第16話  やすらぎ


 商店街での買い物帰り、偶然風見さんと水瀬さんに出会った僕は、あゆみちゃんの買い物が終わるまでの間、ついつい話し込んでしまう――


「デカパイって……! あなたも結構いい身体してるじゃないの! 何? このお尻の大きさ! これでしんちゃんが誘惑されたらイチコロじゃない! あっ! でも脚はスラッとしてる! こんなの卑怯よ! 何処弄ったの⁉」


 あゆみちゃんが風見さんのお尻に難癖をつけている。やめてくれ。


「あぁ⁉ オレは生粋のナチュラルだ! そこいらの改造人間と一緒にするな!」


「言い方悪ぅ~! 産まれる前に弄られて選択肢の無い人間だっているのよ⁉ 世間の需要考えてみなさいよ! ナチュラルの方が明らかに珍しいじゃない!」


「やめろ!!」


 思った以上に声が出た。 遺伝子操作による偏見は、少なからずある。社会問題になってしまったことも、未だに遺恨があるのも分かる。だからこそ大きな声が出た。


「ご、ごめん……! 違うの! しんちゃんの事を言った訳じゃなくて……!」


「僕の方こそ、大きな声を出して悪かった……! すみません、風見さん。僕の方から、もっと詳細に説明しておきます。どうか、許してください……!」


 デザイナーズやコーディネイターの話題はかなりデリケートだ。しかし、これはお互いの理解が足りないからこそ起きるすれ違いに過ぎない。正しい知識さえあれば、人は分かり合えるはずなんだ……。


「あぁ……オレも悪かったよ……! 急に突っかかって来たからついな……!」


「だっえ……! だってぇ……! しんちゃん取られちゃうの、やなんだもん~! びええええっ……!」


 おぉおぉ……! あゆみちゃんが泣き始めてしまった……! 勘弁してくれ……! こうなると僕は弱いんだ……!


「うわああああん……! 卑怯じゃないも~ん! 努力だも~ん!」


 何事かと思えば、この場において水瀬七海みなせななみさんも泣きだしてしまった。事情は分からないが、なにかしらの地雷を踏んでしまったらしい。


「あぁもう! おい! 何処か落ち着ける場所に連れて行ってくれ!」


 そんなこと言われても困る。近くて落ち着ける場所なんてひとつしかない。




「おかえりしんたろー……。なんか連絡よりも、人数増えてないか?」


「すみません、蓮花れんげさん。これ、頼まれてた買い物です。時間かかるかもしれないんで、今回は先に食べててください。お願いします」


 僕は買ってきたものを預けて、自分の部屋に三人を通した。全員が座ったものの、

部屋の空気感は非常に張り詰めている。とてもじゃないが、会話の切り口が見つからない。泣き出してしまった二人に新しいタオルを出してあげて、泣き止むのを待つしかなかった。


「この度は、あゆみちゃんが急に失礼な言動を致しまして、申し訳ありませんでした。この事態、愛美慎太郎が責任をとります」


「その必要はねぇよ。その子はお前の事好きなんだろ。だからなりふり構わずオレに噛みついた。分かり易い話だ……。七海の件はオレの発言が原因だから気にするな」


「やはり、デリケートな問題なんでしょうか……」


「そうだなぁ……。七海、話すけどいいか?」


「うん……急に泣いてごめん……! お願い……!」


「お前たちを巻き込んじまったからな……。一応説明しとくと、オレと七海には親がいねぇ。まぁ、これ自体は時代的に大した問題じゃないんだが……。オレの両親はどうでもいい。今回の原因は七海の方の親にある――」


「――七海は、現代最新のデザイナーズなんだ。自分勝手な親のエゴから生まれた。現代では珍しくない話だが、度合いが違う。脳の構成、見た目、身体能力。全てにおいて、完璧な調整が施された」


 僕は黙って話を聞き続けた。


「両親が、子供に嫉妬したんだ。夢を託したはずの我が子をな。精子バンクと代理出産した上、遺伝子まで弄った。だから血の繋がりは全くない。人間は知能の差が大き過ぎると会話すら成立しなくなる。そんな家庭がどんな末路になるか、想像に難くない。家族としての体裁すら保てないまま、崩壊。七海は6歳で施設入りした」


「それって……わたしが悪いのぉ……? なんで……! わたしは捨てられたの……? あんなに……‼ 頑張って勉強したのに……!」


「おい! 七海しっかりしろ! 今はオレが居るだろ! 同じ境遇の仲間もいる! お前はひとりじゃない! 誰もお前を捨てたりしない……!」


「お母さん……! お母さん……!」


 他人事ではない。現代では親の育児放棄が社会問題となっている。遺伝子操作に頼り過ぎた弊害とも言えるだろう。正式に発表はされてないが、この精神の不安定さも、過度な遺伝子操作による反動だと云われている。


「慎太郎、先に謝っておく。お前の胸を貸してくれ」


「どういう事? 泣く分には構わないけど……」


「物理的な話だ。脱いでくれ」


「えぇ……?」


 訳も分からず、上半身を裸にされ、水瀬さんを抱かされた。丁度授乳の様な体勢である。……非常に嫌な予感がする。


「悪いが、胸を貸してもらう。我慢してくれ……七海、ママだぞ……」


「ママ……♡ ママ……♡」


 事もあろうに、水瀬さんは僕の乳首に吸い付いてきたのである。その光景は異様だが、余りにも弱っている水瀬さんを見たら何も言えない。


「風見さん……これはどういうことなの……?」


「即席だが、パニック治療のひとつだ。七海の精神を鎮めるには、母親との良い記憶を思い出し、【エストロゲン】という、女性ホルモンを分泌させるしか方法がない。普段は理解ある仲間に頼んでいるが、このままでは連れて帰ることも出来ない……」


「僕でいいのか……? いや、絵面がマジで最悪なんだが……!」


 風見さんは自分の荷物からパソコンを取り出し、何かのアプリを立ち上げて、操作をしている。バイオリズムなどの波形が並んでいるため、何かしらのヘルスケア系統の機能を持ったアプリである事が分かる。


「仕方ねぇだろ……それ、オレだと上手くいかねぇンだよ……!」


 大きな女子高生が、男子高生の発達した大胸筋、もとい乳首に吸い付いている。それはとても頼りない吸いつきであり、心配になる程に弱弱しい。


「ちゅっ……ちゅっ……」


 当然の如く母乳は出ない訳だが、

その時、僕の体内で何かが弾ける様な感覚が芽生える。


 体内の血流が大胸筋に集中している。これは……! 一体……! 気が付けば僕の身体から、柔らかな桃色のオーラが展開している。これは、酩酊フェロモンとは異なる色をしている。


「ママ……!」


「しんちゃんの優しいにおい……! 」


「これは……! 慎太郎のフェロモンか⁉」


 発揮している僕でもわずかに感じる事が出来る。分泌されている物質の中に漂う、ミルクの様なほのに甘い香り、安心感が心から溢れてくる。自分の中に鎮静作用のあるホルモン、オキシトシンが生まれているのを感じる。


「ママ……♡ ママ……♡」


 自分の中で生まれて初めて目覚める、愛の感覚。これが母性本能というものだろうか……! 心が無限の愛で満たされる。水瀬さんが、自分の子供の様に愛おしく想える。しっかりと手を握り、熱を交換する。


 バイオリズムを計測している風見さんも驚きが隠せない様子だった。


「信じられない……! こんな事が……! 本当にあるなんて!」


 女子高生に乳首を吸われるという、文章にしても頭のおかしい現状ではあるが、水瀬さんは落ち着きを取り戻し、短い眠りの末、本来の元気を取り戻した。


 僕の乳首を吸っていたという記憶は一部抜けていたが、それでも、彼女との距離が一気に縮まったのを感じた。


「ありがとう、慎太郎。お前の誠意と男気に感服した。オレと、七海を救ってくれて本当に、ありがとう……!」


「お役に立てて良かった……。一体何がどうなったのか分からないですけど……」


「オレのパソコンには、七海の腕時計を通じて、体調を波形として表示されるようにしている。これがグラフだ。慎太郎のフェロモンが発生した瞬間、安定した」


「バイオリズムを活用した、ヘルスフィードバックシステムか……!」


「オレが独自に開発したアプリだ。精度としては九割的中する。【安息フェロモン】の効果はすごいな……。慎太郎、近いうちに大学病院で検査を受けないか?」


「まぁ、考えておく……よ……??? おぉ? あれ?」


 全身に力が入らない。お腹が空いて、血糖値が急激に低下した時の感覚だ。


「どうやら、そのフェロモン、かなりのエネルギーを使う様だな。おい、デカパイ、慎太郎をちょっと見ててくれ」


「デカパイって呼ぶなぁ! デカケツゥ! あたしは御木本あゆみだぁ!」


「オレはデカケツじゃねぇ! 風見香奈だ!」


 ふたりが目を合わせ、堪え切れなくなり笑った。今回はケンカじゃない。


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