第8話_02 昔、あったずもな


*****


 夜も更け、風呂場では湯気が立ち上る中、湯船に強引に侵入した白月がくつろいでいた。


「ふふ、こうしてぴったりくっついてると、ますます暖かいね」

「⋯⋯冬はな」


 当たり前に湯船に侵入したかと思えば、己の脚の間へ向かい合うようにちゃっかり座り込む白月へ、黒尾はもう何も言わなかった。


 まとめ上げられた白い髪が頬へ当たる。シャンプーの香りが嗅覚をそっと刺激した。


「タカ⋯⋯好き。大好き」


 首に絡み付いてくる腕が暖かい。寒い季節には心地よかった。

 白い髪が一房、 まとめきれずに湯船へ垂れていた。黒尾はその髪を弄ぶように梳いた。


「なあ、ビャク」 

「⋯⋯んー?」

「"白蓮"て、知ってるか?」


 一瞬、白月の身体が強張った。

 彼はおもむろに顔を上げ、黒尾の目を覗き込んだ。


「なぜ、それを⋯⋯」


 白月の濃紺の瞳が昏く光る。

 瞳孔が蛇のように細くなっていた。


「実は、じいちゃんの手記に、白蓮って名前の白蛇族のことが書かれていたんだ。白蓮と、その子について。『T町物語』には無い話だから、もしかしてじいちゃんが誰かから聞いた話かと思ってな」 


 相変わらず、白月は細い瞳孔で黒尾の瞳を覗いている。

 いつにない深い紺に、その感情は読み取れなかった。


「えっと⋯⋯、なんか、聞いたらまずかったか? すまんな、無理して言わなくて―――」 

「『白蓮は白蛇族の裏切り者』」

 

 聞いたことのない、冷たい声が白月から響いた。

 まさに蛇のような冷徹さに、黒尾は思わず背筋がゾクリとする。


「裏切り者⋯⋯?」

「うん。そう言われてる」


 白月はゆっくりとまたたいた。 

 再び目を開くと、そこには憐れみのような感情が光っていた。


「ずっと昔の話だし、一族に伝わる話しか知らないけど。古くからいる白蛇族からは、"白蓮は裏切り者、あの娘みたいになるな"って言われてた」


 ―――やっぱり、あの話は白蓮を知る誰かから聞いた話か⋯⋯?


「にしても裏切り者って⋯⋯そこまで悪いことをしたのか? その白蓮てやつは」

「⋯⋯昔、密猟に来た人間と恋に落ちたんです。一族の猛反対を振り切って、駆け落ちして」


 白月は虚ろに水面を見つめ、ぽろりと零す。


「⋯⋯けど、僕は仕方なかったって思うよ。白蛇族は本気で好いた相手とじゃないと子孫を残せないし、惚れた相手がそういう人だったら、それはもう⋯⋯」


 返す言葉が見つからない。


「そうか⋯⋯」

 

 何とも言えぬ空気が支配するまま、夜は更けていった。



 黒尾は結局訊けなかった。


 ――じいちゃんとどこで会ったんだ? お前が好きなのは、俺じゃなくて鷹寿じゃないのか? 孫である俺に、その影を見てるだけじゃないのか――



 それを肯定されたら、しばらく立ち直れぬ程度には、黒尾の中で白月は大きくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る