第2話 この蛇野郎…
とある田舎の閑静なマンション4階。
美しさを謳われる白蛇族の青年が、盛大なたんこぶをこしらえ、打ち上げられた鮭のように伸びていた。
「うぅ……暴力、反対…です」
「この、エロ蛇野郎が」
黒尾は肩で息をしながらKOされた半蛇を睨み付けていた。
「てめえ、妙な技使ってんじゃねぇぞ。風呂に沈めてマムシ酒にしてやるぞ、こら」
「僕はマムシじゃないです……」
先ほど、弾け飛びそうなほどの淫靡な興奮が黒尾を襲った。
白月が"フェロモン"を出し彼を誘惑したのだった。
『繁殖期迎えし白蛇族は、強烈な香り放出し相手を誘う。記録によれば、人間の姿をとった白蛇族が人間と番った例あり』
大学時代、祖父から聞かされた話を思い出す。異類婚姻譚はどこの国や地域にも伝わるが、己が身を以て経験するとは夢にも思わなかった。
「くっそ、まだ頭がぐらぐらする」
黒尾は愛用のタバコを取り出し吸い始めた。馴染みに馴染んだメンソールの香りが、脳と全身の昂ぶりを冷やす。
「うっ、けほっ!」
白月が鼻を押さえて黒尾から離れた。苦しげにけほけほ咳き込んでいる。
「それは蛇よけの香、ですか?」
「ん? ちげーよ。ただのタバコだ」
白い煙を吐き出す黒尾を、化け物でも見るようなめで蛇が見つめていた。
そんな半蛇を見て、黒尾はふと気が付き、意地悪くにやりと笑った。
「お前、これが苦手か? ならお前を追い払う方法が早速見つかったな」
「追い払うなんてひどいです…! 僕は恩返しに来たただの蛇なのに…!」
「いきなり襲い掛かることが恩返しとは、白蛇様は野蛮なこって」
そうこうしているうちに、タバコ1本消化してしまった。
「あーあ。そろそろ禁煙しようかと思ってたのによ。三日くらい」
灰皿へ吸い殻を押し付けていると、白月が恐る恐る黒尾の近くへ戻ってきた。
「また変な気起こすんじゃねえぞ。今度はぶん殴るじゃ済まないからな」
「……ごめんなさい」
白月は、蛇というより叱られた犬のようにしゅんとうなだれた。
その様に少し可笑しくなった。黒尾はその頭をポンポンと撫でようとして、やっぱり手を引っ込めた。
「解ったなら良い。蛇さんよ」
「僕は……白蛇族の最後の一人だから……だから……」
白月はなにやら言いづらそうに俯いた。黒尾には言わんとすることの予想はついていた。
「だから、子孫を残さなきゃないってか? それなら他の雌蛇やらを探すしかないだろ。お前も一応は男で、俺も男で人間だ。無理があるだろ」
「絶滅の危機を迎えた白蛇族は、雄でも子を宿すことができるんです。婆様がまじないでそうしてくれました」
「……環境やらで成体の雌雄が変わる生き物はいるが……まじないで変わるとはな……」
生物学では説明のつかない情報を耳にし、黒尾は遠くを見つめた。
「そして本気で惚れた相手と番わないと、白蛇の子は生まれて来ません。惚れていない人間と白蛇族が番っても、人間の子しか生まれて来ません」
「……本当に生物学の範疇を超えてるな」
民俗学すら超越している気がするが、実家の蔵に祖父が遺した白蛇の資料を探しに行こうと黒尾は密かに思った。
「僕は貴方に惚れました。貴方と番いたいです」
「駄目だ」
「何故です」
「…そんな重要な役を俺に任せるな……俺は一般人の中の一般人だぞ」
「貴方より好きになれる相手なんていません」
鬼谷の前で出るため息とは別方向のため息が漏れた。
「あのなあ……俺は昨日あんたと会ったばかりで、しかもじじいからちょっと助けたくらいで……しかも俺は白蛇族とかいう存在すら、言い伝え程度にしか思ってなかったんだぞ。惚れた腫れたの夫婦だの、急展開すぎる。安全バーぶっ壊れたジェットコースターかよ」
ジェットコースターという単語に首を傾げるも、白月に黒尾の言わんとすることは伝わったようだった。
「どうしたら僕を受け入れてくれますか」
「受け入れるとかそういう次元の話じゃねえよ。あんたと俺とじゃ棲む世界が違いすぎるんだ。俺より良い相手をさっさと見つけて―――」
「それなら、僕をしばらくここに置いてください」
「……おい、俺の話聞いて―――」
「貴方の気持ちが少しでも動くまでは、追い出されたって何度でも戻って来ます」
白月の瞳孔が鋭くなり、薄い唇から細すぎる先割れた舌がのぞいた。
(おいおい、今度は脅しかよ……)
既に、かなり厄介なことに巻き込まれていることを黒尾は悟った。
「……しゃあねえ、置いてやる」
「わあっ、嬉しいですっ!」
「ただし、条件付きだ」
黒尾は白月へ以下の条件を提示した。
一、黒尾以外の人には絶対に姿を見られないこと。無断外出厳禁。
二、フェロモンで誘惑しないこと。
三、1ヶ月経っても黒尾の気が変わらない時は、素直に山へ帰ること。
「これは絶対条件だ。これを厳守できるなら、今日から1ヶ月の間だけここに置いてやる」
「分かりました、守ります。このひと月で鷹矢さんを骨抜きにすれば良いんですね!」
「……なんか違う気がするが、できるもんならやってみな」
紺色の瞳に星を作りながら、白月は息巻いていた。
「くれぐれも他の人間に姿を晒すなよ。配達員が来た時は特に注意だ。あんたの存在が公になっちまったらマスコミの食い物だからな」
「僕の名は白月です。あんたじゃなく」
「ちっ……ビャクでいいな。呼びやすいし」
「僕もタカって呼んで良いですか?」
「好きにしろ」
白月は嬉しそうに笑うと、黒尾へいきなり抱きついた。
「タカっ!」
「おい、距離感! 白蛇族はこんなにスキンシップ激しいのかよ」
「好きな相手には身体を絡ませることが白蛇族の愛情表現なんです」
「ほどほどにしとけ。人間界では物理的な距離感が大事なんだよ」
白月はするっと離れると、うずくまって己の尾を撫で始めた。
「人間界でしばらく暮らすなら、こっちの方が良いですよね」
蛇の尾が二股に分かれたかと思うと、美しい鱗が消え、みるみるうちに人の脚へと変貌を遂げていった。
「民俗学ってレベルじゃねえ……化かさてる……もはや魔法だ……」
「今は人に化けてるんですよ」
白月はゆっくりと立ち上がろうとして、うまくバランスが取れずによろめいた。
「うっ、わあ…!」
頭から床へダイブしそうな白月を、黒尾は慌てて抱き留めた。
「あ、ありがとう……二足歩行はあまり得意じゃないんです」
「……得意じゃなくて良いから、下半身まで人になるならパンツを履け。あと服を着ろ。貸してやるから」
己にも付いているものとは言え、股の間で存在を主張するそれが目前で揺れるのは、目のやり場に困る光景であった。
*****
翌日の朝。
少し車を走らせた所にある実家へ黒尾は居た。
古い蔵を開け、埃をかぶった布を退けると、たくさんの書物たちが顔を出した。
〇〇地域に伝わる河童の伝承をまとめた論文、xx山の天狗から譲り受けた蓑と下駄、馬と契った娘を模した、まじないの神器―――。
幼い頃から大学を卒業するまで、夢中になって触れた逸話や伝承。祖父が熱心に研究していた頃の、そのままの姿で黒尾を迎えていた。
「今は思い出に浸ってる場合じゃねえ。早く物を見つけて帰らねえと」
数ある書物の背表紙から探す「白蛇」の二文字。本棚にも箱にもぎっしりと詰まった書物の中から、目当てのものを探した。
「白蛇……白蛇……おっ、これか?」
「なんだ、泥棒かと思った! 帰ってたんならちゃんと言いなさいよ」
蔵の入り口から響いた声に、黒尾は飛び上がるほど驚いた。
黒尾の母・珠鳥(みどり)が入り口から顔をのぞかせていた。
"あれ"を車に押し込めてきた以上、母は黒尾が今あまり会いたくない人物であった。
「ああ……仕事で急遽じいちゃんの資料が必要になったから来ただけだよ。この後仕事入ったからすぐに戻る」
「おや、慌ただしいねえ。仕事にはもう慣れたのかい?」
「ああ。もう一年も経ったからな。色々任されてる」
ボケ老人の介護とか、と口走りそうになり、黒尾は慌てて口をつぐんだ。
「ふうん、なら良かったわ。取材とかどの辺の地区の担当になったの?」
「T町だ。ほぼ記事にはならないが」
「T町ねぇ。T町って、鬼谷さんがいるところじゃないか」
「知ってんの? あの爺さん」
以前記事に載ったこともあり、ある意味地元では有名人な鬼谷を知っていてもおかしくはない。
しかし、珠鳥が継いだ言葉に―――。
「まあ……一応は親族だからねぇ。疎遠だけど」
「………は?」
黒尾は耳を疑った。抱えていた書物をすべて床にぶちまけそうになった。
「は…? 親族…?」
「そうだよ。じいちゃんのいとこだったかな? 鬼谷家は一家で変わり者だったみたいで、他の親族とも疎遠みたいだし、よく知らないけど」
「何かの間違いじゃないのか……? あの鬼谷さんだぞ」
珠鳥も鬼谷のことは微妙な表情をしながら頷くばかりだった。
「そんな大きな声で鬼谷さんとか言うんじゃないよ。近所に聞かれると面倒だから、仕事なら早く帰んな」
近隣民が聞き耳を立てていないか注意しながら、珠鳥は黒尾を促した。
(はあ……田舎の嫌なところだ)
祖父の蔵書や手記を持てるだけ袋に詰め込み、黒尾は蔵を後にした。
*****
「あれは何!? あの人間のお尻みたいな、光ってるいるのは」
「……ハンバーガーショップの看板だ。そしてあれはアルファベットつう人間界の文字だ。尻じゃねえ」
「ハンバーガー??」
実家からの帰り、助手席で初めての社会科見学に興奮する白月に、黒尾は疲れが倍増していた。
「ハンバーガーって何ですか? なんか色っぽい響き」
「焼いた肉を焼いた小麦で挟んだ食べ物だ。今度買ってきてやる」
「わあ、すっごく美味しそう! あ、でも肉は生が良いです!」
「……生肉バーガーは売ってねえから作ってやる」
冷蔵庫から生の鶏肉を取り出して齧り付く、今朝の白月の姿を思い出し、黒尾はげんなりした。
助手席の窓に張り付くようにしながら街を眺める押しかけ同居人を横目に、黒尾は自宅への道を走った。
「タカ、あのとんがり屋根がたくさんついた建物はなに? ばななと…もも…?」
白月が指差す方向を見やると、顔のついたバナナと桃が絡み合うロゴがいやらしくこちらを見つめていた。
「……あれはラブホっつう人間がリフレッシュする施設だ」
「よく分からないけど、僕もそのリフレッシュをタカとしてみたいです!」
「……なあ、分かってて言ってねえか……?」
「うん……? 何がです?」
星を輝かせたかと思うと、今度は妖艶な光を孕むその瞳。一瞬見ただけなのに背筋がぞくっと刺激される。
(今あの香りを出されたらやばい………)
この世のものとは思えぬ、淫靡なあの香り。思い出すだけである部位が元気になってしまうため、意識を下半身から必死に退ける。
「あれ……? あの、タカ、これって……」
白月は黒尾の股間を凝視していた。一目で解るほど山の張ったそこに、白月の視線がまじまじと注がれていた。
「な……!? おいっ、見てんじゃねえ! これは単なる生理現象だ!」
「これって確か、勃―――」
「黙れってんだこの蛇野郎……!」
自宅の駐車場へ帰るまで、見るな見せろの攻防戦は続いていった。
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