第9話 思い出溢れ出しても


 学校指定寮のひとつである、【助平荘すけひらそう】の玄関灯げんかんとうが、暖かい光で僕を優しく出迎えてくれる。時刻は既に七時半を回ったあたり、夕飯はとっくに始まっている時間であるが、なんとか帰宅する事が出来た。毎日が波乱万丈である。


「愛美慎太郎、ただいま帰宅いたしました」


 玄関扉を開けるのと同時に帰宅の報告を行うと、廊下奥の台所の方から、パタパタとスリッパの足音が聞こえてくる。


「慎太郎さん、お帰りなさい。ご飯とお風呂、どっちにしますか?」


  まるで新婚さんの様に出迎えてくれたのは、この助平荘すけひらそうの寮長であり、大家さんでもある【鳴無美憐おとなしみれん】さんである。三十代の女性でいつもニコニコ笑顔でおっとりした印象をしている。


「すみません、美憐さん。すぐにご飯を食べて片付けやりますね」


「うふふ、いいのよ。そんなに慌てなくても、夕飯はすぐに温め直すから、先に着替えていらっしゃいな」


「助かります! あ、これ。商店街の八百屋さんで買ったりんごと、おまけしてもらった分のバナナです。寮のみんなで食べようと思って……! どうぞ!」


 僕は袋に入ったりんごとバナナを、大家さんに手渡した。


「まぁ、やおくまさんの所ね。みんなで食べれるようにしておくわね」


「はい。それでは一旦失礼します!」


 僕は下駄箱に靴をしまい、すぐさま階段を昇って自分の部屋へと向かった。長い廊下には六部屋分の扉が存在しており、一番奥の部屋が僕の部屋である。


「ふう、ただいま……」


 このただいまは、誰もいない部屋に対してだが、癖となっている。手早く制服を整えてハンガーにかけ、ジーンズとタンクトップに着替える。肩の荷が下りた気分だ。


「しんたろ~! おかえり~! 飯くおーぜー!」


 勢いよくドアを開けて侵入してきたのは、隣部屋の【島根蓮花しまねれんげ】さんだ。何故か毎回一緒に夕飯を食べようと待ってくれている。とても優しいお姉さんだ。大学生という話だが、詳細は知らない。


 長くて真っ赤な髪の毛をかき上げ、異様に露出の高い薄着にホットパンツという、なんとも寒そうな恰好をしていて、目のやり場に困る。


「蓮花さん、ノックもせずにいきなりドアを開けないでくださいよ」


「あれー? もう着替えたのかぁ? おねーさんとのドキドキハプニングイベントを逃したなー! アッハッハッハ!」


 僕の背中をバシバシ叩いてくる陽気なお姉さんだが、ことごとく漫画や創作物の様なイベントを起こそうとする。今回のお着換え中訪問は序の口で、風呂やトイレでもハプニングを発生させようと目論んでいる。


「いやぁ~! 男だらけの島で育ったしんたろーに、女の子との青春イベントを取り戻してあげたいな~って♡ おねーさんの心意気って感じかな!」


「お心遣い感謝します。でも遅くなる場合もあるし、夕飯は待っててくれなくてもいいんですよ?」


「何言ってんだよ。家族は一緒に飯を食うもんだろ。しんたろーがここに住んでいる間は、アタシ達は家族だ」


 僕は、母親の顔を知らないし、父親とも直接会ったことがない。ましてや、一人っ子だ。家族と呼べる存在は、送り出してくれたお婆ちゃんしか知らない。でも、姉さんが居たら、きっと蓮花さんみたいな感じなんだろうな。


「さぁ、飯だ飯だー! 」


 肩をガッツリと拘束されながら階段を降りると、美憐さん特製のお味噌汁の匂いが漂ってくるのを鼻で感じた。食卓にはバラエティ豊かなおかずが用意され、栄養バランスも米をかき込ませる魅力も十分な夕飯が用意されていた。


「毎度のことながら、みーちゃんの飯は本当に美味そうだなぁ! 茶碗茶碗!」


 蓮花さんは炊飯器からみんなのご飯をよそう係だ。自ら任命したらしい。その量は常に的確で本人曰く、相手の体調やおかずの種類によって計算されているという。


「蓮花ちゃん、私は大盛で頼むわねぇ~」


「美憐さんもすみません、待っててもらって……!」


 僕の都合で、この家の夕飯時間が前後する事が多い。


「そんなの構わないわ~家族ですもの~」


「優しいお姉さんが二人もいて、僕はとても幸せ者です」


 心から出た言葉だった。種我島で過ごした時間は僕にとって、漢を磨く重要な時間ではあったけれど、この様に安らげる時間は数えるほどしか存在しなかった。


「しんたろー! いっぱい食べろよ!」


 目の前に置かれたのは茶碗ではなくドンブリだった。いつもの倍はある。蓮花さんの判断は、とても正しい。なんだかたくさん食べたい気分だった。


「……いただきます」


「いっただっきまーす!」


「いただきます」


 それぞれが夕食に箸を付ける。


 今日のメインは肉じゃが、サイドに控えている小鉢には擦り下ろした長芋と刻んだオクラの酢醤油和え。ひじきと切り干し大根に、細切りにしたさつま揚げを合わせたもの。みそ汁の具はわかめと豆腐。今日も最高にご機嫌な夕食だ。


「あ、そうだ。慎太郎さん。あなたのお父様……光太郎さんから荷物が届いていたわ。入学祝いみたいよ。内容はスマートフォンって書いてあったわねぇ……」


「本当ですか⁉ 嬉しいなぁ、今日日きょうびの高校生はみんなスマホを持っているって聞いていたので、丁度良かったです」


「しんたろーはスマホデビューか、後でおねーさんが手取り足取り教えてやろう」


「ありがとうございます蓮花さん。本当にこの手の機械は持ったことなくて……」


「任せといて~! すぐにエロ動画見れるようにしてあげるからね~!」


「蓮花さん……そんな、食事中に言う事でもないでしょうに……」


「蓮花ちゃん……!」


 おぉ……! あの美憐さんがただならぬ気配を……! 蓮花さんの行儀の悪さに一言注意するか……!


「通信料が掛かりそうなコンテンツを教えるなら、ちゃんとウチの無線通信を設定してあげてね。肝心な時に連絡が出来ないとかになったら大変だもの」


「おぉ、そうだったね。最近は通信技術が発達して早くなったは良いけど、通信料が高いもんなぁ~!」


 僕はその手の情報に疎い為、ふたりの会話をなんとなくで聞き流していた。程なくして食事が終了し、片付けを終えると、風呂に入れと促された。スマホの説明は風呂が終わってからという話になった。


 必要な着替えを準備し、脱衣所へとやってきた。今日はなんだかんだでマウンティングを行ったし、割と疲れている。僕は洗面台の鏡で自分の身体を確認すると、ベルトで締め上げられた跡がしっかりと腰に残されていた。


 若本妃さんのパワーは思った以上に僕の身体へダメージを与えていた様だった。


 手早くシャワーで汗を流し、身体を洗う。所々が傷になっている。衣服が擦れただけでこの傷。相当なパワーだったのだろう。お湯が染みるが我慢するしかない。


助平荘すけひらそう】のお風呂は広く、合宿所の風呂場を思い出す。相撲部屋の様な環境下で、漢を磨いていた日々が、まるで昨日の様に鮮明に蘇る。


 あの地獄の日々を通過したからこそ、今の生活がある。高校生の青春を命一杯めいいっぱい謳歌しなければ……! ふとした瞬間、脳裏に刻まれた女の子たちのパンツがフラッシュバックする。きらら先輩は僕に、真っ当な恋愛をして子作りをしろと言ってきた。


 正式には政府も絡んでいるそうだが、今の所詳細を聴けたわけではない。何処か、早い段階で話を聞きださないと、平穏な高校生活は送れそうにもない。


 湯船につかり、思考を巡らせていると、ドタドタと喧しい音が脱衣所から響いた。なんだかとても嫌な予感がする。


「しんたろ~、湯加減どうだ~!」


 あまりにもナチュラルに、蓮花さんがお風呂に突入してきた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る