第48話 情報統制
僕は咄嗟に、
あの一瞬、彼女が晒した脚に対し、違和感を覚えたからだ。
「……キミは、愛美慎太郎クン。だったかな? ボクを呼び止めてどうしたんだい?サインならまた今度にしてもらえるかな……?」
「失礼するよ」
皇子和香の脚に手を置き、筋肉の反応を見た。張りが強く、蓄積した疲労によって酷い炎症が起きている。
「両足ともに、
大腿の前面から内側面に位置する筋肉であり、膝関越を収縮させる役割を持っている。瞬発力を生み出す部位であり、回復が遅い事で知られている。この箇所は、他の部位がダメージを受けている時に目に付き辛い為、見逃されることが多いのだ。
僕はその場に膝をついて彼女の足を持ち上げ、上履きと靴下を脱がせた。鬼怒川さんが言っていた様に、【ヒラメ筋】と【腓骨筋】のダメージが大きい。
「あゆみちゃん。皇子さんを支えてあげて」
「う、うん。わかった」
あゆみちゃんが皇子さんの手を取り、自分の肩へと回す。それを見た鬼怒川さんも反対側を支え始めた。
「ど、どうしたんだいキミ達⁉ ボクの足は問題ないよ! 回復するんだから!」
「確かに、テーピングしてあるが、これでは足りない」
僕は屈んだ状態で皇子さんの足を自分の太ももに乗せ、治療を開始した。男の前で素足を晒すというのは恥ずかしいものなのか、困惑している様子だった。
その場で【変形不動巻き・
「はい、もう反対側もね」
手早く変形不動巻き・流は実行される。症状は左右で異なる為、多少の差異はあるが、滞りなくテーピングが完了した。
「おいおい……こんな大体にテーピングしたら練習が出来ないだろう?」
「何を言ってるんだ! ダメージが抜けきっていない状態で練習するだなんて無謀にもほどがある! 自分の脚を殺したいのか⁉」
思わず声が大きくなった。皇子さんの脚はマメもなく、美しい形を保っている。これが何を意味するのかは明白だ。彼女の走りは常軌を逸して上手い。
「フォームを徹底し、負担を的確に分散させる走り方をしている君が、自分の状態がどうなっているのか、知らないはずは――」
「こみちの前だ! やめろ!」
しばしの沈黙が流れた。皇子和香という人間がどういう存在かは知らないが、見た目の印象からは想像も出来ない荒い声が発せられた。それ程まで、鬼怒川さんに状態を知られるのが気にかかるのだろうか。
「治療してくれたことは感謝しよう。しかし、ボクは自分を曲げない。こみちと交わした誓いを、ボクが破る事は許されない……!」
【執念】【矜持】【決意】すべてに該当する彼女の覇気は、周囲の環境を支配し、背筋を凍らせるのには十分な迫力があった。だがここで萎縮するわけにはいかない。
「鬼怒川さんの事を想うのであれば、猶更無茶な事は止めるべきだ!」
「奇跡は起こる……! 目標に向けて
そう言い残して、皇子さんはその場をあとにした。ぎこちない歩行と彼女の燃える背中が、僕たちに言葉を飲み込ませた。
皇子さんが去った後、鬼怒川さんに事情を話した。確定ではないにしろ、膝の補強を行う方法が見つかった事、後は精度を高めて彼女に適合した細かい調整をしていく手筈となっている。目の前で【変形不動巻き・流】を見ていた鬼怒川さんは、僕の言葉を信じてくれたのだった。
そして放課後、動画流出に伴う疑惑は深まり僕は女生徒から追い回されていたが、あゆみちゃんによる鉄壁のガードによって事なきを得た。富山さんの件を報告すべく
きらら先輩の実験準備室を訪れていた。
あゆみちゃんは僕の身体にしがみつき、コアラの様に微動だにしない。
「話は分かったわ! しんちゃんがアタシひとりに止まらず、彼女を作ると云うのも理解した。覚悟してねしんちゃん……! アタシ、寂しがり屋なの……!」
あゆみちゃんの言動は全く一致してない。唯一寂しがり屋という所は理解できる。思いの外、富山さんとの関係については問題視していない様子であった。
「キミがこの学校に通い始めてから一週間と少し、もう二人目の彼女が成立したのか……! とても喜ばしい事だねぇ! ちなみに、私との純愛交際もきちんと視野に入れて行動してくれたまえよ? 私の方からも政府機関にレポートを提出しなければならないからねぇ……」
「じゃあきらら先輩は、しんちゃんにとって三人目の彼女って事でいいのかな?」
「あぁ、それで問題はないよ。わたしにとって順番なんて些細な事だからね」
僕の意志は確認されることなく話が進んでいく。正直全く不満はないのだが、釈然としない部分がある。
「一つ忠告しておくけれど、計画性なく性交渉を行うのはお勧めしないからね。政府は全然気にしてはいないけれど、世間的な風当たりというものは少なからず存在する。まぁ、愛美慎太郎クンが、御木本あゆみクンに学生マタニティを希望しているというならば話は違ってくるがね」
発言を返さないととんでもないマニアックな性趣向の持ち主にされてしまう。どう切り返すべきなのか思案していると、あゆみちゃんが鋭いツッコミを僕に入れた。
「も~しんちゃんったらスケベ! アタシの妊娠セーラー服を想像してたでしょ!」
「いや、そこまでは流石に……。以前にも話題にあがりましたけど、本当に純愛からの性交渉で確実に男児が生まれるものなんですかね?」
依然この場で説明された件において、きらら先輩を対象にした話だと思っていたが、どうにも話の流れからして、僕の恋愛体質が男児を授かるカギとなっている様な気がしていた。僕との配合で女児が生まれる様であれば政府の計画は水泡に帰する。
「そこのところを詳しく解説していなかったね。愛美クンの遺伝子は性質上、男女どちらの新生児が生まれてきてもおかしくはない。しかし、ある一定の条件をクリアする事によって、確実に次世代に繋がる男児を授かる事が可能なんだ――」
「――理論上ではあるが性行為の最中、女性側がオーガズムを経験すれば良いとされている。そうすれば男児が生まれる確率はほぼ100パーセントとなるだろう」
どんな理論だ。データはどうなってるんだデータは。
「きらら先輩。オーガズムってなんですか……? しんちゃんと性行為したら出来るもの、なんですか?」
「おっと、そうだったね。情報統制されてしまった現代において、上級保健体育以外でこの情報を得る事が出来なくなっていたのだった」
上級保健体育と云うのは大学で専門的に学ぶことができる医療に準じた保健体育の事であり、
「オーガズムとは男性女性に問わず起こる生理現象のひとつで、別名を絶頂という。これは性的興奮が一定数以上に達した時に起こる現象で、男性の場合は射精を伴う場合が多い」
「射精……! そうか、あの感覚がオーガズム……!」
「愛美クンは男性である為、なんらかしらの起因によってそれを知っている可能性はあるだろうね。もはや男性は自慰行為すら認識することなく大人になる人間も少なくないと云われている」
僕たちはきらら先輩による上級保健体育の基礎を教えてもらい、安易な行為が人生を大きく狂わせてしまうという事柄を知ったのであった。
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