第三十八話 蟲人族Ⅰ

 土煙が吹き荒れて現れた黒い騎士、それは見た目だけでなく名乗りからもそのイメージを助長させた。

 明可と直はそれぞれ武器を構え、惟義は仁王立ちのままである。

 周囲の惟義の兵士たちは状況を吞み込めていなかったが、これが上官であり主君の予定外の出来事であることは理解できた。

 兵士の一人が構えて槍を繰り出そうとして、他の兵士もそれにつられそうになる。


「全員後ろに下がれ!これは命令だ!」


 明可は叫んで兵士たちの行動を制止する。その頬には汗が滲んでいた。

 以前ドラクル公と会ったときに感じた気配と似た何か。感じれば足先から震える殺気のような何か。バーバル・インゼクトと名乗った者の放つ何かはひどく身体に覚えのあるものだった。


「今の自己紹介だとあのドラクル公の手下という認識でいいのだな」


 直は昆虫の複眼のような何かを人間の双眼の場所につけているバーバルから目を離さずに問う。


「そうだ。貴様らを倒すためにドラクル公より遣わされた者だ」


 頭部のあたりに生えている枝のようなものは触覚なのだろうか?直は自分がひどく落ち着いてバーバルを観察していることに他人のように驚いた。

 この状況を惟義はどうするつもりなのか、それの方も気になった。


「うむ、どうしても倒さねばならないのか」


「主君の命にはそれがたとえ自害だとしても従うのが家臣の務めである。もう一度言うが貴様らを倒しにきた」


 惟義はついさっき蹴散らしたスルガ王国とは比較にならない精神性を持ったバーバルに感服する。

 そうして腰の剣を抜く。それを見たバーバルも両手を構え、妙な動きを始める。

 惟義にはバーバルの動きがいつの日に見たボクシングのポーズのようであり柔術のようにも見えた。


「こっちは三人だが、いいか?」


「千人だろうが三人だろうが同じことだ、これは戦(いくさ)だぞ」


 惟義は一度瞑目して言った。


「うむ、ではこちらも名乗らせてもらう。帝国男爵にして帝国属領南奧州の領主、南奧州軍管区司令官だ。いざ尋常に勝負」


 それが戦闘の合図となった。



 直は黒い騎士バーバルの首元めがけて槍撃を繰り出す。黒い甲殻のような何かに覆われた体には薄緑の皮膚のようなところが見える。いかにも堅そうな黒い甲殻を避けて隙間の柔らかそうな薄緑に狙いを定めたのは直にとって当然の考えと動作だった。

 明可は瞬時に左腕に着けた盾で身を屈めて守りつつバーバルの側面に向かう。身を屈めたまま片手剣でバーバルの脚部裏側の関節、膝の裏のくぼみにあたりをつけ、斬りつける。そこは体を動かす上で装甲はつけられない場所であり、全身を覆う堅固そうな黒い何かを鎧とするならばソレが弱点と思ったゆえの行動だった。

 惟義は両手で剣を頭まで振り上げ、動作はそこで止まっている。

 二人のほぼ同時の攻撃はしっかりとバーバルに届いた、ように見えた。

 明可の下からの斬撃は軽く足を払うことで避け、直の首めがけた槍撃は槍を黒く太い腕で薙ぐように払われ阻止された。

 しかもバーバルは立っていた場所をほとんど動いていなかった。

 明可と直は背をむけぬように一旦距離をとる。明らかに技量の違う相手に、戦い方を練り直す必要を二人は感じとった。


「フン、常人と同じやり方で来ても…ん?」


 バーバルは吐き捨てた言葉を止めて目の前にいる男、惟義に意識を向けた。

 惟義は右足の踵をわずかに上げ、左足は後ろに下げて大きくつま先立ちにして立つ。

 剣は頭部のあたりで真っ直ぐ構えたままであり、目は揺らぐことなく前方をみつめる。

 バーバルは今まで見たことのない剣の構えに訝しんだ。

 そして惟義は大きく息を吸った。


「キエエエエエエエエエ!!!!!!!」


 おおよそ人間の声とは思えない声音と声量で惟義は叫ぶ。

 その声は周囲に、眺めることしかできない兵士たち全員に響き渡る大声量であった。

 後に兵士たちはその時の様子をこう語る。


 “声は語り草の竜のように威があり、剣を構えた姿は巌のようだった”


 “踏み込みは濁流のようで、それでいて無駄を感じぬはこびだった”


 “真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ振り下ろされた剣は見事、敵の頭に叩き下ろされた”


 事実だとバーバルは両手を組んで剣を受け止めようとする。だが惟義の斬撃は黒い甲殻を避けることもしなかった。剣は額に到達した。


「堅い!物凄く堅いぞ!」


 そう言いながら惟義は後退し元の立ち位置に戻る。

 惟義の手には折れた剣が握られていた。

 バーバルは中ごろから無くなった両腕をだらりと下げている。


「石頭すぎるのではないか?…四騎士のバーバル殿」


 そうは言っても腕を無くしたバーバルに勝ち目はない。周囲の兵士たちにはそう見える。


「……久しぶりだな、こうして腕を生やすのは」


 すると腕の傷の断面が激しくうごめきだす。

 直は最悪を想像して槍を繰り出す。

 だがするりと避けられ、空振りに終わる。

 明可がバーバルを改めて見たときには腕が元のように再生していた。

 感触を確かめているのかバーバルは手首あたりを触って言った。


「身体の調子は?槍を構えろ。剣を交換しろ。盾の状態を確認しろ。戦はここからだぞ?」


 バーバルは細い枝のようなものが生えた兜に見える頭の口を縦と横に開いた。



 戦闘は時間の経過と共に苛烈を極めた。

 今度はバーバルが手刀を用いて三人に攻撃する。盾で受け止めた明可はその手刀の重さに体を震わせる。すでに盾を二枚駄目にしていた。

 直は槍を掴まれることはなくとも、必要最低限の動きで避けるバーバルによって体力のみを摩耗していった。

 バーバルは三対一で不利のはずなのに柔軟かつ俊敏な動作運びによって挟み撃ちを避け、逆に対角線上に三人を配置することで同士討ちさせようともしていた。

 惟義の剣を頭から振り上げて叫んで打つやり方も、当初は有効そうに見えたが継戦すればするほど有効性を失っていった。

 三人とも黒い甲殻の間に刃を入れ、ダメージを狙うやり方に変わりはない。

 だがそれは状況を打開するには至らなかった。


 惟義のやった動作はとある世界では五行の構え、蜻蛉の構え、そのどちらでも無い我流で編み出したものだがそれに近いものだった。

 そこから大音量で気合いをいれつつ踏み込むやり方は似たような剣の流派の特徴と類似している。だが同じではない。

 結局のところ惟義が戦いの中で現在の自分が最良と思った戦い方をしただけである。

 惟義は示現流も薬丸自顕流も知らず、五輪の書も読んだことはない。眺めたことはあった。



 魁世と琥太郎は帝国の道を馬に乗って全速力で駆けていた。

 目指すは惟義たちのいるスルガ王国との国境付近。寧乃の魔力探知が正しければ膨大な魔力量をもつ何者かが惟義たちのもとに到着している筈であった。

 寧乃には惟義たち三人に連絡させようとしたが、寧乃いわく受信を拒否されているそうだった。

 そこから導き出される結論は、すでに戦闘が開始しており、魔法通信もできないほど相手は強敵であること。

 魁世は記憶を巡らせてある日の歴史の授業を思い出す。

 ある民族の小さな英雄が大国との戦いの中で大国の王を一騎打ちで倒し、そのまま戦いを勝利に導いたという神話。

 その小さな英雄は勝つ、負けるは置いて自分たちの側だと思っていた。だが負けてしまえば形勢逆転が起きるのは魁世たちの方である。

 ドラクル公国からの差し金であることは間違いない。スルガ王国の国王を捕らえ、ほぼ戦いは終わりかと思えたところでこの采配。未だ見ぬドラクル公とは一体どんな人物なのだろう


「魁世!着いたぞ」


 琥太郎の言葉に思考を現実に戻す。


「あのザワザワしているところに奴(やっこ)さんがいるのか」


 兵士が群がっているものの、ちょうど円を描くように空いた空間がある。

 そこでは土煙が舞い、鈍い音が響き渡る。

 魁世はその円の中には武器を持った惟義と明可、直が黒い何者を相手に戦い続けていた。

 …三対一かよ、とても英雄には見えないな


「あの三人が同時にかかっても勝てないのか、これは強そうだ。どうする魁世」


「どうするもなにも数の暴力で有利にするんだよ」

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