第3話 民俗学者が遺したもの


 持ち帰った祖父の蔵書を抱え、黒尾は眉間にシワを寄せていた。


(ビャクが言ってたことは本当だったんだ)


『白蛇が永く生き、人間の姿を取るようになったものを"白蛇族"と呼ぶ。白蛇族は心より想いし相手とのみ白蛇の子孫を残す。それ以外と番わくば、白蛇族―――人の姿に成る成体へは昇華できぬ模様』


 蔵書には、白蛇族の生態や習慣のほか、人間による迫害の様子が事細かに記されていた。 


『其の鱗、非常に稀有なり。戦後の時代程まで装身具や護符として、密やかに庶民の間で高値で取引されたる。また其の肉の珍味を求め、若い白蛇族を狩り、白蛇族と成る前の白蛇を大量に捕獲する者多くあり。

また遠い地域よりも、白蛇を求めて密猟せんとする者多く押し寄せり』


 人間が白蛇族を捕獲して捌く様子や、幼い白蛇が物のように扱われる様子が生々しく挿絵に描かれている。


(ひでえな。ここまでやっていたとは。キチ谷から拾った鱗を見せられた時、なんて綺麗なんだと率直に思ったが)


 美しいもの、珍しいものは、いつの世も狩り尽くされる宿命を背負っていることが蔵書からうかがえた。

 黒尾は渋い表情のままページを読み進める。


『人の界隈にて虐げられし者、山へ逃れ、白蛇族と出逢うことあり。白蛇族は其れを迎え入れ、白蛇族の一人とその者ついに夫婦めおととなれり』

『白蛇族は盛り時迎えし時、其の体より凄烈な香りを放ち相手を誘う。しかし望みし相手以外も其れに誘われるため、望まぬ繁殖が行われることあり』


 何度も読み返されてボロボロになったページをめくり進めると、最後に破れたページがあった。祖父のあとがきのようだった。


『小生が幼き頃に出会いたる白蛇、名を……と申す』 

「なんだ……? 隅が微妙破れれて読めねえ」  


 切れ端がどこかに挟まっていないか、袋の中にないか探すも、それらしきものは見当たらなかった。   


「くそ、読めないとやけに気になるな」

「タカ! 料理できましたよ!」


 人間の料理本に興味を示し、何やら作り始めた白月が声を掛けた。

 先程から部屋に立ち込める異臭は白月が作る料理が原因だった。


「お、おう……済まねえな」


 黒尾のパーカーと三角巾を嬉々として身に付けた白月は、どす黒い何かを皿へ盛り付けていた。


「火を使った調理なんて初めてでしたよ。婆様は薬を煎じる時に火を使ってましたけど」

「そうか。初めてにしては……頑張ったんじゃねえか?」


 この世のものとは思えぬ見た目と匂いに、黒尾は食欲など消えうせていた。


(なんだこれは……魔界の料理か?)


 見た目はモザイクレベルでも、生卵へは殻ごとかぶりついていた白月が、殻を割って料理に入れただけでも大きな進歩と言えよう。黒尾は無理やり前向きに思考をねじ曲げる。


「何ていう料理を作ったんだ? ビャク」

「カレーっていう料理です!」

「にしてはやたらどす黒いし紫色だな……」

「料理本の写真みたいにはなかなか行かないですね。あの冷たい箱にあったものしか入れてないのに」

「……冷蔵庫な」

(写真みたいに上手くできないにしても限度ってあるだろ!)


 心の中で突っ込みながら、黒尾は意を決してスプーンを握った。


(ビャクが初めて人間界で作ったものだ、少しくらい食べてやらねえとやる気を削いじまうだろ)


 藤の花の色を冠した漆黒の液体。口元へ運ぶと異様な臭気が嗅覚を攻撃した。

 目に星を輝かせながら見つめる白月のまなざしが痛い。


「あむ………」


 スプーンを口内へ入れた瞬間、昼にもかかわらず、目の前に星が輝き飛び散った。舌が痺れ、味覚という味覚が黒尾から消え失せた。


「どうですか?? お口に合いますか??」


 身を乗り出し感想を求める半蛇。しかし口に合う合わないの次元ではなかった。

 そして舌が痺れて思うように言葉が出ない。


「………は、まあ、こえからだな」   


 舌足らずでなんとか言葉をつむぐ。

 白月はその反応に何かを察し、しゅんとうなだれた。


「また、上手くできなかったみたいですね。少しでも役に立ちたかったのに」

「うぷっ、最初から、できるやつなんていねえよ。明日は簡単な料理を教えてやる」

「わあ、嬉しいです! 明日こそ写真どおりの料理を作ります!」


 いきなりハードルが高い気がするが、それに突っ込みをする活力もなく、黒尾は盛られた謎の料理を再び口へ運んだ。


*****


「じいちゃん譲りのバカ舌と、強い消化器官があって良かったぜ」


 熱いシャワーに打たれながら黒尾は独りごちる。

 白月が一生懸命に作った料理らしきものは、黒尾でなければ完食できない代物だった。常人ならば部屋に臭気が立ち込めた時点で一発KOレベルであった。 


「魔界の料理―――そういや、魔界の料理を肴に天狗と飲み比べして、天狗を負かしたとか言ってたな、じいちゃんは」


 祖父が酔った時にいつも話す自慢話だった。酒豪な妖として知られる天狗を負かし、感服した天狗から報奨として身に付けていた蓑と下駄を譲り受けたそうな。赤らんだ顔で自慢気に語る祖父の顔を思い出す。


「あの蔵にあるのはその時のものだとか。なんつー眉唾話だ」


 一人で笑いそうになっていると、風呂場の扉が控えめに開く音がした。


「あの……お背中お流しします」


 振り向くと、下半身まで人間になった白月がすでに浴室内に侵入していた。 


「ビャク……お前なあ、人が風呂入ってる時に乱入してくるんじゃねえぞ」

「料理で満足いただけなかったので、せめてこれくらい……」


 黒尾の静止をものともせず、白月は素早く石鹸を泡立てていた。

 その滑らかな手がやさしく黒尾の背を撫でてゆく。 


「強すぎたら、言ってくださいね」

 

 逞しい肩甲骨の間をマッサージするように、白月の手のひらがすべる。 


(なかなか上手いじゃねえか。デスクワークの肩に効く)


 シャワーが弱く肌を打つのも相まって、凝り固まった筋肉に血が巡っていく。


「痛くないですか?」

「ああ。悪くねえ」

「ふふ、よかった!」


 己のちょっとした言葉で一喜一憂する白月に可愛げを感じると同時に、(疲れを癒してもらってるにもかかわらず)少しからかって苛めてみたい気持ちも芽生えてきた。

 我ながら男子小学生のような思考だと自覚しながら、黒尾はゆっくりと振り返った。


「なあ、ビャク」

「はい」

「お前、俺が好きなんだろ? 心底惚れこむくらい」

「はい……そ…そうです」

「あのな、人間つーのはお前が思ってるほど綺麗じゃねえんだ。その好意を利用して、骨の髄までしゃぶりつくす輩なんぞそこら中にいる」


 何が言いたいのか分からないと言いたげに紺色の瞳がまたたく。

 その瞳に映る性悪そうな男の顔を見つめながら、黒尾は白月の青白い頬を片手でつかみ上げた。 


「わからねえか? お前を都合良く使うだけ使って、最後はお前を悪い人間に売り飛ばしちまうかも知れねえんだぞ、俺は」

「…………え…」

「人間はな、綺麗なものや珍しいものが大好物なんだ。何故かって? 金になるからさ」


 紺色の瞳が一瞬怯えたように揺れた後、黒尾の目をまっすぐに見つめ返した。


「貴方は……タカはそんな人間じゃありません。確かに白蛇族は人間に滅ぼされそうになった時はあります。けど、すべての人間がそういうことをするわけじゃない」

「俺がそんな人間じゃないと何故言い切れる」

「それは、あの人と同じ匂いが―――」


 言いかけて、はっと白月は口をつぐんだ。  

 負けじと言い返すように、黒尾の目をキッと見返した。


「そんな事を言って、僕がどこまで本気か確かめようとしているの……? もし売り払われたとしても、貴方にならそうされても構わない」

「だから何でだよ。お前に何かあったら白蛇族が滅んじまうんだぞ」 

「……少しでも貴方の役に立てるなら、それで……」


 黒尾は苛立ちを覚えた。人間を恨んで然るべきなのに恨まず、己が愛した者になら裏切られるのも厭わない白蛇族の習性に―――。


「ちっ、そういうのはな、人間界では奴隷根性って―――」  

「けど、タカはそんなことしない。お金が欲しいなら、とっくに僕を売り払っているでしょう? 明日、料理を教えてくれるなんて約束もせずに」


 白月は頬を掴む手をやんわり外すと、黒尾の肩口へそっと顔を埋めた。


「貴方が悪い人間じゃないことくらい、分かりますよ。これでもそれなりに長く生きているんだから」


 あまりの無垢さに、これ以上意地悪くする気を削がれた。

 もはや呆れに近い感情が黒尾の中でくすぶった。


(悪い人間のカモになる訳だ。大した報復もしなさそうだし)


「さあ、泡を流しますよ。もう一度背中をこっちへ向けてください」


 言いながら、黒尾の股の間――"そこ"へ白月の白い手が伸びていた。


「っ、てめえ、どさくさに紛れて」

「タカが意地悪するなら、僕もそれなりにやり返しますよ……?」


 紺色の瞳の中で、瞳孔が細められている。人間離れした色香に、黒尾は目眩を覚えた。


「お前、後で覚えとけよ」

「えっ、それは今夜襲ってくれるってことですか…?」

「……なんでそうなるんだよ」

「だって今ぞくっと来てたでしょう?」


 無垢な天使かと思えば、あざとい悪魔のような顔で白月は笑った。


「この蛇公が……人間様を舐めてると本当に襲ってやるからな」

「えっ、具体的にいつです? 今夜? 今夜ですか??」


 蛇のように掴みどころのない白月に、今回黒尾は引き下がることを決めた。

 己を通して、白月が誰を見ているのか気になったが―――。




 一悶着あった風呂上がり。

 湯上がりの一杯を飲みながら、卵を取り出し殻ごと頬張る白月を黒尾は横目に眺めていた。 


「はあ……じいちゃんの蔵書より、蛇の飼育書でも買ってくるべきだったか……」

「タカ、これは何?」


 見ると、すでに卵を食べ終えた白月が、祖父の蔵書を詰め込んだ袋を漁っている。

 かと思うと、やたら色とりどりの書を取り出した。


「なっ、おい、それ―――」

「人間の、女の人??」


 『巨尻特集!!!』という大々的な文字と、T字バックを食い込ませた女性が尻をこちらへ向けた表紙の本―――祖父の秘蔵コレクションであった。


「わあ……やっぱり人間はこんなに大胆なのが好きなんだ……」

「おいっ、それ、うちのじいちゃんのだからな! 俺のじゃねぇからな!! 俺は尻派じゃねえって!」 


 なにやら真剣に見入る白月へ、黒尾は意味不明な言い訳を繰り出した。

 生真面目な祖父が、こんな"資料"を持ち、しかも自身の蔵書コレクションへ紛れさせていたとは全くの予想外であった。


「くそ、ちゃんと確認して持ってくるんだった……手当たり次第袋に突っ込んじまった」

「へえ……なんか勉強になりますね」

「どんな勉強してんだよ! ほら、じいちゃんのだから返せって」

「あと、これは?」


 新たに白月が取り出したコレクションには、『世界の美少年百選! 〜今夜、この坊やは俺のもの〜』というキャッチコピーと濡れた水着姿の青年が表紙を飾っていた。

 表紙をめくって現れた過激な見開きグラビアに、白月は口元を覆った。


「わ、わあ……これも大胆ですね……! 人間にはこういうアプローチが有効なのか……!」


 教科書としては語弊のある本が白月の参考書になりかけているのを見て、黒尾は一人頭を抱えた。


「じいちゃん……一体どんな上級者だったんだよ……」


 長い夜になりそうなことを瞬時に悟った黒尾であった。

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