第三十九話 蟲人族Ⅱ
明可は体力の限界を感じ始めていた。
だが三人を相手どってなお優勢なバーバルには見るからに疲労が感じらず、一旦後退しようにも逃してくれそうに無い。
絶対絶命か……?
だがこんな時に限って遅れて参上してくる男を明可は知っていた。
「兵士諸君!惟義たちのことは気にするな!全力で投げろ!」
後ろから声がする。明可はなんとなく魁世のやりたいことを理解して姿勢を低くする。
すると明可の背後から何十本もの槍が降ってきた。
バーバル向けて投げられたであろう槍の多くは地面に突き刺さる。それでもバーバルを包囲するかのように槍の林が形成された。
「よぉ昆虫人間!僕の名前は新納魁世だ!!」
魁世は兵士の中から躍り出て、全速力で槍の林に向かって走りだす。
明可と同じ考えに至って身を屈めていた惟義と直を追い抜き、槍の林まで到達すると大きく飛び上がり、一本の槍の上に足を乗せたかと思えば今度は槍と槍を足の裏で蹴って伝って加速しつつ、バーバルの元へ到達する。
槍の林を抜ければバーバルが迎撃の動作に入っていた。
魁世は最後の槍から飛び上がった瞬間に後ろの腰に差していた長剣と短剣の間のような剣を抜き取る。
惟義でさえも斬れなかったバーバルの頭部めがけて剣を振るう。
バーバルは惟義の時と同じように防御の姿勢をとる。
だがバーバルの両腕に衝撃は無く、魁世の剣はバーバルの頭部にも衝撃はなかった。
…
『あの頭に生えている棒は触覚なのかな』
『ちょっと待て琥太郎、ということは奴さん全裸ってことか⁈』
…
魁世は剣を横に薙いだ。
バーバルの全身に経験したことのない激痛が走る。まるでイバラが聴覚器官から侵入して脳を搔き回しているような、他の感覚を忘れてしまった。
見ていた明可は地面に倒れ、悶え苦しむバーバルの叫びを聞き、魁世がなにをしたのか考える。
そして結論に辿り着く。
「触覚を斬ったのか…!」
まさかと思った。明可だけでなく直も驚愕した。
確かに相手が虫なら超重要な器官である触覚を狙うのは間違っていないだろう。
だがもしそうでは無かったら、単なる装飾の類であれば、がら空きの胴体にバーバルの手刀で穴を明けられていただろう。
虫のような見た目だと明可も思っていたが、魁世は相手の見た目からここまでの思考に至ったのか…!
「えーっと、名前を実は聞いてないのだ。名前は…って聞いてる?」
魁世は地面にうずくまって頭部を手で押さえて激痛に苦しむバーバルを見下ろしながら言う。魁世の中ではバーバルを捕虜にして尋問する気なのが明可にはよく分かった。
しばらく見ていた惟義は立ち上がり、魁世の元に歩く。
「うむ、助かったぞ魁世」
明可は自分たちのいる場所にいきなり槍を集中して投げさせたことに一言あったが、溜息を一つして、をやめた。こうしていれるのは魁世のお陰なのだから。
「貴様、槍の一斉投射にはもう一言二言寄越せ」
「やっぱり?けど直なら避けられるって思っていたからさ」
直が苦言のようなものを呈し、魁世は後ろ髪を掻いた。
四人の間の空気は弛緩していた。それで動かなくなったかバーバルの行動の認知に遅れをきたした。
内なる運動を抑制するようで、解放するような動きをしたバーバルは背中の甲を開く。そこから一見すると透明だが黄緑で虹色な羽を出す。
それを羽ばたかせて黒い体を浮き上がらせる。羽ばたいたことによって発生する暴風から魁世たちは反射的に顔を覆い、再び見たときにはバーバルは遥か上空にいた。
黒い点は北の空へ飛んでいってしまった。
日はちょうど真上に来ていた。昨夜の深夜帯にしかけた夜襲から黒い騎士バーバルとの戦い。最初の夜襲から十時間は経っている。
「…帰るか」
惟義の呟きが合図となり、明可は自分の体にどっと疲れが来たのを感じ取った。
……
…
魁世は戦勝報告で伊集院雨雪の元を訪れている。
「案外あなたも戦えるのね、てっきり後ろから指揮するだけの臆病者かと思っていたわ」
雨雪のいつもと変わらぬ言葉使いを全身に浴びつつ、魁世は報告を続ける。
「スルガ王国の国王はここから近くの屋敷に丁重に監禁している。帝都への戦勝報告は後日正式に惟義が行ってきてくれて、スルガ王国との和平交渉は帝都の人たちがやってくれるそうだ」
「戦ったのはあなた達なのに勝ったあとは私たちに任せろって帝都の宮廷は随分と勝手ね。援軍も派遣しなかったのに」
雨雪は睨んできながら言ってくる。魁世としてはどうして何にも悪くない自分を睨んでくるのか、そっちの方が勝手な気がしてならなかった。
「領内の復興の方はどうだ?」
とりあえず魁世は話題を変える。
「今回は街道沿いの村々が襲われたのだけれど、これを機に荒廃した農村の統廃合をして町レベルの自治体をつくっていくことにしたわ」
「移住させるのか」
「安心して。町の方に移住を望んでいるのはむしろ襲われた村の人たちなの」
この世界では町ほどの規模になれば城塞とまではいかなくとも防御施設を備え付けるのは当然だった。だからこそスルガ王国は防備の弱い村々を襲い、南奧州に軍が浸透しきったら町も制圧するつもりだったのだろう。
「管理する村が減ればそれだけ経費は削減できるし、行政の目が領民により行き届くわ」
「廃村になる村の農地はどうするんだ?」
純粋な興味で聞いてみる。すると意外な言葉が返ってきた。
「有用なものは農務部の榛名さんが大規模農園として活用するつもりよ。小作人は流民や元居た農民が担うそうよ」
能代榛名は第一行政局農務部部長である。南奧州に来てからは土地調査から始めていたそうだが、今後は本格始動ということになる。
「保証のない自作農より守られた小作農の方がいいって人が多いみたい。榛名さんがどうやって農園経営をするのか見ものね」
魁世は雨雪は試すような口調に、そんな調子でいいのかと問いたくなったが、余計な地雷の可能性もあるので触れないでおいた。
そういえば
「そういえば調査部はどうなったんだ?」
「さあ?まだ終わっていないんじゃないかしら」
スルガ王国の侵攻の数日前に出発した調査部の吉川ナル、助人(すけっと)として乃神武瑠と那須興壱の三名が南奧州から更に南方の調査に向かっていた。
雨雪も知らないようだったが、噂をすればというように朽木早紀が調査部の動向を知らせてきた。
「雨雪ちゃん、あれ?魁世くん。武瑠くんが帰ってきたよ」
「朽木さん、吉川さんと那須さんは?」
「え?……あ」
朽木早紀の間の抜けた声で時間が止まったかのようだったが、魁世はさっそく武瑠の元へ向かう。
第一行政局本庁の玄関に武瑠はいた。行きの時に持っていた荷物はすべて持っておらず、魁世は嫌な予感がした。
「おい。他の二人はどうした」
魁世の質問に手ぶらで帰ってきた武瑠は極めて普通に言葉を返す。
「なんかね、ナルと興壱は捕まってる」
「どういうことだ、しっかり説明しろ」
魁世は訝しんだ。
「どういうこともなにも、あの地域で恐れられている怪物の生活圏に侵入しちゃってさー怒らせちゃったんだ。二人は赤い毛みたいな何かで絡め捕られてボクは逃げてきた」
話している最中、武瑠は一切動揺していなかった。
「その怪物の名前は?」
僅かに口端を上げて武瑠は答える。
「その地ではこう云われているんだ。
吸血姫、キュティ・エルジェベート・ハーニア。正真正銘の化け物らしいよ」
雨雪は属領領主であり群蒼会のボスである惟義と魁世、早紀による緊急会議を開き、方針を定めた。
まず先日の戦いで武勲を得た明可と彼の百足隊から百人の精鋭を連れて南方に派遣する。
第一の目的は吉川ナルと那須興壱の救出
第二は吸血姫キュティ・エルジェベート・ハーニアとの関係改善の交渉、場合によっては討伐
第三は同地の征服
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