第二十話 黒耳長人Ⅰ
トゥアンと興壱は矢をつがえ交互に矢を放つ。
二人の矢は糸が通されているかのように的の真ん中に突き刺さり、次の矢もまた次の矢も問題なく的の真ん中に命中する。別に真ん中に当てなくてもいいのだが双方のプライドか暗黙の了解で常に中心に当て続けた。
周囲の木々が風に揺れる音と弓の弦が弾く音のみが聞こえる。誰も彼もが息を止めているかのように静かであった。
お互いに二十本ほど放ったところで興壱が言う。
「これじゃいつまでやっても終わんないよ、どう?射程伸ばさね」
興壱の提案にトゥアンは言葉で反応しなかったが、広場の的のある場所とは反対の端に移動してまた射掛け始めた。
また響き合う空気を裂く音。
興壱は矢を撃ち続ける中で黒耳長人の弓矢様々な特徴を掴み始めていた。
まず彼女はその服装や住居とは不釣り合いなほどに発展した弓を使っている。先日見たこの世界の人間や白耳長人含む異種族連合の使っている弓矢よりも命中精度、射程、速度、威力に優れていた。しかもその性能を単に弓の引きを強く固くすることで向上させるのではなく、弓そのものの技術や使用者の技量によって向上させていると分かった。
そして何よりトゥアンの荘厳な絵画のような洗練された構え、弓を手に取りつがえる様は思わず息を飲んだ。それに到達するまでどれほどの時間を費やしたのだろうか?黒耳長人の寿命の数百年単位の長さを始めて嫉妬した。
洗練さでは興壱はトゥアンに遠く及ばない。
だがひとつ気になることがあった。興壱は矢を構えながら言う。
「そうだ、今度は馬走らせながら弓矢しようぜ」
勿論できるよな?そんな声音の興壱にトゥアンはなんでもないように返答する。
「受けて立とう。ふん、なんの問題がある」
だが興壱は気づいていた。トゥアンの言葉尻が力無くすぼんでいたことに。
何故だ!何故コイツは矢を射掛け続けられる!
トゥアンは射程を伸ばしてまた二十本ほど射ったあたりから違和感を感じていた。
まず興壱の持つ異様な弓、上下が非対称であり色を塗ったとは思えないが妙な色合いをしている。特にその弓から響く鈍く重い音、どれほど引きの強い弓なのだろうか?
またそれを矢継ぎ早に放てる腕力と技術。はじめて見た時は興壱の五年も生きてない木のように細い体を見て油断していたが、弓と持久力を見て興壱が只者では無いと理解した。
そして今度は“うま”を走らせて勝負しようという
いや、うまを知らない訳では無い。本当だ
“うま”に関しては確か五十年くらい前に森の外で遠目に眺めたのが最後だった。乗ったことは…確か結構前に白耳長人の総氏族長に謁見した時に一頭貰ったではなかったか。
トゥアンはなにか喋っていないと動揺が出ると思ったのだろう、広場の外縁部にいた腹心の准神官に声をかける。
「そうだ准神官!白耳長人から貰った馬があっただろう」
「それ二百年くらい前の話ですよ⁈馬と私たちでは寿命違いますからね」
そんな彼女らのやり取りとは関係なく興壱は準備を完了させていた。
興壱はキリシマに頼み込んで世話も自分がすることを条件に馬を一頭だけ船に乗せていた。興壱は元の世界でも家の関係で馬の世話に関しては知見があった。
その馬はこの間の異種族連合を掃討していた時に略奪した馬であり、一応去勢されていたもののなかなかの暴れ馬であった。
興壱は問題なく制御できていたが
「トゥアンちゃん大丈夫だよ、俺の馬貸したるから交代でやればいいっしょ?」
こうして広場には即席の流鏑馬の舞台が整った。
「それじゃ俺からいくわ」
興壱のいた世界では狙撃、特に銃において言えば物理学や数学、気象学を熟知し現地の状況を鑑み現地でそれらの計算のできることが一流、いや常識と言えた。
それは弓でも用いることが可能であり、当代一の弓取りを自称する興壱ならやっていそうだが、彼は違った。
那須の家が“実戦”や鍛錬によって技術や知識を何世代にも渡り蓄積し、先代から後継へ受け継いできた弓術。
ヤマ勘、経験頼りと言われればそれまでだが、累積の経験は無謬の知識体系へと進化する。
それはいわば行動科学に類されるものであった。
トゥアンの注視する興壱の弓も勿論ただの弓ではない。それは元の世界では和弓、大弓と呼ばれ、その世界でもその性能や美しさを独自に進化させた兵器である。だが留意すべきなのは興壱の持つ大弓はかつての古強者たち、源九郎判官義経の弱弓や源鎮西八郎為朝の強弓と同時期に作られた大弓と同じ系統のものであり“面制圧を含めた戦術兵器”としての弓であることである。
それは興壱の持つ弓は元の世界では本来なら使用不可能な剛弓であることを意味する。
手綱を握り鐙を踏み締めつつ、興壱は馬上で意識を集中させる。口で小さく祝詞を呟くことで精神を安定させる。
馬を一気に駆けさせる。
的は二つ、風は無く、湿度はいつもと変わらず、留意すべきは周りの“観客”のみ
矢をつがえ、まずは一矢。
それは迷うことなく中央を射抜き、的の木板を軽快に割った。
その見事な弓捌きに周囲の面々は目的も忘れ歓声を上げる。
興壱はまさに矢継ぎ早にもう一つの的めがけて矢を放つ。
その嚆矢も幾らの狂い無く的を割った
興壱は馬上から周囲の最高潮に達する歓声に応えながら広場を一周し元の場所に戻ってきた。
興壱は呆然と眺めていたトゥアンに一言
「ほら次はトゥアンちゃんの番だよ」
トゥアンは数百年ぶりに背中に冷たい汗を感じた。
待て待て、ヤツは人間だ。寿命もせいぜいが五十年かそこらの生き物だぞ、向こうみできて此方にできない道理がどこにある
な、なんだこの馬。揺れるし暴れるぞ!
こんな状態でしかも走らせて矢を放ったのか⁈
これは何かカラクリがあるに違いない、そうだ!あのコウイチとか言うヤツは馬が地面を蹴り上げて空中に浮いている一瞬に矢を放っていた。確かに文面なら難しそうだがやるしかない、私の矢の上には一族いや種族の命運がかかっているんだぞ!
やるしかないじゃないか。
よしっ行くぞ!
あれ、これってやはり両手を手綱から離さないと弓を構えることもできないじゃないか。
これ離したらこの暴れ馬の制御はどうするんだ?太ももで挟んで安定させるのか?
……ああああ!やっぱり暴れだしたじゃないか!
あ“あ”あ“あ”!!そっちじゃないいい!!
突っ込むな突っ込むなやめろやめろ
あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“!!!!!
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