第4話 キモイおっさんと呼ばないで
サトシは職員室で、新入生オリエンテーションのついての資料に目を通していた。
(こんなことをして、新入生の心がけが変わるものか。まるで、合宿と言う名の強化訓練じゃないか)
すると、工藤が声をかけて来た。
「おい、サトシ。職員室に入って来たあの生徒。お前のクラスの子じゃなかったっけ?」
工藤に言われて、サトシは職員室の入り口を見た。
すると、そこには
スーパーでサトシとタマゴの取り合いをし、落とした生理用ナプキンを真っ赤になって受け取って逃げた女子高生……に似ている、あの
「おーい、一年A組担任のサトシ先生なら、ここの席だぞー」
工藤は親切にも手を振って、サトシの席を桜井に教えてやった。
サトシは、桜井がタマゴの女子高生だったらと思うと動揺が隠せないでいた。
「ど、ど、どうかしましたか、桜井さん」
「先生……」
桜井はサトシをじっと見つめるだけで、なかなか用件を言おうとしなかった。
サトシの経験からすると、こういう時の女生徒は、たいてい爆弾発言をすることになっている。
(とても嫌な予感がする)
サトシは自分を落ち着かせるために、マイボトルのお茶を一口飲んだ。
「サトシ先生、あの……、スーパー尾張屋でのタマゴ、どうもありがとうございました」
ブーーーッ
サトシは思わず、お茶を吹き出した。
やはり、桜井だったのだ。
教室では、サトシが「どこかで会ったかな」と言ってもうつむいていたから、きっと人違いだろうと安心していた。
実は、桜井は気が付いていたのだ。
担任のサトシ先生とスーパーでのおじさんとは、同一人物だということを。
しかし、ここで桜井を責めるのはお門違いだ。
教室でのあの場面で、「どこかで会ったかな」と聞かれ、「そうそう、昨日スーパーで……」とは言い出せるはずがない。
サトシは内心慌てた。
(いや、待て、待て。落ち着くんだ俺。ここで、あれは俺だと認めたら、生理用ナプキンを持って追いかけたことも認めたことになる。それは、マズい。特に、ここは職員室だ。
同僚や教頭もいる。ここで変質者扱いされたら、一巻の終わりだろう。スーパー尾張屋だけに、スーパー終わりや!)
……などと、つまらないジョークを言っている場合ではない。
今後の教師生活のためにも、サトシは知らぬ顔で押し通しておく方が得策だと考えた。
「スーパー尾張屋? はて、何の事でしょうか」
「あの、タマゴの特売日のことです。あのとき、ラストの1パックをわたしに譲ってくれたのは、サトシ先生ですよね。お陰様で、弟のお弁当に玉子焼きを入れることができました。どうもありがとうございました。」
桜井は丁寧にお礼を述べた後、頭を下げた。
「弟?」
弟と聞いて、アキラというのは彼氏ではなかったことが判明した。
それでも、ここでアキラという名前をサトシが口にしたら、正真正銘のキモいおじさんに確定してしまう。
「さ、さぁ……、ひ、人違いじゃないでしょうか? 桜井さん。先生はスーパーで買い物なんかしませんよ。忙しいですからね、家と学校の往復だけです」
「え? そうなんですか」
「残念でしたね。よく間違われることあるんです。イケメンの家事芸人に」
「そんな芸人いるかよ!」
と、鋭いツッコミを入れたのは桜井ではなく、同僚の工藤だった。
工藤は、続けてサトシをフォローするために、桜井に話しかけた。
「あなたは桜井さんって言うんだね。サトシ先生は、時々しょうもない事を言うからな。オヤジギャグだと思って聞き流しなさい」
オヤジギャグは余計だとサトシは思った。
だが、工藤のおかげで何とか切り抜けられそうな空気になり、サトシは感謝した。
「そうなんですね」
(おい桜井、そこで納得するな)
「わたしったら、勝手にサトシ先生だと思い込んでしまって……すみませんでした。人違いだったみたいです」
「いいえ、大丈夫です。間違いは誰にでもあるものです」
「失礼しました。では、わたしは教室に戻ります」
(おおおお、セーーーフ、助かったぁ)
サトシは暑くもないのに、汗びっしょりの顔を教科書で扇いだ。
「先生!」
帰りかけた桜井は、突然サトシの方を振り向いた。
サトシは、驚いて教科書を落としそうになった。
「やっぱり先生です。間違いありません。あの日は弟が喜んでくれて本当に助かりました。わたしは、どうしてもお礼が言いたかっただけです。安心てください。わたし、誰にも言いませんよ。サトシ先生のこと、キモいおっさんなんて、決して呼びませんから」
そう言い残して、桜井は職員室から出て行った。
汗でサトシのメガネはずり落ちた。
(はぁ? わかっていたんじゃないか。それなのになぜ一旦納得した?)
「ハハハ、サトシ、さっそく洗礼を受けたな。女子高生を舐めてはいかんのだよ。本当は、あの生徒が言った通り、スーパーでタマゴを譲ったのはお前なんだろ。別に隠す事でもなんでもないじゃないか。どうして、そこまで動揺しているんだ」
「は? 何を勝手なことを」
「そんなに教科書で扇ぐなよ。そんな態度じゃ嘘だとバレバレだぞ。そこまで動揺しているのは、かなり怪しい。ふーん、実は何かキモいことでもあったのかな」
「か、仮にそうだったとしても、タマゴを譲っただけだし、べ、べ、別に動揺なんか……」
「ふぅーん、なるほど。お前ほど分かりやすい生物はないな。だいたい、生徒との距離を保つために先生モードに切り替えているのはわかるが、その丁寧な態度がクールだわ、なんて勘違いする生徒だっているからな。気を付けたほうがいい」
「そ、そ、そ、そうですか、工藤先輩。それは貴重なご意見を、ありがとうございます」
激しく動揺しているサトシの横に、黒い影がすっと近づいた。
教頭である。
サトシはさらに動揺した。
教頭は怖い顔をして、サトシを睨んでいた。
「きょ、教頭先生!?」
サトシの声は裏返っていた。
「サトシ先生、新入生オリエンテーションの資料に目を通してくれましたか?」
教頭の用件は、スーパー尾張屋の話とは全然関係ない話だった。
「オリエンテーションには、担任の先生方と学年主任、そしてわたしも同行します」
「きょ、きょ、……教頭先生も、ですか」
「本当は、毎年のように校長先生も参加されるのです。今年もオリエンテーションに行きたいと、校長先生はおっしゃっているんですが、今年は檀家さんの法事が立て込んでいて、無理なのだそうです」
白金女学園の校長は、お寺の住職だ。
教頭とは対照的な、温和でやさしいお爺ちゃん。
全校生徒から愛されている校長と聞いている。
「それは、残念ですね」
「校長先生が行けない分、わたしたちでしっかり引き締めて参りましょう。いいですね」
「はい、承知いたしました」
サトシは自分の机の上を、必要以上にきれいに整理し始めた。
(教頭先生の気迫が……、鬼気迫っている。生きて帰ることができるのかな、俺)
サトシの心の声を工藤は読んだのか、不安を払拭しようと元気づけてくれた。
「大丈夫、万が一の事があったら校長先生が、お経をあげてくれるから」
「お前、不安を煽っているだろ」
「合掌……」
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