第45話 誰かの為に
電車でのひと悶着を終え、寮へと戻る頃には夕食の時間となっていた。
「玉藻くん大丈夫? マッサージでもしようか?」
「少し休めば食事から摂取した栄養が全体に回る筈や……。ステーキハウス佐山で出された肉、あれ物凄い効果やったんやな……」
寮の料理と比較すると栄養の吸収と回復においてかなりの違いがある様に思える。玉藻くんが冗談交じりに発言した週七での来店も、あながち冗談ではなくなるのかもしれない。
玉藻くんが回復するまでの間、僕はアヴァロンでステーキハウス佐山について調べた。秋覇原に本店を持つ飲食店であり、食レポサイト等には登録されておらず、個人ホームページが基本の情報源となっている。
詳しく調べている最中、あゆみちゃんからメッセージが入る。
『しんちゃん今時間ある? 電話していい?』
僕は玉藻くんに許可を取り、その場で電話を掛けた。その時は取り留めのない話をしたが、大事な用件は直接会って話したいと進言し、月曜日に改めて話すという流れとなった。本当は明日にでも逢いたかったが、彼女にも都合というものがある。
続けて、きらら先輩からメッセージが入っていた。内容としては鬼怒川さんについてであり、近況の診断結果などについてであった。
鬼怒川さんの膝は、活動を休止していた二年間で状態が大きく変化し、周囲の骨が順調に成長したことに伴って、上手く負担が分散してきている、という話だった。
これだけを聴けば何も問題はないのだが、靭帯と腱に対する身体的不安は解消されたものの、急に走れなくなった時のトラウマが克服できず、サポーターを外したリハビリがまだ行えていないのだという。
心理的運動障害、いわゆる【イップス】と言われるもので、広く使われている言葉であり、スポーツ選手にとってはかなり厄介な問題だと認識されているだろう。治すと言っても心理的な症状であり、不安を取り除くなどの対処法が挙げられるが、絶対に治るという様な解決法は存在していない。
十五分程度のやり取りを終え、玉藻くんに視線をやると、彼もまた今日手に入れたスマホを操作していた。ショップで基本的な設定を行った様だが、覚束ない様子で説明書片手ににらめっこをしている。
今のうちにインターネットケーブルを交換しておこう。僕は壁に空いた穴からケーブルを交換する為、目隠しに貼っておいたポスターを剥がす。
穴の先には当然、
僕の目の前に飛び込んできたのは、絶賛お着換え中の蓮花さんだった。腕をクロスさせ上着を脱いでいる真っただ中であり、マゼンタの下着に包まれた迫力あるナイスバディが飛び込んでくる。
「……しんたろー、なかなか大胆な覗きだな?」
「すみません、てっきり蓮花さんもポスターか何かを貼ってるものだとばかり……」
冷静を装うも、僕の心臓は飛び跳ねている。年上の美人なお姉さんが着替えているシーンを直視してしまった為、股間にも血液が集まりつつある。
「いいよいいよ。ネットケーブルを接続し直すんだろ? 着替えたらアタシも手伝ってやる……よいしょっと……!」
蓮花さんは真っ赤なパーカーとパツパツのジーンズに着替え、壁越しに僕の顔を見つめる。
「しんたろーの腕の太さだと、穴はともかく壁の隙間からケーブルを引っ張り出すのは大変だろ? アタシがこのマジックアーム君で接続部分を引っ張り出すから、新しく買ってきたやつと交換しな」
「わかりました」
蓮花さん協力のもと、ネットケーブルは無事に交換され、問題なく有線のネット環境が回復した。
「昔は資格を持った業者さんじゃないと、修理と交換は出来なかったみたいだけど、部品の安全性が向上した事、で素人でも簡単に直せるようになったんだって」
「技術の進歩っていうのは本当に有難い事ですね」
「ねえ、しんたろー」
「なんですか蓮花さん」
「アタシのカラダで興奮した?」
『ゴンッ!』と思わず頭を壁にぶつけた。新しい穴が開いてしまう所だったが、僕の動揺を察して、蓮花さんはケラケラ笑い、満足そうにしている。
「目隠しはしないでおくから、いつでも覗いていいからね」
「…………ッ!」
揶揄われているのは解かるが、余りにも正直に反応してしまう自分をどうやっても隠せなかった。冷静に対処しようとしても体温が上がり顔が真っ赤になってしまう。
「あははっ、しんたろーはエッチだなぁ~」
「……!!!」
何も言い返せない。事実、寮に入った直後は僕が蓮花さんに対して秘かに想いを寄せていたし、彼女も芸能人並みのビジュアルをしている。とにかく美人でスタイルも良く、エッチな年上のお姉さんを具現化した様な存在だ。彼女は僕の想像を抜き取り、体現している悪魔なのかもしれない。
僕は無言でポスターを戻し、深呼吸をして落ち着きを取り戻した。
「わかるで、シンタローくん……!」
『玉藻クンも~ 覗きたかったら覗いていいよ~?』
「そん時は予めお願いに参りますわぁ~!」
壁越しに蓮花さんの声が届く。玉藻くんもそれなりに顔が赤い。彼の目から見ても蓮花さんはかなり上玉に映った事だろう……。
「いやでも……ウチはどちらかといえばぁ……」
「えっ⁉ 玉藻くんは美憐さん派なのぉ⁉」
「あほぉ! 声がデカ過ぎるやろ!」
玉藻くんは僕の口を慌てて塞ぐが、絶対に蓮花さんにも聞こえていた。ニヤニヤと笑っている蓮花さんが容易に想像できる。彼女に弱みを知られるのはかなりリスキーだと言わざるを得ない。
「まぁ……。なんというか、美憐さんに対しては……憧れと云うか……オカンみたいな感じかな……。優しくて美人な母親がおったらええなって……」
「僕もそれは分かるよ。母親の鮮明な記憶はないけど、あんな感じなんだろうなって……。って言ってもだよ⁉ まだ美憐さん二十代だからね⁉ 全然お母さんじゃなくてお姉さんだからね⁉」
「嘘やろ⁉ あの色気が二十代で⁉ ……ええやん……!」
玉藻くんの驚きには僕も納得だった。魅力的な女性であることは確かではあるが、勝手に母性を感じるのは引け目と感じるところではある。
「……よし、もうそそろそろ回復も済んだやろ。シンタローくん。今日は頭の施術について解説するで」
「毬の慰安術にはなんでもあるんだね」
「身体の内側と外側、源流はその殆どが東洋医学を基盤に、その地域における人間の特徴に合わせた独自の進化をしとるんや、シンタローくんは【
「身体のあらゆるところに存在している、ツボ。みたいな認識だね」
「まぁ、大体あっとるな。経絡は神経や筋肉、血管などの通り道を示すんや」
玉藻くんは僕の手を取り、一番有名なツボのひとつである【
「人の身体にはいわゆる、道がある。栄養を隅々まで届ける血管、脳から出る命令を伝達する神経、受けた命令で忠実に動く筋肉。これらを知る事で毬の忍者は現代まで技を残し、生き残る事が出来たんや」
彼の施術によって血液の流れが潤滑になっているのを体感する。体温が少し上昇して全身が温かくなってきた。続けて玉藻くんは僕の頭を施術する。
「脳は髄液によって守られ、機能調整が施されている。頭部をマッサージする事で血流を促し、脳の負担を軽減する事で本来の性能を取り戻す効果が望めるんや、脳に蓄積した疲労物質を流すイメージで施術をすれば、あらゆる万病に対して免疫を高める事が出来るって訳やな」
「成る程、体験してみると確かに、的確な圧力によってリラクゼーションが成立している様に感じる……」
頭蓋骨の繋ぎ目に沿い、親指で圧を掛けると適度な痛みと解放の快感が訪れる。
「さぁ、交代や。ウチがやった様に頭の要所要所に圧力をかけて、ゆっくりとマッサージしてみるんや、力加減に気を付けてツボを押していく。この訓練によって経絡の扱い方を学んでいくんや」
玉藻くんの狙いはこの訓練を通して、経絡を学び、【変形螺旋巻き・昇龍】を習得させる事にあった。一見関係性がない様に思えるが、昇龍は筋肉の流れとそれに付随する骨に大きな影響を与える技術である。これらを考慮せずに形だけを真似しても、本来の効果は得られない。
技術と云うものは一朝一夕で身に着くものではない。鬼怒川さんの為にも玉藻くんがここにいる間になんとしても昇龍を習得しなければならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます