第9話 追っかけ隊

 午後7時半。

その日の仕事が終わった帰り道。


サトシは歩きながら、今日のクラスの様子を思い返していた。


「あんな新入生オリエンテーションで何が変わるものかとタカをくくっていたが、生徒たちは、相手を思いやったり、協力しあったりするようになっていたなぁ。つまり、あんなものでも効果があるということか。俺の考え方はまだまだ甘いんだな」


帰り道を歩きながら、サトシは気が付くと独り言を言っていた。

すると突然、なぜかゾクッと寒気がした。

何とも言えない、誰かに付けられているような気配を背後に感じたのだ。


(誰だ。誰だか知らないが、このまま家に帰ったら自宅の場所を覚えられてしまうな)


何者なのかわからない者に、自分の家を知られたくはない。

かといって、警察に駆け込むほどの危険は感じない。

どうするべきか。サトシは最も安全な方法を思いついた。

それは不本意ではあったが、究極の選択で、実家に帰ることにしたのだ。

本来の通勤路なら、学校までは徒歩圏内の借家なのだが、わざわざ実家まで遠征する手段をとった。


サトシは駅に向かって早歩きしてから、電車に乗った。

電車に乗っても後を付けてきたら、警察に駆け込むべきかと悩んだ。

三つ目の駅で降りる。

サトシは急ぎ足で駅の階段を降りて、駆け抜けるように改札を通過した。


足音を聞く限りでは、サトシを付けているのは一人じゃないとわかった。

複数人で追ってくる。

サトシは住宅街を走った。

すると、追っ手も走りだした。


(何なんだ。何故、俺は追われているんだ)


「柚木くん、走ってー!」


柚木くんと叫んだその声は、若い女の子の声だった。


(柚木くんだと? ああ、これは俺の受け持ちの生徒かよ)


一年A組、桜井美柑と桃瀬春奈、そして柚木カオルの三人組だ。

しかも、柚木が追いかけて来るスピードは速かった。


(柚木って、陸上部だったっけ? インターハイに出るつもりなんじゃ……)


サトシは、必死に生徒たちから逃げた。

そして、ようやく実家の門を開け急いで中に入った。


しばらくすると、サトシの受け持ちの生徒、桜井たち三人組が実家の前まで追いついて、おしゃべりを始めた。


「ここだわ。先生の家」


「すごい豪邸じゃない。うわぁーー、ザ・裕福って感じ。もしかしてサトシ先生って、いいところのお坊ちゃま?」


「間違いないわ。表札に佐藤って書いてあるし」


「でも、佐藤って普通に多いから、表札を見ただけでは当てにならないんじゃ?」


「へぇー、いい家柄のお坊ちゃまが、どうしてうちみたいな白金女子学園に来たのかしら」


「それは、とても興味深いよね」


「嫌だわ~、もしサトシ先生と結婚したら、この豪邸の嫁になるの? わたしに務まるかしらぁ……」


「何言っているのよ、美柑ったら。夢見ている場合じゃないわよ、ここから先が肝心なんだからね」



(あきれたやつらだ。人んちの前で、制服姿でぺちゃくちゃと……)


サトシは、自分のスイッチを先生モードに切り替えた。

そして、いきなり門の裏から顔を出した。


「心配はいりません。先生はこの家に嫁と住むつもりはありませんから」


「「「先生!!」」」


「やだわ。尾行がバレてたの?」


「シッ! 夜ですよ。ご近所の迷惑です。大声を出さないように。それより、こんな遅い時間まで、制服姿で何をしているんですか。ご家族が心配していますよ」


「桃瀬さんの家で勉強会していました」


「ちゃんと親には、桃瀬さんの家で勉強しているって言っています」


言い訳をする桜井と柚木、そして桃瀬にむかって、サトシは𠮟りつけた。


「まったく、どういうつもりなんですか。もう遅いから家に帰りなさい! と、言いたいところですが……、暗い夜道を制服姿で歩かせるのは危険ですね。……ちょっと、ここで待ってなさい」


サトシは、一大決心をして勘当された実家に入った。


「ただいまー。ちょっと寄り道したんだけど……」


「あらぁ! サトシ。お帰りなさい。どうしたのこんな時間に」


幸い、父はまだ帰宅していなかった。

母と姉は、久しぶりに顔をみせたサトシを見て喜んでくれた。

サトシは、受け持ちの女生徒たちに後を付けられて、やむを得ず実家に逃げて来たことを話した。


「あら、サトシ。それなら生徒さんを家に入れて、一緒に夕飯食べて行けばいいじゃない」


「いや、母さん、そういう問題じゃないんだ。気持ちは嬉しいけど、俺は特定の生徒だけを特別扱いはしたくない。それに、父さんが帰ってくる前に早くここを出たいし。だから、車だけ借りるよ。生徒を自宅まで送っていくから。車は、明日返しにくる」


「えー、サトシの生徒? 見たいわぁ!」


サトシの姉は、有名私立女子高校の出身である。

姉のレイコは、サトシの就職先である女子校の生徒が家に来たと聞いた途端に、親近感がわいたのだろう。


「レイコ姉さんは出て来なくていいから……、車借りるよ、じゃ」





サトシは、ガレージから車を出した。


(教師として、この子たちを無事に家に送り届けなければ……)


「さあ、車で家まで送るから乗りなさい。まずは、一人ずつ住所を教えてください」


「キャー、これって先生の車?」


「違いますよ、姉の車です」


「お姉さんがいらっしゃるの? 会いたーい」


「会わなくていいから」


生徒たちを車に乗せたタイミングで、ちょうど姉が家から出てきた。


「あらぁ、かわいい生徒さんたちね。うちの弟を尾行したなんて、なかなかやるじゃないの。

でも、こんな時間に制服姿で出歩くのはとても危険よ。 酔っ払いや変質者に捕まったら嫌でしょ。もうこんな危ないことはしないようにね」


「はぁーい、すみませんでした」


「ごめんなさい」


「申し訳ありません」


サトシよりもレイコのほうが、女生徒の扱いには慣れていた。

さすがは、有名私立女子高校の出身。女同士の会話には説得力がある。


「じゃ、送っていくから」


「先生のお姉さんって、美人!」


「きれいなお姉さまですね。女優さんみたーい」


「なんか、夜のドライブって、わくわくしない?」


「する、する!」


「お腹すいたね。先生、何か美味しいものでも食べに行かない?」


生徒たちは、まるでドライブ気分で盛り上がっていた。

サトシは、そんな彼女たちを一喝した。


「どこへも寄りません。自宅へまっすぐ送るだけですから!」


「つまんなーい」


「つまんないじゃくて! 帰るんです!」


桜井美柑は、ちゃっかりと助手席に座っていた。


「先生、運転している横顔、すてきですね♡」


「美柑、ずるいわよ。あんただけ、なんで助手席なのよ。先生! 助手席を輪番制にしてください」


「わたしなんか全速力で走ったし、お腹すいた……、マックのドライブスルー、通らないかなぁ」


サトシは、ブチ切れた。


「いいからお前たち、黙って乗ってろ!!!」


入学してきた当初と違い、オリエンテーション後の生徒たちは、逞しさも身に着けていた。


「マックじゃなくてケンタでもいいよ、サトシ先生」

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