第2話 女子校という選択肢はなかったけど

「ただいまから、白金女学園の入学式を執り行います」


 佐藤サトシは工藤の勤めている白金女学園の採用試験に合格し、新入生の担任として入学式に出席していた。


(女子校の教師だけは選択肢になかったのになぁ)


インフルエンサーの友達に白金女学園の就職が決まったと伝えると


「おめでとう。やっぱりサトシは教師が向いているんだよ。女子校かぁ、きっとモテるんだろうな。羨ましいよ」


と言われたが、姉に揉まれて育ったサトシは、女の実態をよく知っているからワクワク感はなかった。


「いやぁ、どうだろうねぇ」


姉からは、こう言われた。


「女子校に勤めたら、女子に幻滅するよ」


姉を見ていると、何を今さらである。

家の中で、オヤジ化していく姉を見て育ったのだ。

すでに、免疫は出来ている。


それでも、今まで公立の共学校しか経験が無いサトシにとっては、未知の領域に踏み込んだ気分だった。

女子校というと、お嬢様の花園というイメージか、あるいはおっさん女子たちの群れか。この二つのイメージがサトシの中で混在していた。


(さて、俺を待っている女生徒はどっちかな)






 私立白金女学園。

サトシが自分の意思で決めた学校は、都内の閑静な住宅街にあった。


(せめて、生徒たちに嫌われない程度にはがんばろう)


受け持ちとなった1年A組の教室の扉の前で、サトシは深呼吸をした。


女子校というのは、キャーキャーとか、きゃぴきゃぴとした黄色い声が聞こえてくるものだと、サトシは勝手に思い込んでいた。

前もって姉から聞かされた情報では、キャーキャーもいるけど、ゴリラのような笑い方をする女子もいるよとのことだった。


(それって、動物園のことか?)



しかし、入学式当日ということもあって、教室は比較的静かだった。


(入ったばかりだからな、みんな緊張していて静かなんだろうな)



サトシは、思い切って教室の扉を開けた。


「はい、お待たせしました。皆さん席に着いてくださーい。始業チャイムは鳴りましたよ」


一年A組の生徒は、サトシの言うことに素直に従った。


サトシは職務中になると、普段の喋り方とガラッと口調が変わる。

先生モードにスイッチが入り、言葉が丁寧になるのがサトシの特徴だった。

それは、先生と生徒との間に一定の距離を保つために、経験上身に着けてきた方法だった。


意外に素直な反応に戸惑いながら、サトシは教壇まで進んで、自分が担当する生徒たちを見回した。


ここ白金女学園は、中高一貫のお嬢様校ではない。

サトシの父に言わせれば、三流校とまでも言わないが、……普通の学校。

だからといって、乱れた服装の生徒はいない。

それは、新入生だからか、それとも校則が厳しいからなのか。

さっきまで行われていた入学式を見る限りは、在校生でも乱れた服装の生徒はいなかった。おそらく、校則が厳しいのだろう。


その中で、長い髪をきちっと三つ編みにした真面目そうな女生徒が号令をかけた。

まだ学級委員も日直も決まっていないのに、この女生徒は自発的に始めたのだ。


「起立、礼!」


暗黙の了解でクラス全員が、真面目な女生徒の号令に従った。


全員が席に着いたところで、サトシは黒板に向かって大きく自分の名前を書き始めた。


後ろで、女生徒たちのひそひそ話している声が聞こえてくる。



「ちょっと、A組の担任、当たりじゃない?」

「ガチャじゃないんだから」

「背が高っ、身長いくつなんだろね」

「イケオジじゃん。メガネがクールな印象」

「えー、何歳なんだろ。気にならない?」

「完璧、おっさんだと思うわ」

「年齢関係なくね? 男ならいいっしょ」



そんなひそひそ話を、サトシは背中で聞いていた。


(入学初日でひそひそ話するほど、もう友達をつくっているのか。

女子高生の環境順応性は凄いな)


『佐藤 サトシ』

サトシは名前を書き終わって、生徒たちの方に向き直った。


「みなさん、入学おめでとう。今日からこのクラスの担任になった。佐藤サトシです。佐藤という苗字の先生は他にもいますから、下の方の名前、サトシ先生と呼んでください。

年齢三十歳、身長180センチ、教える教科は英語です。以上、何か質問はありますか」


「はい! 先生」


さっきの真面目そうな三つ編みの女生徒が手を挙げた。


「はい、君」


「先生はご結婚されていますか?」


「はて、その質問の意図が分かりかねますね。それについては、ノーコメントです」


教室が、にわかにざわついた。



「言いたくないんだ」

「でも、最初は質問されてムッとしてたよね、絶対」

「結構イケオジだから、奥さんか彼女はいるんじゃないかしら」

「だよね、だよね。あの外見で今まで結婚できなかったとしたら……」

「そうとう性格が悪いとか?」

「もしかして、ゲイ……」

「とりあえず何でもいいわ。男なら」



次に、天然パーマでツインテールの女生徒が手を挙げた。


「先生、そのメガネは近視ですか? 老眼ですか?」


周りの女生徒たちは、その質問にクスクスと笑った。


「どっちだと思いますか? このメガネは近視と乱視です。だから、このメガネがないと、君たち全員美女に見えてしまうんです」


つまらないボケでも、女生徒たちは笑ってくれた。


「はい、先生についての質問は終わりです。では、出席をとりまーす。早くみんなの顔と名前を覚えたいので、名前を呼ばれたら、返事をして立ってください」


出席番号は五十音順になっている。

出席番号一番から名前を呼び始めた。

ア行から始まって、カ行、サ行……

何人目かで呼んだ名前は……


桜井美柑さくらいみかん


「はい」


返事をして立った女生徒の顔をサトシは確認した。

桜井美柑さくらいみかんも、サトシの顔をじっと見つめていたが、やがて恥ずかしそうに視線を下に降ろした。


「どこかで会ったかな」


サトシはついうっかり、普段の口調が出てしまった。


「……」


サトシはその顔を二度見した。

見覚えがあったのだ。

肩までのナチュラルなストレートヘアをきっちりゴムで結んでいるが、まだ長く伸びていないおくれ毛が、ぴょんぴょん飛び出ている。

この女生徒とは、以前にスーパーで出会っていた。


(まさか、嘘だろ)


しかし、桜井美柑さくらいみかんはサトシの質問には答えずにうつむいたままだった。

関係のない別の生徒が、サトシをからかってきた。


「先生、それって、ナンパですか?」


周りの女生徒が、サトシと美柑のやり取りを聞いて揶揄しはじめた。


「きゃー、ナンパ? でもセリフが古くない?」

「どこかで会ったかな、なんて今どき言うのかしら」

「先生の世代は、使ったんじゃない?」


周りから受け持ちの生徒たちに揶揄されてもサトシの耳には聞こえていなかった。

それよりも、スーパーで生理用ナプキンを持って追いかけた記憶がよみがえり、激しく動揺していた。


(人違いかもしれない。似ているだけで、別人の可能性もある)


サトシは何かの見違いだろうと、無理やり自分を納得させた。


「皆さーん、静かにしましょうよ。先生、出席確認を続けないんですか?」


長い髪を三つ編みにした女生徒が、サトシに出席をとるようにと促してきた。

彼女の名前は、夏梅京子なつうめきょうこといった。


「あ、すまない。続けます」


サトシは何事もなかったかのように、先生モードに戻って出席を取り続けた。

実際、先日のスーパーでは何もなかったのだ。

ただ、落とし物を拾って追いかけただけだ。


(何もなかった。気にしすぎだ)



 

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