第十九話 クラス一の弓取りⅡ

 興壱は矢文にはこう書いていた。


『尊敬する弓の一族の皆さんへ


 このようなかたちでしか接触できないことをどうか許してください。

 我々は皆さん黒耳長人と友好関係を結びたいと思っています。ですが双方の歴史がそれを容易にはしてくれません。なので今回は折角なんで皆さんの弓の腕前と俺当代一の弓取りの腕比べしたいなと思います。

 こちらはいつでも準備できてるので是非色良い返事を待っています。


 当代一の弓取り コウイチ・ナスより』


 これと同じ内容の矢文が計六本、それぞれが隠れていた場所に狂いなく撃ちこまれた。

 この敬語と会話が降り混ざったお世辞にも良い文章とは言えない矢文の内容とその返答について黒耳長人の神官達は話し合う。


「私はこの申し出、受けるべきだと思う。いや受けて立ちたい」


 トゥアンは車座で話し合う他の神官達の前で立ち上がって宣言した。

 周囲の神官達は反応を示し始める。


「確かにトゥアン姉ぇ…大神官様は一族で随一、いえ向こう千年で見ても最強の弓使いだと思います。この無礼で恥知らずな人間に我らの力を見せつける良い機会かと」


「あたしも賛成です。トゥアン様なら余裕ですよ!」


「フッ、くれぐれもソイツの頭を狙うなよ」


 彼女らには驕るだけの実力が確かに備わっている。生まれながらの種としての特性と数十年数百年に渡って自然の中で鍛え抜かれた弓術が負ける筈がない。

 実際に種をそれで存続させてきた黒耳長人にとって弓は自分達の種族の象徴であり矜持であった。

 ……

「ホンマやるんですかコウイチ殿」


「誘ったのはこっちなんだからやるしかないだろ?」


 黒耳長人の神官達から自身からの挑戦を受けると返事がきた時、興壱は本来の目的を頭の隅に追いやってしまった。

 興壱の乗るキリシマの船は黒耳長人の使用する入り江に安全に停泊し、彼女らの集落の広場に連れてこられた。

 そこは広場というよりも生い茂る木々を最低限切り倒して設えられており、その小ささな空間に弓矢を携え革作りの鎧で武装した黒耳長人が囲うように並び立つ。その中心に興壱は立たされる。

 広場の端には大木があり、そこに二つの的が打ち付けられていた。

 興壱の隣にはトゥアンがおり興壱の目をしっかりと見つめて話し出す。


「これから貴様にはこの私、ニュー・ティオ・トゥアンと勝負をしてもらう」


 なんだ今更だな。興壱はその程度の認識であったが彼女たちは至って真面目に畏まった口調で続ける。

「向こうの木に二つ的が掛かっているだろう、そこに私と貴様の交代で矢を射掛ける。どちらかが的から外れたり疲労からの敗北を宣言すれば最後まで射掛け続けられた方の勝利となる」

 つまりずっと的当てできたら勝ち、興壱は至極簡単に考えた。


「ちなみ勝ったら何かある?」


「それを言おうと思っていた。貴様が勝てたら我ら黒耳長人は貴様らと友誼を結び、交易でも商いでもすれば良い」


「トゥアンちゃんが勝ったら?」


 するとトゥアンは数段彩度の下がった目で興壱を見て言った。


「…今の軽薄で舐め腐った呼び方は聞かなかったことにしといてやる。

 私が勝ったらか?教えてやろう。私が勝てば貴様らは我ら一族の生きた的として練習台になってもらう!」


 その時、一斉に周囲の武装した黒耳長人は矢をつがえて寸分の狂い無く興壱、そしていつの間にか拘束されていたキリシマと部下たちに向けた。

 流石のキリシマも動揺を隠せないようで、少々の冷や汗を流しながら縋るように興壱を眺める。


「そんな?そんなになること?」


 興壱の呟きは聞きもせずトゥアンは弓矢の準備を始める。仕方ないので興壱も元の世界から持ってきていて、先日に異種族連合の一武将の眉間に命中させた愛用の弓を携える。


「ま、いいよ。俺勝つからさ」


 またもトゥアンに無視されつつ興壱は流し目でそう宣言した。

 …

 ……

 興壱や魁世が元の世界で通っていた高校は学力では県内で一、二を争う公立高校である。

 これだけ聞けば在校生は皆頭良さそうだが、中学校で推薦等で学力が少々いやかなり足りなくとも入学してきた生徒は少ないが一定数存在する。

 興壱もその内の一人であった。


「さっきから聞いて思ったけど馬を走らせながら矢をかまえて的に放つってやっぱ凄いなあ」


「やっと魁世も俺の凄さに気づいたか、もっと褒めろ。けどまあ俺ん家の神社の流鏑馬は流派も歴史もはっきりしないなんちゃって流鏑馬だからな」


 那須興壱の家庭は代々地元では有名な神社の宮司の家である。馬に乗って矢を的に放つ流鏑馬もその神社の神事であり、興壱は高校生にしてその流鏑馬に出るひとりになるだけの実力と才能を持っていた。

 高校に弓道部は存在しその類まれなる才覚から入部を勧められるが本人は断っている。大きな理由は驕りでもなんでもなく“退屈”であるからである。


「その弓術?でいいのかな、それで猪とか鹿を仕留めたり出来るのか?」


「いやいやそこまではできないし、しようと思わないよ」


 魁世の言葉に興壱は手を横に振って答えるが、嘘である。興壱、というより那須の一族は代々地元から離れた山々で鍛錬と称して猪や鹿、イタチといった野生動物を狩っていた。法律といった様々な面から見ても悪いことをしているのだが、鍛錬だけでなくその地の畑を荒らす害獣を駆逐すると勝手に理由づけしており、興壱自身はむしろたまにできる密かな楽しみであった。

 知った者は歪んだ趣味と思うかもしれないが幼少期から弓矢に触れてきて、曽祖父や祖父、父親の『狩り』に従事してきた興壱としてはそれが日常であり、なんなら己の実力と才能を持て余して野生動物ばかり射ることは退屈とまで感じていた。

 談笑する興壱と魁世に冷水を浴びせる凛とした声がひとつ。


「二人とも随分楽しそうね、この放課後の集まりは那須興壱さんみたいな人たちが今度の中間テストで赤点をとらないための勉強会なのだけれど、違った?」


 伊集院雨雪の凍つく視線に興壱と魁世は即座に黙って勉強を再開する。興壱達の他にも放課後の教室で自習するクラスメイトが少なからずいる。

 雨雪に表立って、いや表裏関係なく逆らえる者はいない。

 それは雨雪が正論しか言わず、興壱から誰から見ても一つとして糺弾できる箇所の無い女性であるからである。

 それが素なのか損な役回りを演じてるのか本人しかわからないが、興壱は彼女は難儀な性格をしていると思っている。

 だが興壱は雨雪の損な役回りの原因は少なからず自分達にあることに気づいていない。


「そういや興壱、お前また女の人と揉めたらしいな。しかも相手は彼氏持ちときたもんだ」


「揉めてないよーただ俺は女のコと的は無意識に射抜いちゃったんだよね」


 弓をつがえて放つその姿に惚れてしまう女性は多く、本人の性格も相まって興壱の女性遍歴はなかなかのものであった。


「無理して居なくていいのよ?帰ったら?」


 懲りずに話す興壱と魁世に最後の警告を放つ雨雪、男子二人は今度こそ黙る。

 なお興壱は自身のクラスの女性には手をつけていない。

 放った矢を喰い止めそうな獣を狙ったりはしないのである。

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