第8話 エピローグ

 彼を担当していた看守の方から、私宛ての一通の手紙が届いた日の夜。私は息をするのも忘れて読んだ。




「ジェイバー・アルファード氏の刑を、本日執行致しました。」


 


 言葉はそれだけでなく、追伸があった。



「追伸:同氏は、アリサ様に

『貴女のことを永遠に愛してる。生まれ変われたら、きっと、また貴女の元に向かいます。』 とお言葉を遺されました。」



 私はその手紙を読んで、泣くのでも悲しむのでもなく、ただ呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。



 彼は死んでしまったのか―。


 ―――――――――――――――――――――


 夜中、私は遺品を整理するため、彼の住んでいたアパートを訪ねた。まず、真っ先に彼との思い出が1番色濃く書斎に向かう。

 ここにいると、どうしても彼の影を探してしまう。あの声を、あの匂いを、あのにこやかに笑う顔を。どこかへふらっと遠出とおでしてしまっただけで、いつか帰ってくるのでは、という微かな希望が心の中に浮かんできてしまう。


 ふと、本棚にある一冊の大学ノートが目についた。手にとって見ると、黒い背表紙をしていて、端っこの方に「Javor」と走り書きされている。


 私は迷わず1ページ目を開いた。






       「音のある日々」




 そこにあったのは、そんな名前の曲だった。さほど難しくなく、初見でも十分弾けるような曲。

 様々な曲の旋律が、あちこちに散りばめられている。中でも目を惹くのは、「ラヴァーズ・コンチェルト」のあのメロディだ。


 辺りを見回すと、机の上にも、彼がいつも持ち歩いていた紺色の手帳があった。

 私は息をむ。


 それは、日記だった。


 ―――――――――――――――――――――


 10/16 音楽禁止令発布。これからどうなるんだろう。アリサのことが心配だ。


 11/26 アリサとカフェに行った。このままだと、彼女は壊れてしまうと感じた。

 彼女のために曲を作ろう。


 12/3 曲が完成した。これから通して弾いてみようと思う。

 この手帳を眺められるのも最後か。


 ―――――――――――――――――――――


 まぶたから溢れた2粒の水滴が、ノートを濡らす。うぅっ、と嗚咽おえつが漏れた。

 溢れる涙を手で拭う。


 彼は、私のためにあの曲を書いたのか。…自分の命を犠牲にしてまで。


 涙のせいで視界がにじむ。

 カーテンがふわり、と揺れて風を運んで来た。風になった彼が隣に立って、私の背中をさすってくれているような感覚がある。

 乱れてしまったカーテンを直そうと窓に向かうと、夜明けの街が太陽に照らされている景色が見えた。



 私はカーテンを直してから、カエデ材のアップライトピアノに向かう。

 椅子を少し引いて、腰掛ける。




 浅い呼吸を1つだけして、私は曲を弾き始めた。それは、人々を見守る太陽のように、深く深く響いた。








 どこかから、彼の奏でる旋律が聴こえる。

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音のない街 ほとけのざ @Hudebushouhakushi

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