第22話 覚悟しやがれ!


 赤いフェロモンの効果によって悶絶している日鷲見健一かすみけんいちが、巨大な金庫を自らの手で開けた。指紋パスワード、鍵を使って解錠を行うのと同時に、猫猫まおまおさんが映画でしか見たこと無い様な重火器装備でこの場に登場した。


「悪党! 覚悟しやがれ! テメェら全員一生ウンコが出来ねえ身体にしてやる!」


 今まで聞いた脅し文句の中で一番怖かった。


 猫猫さんはガスマスクを装着しており、部屋の中に滞留しているフェロモンの効果を受けていなかった。周りを見渡し、現状を把握すると、持っていたガトリングガンを降ろした。一体どうやって持ち込んだのだろうか……。


「あらやだ☆ もうボウヤが片付けちゃってたのね☆ アタシったら恥かしっ☆」


 そして、少し遅れてガスマスクをした虎さんも合流した。


「ビル内部にいたヤクザは全員片付けた。後は日鷲見健一を処理するだけだ」


「タイガー&キャット……! そうか……! 貴様らの差し金だったか……!」


 どうやら二人は裏の世界でも名が通った存在だったらしい。コンビ名に偽り有りとしか言えないセンスだが、ここは黙っておこう。


「ボウヤ、後始末はアタシ達でやるから、その子を連れて今日は帰りなさ……あらやだ! その子、顔を怪我してるじゃない⁉ これが終わったら、アタシら行きつけの病院に行くわよ☆ 乙女の顔は国の宝だからね♡」


「はい!」


 僕はあゆみちゃんを抱きかかえ、部屋から脱出しようとする。


「これで勝ったと思わない事だ……! オレたち誠心会は下位組織に過ぎない。お前らに逃げ場などない……! 必ずやボスがケリを付けてくれる……!」


「やかましいんじゃい! この腐れ外道が! やっぱり二度とウンコが排泄出来ねぇ身体にしてやろうかっ⁉」


 猫猫さんは金庫が空いている事を確認してから、日鷲見健一に対してラッシュを繰り出した。恐らくは秒速で20発は殴っているだろう。仙人のフィジカル恐るべし。


「おい、猫猫それくらいにしておけ、こいつにはまだ利用価値がある」


 虎さんが金庫の中身を全て大きなボストンバッグで回収すると、日鷲見健一の首元に薬か何かを撃ち込んで眠らせた。反応からして睡眠薬か何かだろう。


 その後、誠心会のビルは跡形もなく爆破され、今回の事件はガス漏れ事故として、秘密裏に処理され、新聞記事にもニュースにもならなかった。


 猫猫さん付き添いで訪れた病院では、あゆみちゃんの治療が的確に行われ、傷ひとつない状態で帰ることが出来たのだった。




  病院での治療を終え、その足で僕たちは再び猫猫さんのバーに集まっていた。


「ボウヤ、結果を言えばアナタには大分大きな負担を掛けたわね☆ 正直言えば人員も足りてなかったし、本当に助かったわ♡ ありがとっ♡」


「いえ、あゆみちゃんの件も解決に向かいましたし、お二人には感謝しています」


「今回は潺美奈子せせらぎみなこの紹介があったから計画に参加してもらったが、通常、【虎の穴】ではこんな変則的な作戦は行わねぇ。今後、お前たちとは関わりのない日常に戻ってもらう……」


 虎さんの気遣いが良く分かる。僕たちを闇の世界から遠ざける為だろう。現役高校生に裏社会の抗争は荷が重すぎる。一刻も早く日常を取り戻したい所だ。


「あらあら、ボウヤの彼女、安心しきった顔で寝てるわ♡ 若いっていいわね♡」


 何を想像しているのは知らないが、猫猫さんは悶えている。恩人であるが、やめてくれ。見ている側としてはかなりキツイ。


「猫猫、その気色悪い動きをやめろ。酒が不味くなるだろ」


「あぁん⁉ 喧嘩売ってんのか⁉ 俺から一生離れられない体にしてやろうか⁉」


 指の動きが怪しい猫猫さんを無視して、虎さんがテーブルに書類を広げた。見た限り契約書と各種株券、土地の権利書と不動産の登記と判断できる。名前の欄にはあゆみちゃんの両親、御木本夫妻の名前が記されている。


「どうやら、これらを借金の担保として握られていた様だ。これを取り返した以上、奴らの関係組織はもう手出ししてくることは無いだろう。下部組織のシノギ詳細なんて事細かく把握している組織なんて滅多に無いからな」


「じゃあ、これで問題はすべて解決するわけですね!」


 虎さんは黙って頷いた。僕は肩をなでおろし、それと同時にアドレナリンが切れるのを感じた。ジクジクと拳銃でかすった箇所が痛み出す。


「うぉおおぉおっ……! 冷静になったら拳銃の痛みがぁ……!」


 一応包帯を巻いて治療を施してはいたが、怪我の痛みが消えるわけではない。興奮状態が治まった事で、痛みがぶり返してきたのだった。


「しょうがない子ねぇ……彼女の傷に夢中で自分の怪我の事を忘れるなんて……☆」


 猫猫さんが僕の頭に手をかざすと、温かな光が溢れ出す。


青桃仙術奥義せいとうせんじゅつおうぎ内頸回復促進法ないけいかいふくそくしんほう】!」


 猫猫さんの仙術によって僕の傷は完治し、痛みも治まった。しかし、側頭部を弾丸が掠めた所為で、髪の毛が剃り落とされてしまっている……。高校生の髪型としてはかなりヤンチャな仕上がりだ。しばらく包帯は取れそうにないだろう。




 その後、細かい事情は伏せて、あゆみちゃんのご両親には奪われていた権利書などが返還された。金庫から出て来た裏帳簿から精算し、過払い金も取り戻す手筈を猫猫さんが整えてくれた。


 猫猫さんを【とある優秀な弁護士】に仕立てる事で、大きな騒動には至らなかった。ご両親は謝礼金を払いたいと申し出たが、肝心の猫猫さんがあらかじめそれらを断っていたので、感謝の言葉を伝えるという話で納まった。


 僕は猫猫さんを紹介したという事で家へと招かれ、あゆみちゃんのご両親と数年ぶりに再会することになる。


「慎太郎くん、この度は私達家族を救ってくれたこと、心から感謝している」


 あゆみちゃんの父である、御木本まもるさんが深々と頭を下げた。戸籍上では父となってはいるが、彼女も女性であり、母あかねさんもまた女性である。この時代では同性婚は珍しくない。


「いくら私達が仕事で手が回らないからと云って、あゆみと弁護士さんだけで誠心会に乗り込むなんて……! 上手く行ったからいいものの、母さんは心配よ……! あゆみ、もうこんな無茶をしないでね……? あなたは私達の大事な子供なんだから」


 母親のあかねさんは気の強い真面目な性格で、言動からは考え得る限り理想の母親である事が見て取れる。


「お父さん、お母さん、勝手な行動をしてしまって、ごめんなさい。私の治療費の為に出来た借金だから……。どうしてもじっとしていられなくて……!」


 あゆみちゃんは心の内を吐露した。自分のアレルギー体質改善の為に両親が奮闘していたことは良く知っている。それゆえの心苦しさ、子供だから何も出来ないというもどかしさに、あゆみちゃんは長い事苦しんでいた。


「あゆみの気持ちは痛いほどわかる。しかし、あれだけ苦しんで治した疾患だ。もうお前が苦しむ必要なんか何処にもない。財産も帰ってきたし、お前を大学に通わせる目途もたった。自由に生きなさい。慎太郎くんと共に……!」


「そうね。弁護士さんを紹介してくれた慎太郎くんにも感謝しないとね……! あゆみのこと、これからもよろしくね……! 慎太郎くん!」


「はい……!」


 ん? 何かとんでもない外堀が今、構築された気がするが……?


「ありがとうお父さん……! お母さん……! わたし、幸せになるからね!」


 あゆみちゃんはご両親と抱き合い、幸せを噛みしめている。かなり無茶な行動だったが、幼馴染である彼女を救えたことは結果として僕の心も救ったと言えるだろう。


「ところで、慎太郎くん、しばらく見ない間に本当に大きくなったね……! 身長も高くなったし、体つきも顔つきも逞しくなった……! 見違えたよ!」


「そうねまもるさん。あゆみの彼氏にしておくには勿体ない最高の物件だわ……! あゆみ、絶対に逃してはならないわよ♡ 女の甲斐性は愛嬌♡ ずぶずぶに魅了して、依存させて愛してあげないさいね♡」


「わかってるよぉお母さん♡ しんちゃんはゆっくり私のものにしていく♡」


 少し雲行きが怪しくなってきた。三人の僕を見る目が獲物を見定めるものへと変貌していくのが肌で感じ取れる。


「ところで、慎太郎くんは【親子丼】は好き? 私、得意なの♡」


「え? えぇ、大好きですね。栄養価も高いし、タンパク質も良く取れますから、特に白米を摂取する事は、身体にとって有用な事が認められていますし……!」


 何故急に親子丼の話を……? 島では筋力増強のため、毎日の様に食べていた。苦しい記憶もあるが、あの島での食事は常に最高のものが用意されており、蝕に対するこだわりは執念にも近しい感情がある。


「ダメだよあかねさん。そんな回りくどい言い方では、慎太郎くんは本当の親子丼だと思っているじゃないか……! 純粋な男性へのお礼を兼ねているんだ。ここは直接的に説明をしておかないと……」


 空気が重たく湿ってきた。外はこんなにも晴れているのに、この室内だけは曇天が立ち込めている気すら感じられる。全身が早く帰れと警告を放っていた。

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