけではない。

 体が弱っているのを感じる。ちょうど雨も降ってきた。

 今の状態で追手に見つかれば、


「よお昆虫大王、樹液はそっちにはねぇぞ」


 バーバルは咄嗟に振り返る。目の前には獣耳の黒髪の少女、後ろには声の主と思われるフードを被った人物が現れた。

 一切気配を感じなかった。だが今は強烈な気を目の前の二人から感じとる。


「ご自慢の触覚が斬られて弱っているところ悪いが、ちょっと用があってな」


 刹那、バーバルの脳髄で最大限の警報が鳴り響く。

 だがその刹那のうちに黒い獣耳の少女はバーバルの懐に入っていた。


「——その黒い甲殻、少し貰うぞ」


 その時、バーバルの胸板と首のあたりに奇妙な形の鉄の棒が差し込まれる。

 最初何をされたのか全く分からなかった。痛みは感じない、なら刃物の類いでは無い?

 だがその思考に使った僅かな時間がバーバルの胸部甲殻が剥がされる決定的な隙となった。甲殻は肉の膜をメキメキと音をたてて引き剥がされた。


「アガガッ、何をする!」


 バーバルは体に残る力の全てを振り絞って黒い獣耳の少女を離そうとする。

 だが背後のフードの男がバーバルの体を後ろから羽交締めにする。

 腕を使って思い切って黒い獣耳の少女ごと引き離そうとすれば鉄の棒が引っ掛かった状態で動くため余計に痛みが響く。


「リレイ、腹の方も剥がしておけよ」


「わかった」

 

「ガッ…やめろ、やめてくれ」


「うるせえな静かにしろ。そもそも虫が喋んな」


 結局、胸部に加えて腹部、肩部の甲殻が剥がされた。


「良い素材が沢山取れたよ。帰り道、邪魔して悪かったな。もう帰っていいぞ」


 バーバルに反撃できる力は残っていなかった。息も絶え絶えに地面に倒れ伏す。

 フードの男の何とも思っていないような声音が耳に障った。


「キサ、貴様ア!」


「わかったわかった。それじゃあなー」


 バーバルは叫ぶが、フードの男と黒髪の獣耳の少女は姿を消す。

 その場には無惨な姿となった蟲人のみが残った。


 浪岡為信とリレイが持っていたのは、別の世界ではバールと呼ばれるものである。もどきではあるが使えれば問題はない。

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