第42話 果てしない理想の代償


 僕の手元にあるのは【保険証】でありながら不特定多数との性交渉を可能にする、政府公認の許可証であった。この事実に保険証を持つ手が震えている。


「『この許可証は保険証としての機能も備えています。妊娠が可能な女性に使用する事で政府公認で性行為の交渉を行う事が可能となります――』」


「『――性行為の交渉には、女性の基本的人権が優先されますが、女性側の体調における観点から性行為が不可能でない場合、性交渉は成立するものとされる』」


「言ってることがめちゃくちゃやんけ! こんなの政府が発行してええんか⁉」


 玉藻くんの言い分はごもっともだ、つまりこのカードを開示すれば基本的にどんな女性とも性行為を行う事が可能だという話だ。恐ろしい。


「ま、愛美くん……そんなものを私に見せて……! 初めからそういうつもりだったのね……! なんて卑怯な……! 政府を盾にしてわたしの身体を……⁉」


「ご、誤解だ! 本当にこんな非人道的なカードだとは思わなくて……!」


 おかしい、カードを見てから富山さんの顔が明らかに上気じょうきしている。


「お、おい! 深雪ちゃん何を言うてんのや! シンタローくんがそんな浅ましい事する訳ないやろ! 男の子について理解が深まったとか言うたばかりやんか!」


「ま、愛美くんの……! ケダモノーーーーーッ!!!!」


 富山さんの絶叫が周辺に轟く。今まで発せられてきた絶叫とは規模が

異なる。余りにも度を超えた声量が僕たちの耳を激しくつんざく。


 これにより周囲の環境は大きく変貌した。人々が行き交う澁谷の街中に、大きな人の輪が構成され、秋覇原の時と同じく、人間のバトルフィールドが完成した。


「ど、どうしたんや深雪ちゃん⁉ おかしいで⁉ そのカードを見てから、明らかに様子が変わっとる! シンタローくん! それには何があるんや⁉」


「『性交渉を円滑に遂行する為、肉体的に適性のある女性に許可証を開示した場合は、カードに内蔵された微量電波によって対象者を開放的にする効果が望めます。性衝動が強い女性には使用しないでください』だって……!」


「言うのが遅すぎんねん!」


「さぁ、始まりました路上でのマウンティングバトル、本日は澁谷からお送りいたします。どうやら男性一人を巡っての熾烈な争いが巻き起こっている様です!」


 知らない人物が即興で実況を始めた。秋覇原で起こったストリートファイトと同じく、周囲の観客は何の違和感も無しに、僕たちの状況を生暖かく見守っている。どうやら痴情のもつれと思われているらしい。


 そんな状況を介さず、富山さんは暴走した機関車の様に体当たりしてきた。僕はそれを受け止め、動きを封じる事しか出来ない。


「うぉおおぉおっ! えっ⁉ 富山さん力強っ! 全然止まる気配がない!」


 受け止めたそばから身体が後退を余儀なくされる。まるで土俵際に追い込まれるように、床には線路の様な跡が残される。一部で【電車道】と呼ばれるものだ。


「あの体格差でシンタローくんがわだちを床に残す程押し込まれとる⁉ どうなってんねや! 身体の限界を超えすぎやろ!」


「ち、違う! 富山さんは元々アスリートの様なフィジカルを秘めていたんだ! 近代的な遺伝子操作と優秀な遺伝子の配合によって、彼女の身体能力は僕たちに遅れを取っていない……! 唯一異なるのは、技術と経験の差だ……!」


 文字通りの強襲だが、富山さんは突撃を僕に行うだけである。恐らくは性行為の知識と経験が無い為、行き場を失った興奮が【闘争】という形で具現化したのだろう。


「どないするんや! 流石に桃子を相手するみたいには出来んぞ!」


 その通りだ。格闘経験のある秋覇原の女王ならまだしも、富山さんは肉体が強いだけの素人に過ぎない。そんな彼女に攻撃を放つ訳にはいかない。手加減しようにも実力差が技術と経験に基づくものだけの為、少しのミスで大怪我に繋がってしまう。


「ぼ、僕の酩酊フェロモンで眠らせるしかない……! 玉藻くん! 少しの間、富山さんを押さえてくれ!」


「考えがあるんやな⁉ よし! 任せろ! 毬忍者の根性見せたる!」


 暴走機関車と化した富山さんの腕を掴んでそのまま体幹を崩し、玉藻くんにバトンタッチ、即座に背後からの羽交い絞めを実行した。彼は富山さんよりも少し小さいくらいだが、毬忍者としての技術が的確に彼女の動きを封じる。


「アカン……! 関節を封じても力で無理矢理動こうとしてくる……! このままじゃ自分の力で関節を破壊する勢いやで……!」


「スプレーで、なんとか治まってくれればよいが……!」


 僕は懐から取り出した【濃縮フェロモンスプレー】をハンカチに染み込ませ、富山さんに直接嗅がせた。


「うぐぅ……! 愛美くん……! 存在が害悪……! 毎日毎日エロいフェロモンを振りまくなんて……! あなたは何を考えているの……⁉ 飢えたライオンの群れに生肉を放り込む様な真似をして……! どう発散したらいいのよ⁉」


「クソっ……! なんてパワーのある子なんや……! フィジカルが強過ぎる……! ウチの力では……もう!」


 速度エネルギーに体重を乗せる玉藻くんの戦法が、現状封印されている。これでは拘束を解除されるのは時間の問題だろう。僕はフェロモンが早く効いてくれる事を祈り、ハンカチに当て続けた。


「ま、愛美くん……! 愛美くん……!」


 富山さんの顔は非常に苦し気で、僕を呼び続けている。熱を帯びた身体に行き場を奪われた欲。


 この方法で良いのだろうか、興奮度を限界突破させ、気絶させる方法は果たして正しい事なのだろうか、許可証の所為で強制的に暴走させられている彼女を力で押さえつけ、苦しい思いを強いている。正しい方法は他にあるのではないだろうか……!


 そんな迷いが一瞬、僕の行動を鈍らせた。玉藻くんの拘束が剥がされ、富山さんは雪崩れる様に僕へと覆いかぶさる。その瞬間であった。倒れ込んだ彼女を支えようとし、手を伸ばすと、僅かな抵抗と柔らかい感触が手に訪れる。


「……ふっ……♡ ふぅうぅ……♡」


 僕の差し出した手は富山さんの腹部に触れ、彼女自身の重みで深々と突き刺さる。すると、彼女の動きが急激に停止したのである。


「そ、そうか……! シンタローくん! そのまま続けるんや!」


「お、お腹を押せばいいの⁉」


「せや! 力を籠めすぎんように気ぃつけや! 餅つきで餅を捏ねる時みたいに丁寧に、テンポ良く、腹部に手の平を押し付け続けるんや!」


 僕は玉藻くんに言われるがまま、富山さんの腹部に手の平を押し付け続けた。彼女からは苦痛と恍惚が入り混じる様な声が漏れだす。


「うぉっ……♡ んおぉ……♡」


「よし、そのままや! そのまま深雪ちゃんが大人しくなるまで続けるんや!」


「玉藻くん……! この行動は一体……!」


「【毬慰安術いがいあんじゅつ掌底熱宮震しょうていねっきゅうしん】や! 偶然も偶然やけど、まさかこの技が深雪ちゃんに効果があるとは思わんかったわ……! ……そうか、長い事滞留した気が体内で暴走しとるんやな……!」


【毬慰安術・掌底熱宮震しょうていねっきゅうしん】とは!

毬忍者に伝わる慰安術のひとつであり、その歴史は古い。かつて室町時代に女忍者が女中を籠絡する為に考案されたという技術であり、この技を以て多くの情報を仕入れていたと云う。――引用。毬忍者の技術書、乙の巻。原作者【悟半蔵門さとりはんぞうもん


「その技は、女性の体内に秘められた精神的ストレスを内側から解放するもんや! これなら深雪ちゃんの抱えていた身体の問題も解決するかもしれん!」


「わ、わかった! このまま続けてみる!」


 偶然にも成立した毬慰安術は富山さんの動きを止めた、僕はこの技に希望を込め、手探りながらも繰り出していく。




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