第23話 精一杯の礼儀


 今回の騒動を解決に導いた立役者として、御木本家へと招かれた僕こと愛美慎太郎は先程からあゆみちゃんを含めたご両親の笑顔から、底知れぬ恐怖を感じていた。


 蛇に睨まれた蛙。と云うのもおかしな話だが、あゆみちゃんが居るにも関わらず、この空間では不思議と気が休まらない。


「あのね! しんちゃんの下宿先ですき焼きをご馳走になったの! お礼もあるし、おうちでご馳走が食べたい!」


「まぁ……! とても素敵なおもてなしをして頂いたのね……! ここは御木本家の総力を結集して、最高のお礼を返さなければならないわよね、まもるさんっ!」


「あぁ、そうだねあかねさん。娘含め、私達も心からのおもてなしをしなければ、代々続いてきた御木本家の名が廃るというものだよ!」


「じゃあ! そういう事で決まり! しんちゃん! おもてなしさせて!」


 あゆみちゃんが、たわわな果実をぎゅうぎゅうと腕に押し付ける。僕にはこの勢いと展開を断る度量は無かった。善意は心して受け取るとしよう。


 そこからの展開は早かった。あゆみちゃんの両親が、手早く手配と準備を済ませ、程なくして二階にある広いベランダでバーベキューの準備が仕上がっていた。


 この時、お肉屋さんの配送サービスが存在しているのを生まれて初めて知った。


「すき焼きに匹敵するご馳走といえば、やはり【炭火焼肉】! これしかないわ!」


 あかねさんが初めて目にする熱量で語り始め、その手には金属製の串があった。


「我が家ではね、あゆみの疾患が完治してからは、お祝いの時はこうやって外で炭火の焼肉をするのがご馳走なんだ。慎太郎くんもお腹いっぱい食べてくれたまえ」


「はい……! いただきます!」


 僕の考えすぎだった。すき焼きとは異なる、家族団らんの味。お婆ちゃんと二人暮らしだった僕には未知の体験だった。バーベキュー自体は島の集まりで経験はあるが、家族の催しとして参加するのはこれが初めてである。


 まもるさんが炭を起こし、あかねさんが食材と飲み物を準備。あゆみちゃんは大量のおにぎりを作っている。これらは焼きおにぎりにするという話だ。


 広く展開したバーベキューコンロに、十分な炭の熱が広がっている。段階的に調整されている炭の量で、火力は調整されているという仕組みだ。奥が深い。


「さぁ、これから慎太郎くんへの感謝を込めた炭火焼き肉を開催するよ!」


 まもるさんの開催宣言と共に、三人の焼肉奉行がそれぞれのマイトングを自在に操り、各火力スペースで焼肉を焼き始める。すごい迫力だ。あゆみちゃんの食に対するこだわりの起源はここにあったのだ……!


 薄い牛肉は火の通りが少なくとも、十分に加熱が可能である為、強火でさっと炙る程度、豚や鳥なんかは火の弱い箇所でじっくりと熱を通す。野菜なども徐々に焼かれ初め、僕の取り皿には次々と肉が山になっていく。


「慎太郎くん♡ ウチの秘伝のタレで仕上げた焼き鳥はどう?」


「すごく美味しいです。ニンニクの風味とリンゴの爽やかさが相まって、とても良い塩梅となっています」


 あかねさんは自分の領地で焼き鳥も焼き始めていた。胸肉、もも肉、鳥皮に砂肝。異なる部位ごとに焼き加減や味付けが変化しており、食べていて飽きが来ない。それどころか、食べれば食べる分だけ食欲が増進しているのを感じる。


「しんちゃん! こっちのタン塩も焼けたよ! レモンでさっぱりと食べてぇ!」


 あゆみちゃんも頭にねじり鉢巻きを巻き付け、最早職人と言わざるを得ない。丁寧に炭火で仕上げられたタン塩は、その食感もさることながらレモンの爽やかさと塩の旨味が肉を更に高みへと導いている。


「すごい……! 噛めば噛む程に味が出る……! そしてすかさず焼きおにぎり!」


 こんがりと焼き色が付いたおにぎりを口へと運ぶ。味噌や塩ではなく、焼肉にも使用されているタレを表面に塗り、焼きと塗りを二回から三回繰り返して作られている。それ故に、『パリッ』とした見事な食感を生み出しているのである。


「穀物特有の香ばしさが、タレの風味とよく合う! これが、メイラード反応……! 体内で起こると身体に悪いのに、食品で起こるとこれ程までの旨味が発現するだなんて……! 美味過ぎる……! この手を止めたくない!」


 そして脂が口いっぱいに広がった所で、黒烏龍茶が洗い流す。ご両親はビールとワインを取り出し、焦がしたチーズとソーセージに齧り付いていた。


「っぁああぁ~っ! この為に生きてるぅ~!」


 心の底から漏れ出る感動がそこにはあった。肉と酒のコンボが延々と続き、食事が進んでいく中、まもるさんとあかねさんに程よい酒が回り始める。


 ここがこの食事のターニングポイントだったが、僕はそれを見逃していた。


「しんちゃんっ! これが国産黒毛和牛のステーキよっ!」


「うわぁ~! これ程まで立派な肉の塊が炭火でじっくりと焼かれているぅ~!」


 初めて目にする国産黒毛和牛のステーキに、僕の関心は根こそぎ持っていかれた。滴る肉汁に赤身とサシと呼ばれる脂のバランス。どれをとっても最高の肉だ。これを白米でかき込めれば、どれほどの多幸感が押し寄せてくるのか、想像も出来ない。


「ふふふっ……! 見たまえ慎太郎くん! 表面に焼き目を付けた上に中身はあくまでレアの状態を保っている……今、この瞬間が食べ時だ!」


 まもるさんが切り分けたステーキを僕の方へと差し出した。形的には『あ~ん』をしてもらっている事になるが、美味しい時が旨い時。これを逃す手はない。


 ステーキを口の中に放り込めば、噛んだ瞬間に肉の旨味と脂が口の中に溢れる。


 牛肉に含まれるタンパク質が滋養強壮となり、その他様々な微量栄養素が体内の隅々まで行き渡るのを実感する。脳の報酬系にダイレクトに伝わる快感。頬がじ~んと痺れ、肉の美味さに終わらない感動が、口内を駆け抜けていく。


「さぁ、慎太郎くん。こちらは我が御木本家が代々契約しているブドウ農園から仕入れた、果汁100パーセントのジュースよ♡ グッといってちょうだい♡」


「いただきます!」


 程よい酸味に控えめな甘さ。アクセントとして含まれている、ほんの少しの苦み。牛肉によく合う。即座に口内は清涼感で溢れ、新たな気持ちで肉へと向き合う。


「しんちゃん! いい飲みっぷりだよ! あたしも飲んじゃお!」


 心配事が解消された反動なのだろうか、この場の四人は盛大に羽目を外し、食事を最大限に楽しむ事が出来たのであった。


 食事の後、あゆみちゃんとリビング食事の余韻を楽しんでいると、片付けを終えたまもるさんとあかねさんが、食後のデザートを持ってきてくれた。


「ふたりとも~! デザートだよ~! 今日はお母さんの手作りアイスクリーム!」


 オレンジを使った酸味のあるアイスクリームは、熱いお肉を急いで食べた僕の口内に優しく溶けた。かなりの甘さがあるが、知らない苦みがそれをまとめ上げている。


 血糖値の急激な上昇と昨日の疲労感に伴い、僕の瞼は段々と重くなっているのを感じていた。友達の家でドカ食い気絶をする訳にもいかず、暖かい日差しの中で微睡まどろみ、ゆっくりと舟をこいでいた。 


「しんちゃん~。食べてすぐに眠ると、牛さんになっちゃうよ~?」


 全然起こす気がないあゆみちゃんの声は、大変心地よかった。知らない間に顔は柔らかいものに包まれ、眠気は急速に加速していく。あぁ、ダメだ。せめて消化が終わるまでは我慢しなければ……!


 抗ってはみたものの、優しい香りに包まれ、僕の意識は徐々に薄れていった。この時、もっと強い意志で抗うべきだったと僕は後悔することになる。


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