第7話 新入生オリエンテーション③

 みんなで食事をしていると、意外な人物が桜井美柑の隣にやってきて座った。

それは、同じA組の生徒でありながら、名のり出なかった学級委員の夏梅だった。

普段の夏梅なら、ああいう場面で真っ先に名乗り出そうなものだ。

夏梅は申し訳なさそうに、桜井にこう言った。


「ごめんなさいね、桜井さん。ありがとう、助かったわ」


「夏梅さんだったの? ペットボトル!」


「しっ! ほら、あたくし優等生ってことで通っているでしょ。だから、言い出せなくて……」


「あ……そういえば、あの時ものすごく汗かいていたもんね。もう! しょうがないわね」


「本当にごめんなさいねー」


「皿洗いぐらい別になんともないから、気にしないで」


食事中、サトシは背中でこの会話を聞いていた。


(そもそも、担任である俺が一緒に作業していながら、空のペットボトルに気が付かなかった。担任の俺が悪いのだ)


桜井には悪いことをしてしまったと、サトシは反省した。





夕食後、教頭の言いつけ通りに、桜井美柑と桃瀬春奈はせっせと皿を洗っていた。


「桜井さんばかりいい子になるのが、悔しくって……、わたしがやりました、なーんて言ったけど、言って損したわぁ」


「桃瀬さん、ありがとね。二人で皿洗いなんてなかなかできない経験じゃないの。これで、いいと思う」


なんだかんだ言いながらも、桃瀬と桜井は、皿を洗い続けている。

その様子を見て、サトシは自責の念に駆られ、桜井の横にそっと立った。

桜井が洗った皿を、サトシは横から手を伸ばして受け取って、無言で拭いた。


桜井美柑は思わず、隣で皿を受け取ったサトシを見て驚いた。


「先生、皿を拭いてくれるんですか?」


「これくらいなら」


桜井が水ですすいだ皿を、リズムよく受け取り、サトシはさっさと拭いていく。

 

「ずいぶんと慣れた手つき……、これなら先生の奥さんは幸せですね」


「そんなものはいませんよ。皿洗いは、母と姉に鍛え上げられたので」


「えっ?……!」


「どうしました? その顔は」


「……結婚……してないんですか」


「いつ、先生が結婚していると言いました? ノーコメントと言ったはずですが」


「ええ、そうですけど、別に……」


この瞬間にサトシは何かを感じた。

サトシは経験上、女子高生が恋に陥る兆候には敏感だった。

桜井美柑から見たサトシは、女子校フィルターがかかっているかもしれない。

先生がかっこよく見える現象に、生徒を陥らせてはいけない。

生徒に恋愛感情を抱かせたら、それは教員の責任であるとサトシは考えていた。


「でも、きっといますよね。婚約者とか、何年越しの恋人とか……」


「おーい、夏梅も手伝いなさーい!」


サトシは、桜井美柑の質問が聞こえていないふりをした。

質問に答えてくれないサトシ先生。

桜井にはそう見えていたかもしれない。


「夏梅―! 早く来なさーい」


逃げようとした夏梅を、柚木が押さえ込んだ。


「先生! 逃亡犯を捕獲しましたぁ!」


「わ、わかったわよ! 謝るから離してーー!!」


夏梅学級委員とともに、桜井と桃瀬、柚木。

そして、担任サトシの五人で、皿洗い部隊が結成され、


「五人でやれば、早く片付きますね、先生」


夏梅は優等生らしいことを、サトシに言ってきた。


(誰のせいで、こんなことになっていると思っているんだ。ったく)


サトシは、心の声を押し殺して食器を拭いていた。


黙々と皿洗い部隊の任務は遂行され、新入生オリエンテーションの一日目は、こうして終わった。





新入生オリエンテーションの二日目は、ネーチャートレイルだ。


K高原から、山梨県と長野県の間に位置する八ヶ岳を行くハードな行程だった。

女生徒たちにとってはキツイ行程になること、間違いない。

中高年である教頭は、御祈祷の時間だといって合宿所に残っていた。

生徒たちを先導するのは、熱血の学年主任である藤原先生だ。


「おーい、新入生たち、途中で脱落したものは置いていく。帰りに拾ってやるから、そこで待機だ。それでもよければ、いつでも根を上げていいぞ!」


サトシは、若い生徒たちには付いて行けず、常にしんがりを務めていた。

教員が脱落したとあっては、生徒たちの笑いものになること確定だ。


「せ、先生は、皆の無事を確認するために、わざと最後尾についているのです。ハァ、ハァ、ハァ」


「サトシ先生、本当にいいんですか? わたし達、先に行きますけど。先生、息が上がっていませんか?」


「はははは、ははは……、大丈夫です。大丈夫。そんなことは気にしないでいいから、先に行きなさい。ハァ、ハァ、ハァ」


元気に先を行く桜井の班は、柚木という強力な隊員がいた。


「柚木くん、荷物を持ってくれてありがとう」


「いいの、いいの。これくらいまかせて」


ちゃっかりと重い荷物は柚木に持たせて、桜井と桃瀬は軽快に山を登っていた。


こうして、女生徒たちは、肩で息をしながらも仲間同士で声を掛け合い、見事に山を登り切った。


「ああ、つらかったー。だけど、山からの眺めは最高だわー」


「桜井さん、どこがつらかったーよ。あなたたち、柚木くんに荷物持たせて、楽をしていたでしょう!」


「いいの、夏梅さん。わたしは桜井さんたちの役に立ちたかったのだから。むしろ喜んでやっているの。こんなの日常の筋トレだし」


平気だと言う柚木を見て、夏梅は感動していた。


「柚木くんったら……なんて健気なの」


そんな夏梅の感動などお構いなしに、桜井は岩の上に登って叫んだ。


「すごーい! みんなー! 向こうに富士山が見えるよぉ」


サトシも遅れはしたが、なんとか登りきって、桜井たちの横で必死に呼吸を整えていた。


(ああ、下りが恐い。下りは膝に来るんだよな。藤原先生は元気だなぁ。まるで自衛隊の訓練みたいなノリだ)





このハードなネーチャートレイルで、生徒も教員もクタクタになったことは言うまでもない。

しかし、疲れていても当然のように、夕食の準備は自分たちでしなければならなかった。

本当に、自衛隊の訓練のような合宿だ。

いつの間にか調理担当になっていた桜井美柑にとって、メニューがカレーだったのは幸運だった。


「すごーい! 和牛がある。これってお取り寄せ?」


「なんでも、毎年卒業生からこの日のために、和牛が送られてくるんですって」


「夏梅さん、さすが情報が早いわね」



一日目と同じように桜井美柑は腕をふるって、ご飯を炊きカレーを作った。

桜井のカレーは美味しいと、皆から大評判だった。

サトシも桜井のカレーには感動していた。


(やっぱり、うちのクラスは料理させたら、一番なんじゃないか?)



そして、夕食後。

食器の後片付け、皿洗いの時間になった。

桜井は、汚れた皿や鍋を目の前にして、テンションが下がりまくっていた。


「あ~あ、カレーってさー、作るのは簡単だけど、後片付けが大変なんだよね」


サトシは、今日も手伝ってやりたいと思った。

だが、ここで桜井に淡い期待をさせてはいけないと、職務に忠実になる方を選んだ。


「先生は、他の先生たちとの会議があります。食器の片づけは、昨日のようにみんなと協力してやってくれますか」


「なんだ、来ないんだサトシ先生」


サトシは、桜井に対してわざとつれない態度で台所から出て行った。




そして、サトシは足腰の痛みに耐えながら、教員用の別棟で布団を敷いていた。


「サトシ先生、お疲れ様です。すみませんね。膝は大丈夫ですか?」


「藤原先生、気遣いすみません。正直に言うと、結構膝にきましたね。はははは、完全に運動不足ですよ。お恥ずかしい」


「足腰が弱ると、老化が早いそうですよ。お互いに、気を付けたいところですね」


「は……はい、本当に」




夜になると、生徒たちは疲れ果て、布団に入ったと同時に寝てしまった。


こうして、新入生オリエンテーションは無事に終了した。


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