第十八話 クラス一の弓取りⅠ
那須興壱は大海原を渡る船の上にいた。
黒耳長人と友好関係を結ぶために、そして義勇軍を援助してくれている商会キリシマ屋の種族間交易の仲立ちをするために。
実のところ興壱は自身のすべきことの本質的な部分は感覚的に理解していたものの、具体的なところ、例えば黒耳長人との友誼は帝国との関係を指すのか、自分達異界人のみを指すのか、はたまた人類全体を指すのかも考えていなかった。
これに関しては興壱を送り出した大将の惟義や参謀、軍師の透にも原因があった。特に惟義も透も黒耳長人と人間の関係の歴史や風習、様々な情報が不足または偏った情報しかないにも関わらずこれまで支援してくれた礼としてキリシマの願いを安請け合いしてしまったことに問題がある。
帝国を滅亡手前まで追い詰めた異種族連合を鎧袖一触と言わんばかりに撃破する(キリシマ含め多くの帝国臣民はこの時点ではこれは全て一人の人間による計画の一環であることは知らない)惟義達を奇貨と捉えて支援し、その見返りのひとつとして惟義達は黒耳長人との通商交渉を簡単に請け負ってくれるだろうと読んでいたキリシマは機を見るに敏、全世界共通いや他の世界とも共通する優秀な商人と言えるだろう。
興壱の乗船した船はこの世界で外洋航海には心許ないが海峡横断程度なら十分なレベルの船であった。見た目は世界史の教科書に載っていたガレー船であり、船員には無礼にも沈まないか不安になった興壱であったが大商人でこの船の所有者でもあるキリシマも乗船しているので不安不満と船酔いは飲み込んだ。
「コウイチ殿そろそろでっせ」
キリシマ屋のキリシマの言葉に興壱はのろのろと立ち上がる。
「あのヤシの林ができてるところかあ」
見ると南国を思わせる海岸であり、波の穏やかさと海の透明度、陽射しが少々強いことも相まってまるで観光できたような錯覚になる。
だが興壱は対岸から感じ取ったものに一応名言しておく。
「五人、いや六人だなキリシマさん」
「?何がでございましょう」
「なにって、決まってるでしょ。こっちに弓引いて待ち構えてる奴らがいる、ヤシの木ばっかだったからまだ見つけやすかったけどこれ以上近づいたら俺たち矢でハリネズミになっちゃうよ」
ハリネズミはいまいち分かっていないようだったが自分達が弓引いてまで警戒されていることはキリシマも理解したようである。
興壱は浜辺に揺れるヤシの林を眺めて言う。
「今からいうことを紙に書いてくんないかな、六枚分」
訝しむキリシマに興壱は笑う。
「矢文ケーションだよ、矢文ケーション」
…
……
黒耳長人。魁世はその文字面を見た時にそれは物語に出てくるあのダークエルフを指すではないのか、そう思った。試しにこの世界の住人にダークエルフという単語を発したが通じなかった。元の世界と同じ意味で通じる片仮名があったりなかったりする良い例であるが、結論から言えば魁世の想像した通りの見た目を黒耳長人はしていた。
黒と言うより褐色もしくは小麦色の肌に黒や焦茶色の髪、なによりその長く尖った耳が彼女ら種族の見た目の特徴であった。
人間の平均寿命が五十年程度に対して黒耳長人は三百年から五百年を若く健康に生きることの出来ることも大きな特徴だろう。
種族全体の特徴として弓術に秀でており、魔法適正のある者は概して心身の回復のできる魔女に優れている。それは単なるステレオタイプの類いでは無く、本当にそうらしいと知った魁世は黒耳長人を恐ろしくも感じ、同時にそんな彼女らといち早く良い関係を築こうという惟義の判断に感心していた。
また人類や他種族との関係の歴史、思想はともかく黒耳長人が今回の帝国への大遠征、多種族連合に組していない点が魁世の興味を掻き立てた。
魁世はその黒耳長人との交渉に興壱が赴いたことに不安と同時に心の何処かで双方の間で生じるもの凄い化学反応を期待していた。
魁世は黒耳長人の噂を聞いた時、男女比が殆ど女性、というより男性が確認されていないという情報に怪訝な顔になった。それでどうやって種を存続させているのか、そのレベルの男女比偏重は一夫多妻では補いきれないのではないか。興壱にはそんな数々の謎も解明して来てくれると勝手に期待していた。
……
…
件の種族も他の人類でない種族と同様に氏族による首長政治をとっている。
実のところ帝国に侵攻した多種族連合に黒耳長人も白耳長人への従属同盟というかたちで加盟しており、魁世の想像する通りではなかった。だが黒耳長人は他の鬼人や羊人、羽人のように今回の種族連合“軍”には参加していない。これは白耳長人が今回の帝国侵攻を楽勝の収奪戦争と捉え、利益は五等分よりも四等分の方が自己の取り分が大きくなる考えから黒耳長人を参加させなかった。もっとも人口が他種族より少ないことや、そもそも種族の意思決定機関である黒耳長人の首長たる神官達が外征に否定的であったことも理由であった。
そうして今回の戦争では何かと蚊帳の外だった黒耳長人だが“多種族連合軍、壊走す”の報を当の種族連合の散り散りに帰還する敗残兵達から伝聞で聞くこととなる。
なんでも数千に満たぬ帝国義勇軍によって撃破、追撃されたという。しかもその義勇軍は勢いそのまま逆にこちらに侵攻中らしい。真実は異なるが散発的な伝聞で情報を得た種族の首長たち、黒耳長人では神官と呼ばれる統治者たちはその情報にひどく恐怖した。
神官たちは種族総動員で郷土防衛を行うことを決定した。ありとありうる木々に弓の射撃ポイントを設け、大樹には巨木をくり抜いてまで高所かららの射撃や潜伏の可能な場所をつくった。
万が一に海峡を挟んだ人類側の大陸からの侵攻を予知するために海峡内に常に監視用の小舟を浮かばせ不足の事態に備えた。
そんな時であった。『義勇軍の弓の名手が黒耳長人のもとへやってくれる』の報が黒耳長人の元にもたらされたのは。
「大神官様あれが例の…」
「まて、もう少し引きつけて様子を見るぞ」
黒耳長人有数の氏族、ニュー族長的族の首長相当であり官僚階級の地位である神官、それより上の大神官の地位にある女性、ニュー・ティオ・トゥアンは木陰から迫り来る一隻の船を眺める。
傍らの女性、准神官はいつもなら氏族の皆々が憧れるトゥアンの優美な顔に陰りを感じつつ質問する。
「本当に近づいたら弓で一斉に射つのですか?」
トゥアンは神妙な面持ちで言葉を返す。
「そうだ。私たちは私たちの家族、妹たちとの平穏な生活とそれを抱えるこの小さな森と浜辺を守っていかなければならない」
そのためには拙速の決断と行動が肝要である。
そんなトゥアンの思いを鋭く割くように一本の矢がトゥアンめがけて放たれた。
トゥアンは無意識に、条件反射で避ける。
だが矢はトゥアンの元いた場所から一寸ほど離れた場所に突き刺さっており、その矢には小さな紙束が結ばれていた。
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