第29話

 車が到着した先、『ラビット』の拠点は、他二つの組織に比べると狭かった。他二つが広すぎたというのもあるだろうが、たまかにとってはなんだかこちらの方が馴染み易く感じた。荒すぎる運転によりぐったりしているたまかの手を引っ張り、ヘッドドレスの少女はレモン色の髪を靡かせてにこりと笑った。今から何か楽しいことでもあるかのような、そんな様子だった。つまりたまかにとっては、ろくでもないことが待っているのであろうと嫌でも察せられた。

 手を引かれて敷居を跨ぐ。『ブルー』や『レッド』に比べて人も少ないようで、見える限りで二、三人しかいなかった。彼女達はフリルとレースとリボンで身体を覆い、何やら楽し気に各々の作業を行っていた。自身の作業に熱中している者ばかりで、よそ者のたまかには見向きもしなかった。少女に手を引かれながら玄関から扉を潜り、洋風の館内を歩いて行く。床、壁、天井、照明、扉。『レッド』の高級さや『ブルー』の実用さはないものの、至る所にその装飾への拘りが窺えた。ふと後ろを振り向くと、先程までいたはずのノアの姿が忽然と消えていた。たまかは周りを探ろうとして、足を止めた少女の背に前方不注意のまま激突した。フリルとレース、リボンに埋まった身体は、全く痛くなかった。

「よそ見するなよ~……。ほら、この部屋だよ」

 窘めたあと、『ラビット』の少女は控えめな木彫りの浮かぶ扉を開けた。たまかは腕を引かれるままその扉を潜り、そして……思わずぎょっとした。

 中央には椅子が一つ、鎮座していた。黒い、頑丈そうな椅子だった。所々に錆が見え、赤黒く染まっていた。囲む周りの壁にはいろいろな道具がぶら下がっていた。日常生活で見る事のない、鉄製や木製の謎の形をしたものばかりだった。ずらりと四方を囲む器具達は、圧巻の光景だった。部屋の隅に置いてある小さい棚の上には、ペンチやはさみ、ナイフ、タオルが置かれている。その下にはバケツに汲まれた水が水面を揺らしていた。さらに床にまで視線を下げると、染みが点々と広がってこびりついていた。何の染みなのかはわからなかった。わかりたくもなかった。

 どう考えても、客を持て成すような部屋ではない。

 たまかは顔を険しくした。『ラビット』の少女はそんな様子を気にもせず扉を閉めると、再び腕を引っ張った。椅子の前までくると、たまかを無理やりに座らせた。慣れた手つきでたまかの手を椅子へと縛り付けると、彼女は鼻歌を歌った。たまかの知らない曲だった。

「あの『ブルー』や『レッド』も欲しがる噂の子って言うから駄目元だったけど、『レッド』の奴らも大したことないじゃ~ん。あっさり手に入っちゃった」

 ヘッドドレスの下の顔をにんまりと歪め、少女はたまかへと顔を近づけた。じろじろとたまかを見下ろす。

(それ、わざとなんですけどね……まあ、黙っていましょう)

 アカネに釘を刺されたこと、そして林檎の顔を思い出し、たまかは口にチャックをしたまま目の前の少女を見上げた。少女は顔を離し、鼻を鳴らした。

「あいつら普段から優等生ぶってるだけの頭でっかちだから、いざというときに何も出来ない木偶だってこれではっきりわかっちゃったね。普段からくそ真面目だからああなるんだよ。もっと日頃から楽しいこといっぱいすればいいのに」

 言いたい放題言って、彼女はくすくすと笑った。それからフリルとレース、リボンから伸びる腕を差し出し、レースに包まれた手を広げた。

「名前は?」

「……九十九たまかです」

「たまかちゃんか。虹(ナナ)はナナって言うの。よろしくね」

 彼女は怪し気に笑った。全くよろしくしようという雰囲気を感じなかった。

「これから一緒に楽しいこと、しようね。ききたいことが沢山あるんだ」

 厚い艶めかしい舌が、唇を嘗める。ナナは厚底を鳴らして一旦離れると、部屋の隅の棚からペンチを持って来た。

(それ、本当に私も楽しめるやつですか……?)

 開け閉めされるペンチのくわえ部、細かい規則的な溝に目が吸い寄せられた。まさかこれから共に日曜大工を始めようというわけでもないだろう。それに加えて、部屋の壁にぐるりと飾ってある見慣れない器具達が放つ存在感。冷や汗が、頬を伝った。

(で、でも『ブルー』でも『レッド』でも似たようなことを経験してきましたからね。相手が欲しいのは、私と蘇生に関する情報です。正直に話せば、きっと乗り切れるはず)

「これ、何かわかる?」

 ナナはペンチを振って見せた。たまかはそれを目で追いかけた。

「ペンチです」

「さっすがー。正解だよ。頭いい~」

 ナナは笑顔で持て囃す。たまかは曖昧な顔のまま、心の中で真意を探った。

「じゃあ次の質問。どの指が好き?」

「指ですか? ……薬指、ですかね」

「どうして?」

「いつも率先して働く人差し指や親指に隠れがちですけど、薬を塗るのに丁度いい力の強さが出しやすくて……隠れた名優って感じで、好きです」

「ふうん」

 ナナは厚底を鳴らして、たまかの後方にまわった。視界から白と黒のフリフリが消える。縛られているたまかの手を、レースで包まれた手が取った。その瞬間、たまかの指に激痛が走った。

「いっ!?」

 体中に電撃が走ったようだった。視界に入るわけがないのに、思わず後方を確認しようと首を動かしてしまう。そんなたまかに反して、のんびりとした笑い声が響いた。

「あはは、大丈夫だよ。まだ剥がしていないから~」

(剥がす気だったんですか!? 爪を!?)

 剥がしていないというのは嘘ではないだろうが、指の先の激痛はまだ余韻を残していた。神経を集中させれば、その痛みは薬指のものであることにおそばせながら気が付いた。

「痛かった? まだまだ序の口だから、これくらいは耐えてね」

 ナナは再びたまかの正面へ戻ってくると、ペンチを一度、開いて閉じた。目を細めて、微笑む。

「次の質問だよ」

「……」

(蘇生に関して嘘は通用しないという脅し、とかだったんですかね……)

 たまかはナナの行動の理由を探りながら、次の言葉を待った。相変わらず、薬指がじんじんと痛んでいた。

「好きな食べ物は?」

「……」

「えへへ、聞こえなかったかな? 好きな食べ物! なにかな?」

 たまかは一瞬の沈黙を挟んで、口を開いた。

「シュークリーム……とか言ったら、窒息するまで口に詰め込まれるんですか?」

「ええ? まさか。そもそもシュークリームなんて用意してないし」

 けらけらと笑われる。

「たまかちゃんはシュークリームが好きなんだあ。美味しいよね……ナナはクリームたっぷりのが好きだなあ」

 ナナは嬉しそうに頷くと、「じゃあ次の質問」と話題を変えた。

「たまかちゃんは、何色が好き?」

「……」

「あれ? また聞こえなかった? 爪剥いだら、きこえるようになる?」

「な、なりませんよ。色ですよね? 白色が好きです」

「そうなんだ~。制服も真っ白だしね」

 ナナは言葉を覚えたての子供のように、「雪、ホイップクリーム、ミルク、真珠……」と単語をゆっくりと並べ立てた。たまかは眉を顰めた。

(蘇生に関する情報が欲しいはずなのに、なかなかきいてきませんね……。食べ物や色の好みをきいて何かになるとは思えませんし、まだ勿体ぶっているってことなんでしょうか)

「じゃあ次ね。たまかちゃんは、どんなお洋服が好き?」

「……あの。ナナさんがききたいことって、蘇生に関すること、ですよね? 私、隠し事するつもりありませんよ」

 ついに堪えられなくなり、たまかから蘇生の話を振ってしまった。ナナは一瞬きょとんとすると、そのままくるりと身体の向きを変えた。棚のもとへ行くとペンチを置き、水のたっぷり入ったバケツを両手で重そうに抱えた。たまかの正面へ戻ってきたと思った瞬間、たまかは突然の圧迫感に襲われた。頭から水が滝のように流れ落ちる。鼻と口に水が入り、髪と服が重く引っ付いた。酸素を取り込めずゲホゲホと咳き込むと、髪や髪飾りが水滴を散らした。ぶるりと身体が震え、全身を覆う不快感に、ようやくバケツの水をかけられたと理解が追いついた。

 顔をあげると、ナナの顔には、怒りも悲しみも湧いていなかった。ただ、たまかを見下ろしているだけだった。その桃色の唇が、動く。

「たまかちゃんは、どんなお洋服が好き?」

 先程と一字一句同じ文言だった。こてりと傾げ、口元に微笑みが浮かぶ。

 たまかは背筋をぞっと凍らせた。……これだ。『ラビット』は、話が通じないのだ。たまかは蘇生の話を諦め、彼女の望む答えを言うことに努めようと決めた。髪や服からポタポタと水が滴り落ちる。一度むせてから、口を開いた。

「着るなら……動きやすい服が好きです。治療がしやすいので」

「そうなんだ。じゃあ次、たまかちゃんはどこに遊びに行くのが好き?」

 ……この質問は、一体いつまで続くのだろうか。

 何のためにもならない、ただのたまかの嗜好を窺うだけの質問。本題に入る前の世間話かと思いきや、一向に止む気配がなかった。

(かと言って質問に答えないと、何されるかわかったもんじゃありません)

「……カフェ巡りが好きです。一人でも、友達とでも」

「……そーなんだ。じゃあ次の質問。殺されるなら、お母さんとお父さん、どっちが嫌?」

「え」

「殺されるならお母さんとお父さん、どっちがやだ?」

 ナナは質問を繰り返し、少し頭を傾げた。今までの質問と、同じトーンだった。たまかは動揺を隠しつつ、目を泳がせた。

「えっと……。どっちも嫌です」

「それ、答えになってないと思うけど」

「でも、どっちも嫌です」

「ふーん?」

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