第31話 今日もまた誰か


 僕が意識を取り戻した時は、保健室のベッドの上だった。ここに来たのはあゆみちゃんを寝かしつけた時以来だ。消毒液の匂いと独特な空気。そして股間の違和感。


「あっ、しんちゃんが起きた」


「愛美くぅん……! 大丈夫ですかぁ……?」


「そんなことよりふたりとも、どうして僕の宝剣を握っているのか教えて?」


 この間も僕の宝剣は握られたままになっている。そして、鬼怒川きぬがわさんが自分の腕時計を確認してから、ノートに数値を記入していく。


「脈を測っていましたぁ。腕よりもダイレクトに測れるので~」


「アタシは……その、鬼怒川ちゃんが抜け駆けしない様に……♡」


 ふたりともあくまで悪気がないのが本当に厄介だ。叱るに叱れない。やり方は明らかに間違っているので、やんわりと訂正をする程度にしか言葉が出てこない。


「提案は御木本みきもとさんですぅ。わたし知りませんでしたぁ、男性はこの部分で脈を測ると正確な数値が出るって、さすがは御木本さん。博識ですぅ~!」


「鬼怒川さん、それは流石に冗談だと思うよ」


 あゆみちゃんの方を確認すると、『てへっ♡』と舌を出した。古典的だ。


「えぇ~っ⁉ 担がれました~! 愛美くん、とんだご無礼を~!」


 どうやら鬼怒川さんは人をすぐ信じる傾向にあるらしい。素直なのは良い事だが、それにだって限度がある。良いころ合いと云うものを見定められる様になってもらいたいものだ。


 今回の騒動で僕が倒れたという事で、保険の先生と体育の先生は、爆裂龍校長より厳しいお叱りを受けたという。後に竿の使い方を懇切丁寧に指導したというレポートが上がってくるのだが、それはどういう意味合いでの指導だったのだろうか……。


 僕が気が付いた頃には時刻はすっかり帰宅時間となっていた。ふたりは既に着替えていたので、僕は更衣室に戻って着替えることにした。


 早い所着替えて帰りたい所なのだが、ロッカーを確認すると、制服が訳の分からない液体で濡れていた。誰かのイタズラだろうか、とても趣味が悪い。仕方がないのでビニール袋に入れて持って帰る事にした。寮には洗濯機も乾燥機もある。


 下駄箱の在る玄関口まで歩いていると、廊下の窓から部活動の声が聞こえてくる。グラウンドのトラックで陸上競技をやっている様だった。軽く視線をやると、鬼怒川さんが部活動の様子を遠目に見ている事に気が付いた。


「鬼怒川さん、元々は陸上の選手だったんだよね」


「あゆみちゃん……」


 窓の外をボーっと眺めている僕に声を掛けたのはあゆみちゃんだった。


「中学が同じの子に聞いたんだけど、期待のエースでたくさんの大会で優秀な成績を残した選手だったんだって……」


「怪我かな……?」


「ううん。自分の筋力が成長し過ぎて、靭帯や腱の強度がついて行かなかったんだって……。走ると激痛に襲われるから、サポーターをするんだけどサポーターを付けると公式大会には出られないの」


「そうか、今の補助具は性能が良過ぎるから自分のフィジカルを大きく超えた動作が出来てしまうのか……障がい者のスポーツ競技でも問題になったな……」


 何処のメーカーが優れているとか性能の差が出てしまえば、それはもう身体能力を競うもの、【スポーツ】では無くなってしまうというのも理解できる。


「走る彼女の身体を支えるには膝のサポーターが不可欠、だけど公式大会には付ける事が出来ない。全国高等学校総合体育大会も例に漏れず、高性能なサポーターの使用は認められていないのよね……」


「インターハイ……。出られないんだ……怪我の治療という名目であれば手術が出来るんだけど、鬼怒川さん、走らなければ生活に支障はないし、授業であればサポーターは自由に付けられるから、保険適応外になってしまうんだろうな……」


「勿体ないんだよねぇ……。あれだけのフィジカルと才能があるのに……でも、鬼怒川さんの気持ちは分かる気がするな……。両親に金銭面で迷惑掛けるのって、子供は本当に気にするのよ? 両親は気にしないって言ってくれるけど、本当に苦しいの」


 あゆみちゃんは海外での遺伝子手術経験がある。日本では保険適応外の高度医療だった為、かなりのお金が必要だったのだろう。子供の立場でも親に申し訳ないと思う気持ちは持ち合わせている。愛が注がれていたのなら尚更だろう。


「きらら先輩に相談してみるべきか……」


「ファンクラブとしてはお近づきになりたいけど……。しんちゃんをめぐる恋敵としては頼りたくない気持ちが……! ぐぬぬ……!」


 迷っても仕方がないので、僕たちはきらら先輩を頼ることにした。ついでにあゆみちゃんと恋人になった事を報告しておけば、不要な混乱を防ぐことができるだろう。そう思い立ち、僕たちはきらら先輩の居るであろう実験準備室を訪れた。




「キミ達~! わたしを便利なネコ型ロボットだとでも思っているのかい⁉ そんな簡単に問題が解決するなら、とっくの間に彼女は現役復帰しているよ!」


「発言はごもっともです。後天的な遺伝子操作手術である場合、リスクの方が大きい事も承知です。なので、別の部分でアプローチ出来ないかな、と……」


「あー……。サポーター側の基準に差し込むのか……。そっちの方が遥かに現実的と云えるだろうね……。だが、インターハイの役員たちからイエスを引き出すのは相当に難しいだろうなぁ……。その使用される補助器具がフィジカル面に対して影響を与えていない事を証明するのがとても面倒なんだよ……」


 それはそうだ。どんな競技でもサポーターのあるなしで、身体能力は多少なりとも変化し、競技結果へと繋がってくる。膝を最大限に守りながらフィジカルには影響が無いなどと、そんな都合のいいものが存在するはずはないのだ。


「鬼怒川さんは既に、たくさんのメーカーから支援を受けて、陸上競技に復帰できるようにされていたはずです。それでも、彼女の身体を支える能力とフィジカルに影響が少ないサポーターのバランスを整えるのが相当難しかったようですね」


「結構前に新聞の記事にもなったねぇ。身体だけを支え、能力に恩恵を与えない程度の器具が実現可能なのか、メーカーの手腕が問われるという見出しだったね」


「だけど、やっぱりそのバランスを整えるのが難しかったの。鬼怒川さんの筋力は元々靭帯と腱の耐久力を大きく超えていて、踏み込みと着地の衝撃に耐えられなかったのよ。フルパワーで走った事は、今までないみたい」


 鬼怒川さんのパワーに耐え、靭帯と腱を守りながら身体能力の上昇を抑える。かなりの矛盾がある。自分の靭帯を壊してしまう程のパワーを押さえ込み、守る為には、相当の柔軟性が必要となる。そうなれば柔軟性のある素材がたくさん使用される。


「パワーに耐える為に素材をたくさん使ってしまうと、身体のバネを大きく利用する陸上競技にとって大きな利点になってしまう。これでは競技の公平性を保つことが出来なくなる。ひとりの未来ある若者の為に、ルールを変えるのは難しい話だ」


 それはそうだろう。それが許されてしまえばバネとなる柔軟素材をフルに活用したサポーターが使い放題になってしまう。そうなれば資金を持っている者が明らかに有利となるのは火を見るよりも明らかだ。


「まぁ、そんなことはどんな世界でもある。富のあるものが有利なのは何処でも変わらない。ただ、スポーツという【公平感】を示さなければならない物事に関しては、その限りではないというお話なんだねぇ……」


 そもそも遺伝子操作が一般化されている社会で公平もクソもあったものではないのだが、委員会にはそこまで差し込む権力は無いとの事だ。大人の世界はややこしい。

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