第27話

「仲間のこと、お嫌いなんですか?」

「え? なんで?」

 素朴な疑問に、アカネは不思議そうに返事をした。前は向いたままだった。

「だって、雑魚とか言っていましたよね?」

「事実だよ、事実。私達有象無象は雑魚で愚かで無力、取るに足らない一つのゴミに過ぎない」

 アカネは片手をひらひらとあげ、投げやりに言い放った。

「でもだからって、嫌いにはならないでしょ。馬鹿は馬鹿なりに集って、智者の手足として動くのが道理ってだけで、仲間意識はちゃんとあるよ。私も馬鹿の一人だからね」

「智者っていうのは、林檎さんのことですか?」

「あの方以外にいるわけないでしょ。皆言う事成す事豆の入っていないインゲンみたいなものだけど、朱宮さまだけは違うもの。あの方だけには、従ってもいいと思える」

 人けのない広い部屋の中央で、アカネは足を止めて振り向いた。彼女の目は、とてもきらきらと輝いていた。本心なのだと察するには、充分な煌めきだった。

「つまり林檎さんの言うことは、豆入りのインゲン?」

「いや。強いて言うなら……キャビア?」

「豆ですらありませんね」

 組織の者達が上を慕っているのは大変喜ばしいことである。だが、『ブルー』の水面も『レッド』の林檎も、良くこの重圧に耐えられるな、とたまかは苦笑いを浮かべた。上に立つものは憧れや崇拝を一身に浴び、それに応え続けなければならない。それを難無くやってのけている二人は、組織を率いる資格があるということなのだろう。

「そう、私達とは違う規格にいる方なんだよ。同じ物差しで測ろうとする方が間違ってる。私達が豆だとすれば、彼女は土から生えるものとは違う次元にいるんだ」

「ふむ。だから、キャビアですか」

「そうそう」

 アカネが歯を見せて笑みを浮かべた時だった。近くから劈くような金属音と、何かの崩れる音が突然響いた。音の大きさはそれほどでもなかったが、『レッド』の敷地内で響き渡るにはあまりに不釣り合いな音だった。アカネとたまかは驚いて、音のしたほうへと振り向いた。

「な、なんだ?」

(あ……デジャヴ)

 たまかは『ブルー』で『レッド』の者に連れ去られた時を思い起こした。あの時も、引き渡し先に連れていかれそうになっていたとき、こうやって突然の轟音がそれを遮ったのだ。

「……何? えらく冷静だね」

 アカネが訝し気にたまかの顔を覗き見た。諦観。その二文字がありありと浮かぶ顔で、たまかは達観した笑みを浮かべた。

「……恐らく、『ラビット』でしょう」

「は? 『ラビット』?」

 遠くの金属音は止むことはなかった。甲高い音に混じって、人の声が複数きこえてきた。『レッド』の者も侵入者に気付き、交戦しに行ったのかもしれない。

「なんでそう思ったのか知らないけど、無理だよ。『ラビット』は小規模組織だし、対してここは『レッド』の本拠地。『レッド』の精鋭がわんさかいるもの。侵入されるなんて、無理無理」

 一笑に付したアカネへ、たまかは遠くを見つめたまま、現実を突き付けてやる。

「『たまたま』、『レッド』の警備が手薄になっていたんだそうです」

「何言ってんの?」

「……と、林檎さんが仰っていました」

「は!? 朱宮さま!?」

 アカネは驚愕を顔に貼り付けて叫んだ。そして一転、何やら考え込む。

「……何? 『ラビット』にわざと襲撃させたってこと? ってことは、こいつを『ラビット』に連れていくのが朱宮さまの狙い?」

 即座に状況を理解したらしい。じろじろとたまかを睨んだあと、アカネは盛大にため息をついた。

「はあ~……道化も道化。私の仕事、意味ないじゃん」

「だ、大丈夫ですよ。林檎さんの狙い通りのようですし、私を逃したところで責められることはないかと」

「それは別にどうでもいいけど、あんたが全部わかってますみたいなのが腹立つ~……」

 どうやら、たまかにだけ教えて自分が知らされていなかったことが悔しいらしい。たまかは乾いた笑みを浮かべた。

 しばらくむすっとしていたが、金属音が大きくなるにつれ、アカネは顔つきを変えた。『ラビット』の者が、近くまで来ているようだった。

「……とりあえず、私は適当に交戦してすぐに撤退するのが吉かな。あくまでも、わざとだとバレないように振舞わないと。お前も口外禁止だよ、いいね?」

「私が『レッド』の味方をする理由、ないんですけどねー……」

 嫌そうにそう言いながらも、脳裏を過ぎったのは林檎の顔だ。『期待していますよ』。あの時の、作っていない笑みが儚く浮かんだ。

(ずるいなあ)

 これも計算の内なのだろうか。じっとりと睨んでくるアカネに、「わかりましたよ」と渋々と頷いた。

 二人しかいなかった部屋に、ぱたぱたと靴音が響いた。そして、甲高い金属音も増す。その音の出所は、チェーンソーだった。

 現れた二人の少女は、同じ制服を身に纏っていた。黒を基調としたドレスは、レース、フリル、リボンで所狭しと飾られている。黒いリボンと白いレースで彩られた胸元の上でチェーンソーの刃が引切り無しに回転し、その機体を黒い繊細なレースで作られた手袋が支えている。パニエにより広がったワンピースのスカート部分は、フリルがレースを作ってリボンでそれを絞り、その下からさらにフリルとレースが顔を覗かせている。リボンの先が垂れるひざ下は、これまたフリルで彩られたニーハイソックスで包まれていて、揺れるスカートの下からガーターベルトがちらりと見えた。爪先が丸く光沢のある黒い靴は、その底がとても厚く、靴音が響くのも納得だった。黒と白で統一されたフリルとレースまみれのこの制服は、件の『ラビット』のものである。

 チェーンソーを持つ少女は、たまかの顔を見てヘッドドレスの下の顔をにやりと歪めた。後ろの髪はラウンド型に短く切られているが、正面の髪は腹で交差しているワンピースのリボンに届いている。そのレモン色の長い髪を揺らしながら、くすくすと笑う。

「みーつけた!」

 横の同じ制服の少女も、歪な笑みを見せた。大きな薔薇とリボン、フリルに彩られたボンネットから覗く、斜めに切られたストレートの髪を風に靡かせる。人間離れした儚さを感じさせる、色素の薄い瞳。たまかを見つめているようで、虚空を見つめているようにも見える。たまかは本能的に恐怖を感じ、萎縮した。

「『ラビット』の捨て身の特攻かい?」

 アカネはそう言って、懐から素早く銃を取り出した。躊躇いなく、チェーンソーを持つ『ラビット』の少女へと照準を合わせる。銃を突き付けられた少女は全く怖がる様子もなく、スターターロープを強引に引っ張るだけだった。ラチェットが空回りする音が響く。彼女の長い髪が今にも回転に巻き込まれそうで、たまかは冷や冷やとしながらそれを見ていた。

「あははは!」

 パン、と乾いた音が部屋に木霊した。発生源は、アカネの持つ銃ではなかった。笑い声の主、『ラビット』の大きく斜めを描くチョコレートヘアーの少女は、その手にいつの間にか銃を持っていた。黒いレースに包まれた人差し指は、引き金にあてられている。彼女が発砲したらしい。たまかが焦ってアカネを振り向くが、彼女から血は流れていなかった。ただし、彼女の持っていた銃が、大理石の床へと放り出されていた。『ラビット』の少女が、アカネの銃を撃ったらしかった。

 少女は続けて、その銃口の照準をアカネの胸へとあてた。……まずい。『ラビット』の少女の一切躊躇いのない指の動き。常に抗争状態の三組織は、どこも人を殺すことに何の躊躇もない。このままでは、アカネが撃たれかねない。

 たまかはなんとかアカネを突き飛ばそうと、手を伸ばしかけた。同時に、チェーンソーを持った少女が、厚底を持ち上げ足を踏み出したのが視界の隅で見えた。

 たまかの手がアカネに触れるより、『ラビット』の少女の持つ銃が発砲するより、チェーンソーの刃がアカネとたまかに迫るより、何よりも早く動いたのはアカネの手だった。突然辺りにもくもくとした煙が立ち込め、視界が灰一色に侵食された。目へ刺激が走り、涙が浮かぶ。たまかははっとして、伸ばしかけていた腕を口元に持っていった。そして、目を思い切り瞑る。……催涙弾。『ブルー』を撒くのにも使っていた、アカネお得意の技だ。

 チェーンソーの音が至近距離からきこえた。視界を奪われているお陰で、逆に音を拾うことに神経が集中している気がする。たまかは音の出所から距離を取ろうと一度後退り、そして先程アカネのいた方向へと慎重に足を動かした。空いた手を伸ばすが、虚空を掴むだけで、『レッド』の制服のふんわりとした生地に指が当たることはなかった。チェーンソーの音だけが、変わらない音量で響いていた。

(『ラビット』は身動きが取れなくなったようですが、これでは私やアカネさんも動けないのでは……)

 向こうは銃を持っているのだ。たまかが目的で来たならばたまかは殺されないだろうが、アカネは違う。アカネのいた場所に闇雲に発砲される可能性だってある。先程までアカネがいた場所へ、アカネの身を庇うように立とうと歩を進める。しかし、視界が見えない状況で場所が合っているのか確かめる方法がない。

 その時、不意に強い風が吹いた。制服のスカートが翻り、たまかの薄桃色の髪が舞った。ナースキャップを象った髪飾りが飛ばされそうになって、慌てて手で抑える。そして思わず、目を開いてしまった。

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