薔薇
フィオー
第1話
毎朝6時にお嬢様を起こす、例外の日以外。
それが家にお使いしている僕の仕事の1つ。
――5時59分。
いつも通りナイフ片手にお嬢様の寝室に入る。
後ろ手にドアを閉め、静かに暗い部屋を横切り窓の戸を開く。
すぐそこの木に止まっている小鳥がキュッキュと笑った。
――6時、30秒前。
振り返ると、朝日が差し込んだ部屋。
端のベッドに静かに歩み寄る。
目の下のお嬢様は、ピンクのネグリジェ姿で気持ち良さげに寝息を立てている。
お嬢様はいつもここで、瞼越しの朝日が眩しいのか、ベッドの上で悶えるような動きをする。
足を……組み……替えた。
……太い、真っ白な太ももの付け根までが、朝日に照らされた。
そして、そんなに嫌なのか、壁側へ寝返りを打つ。
……乳房が揺れる。
長い前髪が顔に垂れる。
枕にはヨダレが少し……。
――6時、10秒前。
もうお嬢様は起きている。
朝日を浴びた瞬間に、ちゃんと起きている。
もう少し寝てたいと起き上がるのが嫌なだけ。それを無理やり起こさなくてはならない。
僕はお嬢様の枕元から、
「お嬢様、朝でございます」
声に反応し、お嬢様の体がもぞもぞ動く。
「起きて下さい」
お嬢様の体を揺すったりはしない、小さく言うだけ。
すると、お嬢様は顔を枕で隠した。
これが合図。
「では朝食を運んで参ります」
僕は踵を返し、退室する。
窓の外の小鳥がまた一斉に笑ったのが、背後から聞こえてくる。
朝食をテーブルに並べる。
ナイフを使ってハムを切る。
終える頃に、お嬢様は寝室から出てくる。
いつもと変わらない……この日課……。
このあと、お嬢様はベッドから出て1日を始める。
優雅で美しい、幸福に満たされたお嬢様の1日が始まる。
僕はこの1分を、1日中待っている。
この時が優雅で美しい、僕の幸福に満たされた1分。
……でも……明日は例外の日……。
◇
――5時59分。
2日ぶりに、お嬢様を起こしに寝室に入った。
ベッドには真赤な薔薇の花びら。
花びらの中でお嬢様は寝ていた。
いつもそうだが、この薔薇は良い薔薇だ。
2日前のものなのに、まだこんなに真っ赤な色だ……。
……窓の戸を開けて朝日が入って来ても、お嬢様は起きなかった。
外では小鳥がいつも通り笑っている。
今朝はどうするか。
……やるか……?
そんな事が出来るわけない。
したいが……。
……。
ナイフを持つ手が震える。
ここで起きないとは、小さく言うだけでは起きないだろう。
肩を叩く、揺すって起こす……?
そんな事……したいが……出来ない……。
……徐々にに声を大きくして……。
お嬢様の枕元に立つ。
と、お嬢様が足を組み替えた。
起きたのか?
僕の存在に気づいて?
「お嬢様、朝でございます」
お嬢様の体がもぞもぞ動く。
そして、お嬢様は顔を枕で隠した。
「おはようございます」
そう言って僕は退室する。
窓の外の小鳥が一斉に笑ったのが、背後から聞こえてきた。
優雅で美しい、僕の幸福に満たされた1分が、終わってしまった。
朝食をテーブルに並べながら、もうこんな1分いらないと、おもった。
死ぬほど求めている貴女を、絶対に殺すことにして、何日経ったか数えていた。
◇
僕の愛したお嬢様は、ティエル家の御息女、ソフィア・ティエル様。
いつもお菓子とファッションに夢中の、世間知らず。
母を早くに亡くし、父は1000年前からこの地を支配していた貴族の末裔。
兄弟姉妹はいない。
母から貞節を教わらなかったからか、男達の目も気にせず着替えたりする。
僕たち使用人とは家来というより、友達のように付き合っていた。
特に女たちとは、よく一緒に笑って話している。
僕は毎回、聞き耳を立てている。
たまに恋の話をしている時がある。
それを聞くからに、お嬢様はきっと本気の恋なんてしたことがない。
僕の恋は本物だ。
でも気づかれないよう、遠くから、近くから、ずっと見てる。
金のない僕に何ができる?
お嬢様のまわりをウロチョロしてるしか出来ない。
お嬢様がいる場所へ、用もないのに行ったりしてる。
話しかけれない。
話しかけて、皆がしてるようにぐらいは、僕もお嬢様と話したい。
でも、できない。
悶々とする日々だ。
ところがある時、ひとりの男が現れた。
最近、貿易で成り上がった商売人のボンボンだ。
僕は使用人の男には、挨拶どころか目も合わせようとしない。お高く止まったボンボンだ。
女の、若く綺麗なのだけには、色目を使う。
何かとあると、金と父の名前を出して威張る。
そんなのが、両手いっぱいの薔薇を抱えてお嬢様のもとにやってきた。
あの時のお嬢様の表情は、忘れられない。
そのまま、男はお嬢様の部屋の中へ入っていった。
その日は眠れなかった。
部屋には薔薇が匂ってふたり、抱き合っているのかもしれないとおもうと……。
……。
――5時59分。
いつも通り、お嬢様の寝室に入る。
……寝室には、男もいた。
その日も、ちゃんと、起した。
その後は、この事で頭がいっぱいだった。
お嬢様が使用人たちと話しているのを聞き耳立てていると、使用人の女が
「初めては痛いの?」
と聞いていた。
「痛い」
とお嬢様は答えた。
「ホントに舐めるの?」
と、使用人の女が聞いた。
「だってしてっていうんだもん」
とお嬢様は答えた。
ついで、
「かけてきた」
と文句を言った。
僕が泣いたのは、そう話す幸せそうなお嬢様を見たからだ。
そして、殺したくなった。
起こす時に、ナイフで突き刺す。
無防備なお嬢様の心臓を一突き。
力いっぱい、突き刺す。
そんな事をおもうと、今夜も眠れなかった。
――5時59分。
僕はお嬢様を起こしに部屋に入る。
今日は覚悟を決めている。
窓の戸をいつものように開く。
開かずに殺っても良いが、やはり、最後はお嬢様の姿をちゃんと見たい……。
窓の外で小鳥がキュッキュと、いつものように鳴いている。
それから、朝日が差し込んだベッドの上のお嬢様をじっと見る。
ネグリジェ姿で気持ち良さげに寝息を立てている。
……。
ここで僕はふいに、勢い良くベッドに飛び込む。
ナイフを振りかざす。
そして馬乗りになって、寝ているお嬢様の胸に……。
そしたらお嬢様は、血のバラの中で息絶える。
僕の送った薔薇は、すぐに色褪せて汚ないだろう。
きっと、あの時見た薔薇のようにきれいなものではないだろう。
茶色い花びらの中で眠っているお嬢様か。
なんだか悲しくなってきた。
……。
……力いっぱい、突き刺す。
それだけで良いのに……ただ、その力が出ない。
やろうと思うと手に力が入らなくなる。
……躊躇っているのか?
……。
……何を躊躇う……。
なんの力を込めるのか、考えるんだ。
悲しみと、愛と、恨みと……。
僕はお嬢様が欲しい、命がけでも欲しい、あの男のものではない。
ただの独占欲……身勝手だ。
だから力が出ないんだ、きっと……。
できない。
でもしたくてしかたない。
それ以来、窓の外で小鳥がキュッキュ鳴いているのが、僕を笑っているようにしか聞こえなくなった。
◇
――5時59分。
いつも通りナイフ片手にお嬢様の寝室に入る。
雨戸をあけると、すぐそこの木に止まっている小鳥がキュッキュと笑った。
――6時、30秒前。
朝日が差し込んだベッドに静かに歩み寄る。
そんなわけで、お嬢様は今日もすやすや眠っている。
お嬢様はいつもここで、足を組み替える。
もう起きている……。
でも起きるな。
僕の声で仕方なく目覚めるんだ。
そっと優しく目覚めさるんだ。
瞼越しに朝日が眩しいのが嫌でなのか、窓と反対側へ寝返りを打つ。
ずっとこれの繰り返し。
僕はこの1分が来るのを、1日中待っている。
「では朝食を運んで参ります」
そう言って僕は踵を返し、寝室を出て、ナイフでハムを切る。
悲しい恋を抱いたまま、僕はずっと過ごしている。
薔薇 フィオー @akasawaon
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