第49話 短絡的な自傷
実験準備室にて、あゆみちゃんとの対話を通じ理解を得る事が出来た。
政府の意向と性交渉に関する基礎知識を享受した僕たちは、清らかで誠実な交際をスタートさせたのであった。
現状、三人の彼女を持つ身としては、綿密に計画を立てて青春を謳歌していきたい所存ではあるのだが、いかんせん男女における恋愛というものを初めて経験する。
フィクションによる恋愛模様でしかその形態を知らない為、僕とあゆみちゃんはメッセージのやり取りなどを密にこなし、これから少しずつ経験を積んでいくという運びとなったのであった。
「今日の所はこれにて終了。時間も良い頃合いだし、帰るとしようか」
「午後四時かぁ、しんちゃん。これから放課後デートしよ♡」
「そうだね。正式に恋人になったんだから、いいよね……!」
放課後の時間も恋人にとって重要な時間と言えるだろう。僕たちは住んでいる所の都合上、登下校が途中まで一緒となるが、その時間は極めて短い。学校から駅までの道のりは時間にしておよそ十数分に満たない。
「小学校の時みたいに、家がお隣だったら良かったのにねぇ」
「そうだね。それなら長く一緒に居られるのにね」
あゆみちゃんの片手が空いている。ここは手を繋ぐべきだろう。僕はあゆみちゃんの手に軽く触れ、そこから指を滑らせた。
「えへへ……♡」
あゆみちゃんが少し、照れくさそうにはにかんでいる。あの頃とは大分違う。もう彼女は大人になった様に感じる。身長や体格は僕の方が大きくなったけれど、あゆみちゃんの方がしっかりとした意志を持っている様に思えた。
家族を守る為に独断で金貸しと対話したり、行動は危うい所があるけれど、愛する者の為に自分を差し出す覚悟を持っている。そんな芯の強い彼女を、僕は守りたい。そう心から思っている。
「しんちゃん。アタシね、少し打算的だったの。再開した男の子がこんなに大きく成長して自分の前に現れてくれた。おそらく彼は、アタシを救ってくれるヒーローになってくれる存在なんだろうって……勝手に思い込んだの」
彼女が後から知った情報になるが、僕との関係を築くことが出来れば、政府からは莫大な寄付金が貰える。借金が返せる。という下心はあったと吐露した。
「例えそうじゃなくても、男女の関係になれば、アタシの事を助けてくれるかも……って、考えちゃってた。でも、しんちゃん。そんなのお構いなしで助けてくれるんだもん……」
「……僕は、最初よくわからなかった。あゆみちゃんが懐かしさで接してくれているのだとばかり思っていた。免疫のない僕を揶揄って遊んでいるんだって……懐かしかった……。島での修行の日々が辛く、泣いてばかりいた僕を慰めてくれていたのはいつもあゆみちゃんだった……」
「そうだったね……泣き虫がこんなに立派になって、助けに来てくれた……」
「僕はずっと、あゆみちゃんが好きだったよ。これからも変わらない。あの時は話の流れで言ったけど、この気持ちは本心だ」
人通りは他になく、周囲には僕たち以外の気配はない。もう春だというのに、吹き付ける風が静かに熱を奪っていく。
「……アタシの為に、陰腹を斬ったって聞いたよ……」
「
しばしの沈黙が流れ、僕たちを繋ぐ手は自然と離れた。
その時に離れたのは、きっと手だけではなかったと思う。
「島での教育は異常だった……! 今ならわかる! しんちゃんは自分の信じるものの為に、命を掛けるのを厭わない。アタシそんなの嫌! 命は一個しかないのに!」
「あゆみちゃんには命を掛ける価値があった。それだけの事だよ」
「そんなの嬉しくない! 今回はうまく行ったかもしれないけれど、これからも誰かに危険が及んだら⁉ 自分の力では越えられない壁が、自分よりも強大な悪意が現れたら⁉ しんちゃんはきっと覚悟を決める……!
僕は、彼女に対して、絶対にそんなことはしないと言えなかった。確かに今回の事は、己の力が及ばず、必要に迫られ強行手段として陰腹を斬った。けれど、僕も軽い気持ちで
「富山さんが相手でも、きらら先輩が相手でも、きっとそれは変わらない……! だってしんちゃんは、責任感の強い種我の男だから……! 守るものが増えて、命を掛ける時が、その数だけ増える。そんなのは辛過ぎるよ……!」
僕は返答に困ってしまった。賭けるものが命しか思いつかない現状を改善出来ればそれで問題は解決するのだろうか、あゆみちゃんの不安は無くなるのだろうか。どれが最善の答えなのか、言葉が詰まる。彼女に対しては正解を引き続けたかった。
「ダメだ……。この場で考えても分からない……。僕の背負う生き方は変えられないし、あゆみちゃんが納得できる様な答えは僕からは出てこない……困った……」
あゆみちゃんは僕の両頬を両手で叩き挟んだ。『バチン』と大きな音が響く。
「なんで自分一人で解決しようとするの⁉ 答えが見つからないなら一緒に悩んで! 苦しんで! 探しだすのが恋人でしょ⁉ しんちゃんのおバカ! アホ!」
種我での地獄の日々を生き抜いた自信が、僕の視野を狭めていた。あれ程の地獄を経験したという成功体験が、他者との繋がりを断ち切っていた。自分の力に固執し、命を捨てる事が男としての生き方だと、そう思っていた。
「そっかぁ……僕は、死にたかったんじゃないんだ……」
生き方の否定ではない。僕は言葉に出来なかっただけで、誰かに助けてほしかったのかもしれない。命を天秤にかける行為は覚悟ではなく、責任を背負って理想を抱き、理想と共に死ぬ事でやり切ったと、後悔はないのだと言い訳をしたかったのだ。
「僕は、ずっと、辛かったんだんだ……」
懸命に生きるということは、がむしゃらに進む事ではない。
自分の中でその考えが確立し、まるでパズルが揃った時の様に、目の前が開けた。
「陰腹を斬る事を選択肢から失くしてほしいから言ってるんじゃないの。それよりもずっと前の話。自分に価値が無いと思わないで! 男を理由に進まないで! 何かあっても、なくても! ちゃんと話を聞かせて!」
あゆみちゃんが再び僕の手を取る。横並びではなく、対面する形で手が繋がる。
指先から熱が伝わり、僅かな脈拍を感じる。
「僕は、自分の弱い所を受け入れるよ。あゆみちゃん……情けない所を見せるかも知れないけれど、その時は受け止めてほしい。僕は、泣き虫だから」
コンプレックス。引け目。弱さ。これらは克服していたと思っていた。無くせるものだと思っていた。だけど違っていた。泣き虫な自分も、意気地の無さも含めて僕という人格は形成されている。
これらは一つの要因に過ぎない。本来あるべきものをないものとして目を瞑ると、
良い所だけを追い求めてしまう。理想を追い過ぎてしまう。成功に固執してしまう。
これからはもっと積み重ねよう。成功の体験を。見聞を広げて柔軟に物事を捉え、立ち塞がる壁を越えれるように。
もう一度、両頬に衝撃が走った。
「しんちゃんはまだ、自分が強ければ問題が解決すると思ってる! 違う! 周りを頼れって言ってるの! 陰腹を斬らなくても、手を差し伸べてくれる人はいる! 命を掛けなくても道を開いてくれる人はいる! あなたを大事に思って助けてくれる人はたくさんいる!」
あゆみちゃんが僕に辞めさせたかったのは、陰腹という覚悟の決め方ではなく。命を掛けたり過酷な環境で努力すれば、必ず道が開かれるという純真的で自傷行為の様な思い込みだった。
ここまで言われて初めて、僕の考えが短絡的で浅はかなものだと思い知らされた。
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