第28話
目への刺激は微々たるものだった。丁度たまかの目の前が開けている。たまかの先の煙だけが晴れていて、先程の強い風に飛ばされたようだった。後ろを振り向くと、煙に混じって僅かにアカネの姿が見えていた。顔を覆った腕から片目を薄く開け、その伸ばした手には扇子が収まっていた。赤い中に金の装飾が映える、豪華なものだった。どうやらその扇で、たまかの先だけを仰いだらしい。たまかの状況を確認した彼女はすぐに後方に下がり、煙の中に消えてしまった。
後ろを振り向いていたたまかの腕が、突然掴まれた。驚いて振り返ると、目の前にはマスカラのばっちり決まった目が二つ、たまかを覗き込んでいた。ヘッドドレスの装飾を揺らして顎を引くと、『ラビット』の少女はに、と笑った。
「捕まえた」
アカネはたまかの身を案じて煙を除いたわけではなかった。風を起こしたのは、『ラビット』がたまかを見つけやすくするためだったのだ。そのことに気付き、たまかは掴まれた腕を振り払うことを諦めた。怪し気に弧を描く口元を、ただ見下ろす。その横に、押しのけるようにずいっと乱入してきた顔は、色素の薄い眼が目を引いた。斜めに切られたチョコレート色のストレートヘアーを揺らし、彼女は嗤った。
「これで楽しいこと、出来るね」
囁くようで、けれど余韻がはっきりと残る声だった。たまかは困った顔を返す他なかった。
「方舟(ノア)、それは帰ってからたっぷりしよ? ここで解体ショーをやるには、ちょっと観客が多すぎるかなあ」
レモン色の長い髪を舞わせ、ヘッドドレスの少女は首を振った。部屋を覆う煙に混じって、『レッド』の者が突入の機会を窺っているはずだ。彼女はそのことを言っているらしかった。
「それにほら、お楽しみはとっておいてゆっくりと楽しんだ方がいいでしょ?」
「それもそうだねえ」
ボンネットと斜めの髪を小刻みに動かしながら、少女は無邪気に頷いた。その様子を見て、ヘッドドレスの少女は安心したような顔を一瞬浮かべた。彼女はチェーンソーのレバーを放してスイッチを鳴らし、エンジンを止めた。耳障りに響いていたエンジン音が止んだ。
「逃げるよ!」
チェーンソーを大理石に叩きつけ、少女は空いた黒い手を再度伸ばしてたまかを掴んだ。引っ張られる勢いに合わせて、たまかも慌てて足を動かす。横で忍び笑いをしたボンネットの少女も、チョコレート色の髪を揺らしてついてきた。『ラビット』の厚底の靴が、深みのある音を叩いていく。
たまかの視界の端で、ボンネットの少女がフリルとレースまみれのドレスのポケットから何かを取り出した。たまかが顔を向けると、彼女の繊細な黒のレースの手の中には、赤い円形状の筒がいくつも乗っていた。
(あれってまさか、爆竹……)
たまかがその正体を推測し終える前に、答え合わせが先にやってきた。チョコレート色の髪に彩られた顔に満面の笑みを浮かべ、彼女は空いたもう片方の手で装飾に塗れたライターを取り出した。何の躊躇もなく火をつけだす。そして、それを後方へと楽しそうに投げた。まるでプレゼントを配るサンタのようだった。筒は弧を描いて、大理石に着地していく。
たまかは引っ張られるままに走りながら、後ろからの轟音、そして続く物が壊れる音達に耳を塞いだ。ちらりと後方を確認すると、まるで夏の夜空のような花火会場が出来上がっていた。光の中に『レッド』の少女達の姿もちらちらと見えるが、彼女達はその閃光に行く手を阻まれているようだった。中には火傷を負ったり服へ引火したりしている者も見えた。惨状から顔を横へ戻すと、花火師は満足そうな笑みを浮かべ、楽しそうにはしゃいでいた。
建物を抜け、久しぶりに外の空気を吸った。『ラビット』の少女は足を止めることなく、たまかの腕を引っ張ったままだ。後ろについてくるもう一人の『ラビット』の少女も、スキップのようなふわふわした足取りでついてきている。その後方は無人で、『レッド』が追ってくる様子はなかった。そのまま門をくぐり、『レッド』の敷地内を出て、道路を走る。フリルとレースとリボンの塊二つと共に走るナース服を、道行く人が不思議そうに眺めた。しかし抗争中の救護活動の一環だと思ったのか、人々はあまり気に留めずに日常へと戻っていっていた。
(ここで『助けて』って声を上げられればいいんですけどね……周りも巻き込んで殺される未来しか見えませんから、大人しくついていくのが得策でしょう)
少なくとも林檎の筋書きでは、『ラビット』へ伝言を渡すまではたまかは生きていられるらしかった。別に『レッド』に加担するつもりも林檎を信用するつもりも毛頭ないが、考え無しで迂闊に行動をするよりは生存率は上がるはずだ。
そんなことを頭に描いていると、腕を引っ張っていたレモン色の髪の少女が不意に足を止めた。彼女の横には、黒い車が止まっていた。手を伸ばして車のドアを開けると、運転席に座っていた女性へと流れるように銃を突きつけた。いつの間にかポケットから出して持っていたらしい。迎えに来た仲間かとも思ったが、どうやら初対面らしかった。
「お姉さん、最期に言い残す言葉は?」
ヘッドドレスの少女は、片手に銃、片手にたまかの腕をとりながら、笑って声をかけた。その黒いレースに包まれた指は、何のためらいもなく引き金を引き、女性の頭はスイカ割りのように綺麗に赤を散らすだろう——だからたまかは考えるよりも先に口を開いた。
「すみませんお姉さん、緊急の患者さんがいて! 車を貸して貰えませんか!」
ヘッドドレスの少女は狐につままれたような顔で横のたまかを見た。女性は状況を理解しようとしているらしく、ぽかんと口を開けた。少なくとも、ノータイムで銃を撃とうとしていた『ラビット』の少女の思惑を逸らすことは出来た。たまかは力の限り叫んだ。
「……逃げてください!」
女性も三組織に属する者なのか、反応が早かった。そもそも二十代後半までこの荒廃とした世界を生き抜いてきているということは、年齢に比例して経験と才能があるということになる。女性は『ラビット』の少女を瞬時に押しのけて車から離れると、細い道へと蛇行を交えて駆けていった。その後ろ姿へ『ラビット』の少女が二、三発発砲したが、彼女には当たらなかった。彼女の背中は道の奥へと消えていき、ハイヒールの音も遠ざかっていった。
「……はー、なに白ける事してくれてんの」
明らかに不服そうに、レモン色の髪の少女はそう言った。たまかは毅然とした態度で応えた。
「車が欲しいんですよね? 手に入ったのだからいいでしょう。あの方を傷つける必要はないはずです」
「死体を作らないとテンションあがんないじゃん」
テ、テンション……?
たまかは胡乱な目を向けた。言い合う二人に割り込み、チョコレート色の斜めの髪を揺らしながらもう一人の『ラビット』の少女が笑顔で手を叩いた。『ノア』と呼ばれていた少女だ。
「なら~、帰るまでに何人轢けるかゲームしよう」
「おっ、いいね」
その言葉に、ヘッドドレスの少女は満足そうに頷いた。銃を仕舞い、後方のドアを開けると、たまかをその中へとぶち込んだ。座席シートに叩きつけられたが、柔らかい素材で痛くはなかった。ばたんと扉が乱暴に閉まる。
(あれ? 待ってください。これ、もしかして『ラビット』の方が運転するんですか……?)
今いるのは三人だけで、消去法で運転手は必然的に決まる。運転免許証、という時代遅れの既に機能していない証明書があるが、『ラビット』の者達がそれを持っているとはとても思えなかった。後部座席に転がされたまま顔を青くするたまかのことなど露知らず、運転席と助手席に二人の『ラビット』達が乗り込む。入れっぱなしになっていたキーを回し、サイドブレーキやレバーを操作し車のエンジンをかけると、『ラビット』の少女は楽しそうにハンドルを握った。
「一人千ポイントね!」
「いえーい」
車が音を立てて急発進した。たまかの身体はその動きについていけず、再度座席シートに叩きつけられた。キキキッと甲高い音とともに急カーブを描いて方向を変え、車はそのままスピードをあげて進み続けた。
向かうは『ラビット』の拠点であろう。楽しそうにはしゃぐ前方の二人を他所に、たまかは密かにため息を零した。そして、小さくぼやく。
「三大組織スタンプラリー、これでコンプリートですか……全く嬉しくありませんが」
盛大にクラクションが鳴らされる。二人の楽しそうな笑い声が車内に木霊する中、荒い運転に身体があっちへこっちへ揺らされた。全てはこの運転のように、たまかの手の及ばない誰かの思惑の内なのだろう。たまかはただひたすらに身体を打ち付けるしかない。……けれど。
(『不可侵の医師団』を襲撃した件、蘇生の話の件……まだまだわからないことだらけです。ここでへこたれている暇はありません)
目下の目標は、『ラビット』を生きて出ることだ。小規模であり他の組織に比べたら統率も取れていないが、それでもこの組織が一番厄介で危険なのだろうとたまかの本能が叫んでいた。何せ、話が通じない集団なのだ。
再び跳ねた身体をシートに打ち付けながら、たまかは丸くなって、ぎゅっと両手を握ったのだった。
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