第21話 怒りを燃やせ


 監視モニターに映し出されたあゆみちゃんに身の危険が迫っていた。社長室は幸いにも同じフロアに存在している。見取り図で位置を記憶していた僕は、迷わずドアを蹴破って突入した。


「動くな! 手を頭の後ろで組め!」


 銃の訓練は島でやっていた。射撃の成績も悪くない。覚悟はいつでも出来ている。


「若いの、死に急ぐな。ウチの扱う銃はすべて指紋認証されている。撃てんよ」


 嘘だ。撃てないと分かっていたらこんな無謀な突撃をする訳がない。あらかじめ、動作確認と安全装置の解除はしておいた。籠島かごしまの男を舐めるな。


 睨み合いが続く。僕の覚悟が相手に通じているのか、緊張は一向に解ける気配はない。相手は現在丸腰の様にも見えるが、相手は遺伝子改造人間である上に機械化まで行われている可能性が高い。素手で倒せるような相手ではないだろう。


「そうか……。御木本の娘を助けに来たんだな……?」


 僕が一瞬、あゆみちゃんに目を向けるのがバレた。何とかして相手とあゆみちゃんの距離を離したいが、物理的な距離がそれを遮る。僕の場合は大きく三歩半の距離、一方、相手側はすぐにあゆみちゃんを盾にする事が可能な程に近い。


「んーっ! んんっーっ!」


 あゆみちゃんが何かを叫んでいる。そしてこの気配、僕は咄嗟に背後へ蹴りを入れるが、それは見事に防がれた。ドアを蹴破った際に巻き込んだボディガードのひとりだろう。


「良い反応だが、蹴りの練度が足りないねぇ!」


 脚を掴まれ、そのまま物凄いパワーで引き揚げられた瞬間、もう片方の脚で延髄に蹴りを放つ。相手が片脚を持ち上げている以上、反応を少しでも損ねる事が可能であれば、上出来だ。


「軽い軽い! 蹴りが軽いよぉ!」


「いいぞ柿崎ぃ! そのままぶち殺せぇ!」


 柿崎と呼ばれたヤクザは、延髄に蹴りが入ったにも関わらず微動だにしない、それどころか僕の蹴りでダメージすら入っていない様にも感じられる。


 そのまま両足を掴まれて床へと叩きつけられる。すぐに受け身の姿勢を取り、頭へのダメージを回避したが、受け身による動作によって手を大きく広げた所為で、手から拳銃が離れてしまう。


 そのままマウントを取られ、顔を殴られる。なんて重いパンチなんだ……! 島の男たちでも、これ程のパンチを撃つものは数えるくらいしか居なかったぞ!


 すぐさまレスリングの基礎であるブリッジで相手の体勢を崩し、反撃に入る。寝技によって相手を巻き込み、袈裟固めと呼ばれる柔道技で相手を固定する。この技の良い所は、相手を押さえ込む際に、自分の腋が相手の顔に近くなることだ。


「酩酊! 解放!」


 体内のホルモン操作により、酩酊フェロモンが分泌する。漂うフェロモンで酩酊する程の効果が得られるものが、腋に直接顔を付けられたらどうなるのか、押さえ込まれた相手は、当然の様に昏倒する。


「そこまでだクソガキ! お前の大事なこの娘がどうなっても良いのか⁉」


 ボス、日鷲見健一かすみけんいちは拳銃をあゆみちゃんに向け、盾とする為に人質としていた。


 起き上がって構え直すも、銃は先程の乱闘で何処かに紛れてしまった。この距離を一瞬で縮め、あゆみちゃんを救い出す手段は存在しない。


「僕を撃て! あゆみちゃんに手を出してみろ! どんな手を使っても! お前をこの世から消し去ってやる!」


 今まで出たことのない声が出た。あゆみちゃんが狙われているのは頭、対して僕には距離がある。弾道とトリガーのタイミングを逃さなければ、躱せる。回避の訓練もしてきた。ライフルでもない限りは躱せる!


「クソガキが! オレが撃てねえとでも思ってるのか⁉」


「狙ってみろよ。心臓を! 当てる自信があるんだろう⁉」


 我ながら安い挑発だ。当然の様に僕は防弾チョッキを着ている。猫猫さんに渡されたやつだ。特殊カーボンが編み込まれている為、大口径でもない限り打ち抜けない。それでもめちゃくちゃに痛いだろうが、死ぬことは防げる。


「オレはそんじょそこらのチンピラとは訳が違う……! 頭ぁ吹き飛ばしてやる!」


 勘弁してくれ。弾道を見切るのは楽じゃないんだ。僕は指に掛かるトリガーの動きを一瞬たりとも見逃さず、集中した。


『ダァン!』と大きな発砲音が響き、硝煙が広がった。その音よりも早く動かなければならない。脳による反射ではなく、脊髄反射とある程度の予測が必要とされる。島での地獄訓練がなければ、僕の脳は今頃、床に飛び散っていただろう。


 頭のギリギリを、鉛玉が通過していく。皮一枚の所で回避できたが、傷と血は免れなかった。派手に血が噴き出し、弾を避けた反動で脚を取られ、その場で派手に倒れ込むと、勝利を確信したのか日鷲見健一かすみけんいちは高らかに笑った。


「バカが! 人間が拳銃の弾ぁ避けられるわけないだろう! ヒーロー気取りが!」


 ボスは笑っている。油断だ。この油断を待っていた。一瞬でも気が削がれれば緊張が緩む。人間は勝利を確信した時が一番隙が生まれる。倒れ込んだ時に握り込んだフェロモン爆弾をお見舞いしてやる。


「んんんーーっ!!」


 死んだふりをする中、薄目であゆみちゃんが叫んでいるのが見えた。大丈夫だよ。と伝える訳にもいかない。すまん、あゆみちゃん。もう少し耐えてくれ。


「このメスガキが! 暴れるな! お前の彼氏はもう死んだんだよぉ!」


「んんんーーーっ!!」


 あゆみちゃんは踵でボスの足の甲を踏み抜いた。それは相手の怒りを買う行為だ。


「このアマぁっ! 優しくしてれば付け上がりやがって!」


 日鷲見健一は力任せにあゆみちゃんを投げ飛ばし、書類のキャビネット、いわゆるスチール書庫へと叩きつけた。その威力は恐ろしく、金属の書類棚がへこむ程の力で行われた。


「ふぐっっ……!」


 あゆみちゃんの短い悲鳴が聞こえた――


 体感する時間がゆっくりと流れ、割れたガラスがあゆみちゃんの顔に傷をつける。その瞬間、意識が遠くに引っ張られ自分の中で、信じられない程の怒りが湧き出た。


 今まで、冷静さを失った事は、訓練中ですらなかった。冬の海に叩き落されても、崖の上から突き落とされても、木刀で殴られていた時ですら、僕は怒りを抑えた。


 でも今は、それが出来ないでいる。


 全身から赤い煙が噴き出している。僕の怒りに反応したフェロモンだ。効果は分からない。でも、これ程の量が出るという事は、そういう事なのだろう。


 可視化される強いフェロモン、この効果が何を齎すのかはすぐに理解できた。日鷲見健一がその場に膝を着いている。近距離でこのフェロモンを浴びた所為だろう。


「はっ……ぐっ……! げほっ……! なんだこの煙は……! ど、毒か⁉」


 効果は頭痛、めまい吐き気、三半規管の麻痺、手足の痺れと多種多様だ。僕自身はそれ程効いてはいないが、それに似た症状が出ている。


 相手は吐き気に堪え切れずに、胃の内容物を盛大に吐き出した。


「な、何故……! 遺伝子操作でオレの身体は……げほっ! ごほっ!」


 判別がつかないだろう。僕自身もこのフェロモンの正体がなんなのか、はっきりとは分からない。だが、それは今はどうでもよかった。


 苦しみながらのたうち回る日鷲見健一に対して、横隔膜の辺りを力を込めて蹴り上げた。身体の奥に金属の様な塊がある。遺伝子操作の上に機械化までしてある。こうなれば内臓器官に痛みを与えるしか方法はないだろう。


 その前に、あゆみちゃんの安全を確認を取った。ガラスが顔を傷付けたようだが、近年の医学であれば、問題なく後処理が出来る程度のものであった。幸い、彼女には僕のフェロモンは通用しないので、拘束を解いて、ソファーの上に寝かせた。


 そんな中でも、日鷲見健一かすみけんいちは咳と嘔吐が止められず、苦しんでいる。


「調べは付いている。金庫の中にある権利書、金、すべて出してもらう!」


 機械化していないであろう内臓に向けて、蹴りを入れる。やはり固い。


「ひぃっ! やめて……! ごほごほっ! 全部渡す! だから……! この煙を止めてくれ……!」


「金庫を全て開けるまで止めない。それは決定している」


 相手は観念し、金庫を開けた。

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